上 下
40 / 102
第五章

1

しおりを挟む
 ユリウスの言葉は、オリビアのことを思ってのことだろうことはわかる。
 ただ、オリビアはその気遣いを喜んでいないことは、彼女の様子からジゼルにも理解できた。

「ユリウス、それは…」
「無理に戻ってこなくていいと手紙を送るつもりだったが、遅かったようだな。もっと早くに伝えるべきだった。すまない。君もそのつもりで考えてみてくれ」
「いえ、そんな…」
「君はリロイたちの叔母で、俺の義妹だ。ここの皆もそう思っている。もし、こっちで誰か気になる男がいるなら、その者と上手くいくよう取り計らってもいい。ここでは地位や立場とか堅苦しいしがらみは不要だ」
「……気になる…そうね」

 オリビアはスカートの裾をぎゅっと握り、何か言いたげにユリウスを見て、それからジゼルに目を向けた。

「王女様は、いつまでここにいらっしゃるのですか?」

 オリビアは、不意に話をジゼルに向けてきた。

「あ、多分、は」
「まだはっきり決まってはいない。状況次第だ」

 「半年」と言おうしたジゼルの言葉をユリウスが奪った。

「え、あ、あの、ユリウス様?」
「予定はあくまでも予定で、今のところは半年だろう」

 多分、国王や宰相たちが残りの金銭と、牛や豚などの家畜を早めに用意出来たなら、滞在はもう少し短くなる。そういう意味でユリウスが言ったのだとジゼルは思った。

「半年…」
「そうだ。だが、殿下の滞在と君のことは別の話だ」

 きっぱりとユリウスが告げる。

「そうね。ただもう少しここにいらっしゃるなら、私も仲良くしていただければと思ったの。王女様となんて、なかなか言葉を交わす機会がないでしょ?」 

 それまでの戸惑いから一転して、オリビアは笑顔をこちらに向けてきた。

「あ、それとも厚かましかったでしょうか? 無礼だと思われたらどうしましょう」
「そのようなことはありません」
「そんな狭量な方ではない。気取らないお優しい方だ」

 ジゼルの言葉から間髪入れずに、ユリウスがはっきりと言った。それにはオリビアだけでなく、ジゼルも驚いた。

(そんな風に思ってくれていたのね)

 エレトリカでは比較的自由に振る舞い、侍女たちとも世間話をするほど仲が良かった。国王も王妃も皆に親しまれる人柄だった。
 ジゼルもそんな和やかな雰囲気で育ってきた。しかし、嫁ぎ先のバレッシオ公国では、公城で働く者たちと大公たちは必要なこと以外はひと言も言葉を交わさなかった。
 何かをしてもらって、たとえ仕事であっても「ありがとう」という言葉をかけていたのが当たり前だったジゼルは、それでは下の者に侮られる。威厳を持つようにと、ドミニコの母に厳しく叱責された。
 使用人たちはいつも軽く俯き、決して目を合わせようとせず、ただ黙々と職務ををこなしていた。

 離縁後に国に戻ってからもその癖が抜けず、あまり使用人たちとも言葉を交わしてこなかった。
 ただ、一番側にいてくれているメアリーとは、ようやく打ち解けるようになっていた。

(ここではそれでいいのね)

 バレッシオでは自分のことを否定されたように感じていたが、ここではそうではなかったと改めてわかり、どこかほっとしていた。

「そうですか。では、王女様、暫くよろしくお願いいたします」
「こちらこそ。私のことは名前で呼んでください。ランディフさんたちにもそのようにしていただいております。私もオリビアさんとお呼びしてもよろしいですか?」
「それはもちろん。では、ユリウスも?」
「ああ、子供たちは王女様とか呼んでいるが、多分本物の王女様に会えて浮かれているのだろう。次からは先生とでも呼ばせようか」
「先生?」

 家庭教師の話をしていたことを知らないオリビアが、その言葉を聞いて小首を傾げた。

「子供たちの家庭教師をお願いしたところだ。何しろ今夜も彼女の食事の作法を見て、見様見真似ながらもきちんと作法を身に付けようと頑張っていた。子供たちにとって良い手本になってくれると思っている」
「子供たちが…そうなのね」
「人に教えるなど、初めてのことですから上手くできるかわかりませんが、精一杯勤めさせていただきます」

 不安はあるが、頼られることが嬉しくてジゼルはユリウスに微笑みかけた。
 
「では、午前は家庭教師、午後からは作業部屋ということで話を進めよう」
「ありがとうございます」
「そう気負わずに、無理をしなくていい」
「わかっております。二度とユリウス様のお部屋を占領することは致しません」
「え、ユリウスの部屋を占領って、どういうこと?」

