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5 突然の出来事
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ローゼリアが十二歳の時にマイン国との間に燻っていた戦争の火種は燃え上がることなく立ち消えた。
王弟、キルヒライル・エドワルド公爵の功績であった事実は、広く国民には広まらなかった。その真意はわからかったかが、それ以降、彼は表舞台から姿を消したのだった。
病にかかって療養しているだの、外交のため諸外国を廻っているだの噂が流れたが、兄である王ですら口をつぐんでいたため、表だってそのことを問いただす者はいなかった。
公爵の不在に妙齢の女性達が皆、一様に落胆していたと息子からの手紙に書いてあったのを読んで、モーリスは苦笑した。
アイスヴァイン領では王弟不在による影響は、微塵もなく、ローゼリアにとって、遥か遠くの王都の出来事より、もっと大きな心配事があった。
ローゼリアが十四歳になった頃、とうとう母が寝付いてしまった。一年のうち、数える程しか起き上がれず、もともと青ざめたような肌色は土気色になり、ヒューヒューと呼吸も苦しそうだ。
父はそんな母の側に少しでも付き添うため、嫁いだ自身の姉の息子に家督を譲ることを決め、領地において領主教育を行っている。
ローゼリアにとって従兄弟にあたる次期伯爵はルークと言う名前で、ローゼリアとは一つ違いの十五歳だった。翌年、社交界デビューの翌年に家督を継ぐ予定になっている。
気の優しい従兄弟が家督を継いだ後は、ロード一家は領地内に家を確保し、移り住むことにした。
ローゼリアが十六歳になった時、母が亡くなった。
その年、ローゼリアは王都に赴き、社交界デビューするはずだったが、喪中のため、出席は断念した。
そして、母の喪が明け、来年は社交界にと考えていた矢先、ローゼリアが十八歳になる年、父が亡くなり、ローゼリアは二年の間に両親を亡くし、天涯孤独となった。
それは突然だった。
父はその日、シュルスに人に会う用事があると言って出掛けた。
朝、父を送り出し、簡単に掃除を済ませるとアイスヴァイン邸の厩に行った。
今日のローゼリアは伯爵令嬢らしくなく、領内の娘と同じような薄茶色の木綿のワンピースに焦げ茶色のベストを羽織り、皮のブーツといった出で立ちだ。もうすぐ十八歳になるローゼリアはすらとした手足と女性にしては少し高めの身長だった。濃いめのストロベリーブロンドの髪を顔の両側で編み込みし、首の後ろ辺りでひとつにまとめている。アメジストのちょっとつり目気味のアーモンド型の眼、ここ何年かで凛々しさが増したように感じる。少女とも少年とも見える中性的な顔立ちは、キレイに化粧を施せば、かなりの美人になるだろうが、本人は着飾るつもりもないらしく、母に口うるさく言われて肌の手入れと日焼け対策は怠らない。
「シューティングスター!お待たせ」
初めてローゼリアの馬になったシューティングスターはアイスヴァイン邸の厩で預かってもらっており、ほぼ毎日世話に通っている。
軽く走らせ、ブラシをかけ、水と餌をあげて家に帰ろうとした時、慌てた様子のルイスが厩に駆け込んできた。
「お嬢様!ロード様が!」
ルイスが持ってきたのは父の訃報だった。
それはまさに青天の霹靂。母の時は日に日に弱っていく姿を見ながら、ある程度は覚悟ができていた。
父はシュルスとアイスヴァイン領を繋ぐ街道の外れで何者かに刺されて息絶えていた。
誰に会いに、何ためにシュルスへ赴いたのか、何一つ知らされていなかった。
温厚な元伯爵に敵はおらず、盗賊か何かに襲われたのだろうということになった。
父の葬儀が終わり、家に一人戻ると、ローゼリアはこれから自分はどうしたらいいのかと思い悩んだ。
台所兼居間と小さい部屋が二階に二つあるだけの小さな借家がローゼリアの今の住居だ。伯爵令嬢が住むには狭すぎる気がするが、日本で住んでいたワンルームマンションに比べれば、十分な広さだ。
一人になってしまった今となっては尚更広く感じる。
呆然としていると、誰かが表の扉を叩いた。
「ローゼリア、俺だ」
モーリスだった。扉に鍵が掛かっておらす、大柄の彼は少し頭を傾けて扉をくぐった。
「無用心だな。鍵をきちんと締めろ」
そう言われて、鍵をかけ忘れていたことに気づいた。
