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94 神様を信じますか
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殿下はアレン・グスタフについてそれ以上のことは何も言わなかった。
過去は過去だ。
全てをなかったことにはできない。どう取り繕ってもそれは変わらないし、後悔しても後戻りはできない。
それが彼の考えだった。
殿下は生き残り、ユリシス・グスタフは死んだ。
歴史というものは、勝者に都合よく解釈されるものである。
また、見るものの立場によって、一方では善でも違う立場の者から見れば悪にもなるのだ。
もしマイン国と本当に戦争が起こっていれば、両国でもっと大きな犠牲が出ていただろう。
どんな時でも戦争は悲劇でしかない。グスタフ親子の犠牲で戦争が回避できたのだとしたら、それで良かったと言えるのかも知れない。
ロイシュタール側からみれば、彼ら親子は悪だ。
マイン国内での彼らの評価はわからないが、国王を始め、戦争を避けたかった者達からみれば、同じ国の者としても彼らは悪と言えるかもしれない。
着替えのために一度部屋を出て一階の別室で一人になってから、私はアレン・グスタフの怒りについて考えた。
殿下には殿下の正義があった。ロイシュタール国王家の人間としてロイシュタール国民を、領土を護るという正義。
グスタフ親子が何を考えロイシュタールと戦争を起こそうとしたのか、詳しいことは私にはわからない。彼らには彼らの言い分があるのだろうが、どんな理由があるにせよ、戦争という手段で物事をすすめようとしたことは良くないことだと思う。
私は殿下が好きだ。どんな時でも彼の味方でありたい。彼が私を求めてくれる限り、私にできる全てをかけてもいい。
けれど、父親を殺された、アレン・グスタフの恨みも、私には理解できた。
私は亡くなった父さまのことを考えた。
犯人はわからないままだ。
もし、父さまを殺した人物が目の前に現れたら、私は冷静でいられるだろうか。
もちろん、ユリシス・グスタフと父さまではまったく違う。ユリシス・グスタフのような野望もなく、領民のため、家族のため人生を捧げてきたような人だった。
比べようもない。
でも、アレン・グスタフにとって、唯一無二の父親だったなら、その命を奪った相手を恨むのも仕方ないのかもしれない。
けれど、そのせいでこれから殿下の命が危険にさらされるなら、私は何をおいても彼の側に立つだろう。その気持ちに偽りはない。
私はまだ人を殺したことがない。
師匠にも、いつか本当に自分や自分の大事なものを護るために誰かの命を奪うことになった時、その覚悟はあるかと訊かれたことがある。
またその覚悟があるかと訊かれれば、その時になってみないとわからない。というのが正直な気持ちだ。
その時になって、怖じ気づく可能性もないことはない。
着替えを終えて部屋をでる。
フレアが届けてくれたのは昨日来ていたワンピース。あっさりとした木成り色、茶色い皮のベスト、腰には赤い布ベルト。
太陽はすでに西の空に消えようとしている。
広場では大道芸が繰り広げられ、通りからは賑やかな人々の声が聞こえてくる。
そろそろ通りを渡るように設置された提灯に灯りが灯りつつある。
殿下は顔役の方たちと、デリヒ氏の屋敷で夕食をともにするようなことをおっしゃっていた。
ウィリアムさんも当然、護衛としてついていくだろう。
もう一度、先ほどの部屋に行き、このまま領主館に戻ることを告げようと思い、そちらへ向かおうとして名前を呼び止められた。
振り向くと、司祭様が立っていた。
「司祭様、どうされましたか?司祭様はデリヒ氏の邸宅にはおいでにならないのですか?」
司祭様の方を向き、訊ねる。てっきりデリヒ氏の屋敷に向かわれると思っていた。
「今から伺うところです。あなたをお見かけしたので、一言お祝いをと思いまして」
「ありがとうございます。ですが、私一人の頑張りで勝てたわけではありませんので」
「ご謙遜を……」
司祭様はそう言って、何やら言いたいことがあるのか、ちらちらと私の様子を伺う。
「他に何か私に御用でしょうか」
こちらから水を向ける。
「あの、初めて教会でお会いした時に、女性の方とは思わず失礼しました」
何だ、そのことだったのか、と私は逆に申し訳なさそうに司祭様を見た。
「私の方こそ、紛らわしくてすいませんでした。男女みたいでややこしいですね」
「いえいえ、あなたはあなたですのに、見る側の勝手で判断してしまうのは、間違っています。ティオファニアの教典にもありますしね。本質を見極めろと。私の修行が足りませんでした」
小さい頃にアイスヴァイン領の司祭様に教えてもらったことを思い出した。
もともと前世では無宗教だった私。お葬式は仏式。クリスマスはイベント。初詣は神社。憧れの結婚式は教会でウエディングドレスだった。困ったときは神頼み。神様仏様、などと祈ったこともある。
