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36 傷痕

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「どうした?ロッテを早くロバートの所へ帰してやりたいと、言っていただろう?少しでも早く後任の指導を始める必要があると思うが」

「それは、はい、そうです。兄にはいつまでも不自由な思いをさせてしまうのは、申し訳ないですし」

「では、話はこれで。この件も私からジャックに伝えておく。ローリィ、詳しいことはシリアに聞くといい」

「………畏まりました」

私たちは、それだけ言って部屋を出た。

執務室から使用人たちの部屋がある一角まで私たちは無言で歩いた。
先に沈黙を破ったのはシリアさんだ。

「明日、仕事を教えるから、朝6時半に待機室にきなさい」

「本当に、私でいいんですか?」

微妙な気持ちだった。
私の方が背が高いので、シリアさん少し見下ろす形で見る。

「殿下がお望みなら、仕方ありません。それに、殿下のおっしゃるとおり、いつまでもロッテを拘束できませんし」

クスリとシリアさんが、笑った。

「………?」

「ああ、ごめんなさいね、ちょっと思いだし笑い」

そう言って、彼女はフフと笑う。

「私と殿下は乳兄弟で幼馴染みみたいなものだけど、もちろん我が家は男爵家、身分は貴族の中でも一番下だし、王宮での地位なんて殆どなかったわ」

日本なら、例えば戦国時代では下剋上なんてものがあって、例え百姓でも頑張れば天下人になれるなんてこともあったけど、ここでは身分差はなかなか覆らないし、序列はかなり厳しい。

「王族の方々はその身分差の頂点。その分責任もあるでしょうけど、よほどのこと以外、あの方たちの常識が常識になり、かなりの我が儘は通る存在だと思うの。でも、殿下は公平に物事を見て判断し、能力で人を見る方よ」

さすが幼馴染みで乳兄弟、色々見てるなぁと思った。

「でも、女性に対する対応は残念なのよね」

おや、上げて下ろしてってやつですか?

「あんなに見た目は優良物件なのに、女性を喜ばす台詞は何一つ言えないし、女性からの熱い視線も気づいているのかいないのか、愛想笑いのひとつもしないし」

お兄さまの国王陛下を見習っていただきたいわ、とため息とともに呟く。

確かにあれくらいのイケメンなら、もう少し世慣れていても不思議じゃないのに。
今日の私の格好くらいで赤面していたのを思いだす。

プレイボーイを気取って斜めに構えてるよりは、私にはずっと好感が持てるけどな。

シリアさんの部屋の前に着いたので、話は終わった。

また明日、と挨拶を交わし、私はシリアさんと別れた。

部屋に戻ると、すでにルルが寝仕度を初めていて、公爵付きになったことを知らせると、おめでとう、頑張ってと励まされた。


◇◇◇◇◇◇◇◇

次の日、私は言われた時間に待機室へ行った。

そこは使用人たちの休憩などに使われる部屋で、毎日仕事が始まる前にも、皆そこに集まり、ジャックさんからその日の予定や作業の指示を受けたりしている。

皆が集まるのは特別な日を除いてだいたい毎朝7時くらい。
その前にシリアさんから新しい仕事について説明を受ける。

「洗面道具とタオルをお持ちし、水差しとコップはサイドテーブルに置いて、着替えや身支度の直接的なものはジャックさんの仕事なの。私たちは必要な衣類を出してジャックさんに渡したり、旦那様の使っていた寝具の整理をするの。シーツをはがしたり、脱いだ衣服を回収し洗濯室に持っていく」

「わかりました」

お父様もそんな風だったなぁと思い出す。

「お出掛けになる際の身支度も基本はジャックさんの仕事。お帰りになられた時もね。後は寝台を整えたり、洗濯した衣類をクローゼットに戻したり。だいたいこんなとこかしらね」


ひととおりの説明を聞いたところで、他の皆が集まってきた。
「ああ、ローリィ、これを。旦那様からメイド達全員にと預かった」

ジャックさんはそう言って、私の手に銀貨の入った袋を渡してくれた。

「これは?」

「皆で何か始めるなら色々用意も必要かと、おっしゃられ、これを使うようにと言うことです。それから、これをボウルルームの鍵です。失くさないように」

「ええ」

私の手には銀貨の入った袋と鍵が乗っていた。
鍵のことは理解できるが、お金まで用立ててくれるとは思わなかった。

「ありがとうございます」

私がそう言うと、ジャックさんは首を横に降った。

「私は言われた通りにしたまでです。お礼なら直接これから旦那様に言っては?」

「そうします」

そんなにお金をかけないで済む方法を考えていたのだが、思わぬ援助に、どうせならとことんこどわってみよう

「それで、今夜から衣装の準備をしようと思っているのだけど」

私がそう言うと、シリアさんが自分の部屋を提供してくれることになった。

全員がそろっつのでジャックさん私とロッテさんが交代したこと、今日も公爵はいつものように過ごされるということなどを皆に伝え、各自の持ち場へと解散した。


私は受け取った二つをポケットに入れ、ジャックさんとシリアさんとともに二階の主寝室へ向かった。

「ジャックです。朝のお仕度に参りました。入ってもよろしいでしょうか」

扉を叩き、ジャックさんがそう言うと、中から殿下が答えた。

「失礼いたします」

扉を開け、ジャックさん、シリアさん、私の順に入室する。

そこは二階の東棟の一番奥。角部屋になっている。北と南に腰から天井までが窓、東側は両端が壁、中央にテラスに続く窓がある。
東の壁のには天井から床まで本棚が据え付けられ廊下からの入った扉の右にはクローゼット、左にはもうひとつ扉がある。

部屋の中央には五人がゴロゴロできるくらいに大きな天涯付きの寝台が置かれている。
寝台の上で身動ぐ人影が見え、殿下が起き上がるのがわかった。

全ての窓に重厚なカーテンが降ろされてはいるが、逢わせ目や下から明るい日差しが漏れているので、真っ暗とは言えない。

「ローリィ、北側のカーテンを開けてくれる?」

いきなり東側を開けると眩しく感じるため、まず北側から開けるようにシリアさんが指示する。

私が言われたとおりカーテンを開けに行っている間に、ジャックさんたちは、寝台の方へ歩いて行く。

「おはようございます」

「ああ、おはよう」

寝起きは悪くないのか、聞こえる声に眠気さは感じられない。

さっとカーテンを開けて、私も急いで二人の手伝いをしようと振り返った。

「…………」

北側から柔らかく降り注ぐ太陽の光が部屋の中央にまで届き、寝起きの殿下を照らしていた。

殿下は上半身に何も着ていなかった。

ゆったりとしたズボンを掃き、寝台に腰かけ洗面器の水で顔を洗っている。

肩より少し長い銀色の髪を無造作にかきあげ、渡されたタオルで顔をふいてから立ち上がり、姿見の前まで歩いて行く。

筋骨逞しくはないが、肩や二の腕にもしっかり筋肉がついていて、そしてお腹は、出ていないどころかシックスパック。
あの日、街道で倒れていた時に手当てのために見たはずだが、覚えていたのは体の傷痕だけだったことに気づく。

ちょうど私から体の左が見え、あの刀傷の後がはっきりと見えた。
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