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76 憎い男
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夕闇が落ちた頃、教会に一台の荷馬車が止まった。
司祭が扉を開けると、そこには昼間ここを訪れたばかりの人物ともう一人男が立っていた。
エドワルド公爵に仕えるクリスという名のその男が運んできた荷馬車の積み荷を見て、司祭は驚愕した。
「………こ、これは……」
そこには遺体が五体。着ている衣服はバラバラだが、皆体のどこかに剣で切られた傷がある。
「墓地の片隅に埋めていただきたい」
彼は金貨の入った皮袋を渡す。
「どうされたのですか、このご遺体は……」
「公爵閣下を襲った賊です」
「で、殿下を!それで殿下は」
司祭はさっと青ざめた。
「大丈夫です。傷ひとつなくご無事です」
「そ、それは良かった」
司祭はまだふるふる小刻みに震えている。
「司祭様こそ大丈夫ですか?顔色がずいぶんお悪い」
「い、いえ、突然のことに驚いて……その、埋葬ですね。こ、こちらから裏へ」
覚束ない足取りで彼らを裏手へ案内した。
裏手は墓地になっており、その一角に身元不明の行き倒れの者などを埋葬する場所がある。
「明日、墓守に穴を掘って埋めてもらいますので、今日はこちらへ」
司祭はそう言って地面を指差す。クリスたちは五人の遺体を下ろし、幌を被せる。幌のまわりに土をかけて風で飛ばないように重石にする。
司祭はその周囲に獣避けの香を置く。死肉を喰らいにくる獣を寄せ付けないためだ。
「彼らは、誰の命令でこんなことを?」
祈りを済ませた司祭が振り返って訊ねる。
クリスは静かに首を左右に振る。
「生き残った者たちの尋問が済んでいませんので、まだわかりません」
「生き残りがいるのですか?」
「はい。警羅に引き渡し、明日にでも尋問する予定です」
「そ、そうですか。素直に口を割るでしょうか」
司祭の危惧ももっともだ。簡単には口を割らないかもしれない。少しの拷問で口を割るような小物であって欲しいものだ。
クリスたちが帰ると、司祭は祭壇の前に行き、信者が座る席の一番前に座った。
昼の間は子どもたちの面倒を見ているのもあり、それなりに人もいるが、他は皆通いであるため、夜は司祭一人で寝泊まりしている。
唯一神ティオファニア。男でも女でもない、男でも女でもある。見る人が見たい姿で現れると言われている。長く緩やかに波打つ髪。少しあごを引き、うつむき気味に眼を伏せて下界の人々を見守っている。下向きに伸ばした手をわずかに広げ、助けを求める人々に差しのべている。
ティオファニアを信奉する国は多い。
思いがけず神職に就いたが、ティオファニアを見上げていると心が不思議と安らぐ。
蝋燭に照らされた中に佇むティオファニアの彫像を見上げていると、礼拝堂の扉が僅かに開いて人が一人入ってきた。
目深に外套を被ったその人物は足が悪いのか少し左足を引きずりながら歩いてくる。
司祭が座る長椅子と通路を隔てて反対側に座った。
ティオファニアの彫像を見上げていた司祭がちらりと隣に座った人物に視線だけを向け、再び彫像を見る。
「あなたの仕業ですか?」
「……何のことかな」
「今日、公爵が何者かに襲われたそうです」
「ほう」
男は感情のこもらない声音で淡々と受け答えする。
「とぼけないで下さい!私に黙って勝手に動かれては、計画が台無しではないですか!」
憎々しげにフィリップが男を睨み、怒鳴り散らしたいのをギリギリ堪えて拳を握りしめる。
「二度と勝手な行動はしないでいただきたい」
「憎い男を前にして冷静でいられるか!」
釘を刺されて男が逆上する。
「痛むのだ。あいつを見ると身体中が痛む。この苦しみがお前にわかるか!」
男はギリギリと自らの膝に爪を立て、必死で痛みを堪える。
