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161 男装の麗人
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「あ、すいません!」
慌てて掴んでいた手を放して飛び退くと、緑の瞳の持ち主は腕を擦りながら自身も起き上がった。
「ふう……女性に襲われたのは初めてだわ」
ずれた眼鏡をかけ直して側に腰を降ろして王宮医師のアリアーデ先生は楽しそうに笑う。
「すいません……すいません…」
何度も謝り自分が何処にいるのか、ふと気になり周囲を見渡す。
キョロキョロとして、そこがネヴィルさんが怪我をして暫く使っていた部屋だと気付いた。
湯浴みをして、新しい服に着替えてそのまま眠ってしまったようだ。
「色々あったから疲れたのね」
「どれくらいの時間寝ていたんでしょうか」
「ほんの数時間よ」
「すいません………お忙しいのに」
「もう大丈夫?大活躍だったのだから、遠慮せずゆっくりしていなさい」
「いえ、大丈………(ぐうううう)」
大丈夫ですと言おうとして、お腹が思い切り鳴り、慌ててお腹を押さえたが、時すでに遅し。彼女の視線が私のお腹に向く。しっかり聞かれてしまったようだ。
湯浴みの後に軽い食事を、とマーサさんが言ってくれていたが、湯浴みを終えてすぐに寝てしまったので結局何も食べていない。
「マーサがあそこに軽食を置いてくれているわ」
彼女が指差す先に小さいテーブルが置かれ、その上に蓋をされた皿があった。
蓋を開けるとそこにはハムとチーズを挟んだサンドイッチと葡萄が乗っていた。
「食べ終わったら殿下のお部屋に一緒に来て頂けるかしら?」
「殿下の?」
「ええ、ネヴィルや皆も集まっているの」
「もしかして、私が起きるのを待っていただいたんですか?」
彼女がここにいるということは、そう言うことなのかと焦った。
「大丈夫よ。ネヴィルたちもさっき戻ってきたところだし」
「すぐ伺います」
私は座る間も惜しんでパクパクとサンドイッチを口に放り込み、側にあった水差しからコップに水を注ぎ、一気に飲み干す。
アリアーデ先生はその様子を呆気に取られて見つめる。
「……何ですか?」
パンくずでも付いているのかと口の回りに手をやると、彼女はクスリと笑った。
「いいえ……そう言えば昨日は書斎で顔を会わせたのに、ちゃんと挨拶できていなかったわね。アリアーデ・テインリヒよ」
そう言って彼女は右手を差し出した。
「ローリィ・ハインツです」
出された手に握手をして私も自己紹介をする。
「………テインリヒ?」
どこかで聞いた名前だと思った。
「あなたのことは実はここにくる前からハレス子爵の奥様から話を聞いていたので興味があったの」
「アンジェリーナ様に?」
意外な方の話に驚く。預かってくれている愛馬の世話で訪れる度にお菓子やらなにやらを振る舞って頂いた女性の顔を思い浮かべる。
「ハレス卿と私は同じ歳で、その縁で私も時々お茶会などに呼んでいただくの。私はこんな仕事をしているから、他の貴族のご婦人方とはなかなか親しくなる機会がなくて、アンジェリーナ様に気のおけない方々を一緒に呼んでいただいて、貴族の奥方の真似事をさせていただくの」
「……私がこちらへ伺うことは、婦人はご存知なかったかと思いますが……」
ミリイたちにも護衛として公爵邸に行くことは伏せていた。婦人にもそのことは言っていなかった筈だ。
「もちろん、あなたがここにいることはご存知ないわ。ハレス卿のお宅で打ち合いの練習をされたとか。今でもあちこちのサロンでお話されているみたいよ。お陰で謎の男装の麗人が王都では貴族のご婦人方の間で伝説になっているわ」
