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23 宰相の悩み
しおりを挟む宴の翌日、宰相のジーク・テインリヒは幼馴染みで第二近衛騎士団の副団長である、ミシェル・ハレス子爵を自分の執務室に呼んでいた。
「入るぞ」
扉をノックし、子爵は入室の許可を待たず入ってきた。
「少し待ってください」
そう言われ、子爵は執務室の中央にある応接用の椅子のひとつに座った。
ジークは補佐官に署名した書類を渡し、書類について指示をすると、執務机から立ち上がって移動し、子爵の向かい側の椅子に座る。
「で、宰相殿が、わざわざ俺を呼びつけて何の用だ?」
補佐官が部屋を出ていくのを待って、尋ねる。
短く刈り込んだ濃い茶色の髪、眼光鋭い赤褐色の瞳、険しい顔つきに大柄な体格の子爵がいるだけで、部屋が狭く感じる。
対する宰相のジークは物腰も柔らかく、明るいアッシュブロンドの髪色をし、眼鏡の奥で理知的に光る空色の瞳をしていて、一見、軟弱そうに見えるが、実は研ぎ澄ました刃物のように鋭い切れ味を持っていることを子爵は知っている。
「キルヒライル殿下のことです」
ずり落ちた眼鏡を上げ、宰相は切り出した。
「実は王都にある公爵邸へ移り住むとおっしゃっています」
「……それは、また」
子爵は眉間に皺を寄せ、険しい顔を更に険しくする。
「そうです。王宮ならまだしも、公爵邸ともなれば、警備も些か手薄になります。今はまだトカゲのしっぽのような存在の者たちの存在しか判明していません。殿下は自ら囮になるつもりなのです」
王弟殿下が身を潜めて探るうち、マイン国とロイシュタールとの戦争の火種を作ろうと、直接的に関わった人物はある程度判明していたが、真の首謀者はまだわかっていない。
昨晩、不意に宴にキルヒライルが現れたことに、その場に居合わせた皆が驚いたが、殆どの者は純粋に彼の無事(顔に傷を負っていたが)を喜んでいたが、何人かは彼の生存に肝を冷したようだった。
ロイシュタールの情勢は現在の所安定しており、王の政治的手腕もなかなかのものだ。
だが、いつの時代も順風満帆とはいかない。
先々代の王、現王の祖父の代は王位継承権を持つ王族が多かった。当時の王には兄弟も多く、また、王子も複数いた。
それぞれの母親である王妃や側妃の身分も様々で、それなりに後ろ楯のしっかりした側妃もおり、生まれた順や、産んだ母親の身分など、だれが王位を継ぐかの主義主張、思惑が入り乱れ、蹴落としあい、足の引っ張りあい、はたまた暗殺の恐れなど、かなり乱れた。
周りの貴族たちも、誰に付けば確実に利益となるのか見定めたり、また自分が推す候補者が有利になるよう工作するなど、今日の友は明日の敵というように、揉めに揉めた。
先々代の王はその激戦を勝ち抜け、八人いた王子と叔父たちの中から、王の末弟ながら、王位に就いた。
王位に就けなかった他の王族たちは、政治的に失脚した者、精神を病み幽閉同然となった者、臣下に下った者、他国の王族に婿入りした者など様々だった。先々代から特に争いもなく第一王子が王位を継いできている現在の王政に、少なからず不満を持ち、王位継承の正統性を掲げてクーデターを起こしそうな可能性を持つ者は確実にいるのだ。
「囮とは、相変わらず命知らずなお方だ」
兄王が王都を離れられないため、彼は兄に成り代わり先陣をきって突き進もうとするきらいがあり、勇猛に思える反面、無謀にも思える。
「それで、俺にどうしろと?」
王族の護りを固めるのは第一近衛騎士団の役目だ。
自分が所属する第二近衛騎士団は、その周辺や離宮などの警備が専門となっているため、下手に手を出せば、越権行為とみなされ、第一近衛騎士団から苦情がくる可能性が大きい。いらぬ面倒は避けたいところだ。
「殿下が囮になられることは、敵を誘き出す有効手段とは思いますが、殿下の身を危険に晒すこともできません。また、せっかくキルヒライル様が囮として王宮から出てしまわれたのに、王宮の警護をする第一近衛騎士団の者を回しては、王宮の警備が手薄になってしまい、王や王妃、お子さまたちに危険が及ぶことになります」
「第二近衛騎士団から人を回せと?」