「ちゃんとかけたと思ったけど…」
彼も妻のエミリとともに葬儀に参列してくれていて、先ほど別れたばかりだ。今日はもう日も暮れかけている。
何か用事がと聴きかけると、鍋に入ったシチューを机に置いた。
「エミリからだ。食え」
お腹は空いていないと言いかけて、お腹が鳴った。
「顔色が悪い。いつから食ってない?」
言いながら、台所から食器を取り出し、シチューを注いでくれる。一緒に持ってきた袋からごそごそとパンを取り出し、もうひとつ皿を出してそこに乗せてくれた。
「いつから…」
言われて考えるが、はっきり覚えていない。父が亡くなったというルイスの言葉を耳にしてからの記憶が曖昧だ。葬儀の手配は新しく伯爵となったルークと、駆けつけた叔母がやってくれた。皆が走り回り、色々なことを自分に話していたが、何を言われたのか、何と答えたのか覚えていなかった。
「冷めないうちに食え」
渡されたスプーンを手に取り、一口掬って口に入れると、温かいシチューがのどを通って行った。
「美味しい…」
シチューが喉を通り、食道を通り胃袋に到達するまで余韻に浸った。
「そうだろう、エミリの料理は世界一だからな」
熊のような見かけに関わらず、モーリスは優しげに笑った。目の前に彼が一人座っているだけで、空虚だった家の中が暖かく感じられた。
黙々とシチューを口に運ぶ間、モーリスは黙ってただ座っていた。
「もう一杯食うか?」
皿のシチューが空になると、そう聞いてきたが、ローゼリアは黙って頭を横に降った。
「もう寝るか?ろくに眠っていないんだろ?目の下の隈がひどいぞ。若いからって過信するな」
心から気にかけてくれているその声音に、じっとモーリスの瞳を見つめた。
自分はいつから食べていなかったのか、いつから眠れていないのか、そんなこともわからない。じっと、ただモーリスを見つめた。
「あれだな…」
ふっとモーリスは笑った。
「初めて嬢ちゃんと会った日も、俺に眼とばしてたな」
ローゼリアが五歳の時、二人は初めて出会った。その時のことをモーリスは持ち出した。
「あれから十二年かぁ…俺も年をとるはずだ。嬢ちゃんはすっかり大きくなったな。もう立派な大人だ」
黙ったまま、ローゼリアは相づちもうたないが、構わす話を続ける。
「あの時、ルイスの頼みでも、話を聞いて、そりゃないわと、思った。自慢じゃないが、俺も騎士見習いから始めて三十年以上近衛騎士団で勤めた。いっぱい人も切ってきた。ロイシュタールの猛獣とまで言われた俺が、たった5つの伯爵家の、しかもお嬢様の指南役なんて、話を持ってきたのがルイスじゃなかったらぶった切ってたね」
そこで言葉を切って、ローゼリアの様子を見て、更に続ける。
「仮にも相手はお貴族様、断るにしても人づてでは不敬に当たる。直接出向いて、こんなふざけた話を言い出した伯爵様ご一家を一目見てやろうと思った。でもお嬢ちゃんは俺の予想とは全然違って、こんな風体の俺から目を反らさずまっすぐ見つめてきた。何というか、目力があった。たまに意味のわからんことを言うがな」
始めて会った時のように白髪混じりの頭をワシャワシャとかきむしる。
「あー、何が言いたいかと言うとだな…俺騎士団にいた頃も後輩をずっと指導してきたが、それは仕事であり、国のためであり…その、なんだ…嬢ちゃんは俺に取って個人として初めてで、恐らく唯一の弟子で、俺とエミリの間には息子しかいないからな。伯爵夫妻には申し訳ないが、俺もエミリも嬢ちゃんのことを娘みたいに思ってるわけで………え!」
そこでモーリスはギョッとした顔をして固まってしまった。
向かいに座る私は、いつの間にか泣いていた。
「…………」
何やら考え込んでから、モーリスは徐に立ち上がり、向かいの私の側に来て、その横で膝を着くと、両手を広げた。
「親父さんが亡くなってから、泣いてないんだろ。俺にとって、大事な娘だ。胸を貸してやるよ。俺を本当の親父だと思って、思い切り泣きな。泣き顔は見ないでおいてやるよ」
「ひど……」
暗に泣き顔が不細工だと言わんばかりの言い種に、思わず呟いた。
泣いてもいいのかと、目でうったえると、黙って頷いてくれた。
私は迷わず、その胸に飛び込んで、大きな声をあげて泣き叫んだ。
(父様、父様、どうして、どうして突然いなくなったの?これからもっと色々親孝行したかった。亡くなった母さまの分も、一緒に笑って過ごしたかった。)
