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第三章
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「もう大丈夫ですか?」
ジゼルの涙が止まったのを見計らって、レシティが問いかけた。
「はい、グス」
少し鼻の詰まった声でジゼルは答えた。
「すっきりしました?」
ジゼルは胸に手を当てて、モヤモヤした胸のつかえが下りていることに気付いた。
「はい。不思議です」
「私達はお互いに初対面です。時にはまるっきり他人の方が気を使わない時もあります。あなたには思い切り泣くことが必要だったと思いますよ」
「どうしてわかったのですか?」
「胸にモヤモヤしたものを溜め込むと、体にも心にも良くありません。そうなると、考えも暗くなるものです」
「そういう…ものなのですね」
もう一度胸に手を当てて、ジゼルはしみじみと考え込んだ。
「ジゼル様、申し訳ございません。私、ジゼル様にそんな気を遣わせてしまって…」
「いいえ、メアリーは十分やってくれています。ここがどんな所かもわからない内から、付いてきてくれようとしてくれたではありませんか」
来てまだ数日だが、ここの人たちがいい人だとわかる。しかし当初は不安しかなかった。
「メアリーが一緒に来ると言ってくれて、どんなに心強かったか。感謝しています」
「ジゼル様…」
メアリーの手をそっと握り、ジゼルは微笑んだ。
「さあ、作業の続きをやりましょう。それしきの繕い物、何日も掛けてやるものではありませんよ。これで目を冷やしてさっさと済ませてしまいましょう」
そう言っていつの間にか用意していた濡らした布を、レシティはジゼルに渡した。
「何から何まで、ありがとうございます」
素直に布を受け取り、それで目頭を押さえる。
泣き顔を人前に晒すなど、大人になってから初めてのことだった。
ドミニコから暴力を振るわれ、止めてほしいと懇願した時は、あまりの恐怖に涙も出なかった。
ぎゅっと目に当てた布をジゼルは掴み、恐怖を押し殺した。
(大丈夫。もう彼とは会うことはないのだから)
「ジゼル様?」
布から顔を離さないジゼルに、メアリーが遠慮がちに声をかけた。
「どうかされましたか?」
「な、何でもないわ。冷たくて気持ち良かっただけ」
顔を上げてジゼルは笑って誤魔化した。
「さあ、続きを始めましょう」
ジゼルは努めて明るく振る舞い、袖の始末に取り掛かった。
「裾はまつり縫いという縫い方で縫います」
「はい」
袖が終わると今度は裾の方に移る。
「表に縫い目が目立たないように、こうして縫います」
さっきと同じように、レシティが見本を先に見せてくれた。
「どうですか?」
裾の処理が終わった頃、ケーラが様子を見に来た。
「ちょうど終わったところだよ」
レシティが先に答える。
「見てください」
ジゼルは処理を終えたばかりのシャツを誇らしげに掲げた。
ケーラはそんなジゼルを無言でじっと見る。
(泣いた跡がまだわかるのかしら)
鏡がないので、確かめるわけにもいかず、ジゼルは自分の目元に手を触れた。
「お茶とお菓子を持ってきました。休憩にしましょう」
そう言えば、去り際にケーラがそんなことを言っていたとジゼルは思い出した。
「それから、仲間に入りたいと言う人がいるので、入れて上げてもらえますか?」
「仲間?」
ケーラはそう言って一歩横に動くと、そこには子供が二人、ミアとリロイが立っていた。
「まあ、お二人共」
「へへ」
「こ、こんにちは」
二人はペコリと軽く頭を下げた。
「お菓子の匂いを嗅ぎつけてきたのですか?」
「ち、違うよ」
「そう」
リロイが否定し、ミアは肯定した。
「どっちですか。それともどちらかが嘘を言っているのかしらね」
ケーラが頬に手を当てて二人を見比べる。
「お、お菓子も食べたいけど…ぼ、ぼくは」
もじもじしながらリロイがジゼルの方をちらりと見る。
「お姫様と一緒にお菓子が食べたかったの」
ミアがそう言って、タタタとジゼルの直ぐ側まで駆け寄ってきた。
「お菓子、一緒に食べましょう。イゴールの作ったお菓子はとても美味しいのよ」
「イゴール?」
知らない名前にジゼルが問い返す。
「ここの料理人です。異国の者なので、珍しい料理も作ることができます」
ケーラが説明する。
「イゴールのお菓子、一緒に食べましょう」
「え、ええ」
「ずるいよ、ミア、ぼくが言おうとしたのに」
「リロイが早く言わないから悪いんでしょう」
文句を言うリロイに向かって、ミアがベェっと舌を出す。
「ぼ、ぼく…ミアの意地悪」
「まあ」
見る間にリロイの目に涙が浮かびだして、ジゼルはびっくりした。
「リロイ様、泣くほどのことではないでしょ、ミア様も舌など出してはしたない。そんなでは、お二人共王女様に嫌われてしまいますよ」
レシティが二人に言うと、二人は驚いてジゼルを見た。
「王女様…ミア…嫌い?」
「リロイのこと…嫌い?」
リロイだけでなく、ミアの方も目をうるうるさせてジゼルを見上げる。
「え…あの」