この世界の殆どが信仰するティオファニア教も、特に信仰が厚いわけでもない。司祭様を目の前にして、口が裂けても言えないが。
聖職にある人の前だと罪悪感めいたものを感じる。
信仰する対象や細かい定義は違えども、教会の役割や形式、祈り方はキリスト教に似ている。
首に掲げる首飾りは十字架ではなく、月のような丸い球。どこから見ても同じ形、という意味があるらしい。
「あまり、興味がおありにならない?」
顔に出ていたのか、司祭様がそう言う。
「うっ!………すいません」
図星を指され素直に認める。意外にも、というかさすが宗教家。そこは穏やかに対応してくれる。
「大丈夫ですよ。熱心に信仰していただく方も大勢いらっしゃいますから」
「そう言っていただけるとありがたいです」
「ですが、あまり熱心でない方に教えを諭すことも私の務めのひとつですので、一度教会に足を運んでお話を聞いていただけると嬉しいですね。子どもはお好きですか?」
やはり宗教家、さりげなく教えに持っていくあたり、優秀だ。こんな風に穏やかに言われては断れない。
「子ども……あまり小さい子と接したことがありませんが、嫌いでは、というか苦手ではないと思います」
「そうですか、気軽に子供たちに会いに来てください。今はお忙しいでしょうが、祭りが終わったら是非」
祭りのことになり、そう言えば、いつまでこの地にいることになるのだろうと思った。
「いつまでこちらに居ることになるかわかりませんが、時間があればお伺いします」
「私はいつもあそこに居りますので、いつでもお越しください」
司祭様はそう言って、そろそろデリヒ氏の邸宅へ行く時間ですので、と事務所を後にした。
司祭様の背中を見送り、今度こそ上階へ行こうと思って階段下まで行くと、ちょうど降りてきた殿下とウィリアムさんに出くわした。
「着替えだけにしては遅かったな」
責めているわけではなかったが、心配させてしまったようだ。
階段の途中まで先に降りていた殿下と視線が絡み合う。
すでに昼間の衣装から夜会用の衣装に着替えている。
深い緑色の前が短くて後ろが長い上着に白いシャツ。上着の下からは上着より少し薄い緑のベストが見える。
ズボンの色は白で焦げ茶色の膝丈のブーツを履いている。
ふと視線が下がり唇が目に映る。
「…………」
先ほどの場面が脳裏に甦った。
私、あの唇に………。爆発するように瞬時に顔が赤くなった。
過去は過去だ。
全てをなかったことにはできない。どう取り繕ってもそれは変わらないし、後悔しても後戻りはできない。
それが彼の考えだった。
殿下は生き残り、ユリシス・グスタフは死んだ。
歴史というものは、勝者に都合よく解釈されるものである。
また、見るものの立場によって、一方では善でも違う立場の者から見れば悪にもなるのだ。
もしマイン国と本当に戦争が起こっていれば、両国でもっと大きな犠牲が出ていただろう。
どんな時でも戦争は悲劇でしかない。グスタフ親子の犠牲で戦争が回避できたのだとしたら、それで良かったと言えるのかも知れない。
ロイシュタール側からみれば、彼ら親子は悪だ。
マイン国内での彼らの評価はわからないが、国王を始め、戦争を避けたかった者達からみれば、同じ国の者としても彼らは悪と言えるかもしれない。
着替えのために一度部屋を出て一階の別室で一人になってから、私はアレン・グスタフの怒りについて考えた。
殿下には殿下の正義があった。ロイシュタール国王家の人間としてロイシュタール国民を、領土を護るという正義。
グスタフ親子が何を考えロイシュタールと戦争を起こそうとしたのか、詳しいことは私にはわからない。彼らには彼らの言い分があるのだろうが、どんな理由があるにせよ、戦争という手段で物事をすすめようとしたことは良くないことだと思う。
私は殿下が好きだ。どんな時でも彼の味方でありたい。彼が私を求めてくれる限り、私にできる全てをかけてもいい。
けれど、父親を殺された、アレン・グスタフの恨みも、私には理解できた。
私は亡くなった父さまのことを考えた。
犯人はわからないままだ。
もし、父さまを殺した人物が目の前に現れたら、私は冷静でいられるだろうか。
もちろん、ユリシス・グスタフと父さまではまったく違う。ユリシス・グスタフのような野望もなく、領民のため、家族のため人生を捧げてきたような人だった。
比べようもない。
でも、アレン・グスタフにとって、唯一無二の父親だったなら、その命を奪った相手を恨むのも仕方ないのかもしれない。
けれど、そのせいでこれから殿下の命が危険にさらされるなら、私は何をおいても彼の側に立つだろう。その気持ちに偽りはない。
私はまだ人を殺したことがない。
師匠にも、いつか本当に自分や自分の大事なものを護るために誰かの命を奪うことになった時、その覚悟はあるかと訊かれたことがある。
