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73 堂々巡り
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私はマーサさんに右の肩甲骨脇にできた打ち身に薬草を塗った布を充ててもらい、体に包帯を巻き付けてもらった。
「はい、終わったわ」
「ありがとうございます」
服を着ながら礼を言う。
「本当に、これくらいのケガで済んでよかったわ。女の子なんだから気を付けないと。ネヴィルといい、あなたといい、落馬続きね」
私はマーサさんの話に苦笑する。背中のケガなので前を見られることはなかった。
「今日はもう仕事はいいから、休んでいなさい。キルヒライル様にもお許しをいただいているわ。フレアが用があると言っていたから、後から来ると思うけど、辛いなら今日は止めておくように言いますが」
きっと収穫祭のことだろうと考え、首を横に振る。
手当てに使ったものを片付けマーサさんが出ていくと、左側を下にして寝台に倒れ込む。
一人になると否が応でも殿下に抱き締められたことを思い出す。
どういうつもりであんなことをしたのだろう……いや、自分も宥めるためとは言え、背中に腕を回した。
「………」
考えても赤面ものだ。
あの後、殿下はすっと抱擁を解き、私の両肩に手を置いて顔を見下ろした。
「………後始末をしなければ」
殿下はそれだけ言うと路上に横たわる亡骸を脇に寄せる。
遺体は全部で五体。私が対峙した二人は意識が昏倒しているが、かろうじて息はある。
生きている男たちは衣服を切り裂いた端切れで拘束した。
ちょうど二人目を拘束し終えた時にレイさんが戻ってきた。
「殿下、これは?」
レイさんはその場の状況を見て驚いた。
「早かったな」
農夫を送り届けたにしては早い戻りだった。
「実は……」
送る途中でそれまで弱々しく馬に跨がっていた農夫がふいに起き上がり、襲いかかってきたという。
いきなりだったが何とか応戦して男を始末し、慌てて戻ってきたということだった。
「つまりは、荷馬車のことも仕込みということか」
「すいません。肝心な時に側にいなくて」
「気にするな、送っていくように言ったのは私だ」
「ところで、こいつらはどうしますか?」
レイさんが一ヶ所に寄せた遺体と手足を縛り猿ぐつわをした男二人を見下ろす。
「私たちの馬はどこかへ逃げてしまった。すまないがレイはこのまま馬で館に行って応援を呼んできてくれ。途中で馬も見つかるかもしれない」
「わかりました。じきに暗くなってくるでしょう、急いで戻ってきます」
「頼んだ」
レイさんは馬に乗って走り去っていった。
レイさんたちが戻ってくるまで少し時間がある。
私は再び殿下と二人(遺体と意識のない二人は別として)になり、どうしていいかわからず黙り込む。
それは殿下も同じなのか、こちらを見ようとしない。
「先ほどの……」
沈黙に耐えきれず先に話を切り出したのは殿下だ。
「はい?」
「先ほどの武器は、見たことがないものだったな」
「こちらですか?」
私はブーツから一本を取り出して殿下の前に差し出した。
柄の先が丸いリングになっていて、持ち手はくるくると布を巻いている。切っ先に行くほど鋭利な刃となっていく。
「クナイと言います」
小型だが、それなりに重量がある。
殿下は私の手からクナイを持ち上げ、その重さを確認する。
くるっとまわしたり、裏返してみたりしている。
「さっきは、すまなかった」
クナイを観察しながらボソリと呟く。
「だが、二度とあのような無茶はしないでくれ」
「それは、お約束できません。同じことがあったら、私はまた同じように行動するでしょう」
「私が、するな、と言ってもか?」
私の答えが気に入らないのか、低く凄みのきいた声で殿下は言った。
か弱いご令嬢なら青ざめて失神、というくらい厳しい表情を向ける。
「殿下に言われたくありません。いつだって無茶をするのは殿下の方ではありませんか?」
「何?」
「このさいですから、申し上げますが、殿下の体にある傷がそれを物語っています。殿下も人の子です。不死身でも何でもないのですから、もう少しご自分を大事にしてください」
大切な人が傷つくのを見たくはない。
その言葉は喉の奥に飲み込んだ。
「その言葉、そっくり返す。私が王の弟だからといって、私を護って誰かが傷ついたり、命を落とされて私が喜ぶとおもうか」
そんなことになったら、殿下の体は護れても心が傷つくのだとわかっている。
「それでも、私は……」
なおも食い下がろうとしたが、苦しみに陰る殿下の藍色の瞳に見いられ言葉を失う。
「やめよう、堂々巡りだ」
殿下も無駄な押し問答だと思ったのか話を打ちきり、それまで手の中で転がしていたクナイを私に握らせる。
差し出した右腕から背中に鈍い痛みがはしった。
一瞬顔をしかめたのを殿下は見逃さなかった。
「やはり、どこかケガをしているのか?」
私の肩をがっしりと掴み食いついてくる。
「え、いえ、あの……右の肩の下に少し痛みが……ですが」
「見せてみろ!」
大したことはない、と言おうとして殿下が先に迫ってくる。
「え!」み、見せる?
