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115 無茶のドクターストップ
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「まったく、無茶ばかりする」
最早私について語られる代名詞のひとつになった台詞だ。
今回は完全に人目があるため、あからさまに怒鳴られることはないが、それでもキルヒライル様の怒りがふつふつと伝わる。
でも、それよりも気になるのはキルヒライル様の現在の状況。
汗で額や頬、首筋ににまとわりついたシルバーブロンドの髪。
濡れて体に張り付くシャツの下からうっすら見える細マッチョな肉体。肘まで上げた袖から伸びる力強い腕。
それが今、私に伸ばされている。
「何を見ている?ほら、掴まりなさい」
キルヒライル様が起き上がるために手を差し出してくれた腕をまじまじと見つめる。
これは心臓に悪い。思わず見惚れてしまった。
騎士たちと訓練していた時にも何度か目にしたキルヒライル様の姿だったが、私、昨日あの腕に抱き締められて……なんて考えてしまった。
「……すいません」
気づけば周りの人が私と殿下に注目している。公爵様にいつまでも手を差し出したままではいけない。
でも、断言する。あの中には私と同じように見悶えている女性陣が確実にいる。男性もいるかもしれない。
慌てて自分の衣装で手についた埃を払い、その手を重ね素直に従う。
「もう少し自分の体を大事にしなさい。下手をすればどちらも大怪我をしていたところだ」
「面目次第もございません。でも、どこも怪我はしていません」
立ち上がると更に殿下を間近で見ることになり、白いシャツの下の殿下の体を意識する。
ああ、だめだ。何度か目にした殿下の上半身を思い出してしまう。
「ローリィ?」
すいません!殿下、今とっても卑猥な想像をしてしまいました。
まだ片手は手をのせたまま、空いたもう一方の手で妄想を振り払うように衣装に付いた埃を払っていると、ジュリアさんたちが走りよってきた。
「ローリィ、大丈夫?」
「怪我は?」
皆が口々に言って近寄ってくるが、そこにキルヒライル様の姿を見て立ち止まる。
私はあからさまにほっとして彼女たちを見た。
「私はもう行く。怪我はないと言っているが、本当にそうか皆で確かめてやってくれ」
皆が自分に遠慮していることを察し、ちょうど護衛騎士が呼びに来たのもあってすかさずその場を離れる。でも手を離す瞬間、殿下が私の手の甲をその指で撫でていったことはちゃんと意識した。
鼻血出てないよね?
すっかりパレードは止まり、傍観を決めていた顔役の方々も山車を降りて事態の収拾を図っている。
汗にまみれて山車を起こしたキルヒライル様と護衛騎士に拍手喝采が送られる。
そこに私への激励も混じり、照れ隠しににこりと笑って会釈した。
「ローリィ、本当に怪我はないの?」
抱き止めた時の衝撃による打ち身と、滑り込んだ際の擦り傷を含まなければ、特に怪我はない。そのことを言うとミーシャさんは呆れた顔をした。
「それを、怪我って言うんでしょ!」
「骨折とか大怪我にならないと怪我って思わないの?」
「この前の落馬と言い、生傷が絶えないね」
フレアにまで呆れられてしまった。
「ちょっといいか?」
エリックさんが私たちに近づいてきた。
彼も救助にあたっていくらか汗を掻いていて、少し襟元を開けている。騎士団で鍛えた立派な体格は充分魅力的だ。
でも、ごめんなさい。私には殿下みたいな効果はありませんでした。
「こんな状態ではパレードは続けられない。ここで中止にするそうだ。広場に救護所がある。ローリィを連れてそこに行くから、ついてきてくれるか」
「私なら平気です」
大丈夫だと言いかけてエリックさんに睨まれてしまった。
「頼むから今回は従ってくれ。これだけ大勢の前であんなことをやったんだ。きちんと医者に診てもらわなかったとあっては主催者としても責められる。ローリィが遠慮したらそう言えと殿下に言われた」
すっかり行動を読まれている。祭りの運営側としては当然の対処だ。
「わかりました。行きます」
行ってお医者様に診てもらって大丈夫だと言ってもらえば済むことだ。
「じゃあ、行こう」
エリックさんに促され、私たちは歩いて広場に向かった。
「今年のワイン娘たちに囲まれてこうやって一緒に歩けるなんて、俺って今日一番の役得だな」