はあはあと肩で息をして、時折ヒューヒューと音がする。
男の怒声に気圧され、フィリップは息を飲む。出会ってから幾度か男はこういう発作めいたものを起こす。
こうなったら落ち着くまでしばらく時間がかかる。
フィリップはすっと立ち上がり奥の部屋から水の入った杯を持ってきて男に差し出す。
男は杯を両手で持ち、ごくごくと飲み干す。
「忘れないで下さい。私たちは運命共同体です。あなたは公爵が、私はロイシュタール王家が憎い。ともに目的を果たすまでの仮初めの関係ですが、少なくとも手を組んでいる間はうまくやっていきたいものです」
「………互いに信用をしているとは言わないのだな」
ようやく発作が治まり、皮肉を言う余裕ができたようだ。
お互い様でしょうとフィリップが言う。
「それで、襲撃は失敗したようですね」
「そのようだな」
自分の体が思うように動ければ人頼みにせず、自ら出向いたものを、離れて見ていることしかできなかった。
そのお陰で面白いものが見れたが、男はそれを司祭に教えるつもりはなかった。今は利害関係にあるが、いつ形勢が変わるかわからない。切り札はあった方がいい。
「生き残りがいるそうです。尋問されて余計なことをしゃべる怖れはありませんか」
「俺がそんなヘマをすると?王都の件でも何も掴めなかっただろう。捕まった連中は何も知らない。ただ金で雇っただけ。誰を襲ったかも知らないようなばかな連中だ」
外套の下から見えているのは顔の下半分だけだ。薄い唇にうっすらと笑みを浮かべる。
「………ならいいのですが」
先ほど荷馬車に乗せられた遺体を見て恐怖にうち震えたことを思い出す。
「とにかく、収穫祭までは用意した隠れ家で大人しくしていて下さい。警備をこれ以上強固にされても知りませんよ」
「………わかった」
少し間が空いて返事が返ってくる。フィリップはもう一度念押しする。
「わかった。もう余計なことはしない」
男はティオファニアに誓って、と約束する。
司祭としては、軽々しくティオファニアの名を使って誓約されるのは気に入らなかったが、とりあえずはそれで納得するしかなかった。
司祭が扉を開けると、そこには昼間ここを訪れたばかりの人物ともう一人男が立っていた。
エドワルド公爵に仕えるクリスという名のその男が運んできた荷馬車の積み荷を見て、司祭は驚愕した。
「………こ、これは……」
そこには遺体が五体。着ている衣服はバラバラだが、皆体のどこかに剣で切られた傷がある。
「墓地の片隅に埋めていただきたい」
彼は金貨の入った皮袋を渡す。
「どうされたのですか、このご遺体は……」
「公爵閣下を襲った賊です」
「で、殿下を!それで殿下は」
司祭はさっと青ざめた。
「大丈夫です。傷ひとつなくご無事です」
「そ、それは良かった」
司祭はまだふるふる小刻みに震えている。
「司祭様こそ大丈夫ですか?顔色がずいぶんお悪い」
「い、いえ、突然のことに驚いて……その、埋葬ですね。こ、こちらから裏へ」
覚束ない足取りで彼らを裏手へ案内した。
裏手は墓地になっており、その一角に身元不明の行き倒れの者などを埋葬する場所がある。
「明日、墓守に穴を掘って埋めてもらいますので、今日はこちらへ」
司祭はそう言って地面を指差す。クリスたちは五人の遺体を下ろし、幌を被せる。幌のまわりに土をかけて風で飛ばないように重石にする。
司祭はその周囲に獣避けの香を置く。死肉を喰らいにくる獣を寄せ付けないためだ。
「彼らは、誰の命令でこんなことを?」
祈りを済ませた司祭が振り返って訊ねる。
クリスは静かに首を左右に振る。
「生き残った者たちの尋問が済んでいませんので、まだわかりません」
「生き残りがいるのですか?」
「はい。警羅に引き渡し、明日にでも尋問する予定です」
「そ、そうですか。素直に口を割るでしょうか」
司祭の危惧ももっともだ。簡単には口を割らないかもしれない。少しの拷問で口を割るような小物であって欲しいものだ。