「右肩?見せてみろ!」
「あ、あの、殿下、殿下!大丈夫ですから、背中を見せろなんて」
今にも衣服を剥ぎ取って確認しようとする。
はっと殿下が我に返り、自分が今何を言ったのか気がついたようだ。
「いや、その今のは変な意味ではなく………その、だな、ケガの具合を」
女性に服を脱げと迫っていたことに気付き殿下はこれ以上ないというくらいに焦っている。
「………」
「………」
気まずい沈黙が流れる。
「う………」
沈黙を破ったのは足元に転がる男のうめき声だった。
「はい、終わったわ」
「ありがとうございます」
服を着ながら礼を言う。
「本当に、これくらいのケガで済んでよかったわ。女の子なんだから気を付けないと。ネヴィルといい、あなたといい、落馬続きね」
私はマーサさんの話に苦笑する。背中のケガなので前を見られることはなかった。
「今日はもう仕事はいいから、休んでいなさい。キルヒライル様にもお許しをいただいているわ。フレアが用があると言っていたから、後から来ると思うけど、辛いなら今日は止めておくように言いますが」
きっと収穫祭のことだろうと考え、首を横に振る。
手当てに使ったものを片付けマーサさんが出ていくと、左側を下にして寝台に倒れ込む。
一人になると否が応でも殿下に抱き締められたことを思い出す。
どういうつもりであんなことをしたのだろう……いや、自分も宥めるためとは言え、背中に腕を回した。
「………」
考えても赤面ものだ。
あの後、殿下はすっと抱擁を解き、私の両肩に手を置いて顔を見下ろした。
「………後始末をしなければ」
殿下はそれだけ言うと路上に横たわる亡骸を脇に寄せる。
遺体は全部で五体。私が対峙した二人は意識が昏倒しているが、かろうじて息はある。
生きている男たちは衣服を切り裂いた端切れで拘束した。
ちょうど二人目を拘束し終えた時にレイさんが戻ってきた。
「殿下、これは?」
レイさんはその場の状況を見て驚いた。
「早かったな」
農夫を送り届けたにしては早い戻りだった。
「実は……」
送る途中でそれまで弱々しく馬に跨がっていた農夫がふいに起き上がり、襲いかかってきたという。
いきなりだったが何とか応戦して男を始末し、慌てて戻ってきたということだった。
「つまりは、荷馬車のことも仕込みということか」
「すいません。肝心な時に側にいなくて」
「気にするな、送っていくように言ったのは私だ」
「ところで、こいつらはどうしますか?」
レイさんが一ヶ所に寄せた遺体と手足を縛り猿ぐつわをした男二人を見下ろす。
「私たちの馬はどこかへ逃げてしまった。すまないがレイはこのまま馬で館に行って応援を呼んできてくれ。途中で馬も見つかるかもしれない」
「わかりました。じきに暗くなってくるでしょう、急いで戻ってきます」
「頼んだ」
レイさんは馬に乗って走り去っていった。
レイさんたちが戻ってくるまで少し時間がある。
私は再び殿下と二人(遺体と意識のない二人は別として)になり、どうしていいかわからず黙り込む。
それは殿下も同じなのか、こちらを見ようとしない。
「先ほどの……」
沈黙に耐えきれず先に話を切り出したのは殿下だ。
「はい?」
「先ほどの武器は、見たことがないものだったな」
「こちらですか?」
私はブーツから一本を取り出して殿下の前に差し出した。
柄の先が丸いリングになっていて、持ち手はくるくると布を巻いている。切っ先に行くほど鋭利な刃となっていく。
「クナイと言います」
小型だが、それなりに重量がある。
殿下は私の手からクナイを持ち上げ、その重さを確認する。
くるっとまわしたり、裏返してみたりしている。
「さっきは、すまなかった」
クナイを観察しながらボソリと呟く。
「だが、二度とあのような無茶はしないでくれ」
「それは、お約束できません。同じことがあったら、私はまた同じように行動するでしょう」
「私が、するな、と言ってもか?」
私の答えが気に入らないのか、低く凄みのきいた声で殿下は言った。
か弱いご令嬢なら青ざめて失神、というくらい厳しい表情を向ける。
「殿下に言われたくありません。いつだって無茶をするのは殿下の方ではありませんか?」
「何?」
「このさいですから、申し上げますが、殿下の体にある傷がそれを物語っています。殿下も人の子です。不死身でも何でもないのですから、もう少しご自分を大事にしてください」
大切な人が傷つくのを見たくはない。
その言葉は喉の奥に飲み込んだ。
「その言葉、そっくり返す。私が王の弟だからといって、私を護って誰かが傷ついたり、命を落とされて私が喜ぶとおもうか」
そんなことになったら、殿下の体は護れても心が傷つくのだとわかっている。
「それでも、私は……」
なおも食い下がろうとしたが、苦しみに陰る殿下の藍色の瞳に見いられ言葉を失う。
「やめよう、堂々巡りだ」
殿下も無駄な押し問答だと思ったのか話を打ちきり、それまで手の中で転がしていたクナイを私に握らせる。
差し出した右腕から背中に鈍い痛みがはしった。
一瞬顔をしかめたのを殿下は見逃さなかった。
「やはり、どこかケガをしているのか?」
私の肩をがっしりと掴み食いついてくる。
「え、いえ、あの……右の肩の下に少し痛みが……ですが」
「見せてみろ!」
大したことはない、と言おうとして殿下が先に迫ってくる。
「え!」み、見せる?
「右肩?見せてみろ!」
「あ、あの、殿下、殿下!大丈夫ですから、背中を見せろなんて」
今にも衣服を剥ぎ取って確認しようとする。
はっと殿下が我に返り、自分が今何を言ったのか気がついたようだ。
「いや、その今のは変な意味ではなく………その、だな、ケガの具合を」
女性に服を脱げと迫っていたことに気付き殿下はこれ以上ないというくらいに焦っている。
「………」
「………」
気まずい沈黙が流れる。
「う………」
沈黙を破ったのは足元に転がる男のうめき声だった。
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