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201 嫌な一日の終わり
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「結局……侯爵の思い通りに踊らされただけだったわね」
侯爵家からの帰りの馬車の中、アンジェリーナ様が呟いた。
「ミレーヌ様には何のお役にもたてなかった後悔はあります。あの人たちがクビを免れたのはホッとしましたが、ミレーヌ様はご両親の望むとおりに剣を諦めることになって、申し訳なかったと思います」
「仕方ないわ。侯爵も最初からこちらの話を聞く耳などなかったのだし、ああいうご両親から生まれたとは思えない、いいお嬢さんでしたわね。王都にいる貴族があんな方ばかりとは言いたくないけれど、似たような価値観の人がいることは否めないわ。残念だけど」
「ハレス子爵様やテインリヒ伯爵様のような方が稀だと言うことでしょうか」
「そうね。夫は騎士団で平民出身の方と会うこともあるし、ジーク様は奥様が職業をお持ちだから偏見というものが少ないだろうし……実力重視で厳しいところはおありになるけど……」
「地方の貴族とは随分違うのですね」
両親の様子と比べてその違いに気付く。
貴族というよりは領主として人々に接し、何か困ったことがあれば出来る限り相談に乗って、時には助力を惜しまなかった。
前世で警護に付いた要人の中には横柄な人物はいたが、日本では元華族はいても皇族の方々以外は皆が市民、日本国民だったから侯爵のような方が私にとっては物珍しい。
「……王族の方もそうなのでしょうか」
キルヒライル様は領民や使用人にも心を砕かれていた。
貴族と同じように、ともすればそれ以上に血筋を尊重する王族という特別な身分の方々はどうなのだろうか。
「お話する機会は数えるほどだったけれど皆様はあんな高圧的ではないし、もう少し柔軟なお考えをお持ちだと思うわ」
その言葉に私は何だかほっとした。
王弟だとか公爵だとか関係なく、キルヒライル様を慕っているが、周りはそうとは限らない。
「それにしても、あんな両親の元でいて、ミレーヌ様はよく今まで堪えてこられたわね」
アンジェリーナ様の言葉に、あの後の侯爵とのやり取りを思い出した。
クラウスやミレーヌ様を見張っていた護衛を次々とクビにした侯爵は、そのことに少しの罪悪感もないようだった。
「つまらん余興だった。男に勝ってさぞやご満悦だろうな」
自分に都合の悪い結果となって侯爵は不機嫌を隠そうともしない。
大きなため息を吐いて心の底から口惜しそうだ。
「お父様……クビにしなくても」
「ミレーヌ、お父様のなさることに口答えするなど、それでも娘ですか。あの者たちはお父様の期待を裏切ったのです。クビになって当たり前。我が家で働きたいと思う者は大勢いるのですよ」
父親のあまりの所業に思わずミレーヌ嬢から呟きが洩れた。
隣に座る夫人も夫を止めるどころか援護する。
「使用人は主のために働くものだ。無能な者に払う金はない」
侍女たちがそれを聞いて身を強張らせたのがわかった。
青い顔色をして立つ彼女たちの様子から、過去にも同じように簡単にクビになった者がいたのだろうとわかる。
「役立たずは必要ない……だが、お前がそれに責任を感じているなら、考え直してやってもいいぞ」
「ほ、本当に?」
「ああ、今後二度と剣を握らず、花嫁修業に専念すると誓うならな」
「それは……」
「体を動かしたいならダンスを習えば言い。それならいくらでもいい教師をつけてやろう。簡単なことだろう?やめればいいだけなんだからな」
私を女と侮ったクラウスの態度は腹立たしいが、職を失ったことには同情する。彼には家族もいるのだろうか。
けれど私もアンジェリーナ様も侯爵家の使用人のことに口を挟む権利はなく、黙って三人のやり取りを見ているしかない。
「ミレーヌ……」
黙ったままの娘に侯爵がイライラと声をかける。
「………わかりました」
着ていたドレスのスカートを拳で握りしめながらミレーヌ嬢が諦めのため息と共に声を絞り出した。
「嘘ではないな」
更に侯爵が念をおす。
