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77 ジュスト②
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「気がついた?」
目覚めて声をかけてきたのは、見知らぬ女性だった。
白いエプロンを付けた女性は、目覚めた彼に手を伸ばしてきて、それを彼はビクリと震えて避けた。
「大丈夫よ、もうあなたを傷つける人はいないわ。わたしの言っている意味、わかる?」
とても優しくゆっくりと彼女は話しかける。
記憶の中にいる優しい女性のことが思い出された。
彼が頷くと、女性はにこりと微笑み、そっと彼の頭を撫でる。
「髪、かなり傷んでいたから、少し切ったの」
言われてみれば目の上に覆い被さるようになって、ボサボサ伸びていたものが無くなっていた。
爪も伸び放題だったのが、短く切りそろえられている。
手首から体の至るところが白い包帯でぐるぐる巻かれている。
あちこちまだ痛みは残っているが、随分ましになっていた。
「あ…」
声を出そうとして、すぐに出なかった。
悲鳴を何度もあげ続け、すでに喉はかなり荒れていた。
「喉乾いていない?」
女性が水差しからコップに注いだ透明な液体を差し出す。
砂も泥も混じっていない水は、向こうが透けて見えるくらい美しかった。
コップを彼の手に握らせた女性の手は、彼を何度も鞭で打ったり殴りつけてきた、ゴツゴツと岩のように硬い手ではなく、とても柔らかくて美しかった。
コクリとひとくち飲んで、喉を通る液体の瑞々しさにゴクゴクと勢いよく飲んだ。
途中、むせてゲホゲホとなったのを、女性が背中を優しく撫でてくれた。
羽のように軽く、労るようなその仕草に、彼は涙が出た。
それから何人か男の人たちが次々と彼の元にやってきた。
体が大きく背も高い男性は怖くて、表情を固くし身構えた。
そんな時、女性は側にいて彼の手を握ってくれた。
彼女はユリアと言う名前で、彼が療養していた屋敷の使用人だった。
父親が医者で、病人や怪我人の世話に慣れているということで、彼の世話をすることになったのだと後で聞いた。
「名前は?」
そう男性に尋ねられて、自分の名前を思い出せなかった。
ずっと、「赤い目」「悪魔」「きさま」「お前」などと呼ばれ、当然あったはずの自分の名前がわからない。
日が過ぎて体の傷が癒え、部屋の中や廊下、庭と徐々に歩けるようになっても、記憶は戻ってこなかった。
自分の他にも何人かの子供が保護されたらしいが、彼ら彼女らは自分のことを憶えていたので、ちゃんと親が見つかって、親元へ帰って行った。
「やあ、ジュスト、こんにちは」
時折彼の元を訪ねてきては、色々と質問をしてくる男性。あの地下で水が引いた後の湿った空間で、彼を見つけてくれた男性だった。
確か名前は、ラファエル・モヒナートと言った。
「君のこれからのことを話しに来た」
そう言われ、遂に自分の親が見つかったのかも、そう思った。
「残念ながら、まだ君がどこの誰かわからない」
申し訳無さそうにそう言われた。
しかし、とっくにそのことは諦めていた。
期待するから落胆する。最初から何も感じていなければ、悲しいとか思わなくて済む。
「それで、提案なんだが、私の所へ来ないか? 私には子供がいなくて、妻とも相談したのだが、私の子供にならないか?」
「ぼくは…悪魔だ…ぼくは…だめな子」
繰り返し言われ続けた言葉を口にする。そんな自分を望む人などいない。
「そんなのは嘘でまやかしだ。赤い瞳だけで悪魔だなんて、そう言って君たちを傷つけてきた者達の方が悪魔だ。悪いのは彼らで君ではない」
彼は声を荒げるでもなく、繰り返し何度も何度も言った。
君は悪くない。赤い瞳で生まれただけなのに、あんなことは許されないことだ。
そう言われ続け、彼はほんの少し目の前の大人に従ってみることにした。