 ジゼルの言葉をオリビアは聞き逃さなかった。

「何でもない。もう済んだことだ。それよりオリビア、君も到着したばかりで疲れただろう。我々もそろそろ引き上げるつもりだ。君もいつもの部屋へ戻るといい」 
「ユリウス、疲れてなど…」
「私からはこれ以上話すことはない。まだ仕事が残っている。何かあればサイモンかケーラに言ってくれ」

 一方的にユリウスは話を打ち切った。
 
「ジゼル様、部屋まで送っていこう。まだ少し話したいことがある」

 ユリウスは掌をジゼルの前に差し出した。それがエスコートの意思だとわかり、戸惑いつつもジゼルはそこに手を乗せた。

 ジゼルのそんな動きをオリビアが目で追う。

「あの、お会いできて良かったです。暫くよろしくお願いしますね」
「はい、短い間ですが、よろしくお願いします」

 入り口ですれ違い様そうジゼルが挨拶すると、オリビアも軽く頭を下げた。

 しかし二人が立ち去る背中を見つめるオリビアの瞳には、敵意のようなものが宿っていたことを、ジゼルは気付かなかった。
しおりを挟む
感想 7

あなたにおすすめの小説

人形な美貌の王女様はイケメン騎士団長の花嫁になりたい

青空一夏
恋愛
美貌の王女は騎士団長のハミルトンにずっと恋をしていた。 ところが、父王から60歳を超える皇帝のもとに嫁がされた。 嫁がなければ戦争になると言われたミレはハミルトンに帰ってきたら妻にしてほしいと頼むのだった。 王女がハミルトンのところにもどるためにたてた作戦とは‥‥

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

平凡令嬢の婚活事情〜あの人だけは、絶対ナイから!〜

本見りん
恋愛
「……だから、ミランダは無理だって!!」  王立学園に通う、ミランダ シュミット伯爵令嬢17歳。  偶然通りかかった学園の裏庭でミランダ本人がここにいるとも知らず噂しているのはこの学園の貴族令息たち。  ……彼らは、決して『高嶺の花ミランダ』として噂している訳ではない。  それは、ミランダが『平凡令嬢』だから。  いつからか『平凡令嬢』と噂されるようになっていたミランダ。『絶賛婚約者募集中』の彼女にはかなり不利な状況。  チラリと向こうを見てみれば、1人の女子生徒に3人の男子学生が。あちらも良くない噂の方々。  ……ミランダは、『あの人達だけはナイ!』と思っていだのだが……。 3万字少しの短編です。『完結保証』『ハッピーエンド』です!

【R18】深層のご令嬢は、婚約破棄して愛しのお兄様に花弁を散らされる

奏音 美都
恋愛
バトワール財閥の令嬢であるクリスティーナは血の繋がらない兄、ウィンストンを密かに慕っていた。だが、貴族院議員であり、ノルウェールズ侯爵家の三男であるコンラッドとの婚姻話が持ち上がり、バトワール財閥、ひいては会社の経営に携わる兄のために、お見合いを受ける覚悟をする。 だが、今目の前では兄のウィンストンに迫られていた。 「ノルウェールズ侯爵の御曹司とのお見合いが決まったって聞いたんだが、本当なのか?」」  どう尋ねる兄の真意は……

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

婚約破棄寸前の悪役令嬢に転生したはずなのに!?

もふきゅな
恋愛
現代日本の普通一般人だった主人公は、突然異世界の豪華なベッドで目を覚ます。鏡に映るのは見たこともない美しい少女、アリシア・フォン・ルーベンス。悪役令嬢として知られるアリシアは、王子レオンハルトとの婚約破棄寸前にあるという。彼女は、王子の恋人に嫌がらせをしたとされていた。 王子との初対面で冷たく婚約破棄を告げられるが、美咲はアリシアとして無実を訴える。彼女の誠実な態度に次第に心を開くレオンハルト 悪役令嬢としてのレッテルを払拭し、彼と共に幸せな日々を歩もうと試みるアリシア。

ウブな政略妻は、ケダモノ御曹司の執愛に堕とされる

Adria
恋愛
旧題:紳士だと思っていた初恋の人は私への恋心を拗らせた執着系ドSなケダモノでした ある日、父から持ちかけられた政略結婚の相手は、学生時代からずっと好きだった初恋の人だった。 でも彼は来る縁談の全てを断っている。初恋を実らせたい私は副社長である彼の秘書として働くことを決めた。けれど、何の進展もない日々が過ぎていく。だが、ある日会社に忘れ物をして、それを取りに会社に戻ったことから私たちの関係は急速に変わっていった。 彼を知れば知るほどに、彼が私への恋心を拗らせていることを知って戸惑う反面嬉しさもあり、私への執着を隠さない彼のペースに翻弄されていく……。

処理中です...