エリックさんが満面の笑顔でそう言うと、周りから確かに羨ましそうな視線が彼に注がれている。
エリックさんは結構口が上手い。
歩き出してすぐに先ほど助けたマリエッタちゃんが私に駆け寄ってきた。
「あれ、どうしたのかな?」
フレアが訊ねると彼女は私の前で少しもじもじしていたが、後ろから母親に声をかけられ、大きな声で叫んだ。
「お姉ちゃん、ありがとう!」
年齢は八つくらいだろうか、大きな緑の瞳を輝かせ、がばっと私に抱きついた。
その瞬間、周りからも拍手が上がった。
よくやった、とか、偉いぞ、とか、体を張ってこの子を助けたことに皆が歓迎してくれた。
それだけ言うと、バイバイと手を降って彼女は母親の元へ戻って行った。
「あら~可愛かったね」
「そうだねぇ」
皆でマリエッタちゃんが走り去った方角を眺めた。
「そう言えば、さあ、さっきのあれって……」
唐突にフレアが切り出した。
「あ、フレアも気がついた?」
「やだ、ミーシャさんも?」
「私も見たよ」
「マリーも?」
エリックさんと並んで歩く私の後ろで四人がクスクスと笑いながら楽しそうに話し出した。
エリックさんと視線を合わせ、次に振り向いた。
「何?何の話?」
訊ねた私に四人はフフフと笑う。
さっきの話を思い出して嫌な予感がした。
「何って……殿下のことに決まってるわ……」
「ローリィが滑り込んであの子を抱き止めた後、真っ先にあなたのところへ走っていかれたよね」
「手をさしのべて立たせてくれたし…」
「あ、あれは………祭りの主催だから……」
「えーそれだけじゃないと思うけど」
彼女たちは簡単には引き下がらない。
助けてもらおうとエリックさんを見るが、「女同士の会話には入らない主義なんだ」と見捨てられた。
「別に私たちは責めてるわけじゃないのよ」
困っている私にジュリアさんがそう言った。
「そうだよ、殿下は素敵だし、憧れちゃうけど、異性として好きかと、訊かれたら違うのよね」
「ローリィと殿下…二人の間に何か今までと違う空気が流れてるから」
「彼女たちよく見てるな」
「女の勘を甘く見ないでくださいね。特に恋愛に関しては鋭いですから」
どや顔でフレアが胸を張る。あまり大きくないんだけどね。
「身分違いの恋?素敵じゃない」
うっとりとした顔でジュリアさんが言う。
「そんないいものじゃ……」
そういいかけて、ようやく広場についた。
そのうちどこまで行った?とか、訊かれそうで恥ずかしくてとても言えないだろう。
救護所テントに行くと、先ほどモリーを診察してくれたお医者がいた。
「来ましたね、話しは聞いています。さあ、入ってください」
お医者様はすでに話を知っているのか、私の顔を見ると手招きしてくれた。
「すまないが、皆は外で待っていてください。きちんと診察しますから」
ジュリアさんたちを外で待たせ、私だけを呼び入れるとお医者様は私を自分の前の椅子に座らせた。
「さて………特にどこか痛いところは?」
腕にある擦り傷を見て、質問してくる。
「いえ、特には……」
「落ちてきた子を受け止めたと聞いた。打ち身でもあるのでは?見せてみなさい」
私は言われるままにブラウスを下ろした。先に背中を見せ、そして前を見せる。
「ふむ……背骨に沿って軽い打ち身がある……お腹は……時間が経つともう少し痣が浮き出てくるでしょう。胃の上あたりが少し赤くなっています。痛みますか?」
お医者様は軽くお腹を押した。
「少し、押すと痛みがあります」
「内臓に損傷はなさそうです。擦り傷の消毒と打ち身にきく薬草を塗ってあげましょう。意外に軽い怪我でよかった」
てきぱきと診察をし、的確に治療をしてくれる。
「胸の傷は……随分前のですね」
矢傷に目を止めお医者様が言う。
「はい、小さいときに……」
「そうか、それで殿下は私だけで診察するように伝言したのですね」
「え?」
私の怪我の事情を既に知っているとは情報が早いと思ったが、キルヒライル様が使いを既に寄越してくれていたとは思わなかった。
「護衛騎士が先に来て、あなたが来ることを教えてくれました。山車から落ちてきた子を受け止めたからと。連れがいるだろうが一人で診て欲しいと。殿下はその傷のことをご存知なのですね」
「………はい」
どうして知っているのかはお医者は聞かなかった。黙って背中とお腹に薬草を塗った布を充てて包帯を巻き、腕の傷口を消毒してくれた。
「もう服を着てかまいません。明日には青黒くなるでしょうが、数日たてば消えます」
「ありがとうございました」
