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91 可愛げのない女です
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「ダメとは?」
信じられない。そんな表情が殿下の顔に浮かぶ。
「ごめんなさい。でも、ダメです。私は雇われた身。殿下は………」
「皆まで言うな」
胸に当てた手を取り、殿下は私をその胸に抱き寄せる。
抱き締める殿下の体が震えている。
「嫌いなら、嫌だと思うならそう言ってくれ、簡単に諦めるつもりはないが、無理強いはしない」
私の手のひらに彼の鼓動が伝わる。全速力で疾走した後のように激しく打つ彼の心臓の音に、彼も同じ人間なのだと納得する。
「私は……素直に従わない、可愛げのない女です。刺繍をするより、剣を振り回して野山を駆け回っているような女です」
「……自分をよくわかっているではないか」
茶化す殿下の胸を軽く叩いて抗議する。
殿下が大袈裟に呻いて軽く笑った。
「刺繍や噂話などに興味を示す令嬢なら、今まで数えきれないほど見てきた。そんな女性がいいなら、とっくに結婚している。まあ、それどころではなかったということもあるが」
いつの間にか殿下の手は私の髪を撫で、指に絡めたり外したりしている。
「殿下は、きっと望めばどんな女性でも手に入れられます。顔もいいし、かっこいい。人を見かけではなく中身で見てくれる。身分があっても偉ぶらない。むしろその責任を誰よりも重く受け止め、自ら犠牲になって行動する。誰よりも勤勉で腕も立つし、努力家で」
「ちょっと待て、言いすぎだ。それにそんなにたくさんの女性にモテなくていい。欲しいのは一人だけだ」
すっかり照れて慌てて私の言葉を遮る。
さりげなくまた告白された。奥手だと思ったがさらりとそんなことを言う。
「まだ続けられますよ」
胸に顔を埋めているため、互いの顔は見えないが、唸る声が聞こえてきっとリンゴのように真っ赤になっているに違いない。
「わかった。降参だ。つまり、そなたも同じ気持ちだと自惚れていいのだな」
ゆっくりと顔を動かし、下から殿下の顔を見上げる。
見下ろす瞳と視線が合う。私はそっと頬の傷に指を這わせて止める。
「ん……?」
かつてない程に甘い顔を見せつけられ、胸がざわざわとする。
欲しいのは、触れたいのは私だけだと言ってくれた。
ここまで気持ちをさらけ出してくれた。
その言葉が真実なら私も、真実を明かさなければ公平とは言えない。
「殿下の気持ちは嬉しいです」
「キルヒライルだ」
「え………」
「殿下でも、旦那様でもない、今はただのキルヒライルだ。ここを出れば立場が邪魔をするかもしれない、だが、今はただの男だ。名前を呼んでくれ。私もそなたをローリィと呼ぶ」
傷に触れる私の手にそっと頬を寄せ、懇願するように言われては拒むことなどできない。
「……キル…キルヒ、キルヒライル」
「ああ」
そう名を呼べば、途端に彼はこの上なく恍惚とした表情を浮かべる。
たかが名前。けれどそれだけで彼をこんなにも幸せにできるものなのか。
「キルヒライル……私にはまだ、あなたに言わなければならないことがあります」
「………?」
「少し……少しの間、目を閉じてもらえますか」
「わかった、こうか?」
素直に目を閉じてくれる彼から少し体を離し、暫く躊躇ってから着ていた衣装の胸元を少し下げる。
いきなりで大胆だとは思ったが、後になればなるほど引き返せなくなる。
亡くなった両親や師匠にも、ウィリアムさんにも、私の傷ごと受け入れてくれる人でなければダメだと啖呵を切った手前、自分が怖じ気づいていては示しがつかない。
「キルヒライル……目を、開けて」
ゆっくりと、彼の瞼が開かれる。
彼の視線が私の顔を見て、そして開いた胸元に落とされる。
信じられない。そんな表情が殿下の顔に浮かぶ。
「ごめんなさい。でも、ダメです。私は雇われた身。殿下は………」
「皆まで言うな」
胸に当てた手を取り、殿下は私をその胸に抱き寄せる。
抱き締める殿下の体が震えている。
「嫌いなら、嫌だと思うならそう言ってくれ、簡単に諦めるつもりはないが、無理強いはしない」
私の手のひらに彼の鼓動が伝わる。全速力で疾走した後のように激しく打つ彼の心臓の音に、彼も同じ人間なのだと納得する。
「私は……素直に従わない、可愛げのない女です。刺繍をするより、剣を振り回して野山を駆け回っているような女です」
「……自分をよくわかっているではないか」
茶化す殿下の胸を軽く叩いて抗議する。
殿下が大袈裟に呻いて軽く笑った。
「刺繍や噂話などに興味を示す令嬢なら、今まで数えきれないほど見てきた。そんな女性がいいなら、とっくに結婚している。まあ、それどころではなかったということもあるが」
いつの間にか殿下の手は私の髪を撫で、指に絡めたり外したりしている。
「殿下は、きっと望めばどんな女性でも手に入れられます。顔もいいし、かっこいい。人を見かけではなく中身で見てくれる。身分があっても偉ぶらない。むしろその責任を誰よりも重く受け止め、自ら犠牲になって行動する。誰よりも勤勉で腕も立つし、努力家で」
「ちょっと待て、言いすぎだ。それにそんなにたくさんの女性にモテなくていい。欲しいのは一人だけだ」
すっかり照れて慌てて私の言葉を遮る。
さりげなくまた告白された。奥手だと思ったがさらりとそんなことを言う。
「まだ続けられますよ」
胸に顔を埋めているため、互いの顔は見えないが、唸る声が聞こえてきっとリンゴのように真っ赤になっているに違いない。
「わかった。降参だ。つまり、そなたも同じ気持ちだと自惚れていいのだな」
ゆっくりと顔を動かし、下から殿下の顔を見上げる。
見下ろす瞳と視線が合う。私はそっと頬の傷に指を這わせて止める。
「ん……?」
かつてない程に甘い顔を見せつけられ、胸がざわざわとする。
欲しいのは、触れたいのは私だけだと言ってくれた。
ここまで気持ちをさらけ出してくれた。
その言葉が真実なら私も、真実を明かさなければ公平とは言えない。
「殿下の気持ちは嬉しいです」
「キルヒライルだ」
「え………」
「殿下でも、旦那様でもない、今はただのキルヒライルだ。ここを出れば立場が邪魔をするかもしれない、だが、今はただの男だ。名前を呼んでくれ。私もそなたをローリィと呼ぶ」
傷に触れる私の手にそっと頬を寄せ、懇願するように言われては拒むことなどできない。
「……キル…キルヒ、キルヒライル」
「ああ」
そう名を呼べば、途端に彼はこの上なく恍惚とした表情を浮かべる。
たかが名前。けれどそれだけで彼をこんなにも幸せにできるものなのか。
「キルヒライル……私にはまだ、あなたに言わなければならないことがあります」
「………?」
「少し……少しの間、目を閉じてもらえますか」
「わかった、こうか?」
素直に目を閉じてくれる彼から少し体を離し、暫く躊躇ってから着ていた衣装の胸元を少し下げる。
いきなりで大胆だとは思ったが、後になればなるほど引き返せなくなる。
亡くなった両親や師匠にも、ウィリアムさんにも、私の傷ごと受け入れてくれる人でなければダメだと啖呵を切った手前、自分が怖じ気づいていては示しがつかない。
「キルヒライル……目を、開けて」
ゆっくりと、彼の瞼が開かれる。
彼の視線が私の顔を見て、そして開いた胸元に落とされる。
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