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84 祭りの前日

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それからの数日間はあっという間に過ぎた。
私はメイドの仕事に戻り、殿下は領内の仕事に忙殺され、毎朝のスポーツドリンクは作って差し入れはしていたが、それ以外に接触する機会は殆どなかった。

ネヴィルさんの代理も護衛もお役ごめんを言い渡された当初は怒りもあったが、時間が空いてしまうと当初の怒りは収まっていた。

怒りを持続させるのも大変なことでもあるし、人が増えたことでメイドとしての仕事も確かに忙しくなり、ゆっくり考える時間もなかったからだ。

ネヴィルさんもずいぶん回復し、歩くときは誰かにほんの少し支えてもらう必要があったが、短時間ではあるが、座って仕事をこなせるようにまでなり、徐々に彼は仕事に復帰しつつあった。

領主館の裏庭には収穫祭の最後に行われる領主主催の宴の準備が進み、いくつものテントが張られ、楽団のための舞台が設置され、華やかなガーデンパーティ会場が出来上がっていた。

ウィリアムさんたちは毎日三人ずつ殿下が外に出る時に護衛として付き添い、後の面々は領主館の警護と街中の警備に回っていた。

おもしろいことに、騎士団の方たちは、ウィリアムさんと後二人を除いて殆どが恋人のいない独身で、領内の独身の年若い女の子たちが、色々な口実をつくっては出入りするようになり、ミーシャさんやフレア、マリーにモリー、ジュリアさんに至っては踊りの練習を兼ねて殆ど毎日やって来て、帰りは必ず誰かに送ってもらっていた。
近々いくつかのカップルが誕生するのではないだろうか。

私の衣装はすでに仮縫いを済ませ、祭りの前日に出来上がる予定だった。祭りの前日、私たちはマリリンさんの実家であるマリーとモリーの家に泊まり込み、そこで支度をして祭りに参加することになっている。

殿下と私を襲った賊の生き残りの人たちは尋問を終え、すでにどこかの収容所に護送されたそうだ。
街や農場で怪しいものが隠れていないか捜索の手は衰えることはなかったが、怪しいと見つかるのはこそ泥まがいの者ばかりで、有力な手がかりはないままだった。

王都からの書簡もあれから二回ほど届けられたが、もとより上層部の事情など知るよしもなく、その中身が何なのかは私の耳には入ってこなかった。

「それではマーサさん、行ってきます」

その日の仕事を終え、ミーシャさん、フレア、私は街にあるマリーたちの家に向かうため、マーサさんに挨拶をしに行った。

「あら、もう行くのね。頑張って。私も見に行くから」

殿下の計らいで明日は全員が祭りにくり出す。騎士団の方たちも祭りの警備に駆り出されているのもあるからだ。

「応援よろしくお願いします」

そう言って私は玄関を出る。

そこには殿下が立っていた。

「どこかへ行くのか?」

彼の館なのだから、館中どこにいても彼の自由だが、この時間は書斎にいると思っていた。
少し離れたところにウィリアムさん達が立っていたが、皆それぞれ話をしていて、実質彼はそこに一人だった。

「あ、あの今夜はみんなでマリリンさんの実家にご厄介になることになっていまして、今からうかがうところです」

ミーシャさんたちはすでに他の護衛騎士の人たちと少し離れたところで話し込んでいる。

近くにはたくさん人がいて、皆賑やかに話しているのに、私と殿下の間には重い沈黙が立ち込める。
ネヴィルさんの代理も護衛もお役ごめんになって以来、挨拶以外の会話は久しぶりだった。

「背中の打ち身はもういいのか?」

ネヴィルさんの代理だった頃はあんなに側にいたのに、ここ最近は忙しかったとは言え、意識しなければ姿を見ることもなかった。
だからなのか、久しぶりに間近で見る殿下に何故かドキドキする。
白いシャツに黒い皮のベスト、シャツの襟元はゆったりと開いていて、ちょうど私が軽く視線を下げるとそれがよく見える
ぴったりとした同じく黒の皮ズボンと黒のブーツを履き、シャツの袖口もいくつか折り返していて、すごく砕けた雰囲気が妙に色っぽい。

「はい……お陰さまで」

「そうか………」

それほど大声を出さなくても聞こえる距離にいるため、少し囁くような声の調子がますますドキドキさせる。

「あの、例の噂はどうなりましたか?」
「噂………?」
「はい。その、私が殿下の……その」
「ああ、婚約者……という噂か?」
「はい」

殿下が私を遠ざけた原因のひとつであるあの噂が、私が殿下と行動を共にしなくなってすっかり沈静化していることを期待して訊いた。

「そうだな……ここ最近は聞かないな」
「……良かった」

人の噂も何日という諺が日本にはあったが、意外に早く人々の関心が薄れたようでほっとした。

(私との噂は気に入らなかったか)
「……え?」
ぼそりと、耳を済ませていなければ聞こえない小さな声で殿下が何かを言ったが、周囲の音が騒がしく、何と言ったのかよく聞き取れなかった。

「今、何かおっしゃいましたか?」

聞き返すが、何でもない、気にするな。とそれ以上は何もおっしゃらなかった。

「噂が早く消えて良かったです。殿下の婚約者になる方に不愉快な思いをさせてしまうところでした」
「私の……婚約者……?」

殿下の目がすっと細められた。何か失礼なことを言っただろうか?