モーリスの胸で鼻水まみれになって泣きながら、私はいつの間にか眠ってしまっていた。
王弟、キルヒライル・エドワルド公爵の功績であった事実は、広く国民には広まらなかった。その真意はわからかったかが、それ以降、彼は表舞台から姿を消したのだった。
病にかかって療養しているだの、外交のため諸外国を廻っているだの噂が流れたが、兄である王ですら口をつぐんでいたため、表だってそのことを問いただす者はいなかった。
公爵の不在に妙齢の女性達が皆、一様に落胆していたと息子からの手紙に書いてあったのを読んで、モーリスは苦笑した。
アイスヴァイン領では王弟不在による影響は、微塵もなく、ローゼリアにとって、遥か遠くの王都の出来事より、もっと大きな心配事があった。
ローゼリアが十四歳になった頃、とうとう母が寝付いてしまった。一年のうち、数える程しか起き上がれず、もともと青ざめたような肌色は土気色になり、ヒューヒューと呼吸も苦しそうだ。
父はそんな母の側に少しでも付き添うため、嫁いだ自身の姉の息子に家督を譲ることを決め、領地において領主教育を行っている。
ローゼリアにとって従兄弟にあたる次期伯爵はルークと言う名前で、ローゼリアとは一つ違いの十五歳だった。翌年、社交界デビューの翌年に家督を継ぐ予定になっている。
気の優しい従兄弟が家督を継いだ後は、ロード一家は領地内に家を確保し、移り住むことにした。
ローゼリアが十六歳になった時、母が亡くなった。
その年、ローゼリアは王都に赴き、社交界デビューするはずだったが、喪中のため、出席は断念した。
そして、母の喪が明け、来年は社交界にと考えていた矢先、ローゼリアが十八歳になる年、父が亡くなり、ローゼリアは二年の間に両親を亡くし、天涯孤独となった。
それは突然だった。
父はその日、シュルスに人に会う用事があると言って出掛けた。
朝、父を送り出し、簡単に掃除を済ませるとアイスヴァイン邸の厩に行った。
今日のローゼリアは伯爵令嬢らしくなく、領内の娘と同じような薄茶色の木綿のワンピースに焦げ茶色のベストを羽織り、皮のブーツといった出で立ちだ。もうすぐ十八歳になるローゼリアはすらとした手足と女性にしては少し高めの身長だった。濃いめのストロベリーブロンドの髪を顔の両側で編み込みし、首の後ろ辺りでひとつにまとめている。アメジストのちょっとつり目気味のアーモンド型の眼、ここ何年かで凛々しさが増したように感じる。少女とも少年とも見える中性的な顔立ちは、キレイに化粧を施せば、かなりの美人になるだろうが、本人は着飾るつもりもないらしく、母に口うるさく言われて肌の手入れと日焼け対策は怠らない。
「シューティングスター!お待たせ」
初めてローゼリアの馬になったシューティングスターはアイスヴァイン邸の厩で預かってもらっており、ほぼ毎日世話に通っている。
軽く走らせ、ブラシをかけ、水と餌をあげて家に帰ろうとした時、慌てた様子のルイスが厩に駆け込んできた。
「お嬢様!ロード様が!」
ルイスが持ってきたのは父の訃報だった。
それはまさに青天の霹靂。母の時は日に日に弱っていく姿を見ながら、ある程度は覚悟ができていた。
父はシュルスとアイスヴァイン領を繋ぐ街道の外れで何者かに刺されて息絶えていた。
誰に会いに、何ためにシュルスへ赴いたのか、何一つ知らされていなかった。
温厚な元伯爵に敵はおらず、盗賊か何かに襲われたのだろうということになった。
父の葬儀が終わり、家に一人戻ると、ローゼリアはこれから自分はどうしたらいいのかと思い悩んだ。
台所兼居間と小さい部屋が二階に二つあるだけの小さな借家がローゼリアの今の住居だ。伯爵令嬢が住むには狭すぎる気がするが、日本で住んでいたワンルームマンションに比べれば、十分な広さだ。
一人になってしまった今となっては尚更広く感じる。
呆然としていると、誰かが表の扉を叩いた。
「ローゼリア、俺だ」
モーリスだった。扉に鍵が掛かっておらす、大柄の彼は少し頭を傾けて扉をくぐった。
「無用心だな。鍵をきちんと締めろ」
そう言われて、鍵をかけ忘れていたことに気づいた。
「ちゃんとかけたと思ったけど…」
彼も妻のエミリとともに葬儀に参列してくれていて、先ほど別れたばかりだ。今日はもう日も暮れかけている。
何か用事がと聴きかけると、鍋に入ったシチューを机に置いた。