「いえ、敵に罠だと感づかせない程度の警護は必要でしょうが、あまりがっつりと騎士ばかりで警護を固めてしまっても相手に警備の穴を狙わせることができません。できれば警護の者と気づかせずに護衛ができる者を置きたいのです。欲を言えば殿下ご自身にも気づかれずに」
「なかなか難しい注文だな。一番人数の多い第三近衛騎士団でも、そのような者が見つかるとは思えないが」
ひととおりの騎士としての履修を済ませれば入団が許される第三近衛騎士団とはいえ、単なる使用人と比べれば体格も良く、わかる者が見れば身のこなしで、簡単に見破られるのではないだろうか。
「そうなのです。殿下ご自身もかなりの腕前ですし、単なる護衛でいいなら、それなりに腕の立つ者を採用すれば済むことなのですが、やはり難しいですか……」
「まあ、宛があるとは言えないが、第三近衛騎士団にも信用の置ける伝がある。それとなく聞いてみよう。急ぐのか?」
「できるだけ速やかに。あまり日を空けると痺れを切らした殿下が準備が整わないまま、移り住んでしまわれます」
「わかった。この件は優先事項で取りかかる。期待以上の者が見つかるとは思えんがな」
「人選はお任せします」
「あ、それと第三近衛騎士団には別に幾人かの貴族の屋敷を見張らせるように指示しておりますので、ご承知下さい」
「わかった」
話が済むと、子爵は早々に宰相の執務室を後にした。
一人部屋に残った宰相は、ふうっと息を吐き、座っていたソファの背もたれに体を預けた。
数日前にようやく王弟のエドワルド公爵が秘密裏に王位を継ぐ者だけが知る抜け道を通ってここに戻ってきてから、これまで駆け足で物事を進めてきた。
抜け道を彼が知っていたのは彼がマイン国へ赴く際に、王が自ら教えていたからだ。
キルヒライルの帰還を不意打ちのように華々しく演出するため、宴の開催が王命により発せられてから、普段の公務に加えてその準備に追われ、殆ど邸には帰れないでいる。
普段から剛健に体を鍛えている騎士には劣るが、それなりに体力はあると自負しているので、倒れるまでには消耗はしていないが、少し休息は必要だと感じている。
先ほどのミシェルと交わした護衛の手配についての件も、眼鏡に叶う人物が見つかるか怪しいところであり、王弟殿下の身の安全も気がかりだが、彼にはもうひとつ気がかりなことがある。
王宮に戻ってきてからの殿下は、時折心ここに非ずと言った風に、何やら考え込むことがあった。
考え込んだかと思ったら、何故かうっすらと顔を赤らめていたりするため、最初は何か病か、熱があるのではと思い慌てたが、本人に尋ねると、大丈夫だという答えしか返ってこない。
そんな状態が続き、遂に昨晩、宴の開催となったのだが、宴を開く口実に行った競い舞で踊り子の一人の衣装が破れるというハプニングがあり、あろうことか、殿下がその踊り子に自らのマントを貸し与えたのである。
確かに衆目に素足を見せることが女性にとってはかなりの屈辱であることはわかるため、あの踊り子は気の毒なことだとは思うが………あの場にいた男たちの中には明らかに不快極まりない下卑た視線をしていた者もおり、さっと救いの手を差しのべた殿下の対応は、流石、鮮やかとは思うが……
あの踊り子が殿下の気遣いを好意と勘違いし、のぼせ上がらなければいいかと危惧したが、侍従を通じて丁寧な礼とともに借りたマントを返してから王宮を辞したところを見ると、いらぬ心配だったらしい。
怪我の巧妙か、殿下の振る舞いを見て、心ときめかせた令嬢も何人かいたようだ。
昔から顔も良く優秀であるのに、殿下には特に浮いた噂がなかった。
人当たりもよく、それなりに礼も尽くされるのに、これが年頃の女性相手だと無愛想この上ない方だった。
それが王宮を離れている間にそっちの方面にも開眼したのかと思ったら、とうとう宴が終了するまで、どうしても断れない相手との義理以外のダンスもせず、自ら申し込んでのダンスは皆無だった。
今は色々難しい時期であり、命の危険もあるため、特別な相手はなくていいが、ずっとああでは困るところだ。
ことが一段落したあかつきには、王妃様と相談し、それなりのご令嬢を探さなくては、宰相は頭の中のメモにそう記した。
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