「………そのうち、そういうお相手がおできになりますよね……?」

個人的な婚約の話など、私の立場では話題にしてはいけなかったのだろうか?

「私が、どこの誰と婚約するか、そなたには関心があるのか?」
「え………殿下もまだまだこれからの年齢ですし、その、王公貴族の方々というものは、早くにお相手が決まっているものでしょう?」

地方の伯爵家の私にはいなかったが、王族や有力貴族なら引く手あまたの優良物件だ。殿下の婚約者の話は聞いたことがなかったが、そのうちということは十分あり得る。

「私は、自分でいいと思った相手でなければ結婚はしない。王位継承権も放棄しているし、そういう相手ができなければ一代で公爵家を終わらせてもいいと思っている。兄にもそう言っている」

初めて聞いた殿下の結婚感に驚いた。

「それは、殿下のお立場では、かなり思いきった異端なお考えですね」
「反面、どうしても、と思った相手がいたら何としても手に入れたいと考えている」

乙女の妄想ど真ん中な話だった。
地位や権力を度外視しても殿下ほどの方にそんな風に思われてなびかない女性がいるだろうか。

「それは、女性としてはかなりロマンチックなお話ですね。そんな風に思われて殿下に迫られたら大抵の女性は陥落します」

正直にそう言う。

「そう思うか?」

確認されて素直にもう一度、そうです。と頷く。

「なら、少し押してみるか」

そういう相手が既にいるような口振りだった。
先の剣呑な雰囲気と違い、その相手を思ってか幾分和らいだ殿下の表情が胸に刺さった。

(そういう人がいるのですね)

他の人になら、そう言って切り返せたかも知れないが、殿下にはできなかった。
条件で周りから決められてする結婚ではなく、殿下が本当に好きだと思える相手と結ばれたら、それは喜ばしいことだが側にいて見ているのは辛いかもしれない。

「明日の祭りは、彼女たちとまわるのか?」

殿下は急に話題を変えてきた。
そう言えば、休みをもらう話はしたが、具体的にどう祭りに参加するのかは話していなかったことを思い出した。マーサさんあたりから聞いているかもと思っていたが、今の質問をきくと、どうやら知らない様子だ。

「………何だ?」

ちらりと見上げて言うべきかどうか考えていると、殿下が訊いてきた。

「彼女たちは、ワイン娘として山車に乗ります。その、私も誘われて一緒に………」

「え?!」

思った以上に驚いて殿下は大きな声を出した。

その声を聞いた人たちが一斉にこちらを見る。

手で口を塞いだ殿下が、気にするなと手をあげると、皆は何事もなかったように自分たちの会話に戻った。

「余所者の私が参加してはいけなかったでしょうか」

ちゃんと許可が必要だったかもと急に不安になった。

「私の知る限りでは特になかったように思う。同じ山車に乗るものの同意があれば、いい筈だ」

「そうですか」

なら安心、と思ったが殿下の顔を見ると何か問題があるように見えた。

「あの、他に何か問題が?」

前日の今日になって参加に待ったがかかってしまうのではと訊ねる。

「いや、規則上何も問題は………その、ワイン娘というのは、樽の中で葡萄を潰すのだろう?その、裸足で」

「そうですね。それが恒例だと聞いています」

「………そうか」

手で口を塞いだままモゴモゴと口ごもる。そうか、そうだな。と繰り返している。心なしか顔が赤い。

「殿下は主催者席でご観覧ですよね。ご挨拶にうかがいますのでよろしくお願いいたします」

「あ、ああ………」

ミーシャさんたちが自分を呼ぶ声が聞こえたので、それでは失礼しますとお辞儀をして彼女たちのところへ走って行った。

裸足で葡萄を踏む。それだけではない。練習を重ねるごとに熱が入ってきた私たちの踊りは、予想以上の仕上がりになっていた。今夜みんなで衣装を着て最終の確認をすることになっている。

明日は晴れるといいなぁとみんなで話合いながら、私たちは早めに就寝した。
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