「エミリからだ。食え」
お腹は空いていないと言いかけて、お腹が鳴った。
「顔色が悪い。いつから食ってない?」
言いながら、台所から食器を取り出し、シチューを注いでくれる。一緒に持ってきた袋からごそごそとパンを取り出し、もうひとつ皿を出してそこに乗せてくれた。
「いつから…」
言われて考えるが、はっきり覚えていない。父が亡くなったというルイスの言葉を耳にしてからの記憶が曖昧だ。葬儀の手配は新しく伯爵となったルークと、駆けつけた叔母がやってくれた。皆が走り回り、色々なことを自分に話していたが、何を言われたのか、何と答えたのか覚えていなかった。
「冷めないうちに食え」
渡されたスプーンを手に取り、一口掬って口に入れると、温かいシチューがのどを通って行った。
「美味しい…」
シチューが喉を通り、食道を通り胃袋に到達するまで余韻に浸った。
「そうだろう、エミリの料理は世界一だからな」
熊のような見かけに関わらず、モーリスは優しげに笑った。目の前に彼が一人座っているだけで、空虚だった家の中が暖かく感じられた。
黙々とシチューを口に運ぶ間、モーリスは黙ってただ座っていた。
「もう一杯食うか?」
皿のシチューが空になると、そう聞いてきたが、ローゼリアは黙って頭を横に降った。
「もう寝るか?ろくに眠っていないんだろ?目の下の隈がひどいぞ。若いからって過信するな」
心から気にかけてくれているその声音に、じっとモーリスの瞳を見つめた。
自分はいつから食べていなかったのか、いつから眠れていないのか、そんなこともわからない。じっと、ただモーリスを見つめた。
「あれだな…」
ふっとモーリスは笑った。
「初めて嬢ちゃんと会った日も、俺に眼とばしてたな」
ローゼリアが五歳の時、二人は初めて出会った。その時のことをモーリスは持ち出した。
「あれから十二年かぁ…俺も年をとるはずだ。嬢ちゃんはすっかり大きくなったな。もう立派な大人だ」
黙ったまま、ローゼリアは相づちもうたないが、構わす話を続ける。
「あの時、ルイスの頼みでも、話を聞いて、そりゃないわと、思った。自慢じゃないが、俺も騎士見習いから始めて三十年以上近衛騎士団で勤めた。いっぱい人も切ってきた。ロイシュタールの猛獣とまで言われた俺が、たった5つの伯爵家の、しかもお嬢様の指南役なんて、話を持ってきたのがルイスじゃなかったらぶった切ってたね」
そこで言葉を切って、ローゼリアの様子を見て、更に続ける。
「仮にも相手はお貴族様、断るにしても人づてでは不敬に当たる。直接出向いて、こんなふざけた話を言い出した伯爵様ご一家を一目見てやろうと思った。でもお嬢ちゃんは俺の予想とは全然違って、こんな風体の俺から目を反らさずまっすぐ見つめてきた。何というか、目力があった。たまに意味のわからんことを言うがな」
始めて会った時のように白髪混じりの頭をワシャワシャとかきむしる。
「あー、何が言いたいかと言うとだな…俺騎士団にいた頃も後輩をずっと指導してきたが、それは仕事であり、国のためであり…その、なんだ…嬢ちゃんは俺に取って個人として初めてで、恐らく唯一の弟子で、俺とエミリの間には息子しかいないからな。伯爵夫妻には申し訳ないが、俺もエミリも嬢ちゃんのことを娘みたいに思ってるわけで………え!」
そこでモーリスはギョッとした顔をして固まってしまった。
向かいに座る私は、いつの間にか泣いていた。
「…………」
何やら考え込んでから、モーリスは徐に立ち上がり、向かいの私の側に来て、その横で膝を着くと、両手を広げた。
「親父さんが亡くなってから、泣いてないんだろ。俺にとって、大事な娘だ。胸を貸してやるよ。俺を本当の親父だと思って、思い切り泣きな。泣き顔は見ないでおいてやるよ」
「ひど……」
暗に泣き顔が不細工だと言わんばかりの言い種に、思わず呟いた。
泣いてもいいのかと、目でうったえると、黙って頷いてくれた。
私は迷わず、その胸に飛び込んで、大きな声をあげて泣き叫んだ。
(父様、父様、どうして、どうして突然いなくなったの?これからもっと色々親孝行したかった。亡くなった母さまの分も、一緒に笑って過ごしたかった。)
モーリスの胸で鼻水まみれになって泣きながら、私はいつの間にか眠ってしまっていた。
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