自分の返事ひとつでどうなるのか手に取るようにわかり、困ってジゼルは皆の顔を見渡した。
ジゼルの涙が止まったのを見計らって、レシティが問いかけた。
「はい、グス」
少し鼻の詰まった声でジゼルは答えた。
「すっきりしました?」
ジゼルは胸に手を当てて、モヤモヤした胸のつかえが下りていることに気付いた。
「はい。不思議です」
「私達はお互いに初対面です。時にはまるっきり他人の方が気を使わない時もあります。あなたには思い切り泣くことが必要だったと思いますよ」
「どうしてわかったのですか?」
「胸にモヤモヤしたものを溜め込むと、体にも心にも良くありません。そうなると、考えも暗くなるものです」
「そういう…ものなのですね」
もう一度胸に手を当てて、ジゼルはしみじみと考え込んだ。
「ジゼル様、申し訳ございません。私、ジゼル様にそんな気を遣わせてしまって…」
「いいえ、メアリーは十分やってくれています。ここがどんな所かもわからない内から、付いてきてくれようとしてくれたではありませんか」
来てまだ数日だが、ここの人たちがいい人だとわかる。しかし当初は不安しかなかった。
「メアリーが一緒に来ると言ってくれて、どんなに心強かったか。感謝しています」
「ジゼル様…」
メアリーの手をそっと握り、ジゼルは微笑んだ。
「さあ、作業の続きをやりましょう。それしきの繕い物、何日も掛けてやるものではありませんよ。これで目を冷やしてさっさと済ませてしまいましょう」
そう言っていつの間にか用意していた濡らした布を、レシティはジゼルに渡した。
「何から何まで、ありがとうございます」
素直に布を受け取り、それで目頭を押さえる。
泣き顔を人前に晒すなど、大人になってから初めてのことだった。
ドミニコから暴力を振るわれ、止めてほしいと懇願した時は、あまりの恐怖に涙も出なかった。
ぎゅっと目に当てた布をジゼルは掴み、恐怖を押し殺した。
(大丈夫。もう彼とは会うことはないのだから)
「ジゼル様?」
布から顔を離さないジゼルに、メアリーが遠慮がちに声をかけた。
「どうかされましたか?」
「な、何でもないわ。冷たくて気持ち良かっただけ」
顔を上げてジゼルは笑って誤魔化した。
「さあ、続きを始めましょう」
ジゼルは努めて明るく振る舞い、袖の始末に取り掛かった。
「裾はまつり縫いという縫い方で縫います」
「はい」
袖が終わると今度は裾の方に移る。
「表に縫い目が目立たないように、こうして縫います」
さっきと同じように、レシティが見本を先に見せてくれた。
「どうですか?」
裾の処理が終わった頃、ケーラが様子を見に来た。
「ちょうど終わったところだよ」
レシティが先に答える。
「見てください」
ジゼルは処理を終えたばかりのシャツを誇らしげに掲げた。
ケーラはそんなジゼルを無言でじっと見る。
(泣いた跡がまだわかるのかしら)
鏡がないので、確かめるわけにもいかず、ジゼルは自分の目元に手を触れた。
「お茶とお菓子を持ってきました。休憩にしましょう」
そう言えば、去り際にケーラがそんなことを言っていたとジゼルは思い出した。
「それから、仲間に入りたいと言う人がいるので、入れて上げてもらえますか?」
「仲間?」
ケーラはそう言って一歩横に動くと、そこには子供が二人、ミアとリロイが立っていた。
「まあ、お二人共」
「へへ」
「こ、こんにちは」
二人はペコリと軽く頭を下げた。
「お菓子の匂いを嗅ぎつけてきたのですか?」
「ち、違うよ」
「そう」
リロイが否定し、ミアは肯定した。
「どっちですか。それともどちらかが嘘を言っているのかしらね」
ケーラが頬に手を当てて二人を見比べる。
「お、お菓子も食べたいけど…ぼ、ぼくは」
もじもじしながらリロイがジゼルの方をちらりと見る。
「お姫様と一緒にお菓子が食べたかったの」
ミアがそう言って、タタタとジゼルの直ぐ側まで駆け寄ってきた。
「お菓子、一緒に食べましょう。イゴールの作ったお菓子はとても美味しいのよ」
「イゴール?」
知らない名前にジゼルが問い返す。
「ここの料理人です。異国の者なので、珍しい料理も作ることができます」
ケーラが説明する。
「イゴールのお菓子、一緒に食べましょう」
「え、ええ」
「ずるいよ、ミア、ぼくが言おうとしたのに」
「リロイが早く言わないから悪いんでしょう」
文句を言うリロイに向かって、ミアがベェっと舌を出す。
「ぼ、ぼく…ミアの意地悪」
「まあ」
見る間にリロイの目に涙が浮かびだして、ジゼルはびっくりした。
「リロイ様、泣くほどのことではないでしょ、ミア様も舌など出してはしたない。そんなでは、お二人共王女様に嫌われてしまいますよ」
レシティが二人に言うと、二人は驚いてジゼルを見た。
「王女様…ミア…嫌い?」
「リロイのこと…嫌い?」
リロイだけでなく、ミアの方も目をうるうるさせてジゼルを見上げる。
「え…あの」
自分の返事ひとつでどうなるのか手に取るようにわかり、困ってジゼルは皆の顔を見渡した。
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