「人助けとは言え、無茶はしないでくださいね。自分のためにも、殿下のためにも」
衣服を戻しながらお医者様の口調に違和感を覚え、手を止めた。
「もしかして、それも言えと殿下がおっしゃいましたか?」
「さて、どうだったか………」
お医者様は診察を終えて手を洗いながら惚ける。
「しかし、落ちてきた子を受け止めるとは、あなたも大概無茶ばかりする性分のようです。勝算があってのことかも知れませんが、その内大怪我をします。気を付けなさい」
無茶のドクターストップをされてしまったが、自分から進んで怪我を負うつもりはない。
「気をつけます……」
「まあ、信用しないで一応きいておきます。殿下にも無茶はするなとホーク医師が言っていたと伝えてください。あのお方もあなたに負けず劣らず無茶をしますから」
「……そうですね。きちんと伝えます」
怪我を診てもらったのか、無茶をするなと釘を刺されたのかわからないが、お医者様は何となく私と殿下の間に気づいているようで、なんだが面映ゆい。
普通、メイドの怪我でわざわざ伝令を送るとか、胸の傷について他にばれないよう配慮するとか、あり得ないことだ。
私とのことについて、きちんとするとか、暫く内密にとか言っていたけど、こんな風に気遣われては、勘のいい人でなくても何かあると考えてしまう。
フレアたちにも色々と感づかれている。
思われている身としてはとても嬉しい。昨日のことや今朝のことを思い出すと、それが自分の身に起こったことだとは今でも信じられない。
キルヒライル様の暖かさや、硬い胸、唇の感触。耳元で囁かれたときのゾクッと感は筆舌に尽くしがたい。
「気をつけて帰りなさい」
お医者様に礼を言い、テントを後にする。入れ違いに道で転んで怪我をした子どもが入ってきた。
私はエリックさんたちと一緒にデリヒ商会にモリーを見舞いに行った。
受付のお姉さまに訊くと、少し前に家族と共に帰ったということだった。
その時の様子を訊ねると、まだ具合は悪そうだが自分の足で歩いて帰ったという。
皆でどうするか相談したが、気がついたならひと安心だ、マリーが皆が心配していたことを伝え、明日また話をきくということ決まった。
最早私について語られる代名詞のひとつになった台詞だ。
今回は完全に人目があるため、あからさまに怒鳴られることはないが、それでもキルヒライル様の怒りがふつふつと伝わる。
でも、それよりも気になるのはキルヒライル様の現在の状況。
汗で額や頬、首筋ににまとわりついたシルバーブロンドの髪。
濡れて体に張り付くシャツの下からうっすら見える細マッチョな肉体。肘まで上げた袖から伸びる力強い腕。
それが今、私に伸ばされている。
「何を見ている?ほら、掴まりなさい」
キルヒライル様が起き上がるために手を差し出してくれた腕をまじまじと見つめる。
これは心臓に悪い。思わず見惚れてしまった。
騎士たちと訓練していた時にも何度か目にしたキルヒライル様の姿だったが、私、昨日あの腕に抱き締められて……なんて考えてしまった。
「……すいません」
気づけば周りの人が私と殿下に注目している。公爵様にいつまでも手を差し出したままではいけない。
でも、断言する。あの中には私と同じように見悶えている女性陣が確実にいる。男性もいるかもしれない。
慌てて自分の衣装で手についた埃を払い、その手を重ね素直に従う。
「もう少し自分の体を大事にしなさい。下手をすればどちらも大怪我をしていたところだ」
「面目次第もございません。でも、どこも怪我はしていません」
立ち上がると更に殿下を間近で見ることになり、白いシャツの下の殿下の体を意識する。
ああ、だめだ。何度か目にした殿下の上半身を思い出してしまう。
「ローリィ?」
すいません!殿下、今とっても卑猥な想像をしてしまいました。
まだ片手は手をのせたまま、空いたもう一方の手で妄想を振り払うように衣装に付いた埃を払っていると、ジュリアさんたちが走りよってきた。
「ローリィ、大丈夫?」
「怪我は?」
皆が口々に言って近寄ってくるが、そこにキルヒライル様の姿を見て立ち止まる。
私はあからさまにほっとして彼女たちを見た。
「私はもう行く。怪我はないと言っているが、本当にそうか皆で確かめてやってくれ」
皆が自分に遠慮していることを察し、ちょうど護衛騎士が呼びに来たのもあってすかさずその場を離れる。でも手を離す瞬間、殿下が私の手の甲をその指で撫でていったことはちゃんと意識した。
鼻血出てないよね?