またその覚悟があるかと訊かれれば、その時になってみないとわからない。というのが正直な気持ちだ。
その時になって、怖じ気づく可能性もないことはない。
着替えを終えて部屋をでる。
フレアが届けてくれたのは昨日来ていたワンピース。あっさりとした木成り色、茶色い皮のベスト、腰には赤い布ベルト。
太陽はすでに西の空に消えようとしている。
広場では大道芸が繰り広げられ、通りからは賑やかな人々の声が聞こえてくる。
そろそろ通りを渡るように設置された提灯に灯りが灯りつつある。
殿下は顔役の方たちと、デリヒ氏の屋敷で夕食をともにするようなことをおっしゃっていた。
ウィリアムさんも当然、護衛としてついていくだろう。
もう一度、先ほどの部屋に行き、このまま領主館に戻ることを告げようと思い、そちらへ向かおうとして名前を呼び止められた。
振り向くと、司祭様が立っていた。
「司祭様、どうされましたか?司祭様はデリヒ氏の邸宅にはおいでにならないのですか?」
司祭様の方を向き、訊ねる。てっきりデリヒ氏の屋敷に向かわれると思っていた。
「今から伺うところです。あなたをお見かけしたので、一言お祝いをと思いまして」
「ありがとうございます。ですが、私一人の頑張りで勝てたわけではありませんので」
「ご謙遜を……」
司祭様はそう言って、何やら言いたいことがあるのか、ちらちらと私の様子を伺う。
「他に何か私に御用でしょうか」
こちらから水を向ける。
「あの、初めて教会でお会いした時に、女性の方とは思わず失礼しました」
何だ、そのことだったのか、と私は逆に申し訳なさそうに司祭様を見た。
「私の方こそ、紛らわしくてすいませんでした。男女みたいでややこしいですね」
「いえいえ、あなたはあなたですのに、見る側の勝手で判断してしまうのは、間違っています。ティオファニアの教典にもありますしね。本質を見極めろと。私の修行が足りませんでした」
小さい頃にアイスヴァイン領の司祭様に教えてもらったことを思い出した。
もともと前世では無宗教だった私。お葬式は仏式。クリスマスはイベント。初詣は神社。憧れの結婚式は教会でウエディングドレスだった。困ったときは神頼み。神様仏様、などと祈ったこともある。
この世界の殆どが信仰するティオファニア教も、特に信仰が厚いわけでもない。司祭様を目の前にして、口が裂けても言えないが。
聖職にある人の前だと罪悪感めいたものを感じる。
信仰する対象や細かい定義は違えども、教会の役割や形式、祈り方はキリスト教に似ている。
首に掲げる首飾りは十字架ではなく、月のような丸い球。どこから見ても同じ形、という意味があるらしい。
「あまり、興味がおありにならない?」
顔に出ていたのか、司祭様がそう言う。
「うっ!………すいません」
図星を指され素直に認める。意外にも、というかさすが宗教家。そこは穏やかに対応してくれる。
「大丈夫ですよ。熱心に信仰していただく方も大勢いらっしゃいますから」
「そう言っていただけるとありがたいです」
「ですが、あまり熱心でない方に教えを諭すことも私の務めのひとつですので、一度教会に足を運んでお話を聞いていただけると嬉しいですね。子どもはお好きですか?」
やはり宗教家、さりげなく教えに持っていくあたり、優秀だ。こんな風に穏やかに言われては断れない。
「子ども……あまり小さい子と接したことがありませんが、嫌いでは、というか苦手ではないと思います」
「そうですか、気軽に子供たちに会いに来てください。今はお忙しいでしょうが、祭りが終わったら是非」
祭りのことになり、そう言えば、いつまでこの地にいることになるのだろうと思った。
「いつまでこちらに居ることになるかわかりませんが、時間があればお伺いします」
「私はいつもあそこに居りますので、いつでもお越しください」
司祭様はそう言って、そろそろデリヒ氏の邸宅へ行く時間ですので、と事務所を後にした。
司祭様の背中を見送り、今度こそ上階へ行こうと思って階段下まで行くと、ちょうど降りてきた殿下とウィリアムさんに出くわした。
「着替えだけにしては遅かったな」
責めているわけではなかったが、心配させてしまったようだ。
階段の途中まで先に降りていた殿下と視線が絡み合う。
すでに昼間の衣装から夜会用の衣装に着替えている。
深い緑色の前が短くて後ろが長い上着に白いシャツ。上着の下からは上着より少し薄い緑のベストが見える。
ズボンの色は白で焦げ茶色の膝丈のブーツを履いている。
ふと視線が下がり唇が目に映る。
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先ほどの場面が脳裏に甦った。
私、あの唇に………。爆発するように瞬時に顔が赤くなった。
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