「はい。ですから、クラウスやライルたちをクビにするのはやめてください」
「よかろう。クビにはしない」
「本当ですね」
「ミレーヌ、お父様を疑うのですか」
「よい、おい、誰かエイダンの所へ行ってクビにするのは止めたと伝えてこい」
「は、はい」
側にいた侍女の一人が侯爵の命令を執事に伝えに行った。
「ご苦労……そちらもそろそろご退出いただいても構わん」
「え」
いきなり帰っていいと言われ私もアンジェリーナ様も驚いた。
「聞こえなかったか。もう用は済んだだろう。お引き取りいただこう」
「はい………」
娘を服従させてようやく満足したらしい侯爵は、まるでこちらに興味をなくしたかのような口振りだった。
「ああ、言っておくが、今日はそちらの護衛が我が家の護衛主任と余興で手合わせをした。それだけだ。娘のことは他言無用だ」
「おっしゃりたいのはそれだけですか」
侯爵の傍若無人ぶりに流石のアンジェリーナ様も貴婦人らしからぬ刺のある言い方をした。
「言われなくても、分はわきまえているつもりです」
「なら結構……今後どこかで会っても我々はこれまで通りの付き合いとさせていただく」
「願ってもないことですわ」
ミレーヌ嬢のことは気の毒だが、親に虐げられているわけでもない。
親の庇護から抜け出る勇気も力もないなら親に従うしかない。
それがここでの生き方。明日の食べ物を心配しなくていい生活ができるなら、それは幸せなのかもしれない。
好きなことを封じられ親の望む生き方がいいかはわからないが、職業選択の自由や女の細腕で生きていく手立ての乏しい世界で生きていくなら諦めも必要だろう。
「身分がない方が、よっぽど自由かもしれませんね」
生活のために働かなければならない立場も大変だが、公爵領にいた皆の方がずっと生き生きとしていたのを思い出す。
「貴族社会以外を知らない私はよくわからないけれど、あなたがそう思うなら、そういうこともあるのかも知れないわね」
アンジェリーナ様もしみじみと言った。
「とにかく、侯爵がおっしゃったように、今後もこれまでどおり公の場で挨拶程度の付き合いでいいのだから、もうこのことは忘れましょう」
「はい」
何とも嫌な一日だった。
もう関係ない。このときはそう思っていた。
侯爵家からの帰りの馬車の中、アンジェリーナ様が呟いた。
「ミレーヌ様には何のお役にもたてなかった後悔はあります。あの人たちがクビを免れたのはホッとしましたが、ミレーヌ様はご両親の望むとおりに剣を諦めることになって、申し訳なかったと思います」
「仕方ないわ。侯爵も最初からこちらの話を聞く耳などなかったのだし、ああいうご両親から生まれたとは思えない、いいお嬢さんでしたわね。王都にいる貴族があんな方ばかりとは言いたくないけれど、似たような価値観の人がいることは否めないわ。残念だけど」
「ハレス子爵様やテインリヒ伯爵様のような方が稀だと言うことでしょうか」
「そうね。夫は騎士団で平民出身の方と会うこともあるし、ジーク様は奥様が職業をお持ちだから偏見というものが少ないだろうし……実力重視で厳しいところはおありになるけど……」
「地方の貴族とは随分違うのですね」
両親の様子と比べてその違いに気付く。
貴族というよりは領主として人々に接し、何か困ったことがあれば出来る限り相談に乗って、時には助力を惜しまなかった。
前世で警護に付いた要人の中には横柄な人物はいたが、日本では元華族はいても皇族の方々以外は皆が市民、日本国民だったから侯爵のような方が私にとっては物珍しい。
「……王族の方もそうなのでしょうか」
キルヒライル様は領民や使用人にも心を砕かれていた。
貴族と同じように、ともすればそれ以上に血筋を尊重する王族という特別な身分の方々はどうなのだろうか。
「お話する機会は数えるほどだったけれど皆様はあんな高圧的ではないし、もう少し柔軟なお考えをお持ちだと思うわ」
その言葉に私は何だかほっとした。
王弟だとか公爵だとか関係なく、キルヒライル様を慕っているが、周りはそうとは限らない。
「それにしても、あんな両親の元でいて、ミレーヌ様はよく今まで堪えてこられたわね」
アンジェリーナ様の言葉に、あの後の侯爵とのやり取りを思い出した。