すっかりパレードは止まり、傍観を決めていた顔役の方々も山車を降りて事態の収拾を図っている。
汗にまみれて山車を起こしたキルヒライル様と護衛騎士に拍手喝采が送られる。
そこに私への激励も混じり、照れ隠しににこりと笑って会釈した。
「ローリィ、本当に怪我はないの?」
抱き止めた時の衝撃による打ち身と、滑り込んだ際の擦り傷を含まなければ、特に怪我はない。そのことを言うとミーシャさんは呆れた顔をした。
「それを、怪我って言うんでしょ!」
「骨折とか大怪我にならないと怪我って思わないの?」
「この前の落馬と言い、生傷が絶えないね」
フレアにまで呆れられてしまった。
「ちょっといいか?」
エリックさんが私たちに近づいてきた。
彼も救助にあたっていくらか汗を掻いていて、少し襟元を開けている。騎士団で鍛えた立派な体格は充分魅力的だ。
でも、ごめんなさい。私には殿下みたいな効果はありませんでした。
「こんな状態ではパレードは続けられない。ここで中止にするそうだ。広場に救護所がある。ローリィを連れてそこに行くから、ついてきてくれるか」
「私なら平気です」
大丈夫だと言いかけてエリックさんに睨まれてしまった。
「頼むから今回は従ってくれ。これだけ大勢の前であんなことをやったんだ。きちんと医者に診てもらわなかったとあっては主催者としても責められる。ローリィが遠慮したらそう言えと殿下に言われた」
すっかり行動を読まれている。祭りの運営側としては当然の対処だ。
「わかりました。行きます」
行ってお医者様に診てもらって大丈夫だと言ってもらえば済むことだ。
「じゃあ、行こう」
エリックさんに促され、私たちは歩いて広場に向かった。
「今年のワイン娘たちに囲まれてこうやって一緒に歩けるなんて、俺って今日一番の役得だな」
エリックさんが満面の笑顔でそう言うと、周りから確かに羨ましそうな視線が彼に注がれている。
エリックさんは結構口が上手い。
歩き出してすぐに先ほど助けたマリエッタちゃんが私に駆け寄ってきた。
「あれ、どうしたのかな?」
フレアが訊ねると彼女は私の前で少しもじもじしていたが、後ろから母親に声をかけられ、大きな声で叫んだ。
「お姉ちゃん、ありがとう!」
年齢は八つくらいだろうか、大きな緑の瞳を輝かせ、がばっと私に抱きついた。
その瞬間、周りからも拍手が上がった。
よくやった、とか、偉いぞ、とか、体を張ってこの子を助けたことに皆が歓迎してくれた。
それだけ言うと、バイバイと手を降って彼女は母親の元へ戻って行った。
「あら~可愛かったね」
「そうだねぇ」
皆でマリエッタちゃんが走り去った方角を眺めた。
「そう言えば、さあ、さっきのあれって……」
唐突にフレアが切り出した。
「あ、フレアも気がついた?」
「やだ、ミーシャさんも?」
「私も見たよ」
「マリーも?」
エリックさんと並んで歩く私の後ろで四人がクスクスと笑いながら楽しそうに話し出した。
エリックさんと視線を合わせ、次に振り向いた。
「何?何の話?」
訊ねた私に四人はフフフと笑う。
さっきの話を思い出して嫌な予感がした。
「何って……殿下のことに決まってるわ……」
「ローリィが滑り込んであの子を抱き止めた後、真っ先にあなたのところへ走っていかれたよね」
「手をさしのべて立たせてくれたし…」
「あ、あれは………祭りの主催だから……」
「えーそれだけじゃないと思うけど」
彼女たちは簡単には引き下がらない。
助けてもらおうとエリックさんを見るが、「女同士の会話には入らない主義なんだ」と見捨てられた。
「別に私たちは責めてるわけじゃないのよ」
困っている私にジュリアさんがそう言った。
「そうだよ、殿下は素敵だし、憧れちゃうけど、異性として好きかと、訊かれたら違うのよね」
「ローリィと殿下…二人の間に何か今までと違う空気が流れてるから」
「彼女たちよく見てるな」
「女の勘を甘く見ないでくださいね。特に恋愛に関しては鋭いですから」
どや顔でフレアが胸を張る。あまり大きくないんだけどね。
「身分違いの恋?素敵じゃない」
うっとりとした顔でジュリアさんが言う。
「そんないいものじゃ……」
そういいかけて、ようやく広場についた。
そのうちどこまで行った?とか、訊かれそうで恥ずかしくてとても言えないだろう。