自分のことが自分の知らないうちにそんな風に噂になっているとは思わず、アリアーデさんの話に驚いた。
男装の麗人?噂に尾ひれがついて凄いことになっている気がする。
「あの、それがどうして私だと……」
偽名は使っていないので名前でわかったのかと思ったが、ここに来る前から知っていたような口振りだった。
「それは、夫からここへ来る前に聞いていたから」
「夫?」
彼女が結婚していることにまず驚いた。医師などしているから、てっきり独身かと思っていた。でも、さっきも確かに貴族の奥方の社交と言っていた。平民の中には結婚しても働いている女性はいるが、貴族社会では珍しい。
「夫はジーク・テインリヒ伯爵よ。私も夫もハレス子爵も国王陛下の幼馴染みなの。キルヒライル様も小さい頃から存じ上げています」
「宰相閣下の!」
思わず声が大きくなる。そうだった。テインリヒ卿と言えば、この国の宰相の名前だと思いだし、殿下の護衛で雇われる前に一度、ハレス卿に引き合わせていただいて、言葉を交わしただけの、気難しそうな宰相閣下を思い浮かべる。
あの方と目の前の小柄な女性とが夫婦だとは、何だか想像出来なかった。
「意外でしょ?これでも恋愛結婚なのよ。私と彼が結婚するときも周りに驚かれたから……一番面白がった…喜んでくれたのは国王陛下だったわ。私たちお互いに我が強すぎるんだけど、私は生真面目な夫を愛しているから、誰に何を言われても平気よ。それに何より、結婚しても仕事は続けていいなんて言ってくれる人は他にいないわ。私には最低限の社交でいいとも言ってくれて……お陰で余計なお付き合いをしなくて済むし、私には最高の夫よ」
母さまと父さまもそんな風に互いを思い合っていた。
政略結婚の多い貴族社会で、こんな風に夫について語るのも珍しいことだ。
「羨ましいです。素敵な旦那様なのですね」
「ありがとう」
ふふっと彼女は笑った。年上だが小柄でふわふわしていて、とても可愛らしいと思ってしまった。
慌てて掴んでいた手を放して飛び退くと、緑の瞳の持ち主は腕を擦りながら自身も起き上がった。
「ふう……女性に襲われたのは初めてだわ」
ずれた眼鏡をかけ直して側に腰を降ろして王宮医師のアリアーデ先生は楽しそうに笑う。
「すいません……すいません…」
何度も謝り自分が何処にいるのか、ふと気になり周囲を見渡す。
キョロキョロとして、そこがネヴィルさんが怪我をして暫く使っていた部屋だと気付いた。
湯浴みをして、新しい服に着替えてそのまま眠ってしまったようだ。
「色々あったから疲れたのね」
「どれくらいの時間寝ていたんでしょうか」
「ほんの数時間よ」
「すいません………お忙しいのに」
「もう大丈夫?大活躍だったのだから、遠慮せずゆっくりしていなさい」
「いえ、大丈………(ぐうううう)」
大丈夫ですと言おうとして、お腹が思い切り鳴り、慌ててお腹を押さえたが、時すでに遅し。彼女の視線が私のお腹に向く。しっかり聞かれてしまったようだ。
湯浴みの後に軽い食事を、とマーサさんが言ってくれていたが、湯浴みを終えてすぐに寝てしまったので結局何も食べていない。
「マーサがあそこに軽食を置いてくれているわ」
彼女が指差す先に小さいテーブルが置かれ、その上に蓋をされた皿があった。
蓋を開けるとそこにはハムとチーズを挟んだサンドイッチと葡萄が乗っていた。
「食べ終わったら殿下のお部屋に一緒に来て頂けるかしら?」
「殿下の?」
「ええ、ネヴィルや皆も集まっているの」
「もしかして、私が起きるのを待っていただいたんですか?」
彼女がここにいるということは、そう言うことなのかと焦った。
「大丈夫よ。ネヴィルたちもさっき戻ってきたところだし」
「すぐ伺います」