クラウスやミレーヌ様を見張っていた護衛を次々とクビにした侯爵は、そのことに少しの罪悪感もないようだった。
「つまらん余興だった。男に勝ってさぞやご満悦だろうな」
自分に都合の悪い結果となって侯爵は不機嫌を隠そうともしない。
大きなため息を吐いて心の底から口惜しそうだ。
「お父様……クビにしなくても」
「ミレーヌ、お父様のなさることに口答えするなど、それでも娘ですか。あの者たちはお父様の期待を裏切ったのです。クビになって当たり前。我が家で働きたいと思う者は大勢いるのですよ」
父親のあまりの所業に思わずミレーヌ嬢から呟きが洩れた。
隣に座る夫人も夫を止めるどころか援護する。
「使用人は主のために働くものだ。無能な者に払う金はない」
侍女たちがそれを聞いて身を強張らせたのがわかった。
青い顔色をして立つ彼女たちの様子から、過去にも同じように簡単にクビになった者がいたのだろうとわかる。
「役立たずは必要ない……だが、お前がそれに責任を感じているなら、考え直してやってもいいぞ」
「ほ、本当に?」
「ああ、今後二度と剣を握らず、花嫁修業に専念すると誓うならな」
「それは……」
「体を動かしたいならダンスを習えば言い。それならいくらでもいい教師をつけてやろう。簡単なことだろう?やめればいいだけなんだからな」
私を女と侮ったクラウスの態度は腹立たしいが、職を失ったことには同情する。彼には家族もいるのだろうか。
けれど私もアンジェリーナ様も侯爵家の使用人のことに口を挟む権利はなく、黙って三人のやり取りを見ているしかない。
「ミレーヌ……」
黙ったままの娘に侯爵がイライラと声をかける。
「………わかりました」
着ていたドレスのスカートを拳で握りしめながらミレーヌ嬢が諦めのため息と共に声を絞り出した。
「嘘ではないな」
更に侯爵が念をおす。
「はい。ですから、クラウスやライルたちをクビにするのはやめてください」
「よかろう。クビにはしない」
「本当ですね」
「ミレーヌ、お父様を疑うのですか」
「よい、おい、誰かエイダンの所へ行ってクビにするのは止めたと伝えてこい」
「は、はい」
側にいた侍女の一人が侯爵の命令を執事に伝えに行った。
「ご苦労……そちらもそろそろご退出いただいても構わん」
「え」
いきなり帰っていいと言われ私もアンジェリーナ様も驚いた。
「聞こえなかったか。もう用は済んだだろう。お引き取りいただこう」
「はい………」
娘を服従させてようやく満足したらしい侯爵は、まるでこちらに興味をなくしたかのような口振りだった。
「ああ、言っておくが、今日はそちらの護衛が我が家の護衛主任と余興で手合わせをした。それだけだ。娘のことは他言無用だ」
「おっしゃりたいのはそれだけですか」
侯爵の傍若無人ぶりに流石のアンジェリーナ様も貴婦人らしからぬ刺のある言い方をした。
「言われなくても、分はわきまえているつもりです」
「なら結構……今後どこかで会っても我々はこれまで通りの付き合いとさせていただく」
「願ってもないことですわ」
ミレーヌ嬢のことは気の毒だが、親に虐げられているわけでもない。
親の庇護から抜け出る勇気も力もないなら親に従うしかない。
それがここでの生き方。明日の食べ物を心配しなくていい生活ができるなら、それは幸せなのかもしれない。
好きなことを封じられ親の望む生き方がいいかはわからないが、職業選択の自由や女の細腕で生きていく手立ての乏しい世界で生きていくなら諦めも必要だろう。
「身分がない方が、よっぽど自由かもしれませんね」
生活のために働かなければならない立場も大変だが、公爵領にいた皆の方がずっと生き生きとしていたのを思い出す。
「貴族社会以外を知らない私はよくわからないけれど、あなたがそう思うなら、そういうこともあるのかも知れないわね」
アンジェリーナ様もしみじみと言った。
「とにかく、侯爵がおっしゃったように、今後もこれまでどおり公の場で挨拶程度の付き合いでいいのだから、もうこのことは忘れましょう」
「はい」
何とも嫌な一日だった。
もう関係ない。このときはそう思っていた。
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