上 下
162 / 266

161 男装の麗人

しおりを挟む
「あ、すいません!」

慌てて掴んでいた手を放して飛び退くと、緑の瞳の持ち主は腕を擦りながら自身も起き上がった。

「ふう……女性に襲われたのは初めてだわ」

ずれた眼鏡をかけ直して側に腰を降ろして王宮医師のアリアーデ先生は楽しそうに笑う。

「すいません……すいません…」

何度も謝り自分が何処にいるのか、ふと気になり周囲を見渡す。
キョロキョロとして、そこがネヴィルさんが怪我をして暫く使っていた部屋だと気付いた。

湯浴みをして、新しい服に着替えてそのまま眠ってしまったようだ。

「色々あったから疲れたのね」

「どれくらいの時間寝ていたんでしょうか」

「ほんの数時間よ」

「すいません………お忙しいのに」

「もう大丈夫?大活躍だったのだから、遠慮せずゆっくりしていなさい」

「いえ、大丈………(ぐうううう)」

大丈夫ですと言おうとして、お腹が思い切り鳴り、慌ててお腹を押さえたが、時すでに遅し。彼女の視線が私のお腹に向く。しっかり聞かれてしまったようだ。

湯浴みの後に軽い食事を、とマーサさんが言ってくれていたが、湯浴みを終えてすぐに寝てしまったので結局何も食べていない。

「マーサがあそこに軽食を置いてくれているわ」

彼女が指差す先に小さいテーブルが置かれ、その上に蓋をされた皿があった。

蓋を開けるとそこにはハムとチーズを挟んだサンドイッチと葡萄が乗っていた。

「食べ終わったら殿下のお部屋に一緒に来て頂けるかしら?」

「殿下の?」

「ええ、ネヴィルや皆も集まっているの」

「もしかして、私が起きるのを待っていただいたんですか?」

彼女がここにいるということは、そう言うことなのかと焦った。

「大丈夫よ。ネヴィルたちもさっき戻ってきたところだし」

「すぐ伺います」

私は座る間も惜しんでパクパクとサンドイッチを口に放り込み、側にあった水差しからコップに水を注ぎ、一気に飲み干す。

アリアーデ先生はその様子を呆気に取られて見つめる。

「……何ですか?」

パンくずでも付いているのかと口の回りに手をやると、彼女はクスリと笑った。

「いいえ……そう言えば昨日は書斎で顔を会わせたのに、ちゃんと挨拶できていなかったわね。アリアーデ・テインリヒよ」

そう言って彼女は右手を差し出した。

「ローリィ・ハインツです」

出された手に握手をして私も自己紹介をする。

「………テインリヒ?」

どこかで聞いた名前だと思った。

「あなたのことは実はここにくる前からハレス子爵の奥様から話を聞いていたので興味があったの」

「アンジェリーナ様に?」

意外な方の話に驚く。預かってくれている愛馬の世話で訪れる度にお菓子やらなにやらを振る舞って頂いた女性の顔を思い浮かべる。

「ハレス卿と私は同じ歳で、その縁で私も時々お茶会などに呼んでいただくの。私はこんな仕事をしているから、他の貴族のご婦人方とはなかなか親しくなる機会がなくて、アンジェリーナ様に気のおけない方々を一緒に呼んでいただいて、貴族の奥方の真似事をさせていただくの」

「……私がこちらへ伺うことは、婦人はご存知なかったかと思いますが……」

ミリイたちにも護衛として公爵邸に行くことは伏せていた。婦人にもそのことは言っていなかった筈だ。

「もちろん、あなたがここにいることはご存知ないわ。ハレス卿のお宅で打ち合いの練習をされたとか。今でもあちこちのサロンでお話されているみたいよ。お陰で謎の男装の麗人が王都では貴族のご婦人方の間で伝説になっているわ」