私は座る間も惜しんでパクパクとサンドイッチを口に放り込み、側にあった水差しからコップに水を注ぎ、一気に飲み干す。
アリアーデ先生はその様子を呆気に取られて見つめる。
「……何ですか?」
パンくずでも付いているのかと口の回りに手をやると、彼女はクスリと笑った。
「いいえ……そう言えば昨日は書斎で顔を会わせたのに、ちゃんと挨拶できていなかったわね。アリアーデ・テインリヒよ」
そう言って彼女は右手を差し出した。
「ローリィ・ハインツです」
出された手に握手をして私も自己紹介をする。
「………テインリヒ?」
どこかで聞いた名前だと思った。
「あなたのことは実はここにくる前からハレス子爵の奥様から話を聞いていたので興味があったの」
「アンジェリーナ様に?」
意外な方の話に驚く。預かってくれている愛馬の世話で訪れる度にお菓子やらなにやらを振る舞って頂いた女性の顔を思い浮かべる。
「ハレス卿と私は同じ歳で、その縁で私も時々お茶会などに呼んでいただくの。私はこんな仕事をしているから、他の貴族のご婦人方とはなかなか親しくなる機会がなくて、アンジェリーナ様に気のおけない方々を一緒に呼んでいただいて、貴族の奥方の真似事をさせていただくの」
「……私がこちらへ伺うことは、婦人はご存知なかったかと思いますが……」
ミリイたちにも護衛として公爵邸に行くことは伏せていた。婦人にもそのことは言っていなかった筈だ。
「もちろん、あなたがここにいることはご存知ないわ。ハレス卿のお宅で打ち合いの練習をされたとか。今でもあちこちのサロンでお話されているみたいよ。お陰で謎の男装の麗人が王都では貴族のご婦人方の間で伝説になっているわ」
自分のことが自分の知らないうちにそんな風に噂になっているとは思わず、アリアーデさんの話に驚いた。
男装の麗人?噂に尾ひれがついて凄いことになっている気がする。
「あの、それがどうして私だと……」
偽名は使っていないので名前でわかったのかと思ったが、ここに来る前から知っていたような口振りだった。
「それは、夫からここへ来る前に聞いていたから」
「夫?」
彼女が結婚していることにまず驚いた。医師などしているから、てっきり独身かと思っていた。でも、さっきも確かに貴族の奥方の社交と言っていた。平民の中には結婚しても働いている女性はいるが、貴族社会では珍しい。
「夫はジーク・テインリヒ伯爵よ。私も夫もハレス子爵も国王陛下の幼馴染みなの。キルヒライル様も小さい頃から存じ上げています」
「宰相閣下の!」
思わず声が大きくなる。そうだった。テインリヒ卿と言えば、この国の宰相の名前だと思いだし、殿下の護衛で雇われる前に一度、ハレス卿に引き合わせていただいて、言葉を交わしただけの、気難しそうな宰相閣下を思い浮かべる。
あの方と目の前の小柄な女性とが夫婦だとは、何だか想像出来なかった。
「意外でしょ?これでも恋愛結婚なのよ。私と彼が結婚するときも周りに驚かれたから……一番面白がった…喜んでくれたのは国王陛下だったわ。私たちお互いに我が強すぎるんだけど、私は生真面目な夫を愛しているから、誰に何を言われても平気よ。それに何より、結婚しても仕事は続けていいなんて言ってくれる人は他にいないわ。私には最低限の社交でいいとも言ってくれて……お陰で余計なお付き合いをしなくて済むし、私には最高の夫よ」
母さまと父さまもそんな風に互いを思い合っていた。
政略結婚の多い貴族社会で、こんな風に夫について語るのも珍しいことだ。
「羨ましいです。素敵な旦那様なのですね」
「ありがとう」
ふふっと彼女は笑った。年上だが小柄でふわふわしていて、とても可愛らしいと思ってしまった。
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