救護所テントに行くと、先ほどモリーを診察してくれたお医者がいた。
「来ましたね、話しは聞いています。さあ、入ってください」
お医者様はすでに話を知っているのか、私の顔を見ると手招きしてくれた。
「すまないが、皆は外で待っていてください。きちんと診察しますから」
ジュリアさんたちを外で待たせ、私だけを呼び入れるとお医者様は私を自分の前の椅子に座らせた。
「さて………特にどこか痛いところは?」
腕にある擦り傷を見て、質問してくる。
「いえ、特には……」
「落ちてきた子を受け止めたと聞いた。打ち身でもあるのでは?見せてみなさい」
私は言われるままにブラウスを下ろした。先に背中を見せ、そして前を見せる。
「ふむ……背骨に沿って軽い打ち身がある……お腹は……時間が経つともう少し痣が浮き出てくるでしょう。胃の上あたりが少し赤くなっています。痛みますか?」
お医者様は軽くお腹を押した。
「少し、押すと痛みがあります」
「内臓に損傷はなさそうです。擦り傷の消毒と打ち身にきく薬草を塗ってあげましょう。意外に軽い怪我でよかった」
てきぱきと診察をし、的確に治療をしてくれる。
「胸の傷は……随分前のですね」
矢傷に目を止めお医者様が言う。
「はい、小さいときに……」
「そうか、それで殿下は私だけで診察するように伝言したのですね」
「え?」
私の怪我の事情を既に知っているとは情報が早いと思ったが、キルヒライル様が使いを既に寄越してくれていたとは思わなかった。
「護衛騎士が先に来て、あなたが来ることを教えてくれました。山車から落ちてきた子を受け止めたからと。連れがいるだろうが一人で診て欲しいと。殿下はその傷のことをご存知なのですね」
「………はい」
どうして知っているのかはお医者は聞かなかった。黙って背中とお腹に薬草を塗った布を充てて包帯を巻き、腕の傷口を消毒してくれた。
「もう服を着てかまいません。明日には青黒くなるでしょうが、数日たてば消えます」
「ありがとうございました」
「人助けとは言え、無茶はしないでくださいね。自分のためにも、殿下のためにも」
衣服を戻しながらお医者様の口調に違和感を覚え、手を止めた。
「もしかして、それも言えと殿下がおっしゃいましたか?」
「さて、どうだったか………」
お医者様は診察を終えて手を洗いながら惚ける。
「しかし、落ちてきた子を受け止めるとは、あなたも大概無茶ばかりする性分のようです。勝算があってのことかも知れませんが、その内大怪我をします。気を付けなさい」
無茶のドクターストップをされてしまったが、自分から進んで怪我を負うつもりはない。
「気をつけます……」
「まあ、信用しないで一応きいておきます。殿下にも無茶はするなとホーク医師が言っていたと伝えてください。あのお方もあなたに負けず劣らず無茶をしますから」
「……そうですね。きちんと伝えます」
怪我を診てもらったのか、無茶をするなと釘を刺されたのかわからないが、お医者様は何となく私と殿下の間に気づいているようで、なんだが面映ゆい。
普通、メイドの怪我でわざわざ伝令を送るとか、胸の傷について他にばれないよう配慮するとか、あり得ないことだ。
私とのことについて、きちんとするとか、暫く内密にとか言っていたけど、こんな風に気遣われては、勘のいい人でなくても何かあると考えてしまう。
フレアたちにも色々と感づかれている。
思われている身としてはとても嬉しい。昨日のことや今朝のことを思い出すと、それが自分の身に起こったことだとは今でも信じられない。
キルヒライル様の暖かさや、硬い胸、唇の感触。耳元で囁かれたときのゾクッと感は筆舌に尽くしがたい。
「気をつけて帰りなさい」
お医者様に礼を言い、テントを後にする。入れ違いに道で転んで怪我をした子どもが入ってきた。
私はエリックさんたちと一緒にデリヒ商会にモリーを見舞いに行った。
受付のお姉さまに訊くと、少し前に家族と共に帰ったということだった。
その時の様子を訊ねると、まだ具合は悪そうだが自分の足で歩いて帰ったという。
皆でどうするか相談したが、気がついたならひと安心だ、マリーが皆が心配していたことを伝え、明日また話をきくということ決まった。
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