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252 ロイシュタールの猛獣
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鬼……もとい悪魔の形相で師匠がこちら……キルヒライル様目掛けて突進してくるのを、咄嗟に間に立って止めた。
「し、師匠……落ち着いて!」
涙は止まったものの、既に流れたものは隠せない。
雫となって目から落ちた涙が床に落ちた。
「なぜ止める! おまえ、こいつに泣かされたんだろう」
長い腕を伸ばしてキルヒライル様に掴みかかろうとした師匠の体を押して、必死で止める。
「ドルグラン!落ち着け」
その時にようやく師匠を追って他の人たちも駆けつけ、数人で後ろから師匠を羽交い締めにしようとした。
「放せ!」
男三人で飛び掛かってきたが、師匠がそれくらいで怯むわけもなく、身を捩ってふるい落とそうとして、一人は後ろ手に回した手で襟首を掴まれ、引き剥がされた。
「違う! 誤解だから」
「何が誤解だ、お前が泣くなんて、親が死んだ時以外……ええい、はなせよ!」
ぶんぶんと体を右に左に捩って、男たちがふるい落とされまいと必死でしがみついてくるのを、蝿を振り払うように太い幹のような腕を伸ばす。
「落ち着いて、師匠! 話を聞いて!」
「待て、ローリィ」
師匠の腕を掴もうとした私の腕をキルヒライル様がひき止めた。
「庇いたては不要だ」
師匠と私の間に体を滑り込ませ、キルヒライル様が言った。
「いくら師匠と弟子とは言え、君に庇われては私も立つ瀬がない。私に用があるのだろう?」
私の方に言ってから、キルヒライル様は師匠の方に向き直った。
「てめえ、おれの大事な娘を泣かせやがって」
「何か誤解しているようだが、私は泣かせてなどいない」
「だったら、何で涙を流してるんだよ!」
「やめて、師匠! 話を聞いて、この人はキルヒライル様なんだから」
男たちに羽交い締めにされてもキルヒライル様に殴りかかろうとした師匠の拳が、キルヒライルの頬の前でぴたりと止まった。
キルヒライル様は拳を避けようとも、目も閉じようともせず、ただ拳の前に掌を向けて受け止めようとしていた。
師匠の拳はその手の少し手前で止まり、直撃は免れた。
そこで止めた師匠も師匠だが、師匠の豪腕から繰り出される拳を受け止めようとしたキルヒライル様も相当だ。
「キルヒ………ライル……さ……ま?」
「そうよ。あのキルヒライル様」
まだ身構えたまま、目の前のキルヒライル様に釘付けになる。
「さがっていなさい」
「しかし……」
「三人がかりで止められなかったのに、今さらしかしもかかしもない」
「面目ございません」
「気に病むな。相手が悪かった。『ロイシュタールの猛獣』は健在ということか。ドルグランも、もう襲いかかってくることはない。そうだな?」
師匠に巻き付いていた三人が離れると、殿下は師匠に確認した。
「……はい」
まだ信じられないという顔をしていた師匠も軽く頷いた。
「そういうことだ。そなたらは外で待機していなさい」
「失礼いたします」
「戻ったら、また訓練だな」
部屋を出る際にひと言殿下が付け加えたのを聞いて、三人はギョっとしていた。
「現役を引退してかなり経つのに、まだまだ若い者には負けていませんね」
「まあ……今でも狩りはしているし、弟子との修行で新しい技術も身に付けたからな」
師匠が言って、殿下と二人で私をちらりと見る。
師匠が言っているのは、合気道や柔道のことだ。
少ない力で相手の力を利用して倒したり、それまで力で押していた師匠にとっては、目からウロコの内容だった。
「確かに……」
殿下の頭に浮かんだのは何だったのかわからないが、妙に納得したように頷いた。
「本当に……殿下……なのですね」
目を細め、記憶の中の殿下と目の前の殿下を見比べ確認する。
「驚かせてすまなかった」
殿下が師匠に顔が良く見えるように顔を向けてそう言うと、ようやく師匠は緊張を解いた。
「なかなか戻ってこないから……何かあったのかと心配したんだ」
「ごめんなさい……」
突然の殿下との再会に師匠のことが頭から抜けていたとは言えず、素直に謝った。
「すまない、ドルグラン……色々話し込んでしまって知らぬまに時間が経っていたようだ」
「いえ……殿下のせいでは……いや、そうなのか……階下にいたのは護衛の方たちですか? 悪いことをしました。丁寧に対応してくれていたのに、私が彼らを信じられずに……」
