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254 福利厚生と相互扶助

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その時のことを思い出し、余程当時は腹が立ったのだとわかる。

「おれは幸い五体満足で引退できたが、荒事に携わるからには危険が伴う。そんな我々が安心して任務に当たることができるのも、いざというときは保証されていると思うからだ」
「なるほど……確かに使命感だけで働く意欲はあっても福利厚生が保証されているのといないのでは違いますから。相互扶助で負担をしあうのも万が一の保険ですものね」

初めて知った騎士団の仕組みに感心する。
健康保険や年金、失業保険、労災保険などの仕組みは大切だ。
前世は公務員だったから失業保険のあたりはなかったが、危険手当やなんかは職種によってはあったし、病気になったときには保険があるから高額な治療も受けられた。

「ふく……? そう……?」

隣から殿下の不思議そうな声が聞こえた。

「あ……えっと……」

ここではそんな言葉も制度もなかったのだった。

「今のはどういう意味だ?」
「初めて聞きます」

師匠と護衛の方……アーノルドさんと言うのだと後で聞いた。

二人も怪訝そうな顔をしている。
一人なら誤魔化せたが、三人となると聞き違いではすまされない。

前世の社会人なら働く上である程度は理解していることを、まるで知らない人に説明するほど詳しいわけではない。

「福利厚生は……その働く上で、働く者に保証された制度というか……雇い主が雇う者に働きに応じて払う賃金とは別に支給する非報酬なもので、師匠のいう手当などもそうですし、例えばお医者様に診ていただく際に払う診察代も、毎月少しずつ貯めておくんです。そこから必要な時に払うように。それから、親睦のための飲み会なども催したり……働く励みになるような」
「では、そう……なんとかは」

「相互扶助は、先程の手当や診察代をその人本人だけが負担するのではなく、皆でお金を出しあい、掛け金を払っている人が必要な時に使います。個人では賄えない大金でも積み立てたお金からなので何とかなるわけです。そこに政府や雇い主がいくらか補填すれば、もっと資金は増えます。もちろん、健康な人は掛け損だと言い方もありますが、そういう人たち、いつ必要になるかわかりませんから」

「なるほど……」

殿下は何となく理解したのか頷いたが、師匠とアーノルドさんは眉根を寄せている。

「あの、私も詳しい仕組みのことを訊かれると自信がないのですが……」

ルードリヒ侯爵のことから、私の呟きで意外な方向へ話が展開し、私一人が汗を掻いている。

「そんな風にきちんとした仕組みがあるなら、仕事をするのも安心だな。医者にかかるのも先立つものを心配して躊躇う者がいて、知らぬまに悪化することを防げる。そういうことだろう?」

ようやく理解できた師匠が訊いてきた。

「そうです。それをひとつの職種でなく、複数の業種がまとまって運営すれば、さらに資金は増えます」
「それを運営するものが別に必要になるということか」
「誰かの祝いだったり何かお金に困ったりしたときは有志でカンパし合うことがある。一緒に酒を酌み交わしてうち解け合うことで、仕事がやりやすくなったり、憂さ晴らしになることがあるから、それを習慣にするのは一案だな」
「何やら雲を掴むような話ですね」

アーノルドさんは慎重派なのか、まだ渋い顔をしている。

「そのようなことを、どういう経緯で思い付いたのか……あるいはどこかで聞いてきたのか…気にはなるところですね。ハレス子爵経由で殿下の護衛を一時的にされた方だと聞いておりましたが、どのような素性の方なのですか?」

殿下や師匠は私の出自を知っているが、アーノルドさんは知らないのだろう。
それに、いくら私の父が伯爵だったとしても、この件に関しては前世での話で、私の知る範囲ではロイシュタールはおろか、この世界のどこにも似たようなものがあってもおなじものはないだろう。

「ローリィ」

殿下が重い口調で名前を呼んだ。

「は、はい……」

漂う緊張感に私は思わず背筋を伸ばした。

「今はまだ他にやるべきことがあるが、全て片付いたら、その話をもう少し詳しく聞きたい」
「あの…でも……私もきちんとしたことは何もわかりません。昔誰かに聞いたことですし……」

前世でも誰もが知っているとは言い難いが、企業の求人広告などでも福利厚生のあるなしは必ず記載があった。
社会保障については、一般的なことしかわからない。

「知っていることだけ……わかることだけでいい」
「………わかりました……いつお話しするかは、殿下からお知らせください。私はいつでもかまいません」

口は災いの元。覆水盆に帰らず。
言ってしまったものは取り消せない。
ヨガや紅茶の注ぎ方、それにクナイ。既に殿下にはこの世界にない(たぶん)知識を見せてきた。

それが良かったのか悪かったのか。
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