自分のことが自分の知らないうちにそんな風に噂になっているとは思わず、アリアーデさんの話に驚いた。
男装の麗人?噂に尾ひれがついて凄いことになっている気がする。

「あの、それがどうして私だと……」

偽名は使っていないので名前でわかったのかと思ったが、ここに来る前から知っていたような口振りだった。

「それは、夫からここへ来る前に聞いていたから」

「夫?」

彼女が結婚していることにまず驚いた。医師などしているから、てっきり独身かと思っていた。でも、さっきも確かに貴族の奥方の社交と言っていた。平民の中には結婚しても働いている女性はいるが、貴族社会では珍しい。

「夫はジーク・テインリヒ伯爵よ。私も夫もハレス子爵も国王陛下の幼馴染みなの。キルヒライル様も小さい頃から存じ上げています」

「宰相閣下の!」

思わず声が大きくなる。そうだった。テインリヒ卿と言えば、この国の宰相の名前だと思いだし、殿下の護衛で雇われる前に一度、ハレス卿に引き合わせていただいて、言葉を交わしただけの、気難しそうな宰相閣下を思い浮かべる。
あの方と目の前の小柄な女性とが夫婦だとは、何だか想像出来なかった。

「意外でしょ?これでも恋愛結婚なのよ。私と彼が結婚するときも周りに驚かれたから……一番面白がった…喜んでくれたのは国王陛下だったわ。私たちお互いに我が強すぎるんだけど、私は生真面目な夫を愛しているから、誰に何を言われても平気よ。それに何より、結婚しても仕事は続けていいなんて言ってくれる人は他にいないわ。私には最低限の社交でいいとも言ってくれて……お陰で余計なお付き合いをしなくて済むし、私には最高の夫よ」

母さまと父さまもそんな風に互いを思い合っていた。
政略結婚の多い貴族社会で、こんな風に夫について語るのも珍しいことだ。

「羨ましいです。素敵な旦那様なのですね」

「ありがとう」

ふふっと彼女は笑った。年上だが小柄でふわふわしていて、とても可愛らしいと思ってしまった。

しおりを挟む
感想 104

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【書籍化確定、完結】私だけが知らない

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
書籍化確定です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ 目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2024/12/26……書籍化確定、公表 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

転生したら、6人の最強旦那様に溺愛されてます!?~6人の愛が重すぎて困ってます!~

恋愛
ある日、女子高生だった白川凛(しらかわりん) は学校の帰り道、バイトに遅刻しそうになったのでスピードを上げすぎ、そのまま階段から落ちて死亡した。 しかし、目が覚めるとそこは異世界だった!? (もしかして、私、転生してる!!?) そして、なんと凛が転生した世界は女性が少なく、一妻多夫制だった!!! そんな世界に転生した凛と、将来の旦那様は一体誰!?

地味女で喪女でもよく濡れる。~俺様海運王に開発されました~

あこや(亜胡夜カイ)
恋愛
新米学芸員の工藤貴奈(くどうあてな)は、自他ともに認める地味女で喪女だが、素敵な思い出がある。卒業旅行で訪れたギリシャで出会った美麗な男とのワンナイトラブだ。文字通り「ワンナイト」のつもりだったのに、なぜか貴奈に執着した男は日本へやってきた。貴奈が所属する博物館を含むグループ企業を丸ごと買収、CEOとして乗り込んできたのだ。「お前は俺が開発する」と宣言して、貴奈を学芸員兼秘書として側に置くという。彼氏いない歴=年齢、好きな相手は壁画の住人、「だったはず」の貴奈は、昼も夜も彼の執着に翻弄され、やがて体が応えるように……

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

獣人の彼はつがいの彼女を逃がさない

たま
恋愛
気が付いたら異世界、深魔の森でした。 何にも思い出せないパニック中、恐ろしい生き物に襲われていた所を、年齢不詳な美人薬師の師匠に助けられた。そんな優しい師匠の側でのんびりこ生きて、いつか、い つ か、この世界を見て回れたらと思っていたのに。運命のつがいだと言う狼獣人に、強制的に広い世界に連れ出されちゃう話

王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!

gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ? 王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。 国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから! 12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。

処理中です...