「ローリィにまず話して、それから呼ぶつもりだった」
三人で部屋にあったソファに腰をおろした。
少し悩んだが、私は師匠と並んで殿下と対面に座った。
「し、師匠……落ち着いて!」
涙は止まったものの、既に流れたものは隠せない。
雫となって目から落ちた涙が床に落ちた。
「なぜ止める! おまえ、こいつに泣かされたんだろう」
長い腕を伸ばしてキルヒライル様に掴みかかろうとした師匠の体を押して、必死で止める。
「ドルグラン!落ち着け」
その時にようやく師匠を追って他の人たちも駆けつけ、数人で後ろから師匠を羽交い締めにしようとした。
「放せ!」
男三人で飛び掛かってきたが、師匠がそれくらいで怯むわけもなく、身を捩ってふるい落とそうとして、一人は後ろ手に回した手で襟首を掴まれ、引き剥がされた。
「違う! 誤解だから」
「何が誤解だ、お前が泣くなんて、親が死んだ時以外……ええい、はなせよ!」
ぶんぶんと体を右に左に捩って、男たちがふるい落とされまいと必死でしがみついてくるのを、蝿を振り払うように太い幹のような腕を伸ばす。
「落ち着いて、師匠! 話を聞いて!」
「待て、ローリィ」
師匠の腕を掴もうとした私の腕をキルヒライル様がひき止めた。
「庇いたては不要だ」
師匠と私の間に体を滑り込ませ、キルヒライル様が言った。
「いくら師匠と弟子とは言え、君に庇われては私も立つ瀬がない。私に用があるのだろう?」
私の方に言ってから、キルヒライル様は師匠の方に向き直った。
「てめえ、おれの大事な娘を泣かせやがって」
「何か誤解しているようだが、私は泣かせてなどいない」
「だったら、何で涙を流してるんだよ!」
「やめて、師匠! 話を聞いて、この人はキルヒライル様なんだから」
男たちに羽交い締めにされてもキルヒライル様に殴りかかろうとした師匠の拳が、キルヒライルの頬の前でぴたりと止まった。
キルヒライル様は拳を避けようとも、目も閉じようともせず、ただ拳の前に掌を向けて受け止めようとしていた。
師匠の拳はその手の少し手前で止まり、直撃は免れた。
そこで止めた師匠も師匠だが、師匠の豪腕から繰り出される拳を受け止めようとしたキルヒライル様も相当だ。
「キルヒ………ライル……さ……ま?」
「そうよ。あのキルヒライル様」
まだ身構えたまま、目の前のキルヒライル様に釘付けになる。
「さがっていなさい」
「しかし……」
「三人がかりで止められなかったのに、今さらしかしもかかしもない」
「面目ございません」
「気に病むな。相手が悪かった。『ロイシュタールの猛獣』は健在ということか。ドルグランも、もう襲いかかってくることはない。そうだな?」
師匠に巻き付いていた三人が離れると、殿下は師匠に確認した。
「……はい」
まだ信じられないという顔をしていた師匠も軽く頷いた。
「そういうことだ。そなたらは外で待機していなさい」
「失礼いたします」
「戻ったら、また訓練だな」
部屋を出る際にひと言殿下が付け加えたのを聞いて、三人はギョっとしていた。
「現役を引退してかなり経つのに、まだまだ若い者には負けていませんね」
「まあ……今でも狩りはしているし、弟子との修行で新しい技術も身に付けたからな」
師匠が言って、殿下と二人で私をちらりと見る。
師匠が言っているのは、合気道や柔道のことだ。
少ない力で相手の力を利用して倒したり、それまで力で押していた師匠にとっては、目からウロコの内容だった。
「確かに……」
殿下の頭に浮かんだのは何だったのかわからないが、妙に納得したように頷いた。
「本当に……殿下……なのですね」
目を細め、記憶の中の殿下と目の前の殿下を見比べ確認する。
「驚かせてすまなかった」
殿下が師匠に顔が良く見えるように顔を向けてそう言うと、ようやく師匠は緊張を解いた。
「なかなか戻ってこないから……何かあったのかと心配したんだ」
「ごめんなさい……」
突然の殿下との再会に師匠のことが頭から抜けていたとは言えず、素直に謝った。
「すまない、ドルグラン……色々話し込んでしまって知らぬまに時間が経っていたようだ」
「いえ……殿下のせいでは……いや、そうなのか……階下にいたのは護衛の方たちですか? 悪いことをしました。丁寧に対応してくれていたのに、私が彼らを信じられずに……」
「ローリィにまず話して、それから呼ぶつもりだった」
三人で部屋にあったソファに腰をおろした。
少し悩んだが、私は師匠と並んで殿下と対面に座った。
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