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92 妄想と現実

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胸元を深く下げ彼と向き合う。

頭一つ高い彼が見下ろせば、胸の谷間を覗き込むことになる。

「それは………」

自分が何を見せつけられているのか理解し、慌てて目を塞ぎ顔を反らした。

反らしながら指の間からちらりともう一度私の胸を見る。

「その、それは……」

「小さい時に負った矢傷です。殿下のように誇れるものではありませんが、私はこのとおり傷物です。人によっては気になる……」

「もう一度、もう一度見せてくれ!」

「え!」

戸惑う私を引き寄せ、もう一度、今度は大胆に覗き込む。

「あの、ちょっと、でん……キ、キルヒライル」

告白されて、キスされて、自分から見せたとは言え、胸を覗き込まれ、展開が早すぎでは。
私が胸の辺りを手で覆い隠すと、自分が何をしたのか気づいた彼が慌てて手を離した。

「うわ!す、すまない!いや、決していかがわしい気持ちで見たわけでは、いや、いきなりで驚いて、あ、見せたのはローリィで、いや、あの……」

わたわたと意味もなく手をバタバタさせて必死に取り繕おうとする。
その様子が可笑しくて思わず笑ってしまった。

「その、すまない………どうしても確かめたかった」

少し落ち着きを取り戻した彼は、そう言った。

「………確かめる?」

「そうだ。その傷……見覚えがある。ずっと、幻かと思っていたが」

少し前、王都の公爵邸で見つけた胸当てなどを思い出す。
恩人からの預かり物だと言っていた。
見覚えがあるとは、どういう意味だろう。あの時彼は明らかに意識がなかった。

「そなたと、王都までの途中で出会った日の翌日、私は追っ手に追われ深手を負って意識を失った」

あの朝の出来事だ。ここまでは彼だって覚えている事実だ。

「目が覚めると、すっかり傷の手当てがされていて、側には食べ物も置かれていた。誰かが世話をしてくれたのだとわかったが、気がついた時には誰もいなかった」

それも覚えていて当然のことだ。

「実は、その間の出来事だと思うのだが、記憶が曖昧な部分がある。………星形の何かと、その両脇にある、女性の……おそらく乳房」

その時のことを思い出しているのだろう。彼は照れながら何とか言葉を絞り出して説明をする。

「あ…………」

殿下が胸の中央を押さえ、その手の内側にある筈の傷を見据える。

「あれも、ローリィ、君なんだな………この世に、これ程身近に、二つと同じ傷を持つ者がいるとは思えない」

服の上から大きな力強い手を押し付けられ、否定する言葉が出ない。

押し付けられる彼の手に自分の両手を重ね、上目遣いに彼を見つめ、黙ってこくりと頷く。

深いため息とともに、私の肩に彼が頭を乗せる。

「良かった……妄想ではなかった」

「も、妄想?」

可笑しなことを言うと、聞き返す。

「そうではないか、ケガをして意識が朦朧としている時に、女性の裸の胸だぞ、妄想だと思うではないか。あれは、なんだ?あの包帯がわりに傷に当てていたあれは……」

「そ、それはですね……」

改めて考えるととても言いにくい。

「む、胸当て」

「え?」

「男装していたので、胸を潰すのに使っていた胸当てです」

一気に言い切ると、状況を理解した彼がガタンとその場に尻餅をついた。
もうこれ以上恥ずかしいことなどないという位、私も手で顔を覆い隠す。

「な、な、な、む、胸……ローリィ、そなた、見ず知らずの男に、そ、そのような……は、肌着も同然のものを……わ、私だったからいいものを…」

言われてみればもっともだ。名前も知らない男に、いくら人命救助とは言え、自分が身に付けていたものを使うなど、相手が途中で意識を取り戻したらどうなっていたか。

「厩舎で会った人だと、身に付けている物や連れていた馬を見て気がつきました」

この際だから全て白状することにした。

「気づいていたのか、この前厩舎で出会ったことを話したときにどうして言わなかった」

「言えますか、こうして見られたから白状しましたけど、む、胸当てを、とか、外したりしたとか、もし傷のことがなかったらずっと言わないつもりでした」

確かに、相手が覚えていないことをわざわざ教えても、この場合、見ず知らずだったならそのままにしてもよかったかも知れない。

「お陰で私は何日も眠れず、苦労したのだぞ」

椅子に座り直し、今だから言うが、と彼が言うので、意味が分からず首をかしげる。

「男の体のことだ。気にせずともよい」

詳しく言うつもりがないのか、それ以上の説明はしてくれなかった。
でも保健体育やネットや小説など、その手の知識を少なからず持っている私はなんとなくわかってしまった。
男の体?つまりは、一瞬見ただけの胸で、興奮してしまったということなのかしら。

勝手に想像してしまい、またもや赤面する。
それよりも確認しなければならないことがある。

「キ、キルヒライルは、何とも思わないのですか?胸に、体に……」

「傷があるような女はダメかと言う質問なら、今すぐその口を閉じろ。また口で塞がれたいか」

きっぱりと言い切られ、黙り込む。

「素直でよろしい。いつもそうならありがたいが……口を塞いでもよかったが」

素直に従って残念がられてしまった。

「私の体もそれ以上だ。知っているだろう?ローリィは気にするか?」

「いえ、全然、まったく。むしろ、撫で回したい……あ」

最後の一言は余計だった。聞き逃してくれたらと思ったが、顔を覆って何かを我慢している彼を見て、しっかり聞かれたのがわかった。

「あ、あの、変な意味でなくて、ですね」

「あまり私を試すな。妄想を現実にしたくて色々我慢しているのだぞ」

リアルに言われてどんな妄想だと目を光らせたが、彼はそれ以上何も言わない。

「兎に角、私も同じだ。そんな傷一つで私の気持ちがぐらつくと思っているなら私を見くびっている。自分が惚れた男を信じろ」

お陰でいいものを見せてもらった。とくらい思っている。と彼は言った。

「お、おい」

私は嬉しくて泣いてしまった。

突然泣き出した私を、理由もきかず彼が優しく肩を抱いてくれる。

めでたしめでたしとはまだまだいかないが、こんな風に自分を思ってくれる人がいることが嬉しかった。

「ローリィ、勝手を言ってすまないが、護衛の件は祭りが終わるまで答えを待って欲しい。私とのことも暫く二人だけのことにしてもらっていいだろうか」

私を胸に抱いて、今はまだその時期ではない。公表するにはそれなりの準備が必要だと殿下は言う。

「信じて待って欲しい。私の気持ちは変わらない」

演歌のテーマではないが、私としては今のままでも構わないと思っている。それを言うと殿下がどうしてだと問い質しそうなので黙って頷いた。
殿下が自分以外の誰かと、と考えると辛いが私のことで殿下を窮地に立たせることになるのも辛いと思っている。




「失礼します」

不意に扉を叩いて、ウィリアムさんの声がした。
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