しかし、体の傷は消えても、傷つけられ続けた心の傷はなかなか癒えず、悪夢はその後も彼を蝕み続けた。
目覚めて声をかけてきたのは、見知らぬ女性だった。
白いエプロンを付けた女性は、目覚めた彼に手を伸ばしてきて、それを彼はビクリと震えて避けた。
「大丈夫よ、もうあなたを傷つける人はいないわ。わたしの言っている意味、わかる?」
とても優しくゆっくりと彼女は話しかける。
記憶の中にいる優しい女性のことが思い出された。
彼が頷くと、女性はにこりと微笑み、そっと彼の頭を撫でる。
「髪、かなり傷んでいたから、少し切ったの」
言われてみれば目の上に覆い被さるようになって、ボサボサ伸びていたものが無くなっていた。
爪も伸び放題だったのが、短く切りそろえられている。
手首から体の至るところが白い包帯でぐるぐる巻かれている。
あちこちまだ痛みは残っているが、随分ましになっていた。
「あ…」
声を出そうとして、すぐに出なかった。
悲鳴を何度もあげ続け、すでに喉はかなり荒れていた。
「喉乾いていない?」
女性が水差しからコップに注いだ透明な液体を差し出す。
砂も泥も混じっていない水は、向こうが透けて見えるくらい美しかった。
コップを彼の手に握らせた女性の手は、彼を何度も鞭で打ったり殴りつけてきた、ゴツゴツと岩のように硬い手ではなく、とても柔らかくて美しかった。
コクリとひとくち飲んで、喉を通る液体の瑞々しさにゴクゴクと勢いよく飲んだ。
途中、むせてゲホゲホとなったのを、女性が背中を優しく撫でてくれた。
羽のように軽く、労るようなその仕草に、彼は涙が出た。
それから何人か男の人たちが次々と彼の元にやってきた。
体が大きく背も高い男性は怖くて、表情を固くし身構えた。
そんな時、女性は側にいて彼の手を握ってくれた。
彼女はユリアと言う名前で、彼が療養していた屋敷の使用人だった。
父親が医者で、病人や怪我人の世話に慣れているということで、彼の世話をすることになったのだと後で聞いた。
「名前は?」
そう男性に尋ねられて、自分の名前を思い出せなかった。
ずっと、「赤い目」「悪魔」「きさま」「お前」などと呼ばれ、当然あったはずの自分の名前がわからない。
日が過ぎて体の傷が癒え、部屋の中や廊下、庭と徐々に歩けるようになっても、記憶は戻ってこなかった。
自分の他にも何人かの子供が保護されたらしいが、彼ら彼女らは自分のことを憶えていたので、ちゃんと親が見つかって、親元へ帰って行った。
「やあ、ジュスト、こんにちは」
時折彼の元を訪ねてきては、色々と質問をしてくる男性。あの地下で水が引いた後の湿った空間で、彼を見つけてくれた男性だった。
確か名前は、ラファエル・モヒナートと言った。
「君のこれからのことを話しに来た」
そう言われ、遂に自分の親が見つかったのかも、そう思った。
「残念ながら、まだ君がどこの誰かわからない」
申し訳無さそうにそう言われた。
しかし、とっくにそのことは諦めていた。
期待するから落胆する。最初から何も感じていなければ、悲しいとか思わなくて済む。
「それで、提案なんだが、私の所へ来ないか? 私には子供がいなくて、妻とも相談したのだが、私の子供にならないか?」
「ぼくは…悪魔だ…ぼくは…だめな子」
繰り返し言われ続けた言葉を口にする。そんな自分を望む人などいない。
「そんなのは嘘でまやかしだ。赤い瞳だけで悪魔だなんて、そう言って君たちを傷つけてきた者達の方が悪魔だ。悪いのは彼らで君ではない」
彼は声を荒げるでもなく、繰り返し何度も何度も言った。
君は悪くない。赤い瞳で生まれただけなのに、あんなことは許されないことだ。
そう言われ続け、彼はほんの少し目の前の大人に従ってみることにした。
しかし、体の傷は消えても、傷つけられ続けた心の傷はなかなか癒えず、悪夢はその後も彼を蝕み続けた。
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