クリスたちが帰ると、司祭は祭壇の前に行き、信者が座る席の一番前に座った。
昼の間は子どもたちの面倒を見ているのもあり、それなりに人もいるが、他は皆通いであるため、夜は司祭一人で寝泊まりしている。
唯一神ティオファニア。男でも女でもない、男でも女でもある。見る人が見たい姿で現れると言われている。長く緩やかに波打つ髪。少しあごを引き、うつむき気味に眼を伏せて下界の人々を見守っている。下向きに伸ばした手をわずかに広げ、助けを求める人々に差しのべている。
ティオファニアを信奉する国は多い。
思いがけず神職に就いたが、ティオファニアを見上げていると心が不思議と安らぐ。
蝋燭に照らされた中に佇むティオファニアの彫像を見上げていると、礼拝堂の扉が僅かに開いて人が一人入ってきた。
目深に外套を被ったその人物は足が悪いのか少し左足を引きずりながら歩いてくる。
司祭が座る長椅子と通路を隔てて反対側に座った。
ティオファニアの彫像を見上げていた司祭がちらりと隣に座った人物に視線だけを向け、再び彫像を見る。
「あなたの仕業ですか?」
「……何のことかな」
「今日、公爵が何者かに襲われたそうです」
「ほう」
男は感情のこもらない声音で淡々と受け答えする。
「とぼけないで下さい!私に黙って勝手に動かれては、計画が台無しではないですか!」
憎々しげにフィリップが男を睨み、怒鳴り散らしたいのをギリギリ堪えて拳を握りしめる。
「二度と勝手な行動はしないでいただきたい」
「憎い男を前にして冷静でいられるか!」
釘を刺されて男が逆上する。
「痛むのだ。あいつを見ると身体中が痛む。この苦しみがお前にわかるか!」
男はギリギリと自らの膝に爪を立て、必死で痛みを堪える。
はあはあと肩で息をして、時折ヒューヒューと音がする。
男の怒声に気圧され、フィリップは息を飲む。出会ってから幾度か男はこういう発作めいたものを起こす。
こうなったら落ち着くまでしばらく時間がかかる。
フィリップはすっと立ち上がり奥の部屋から水の入った杯を持ってきて男に差し出す。
男は杯を両手で持ち、ごくごくと飲み干す。
「忘れないで下さい。私たちは運命共同体です。あなたは公爵が、私はロイシュタール王家が憎い。ともに目的を果たすまでの仮初めの関係ですが、少なくとも手を組んでいる間はうまくやっていきたいものです」
「………互いに信用をしているとは言わないのだな」
ようやく発作が治まり、皮肉を言う余裕ができたようだ。
お互い様でしょうとフィリップが言う。
「それで、襲撃は失敗したようですね」
「そのようだな」
自分の体が思うように動ければ人頼みにせず、自ら出向いたものを、離れて見ていることしかできなかった。
そのお陰で面白いものが見れたが、男はそれを司祭に教えるつもりはなかった。今は利害関係にあるが、いつ形勢が変わるかわからない。切り札はあった方がいい。
「生き残りがいるそうです。尋問されて余計なことをしゃべる怖れはありませんか」
「俺がそんなヘマをすると?王都の件でも何も掴めなかっただろう。捕まった連中は何も知らない。ただ金で雇っただけ。誰を襲ったかも知らないようなばかな連中だ」
外套の下から見えているのは顔の下半分だけだ。薄い唇にうっすらと笑みを浮かべる。
「………ならいいのですが」
先ほど荷馬車に乗せられた遺体を見て恐怖にうち震えたことを思い出す。
「とにかく、収穫祭までは用意した隠れ家で大人しくしていて下さい。警備をこれ以上強固にされても知りませんよ」
「………わかった」
少し間が空いて返事が返ってくる。フィリップはもう一度念押しする。
「わかった。もう余計なことはしない」
男はティオファニアに誓って、と約束する。
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