108 / 118
108 夢の住人
しおりを挟む
トレヴァスさんに案内されて庭に出た。
広い庭は綺麗に整備されている。花壇のある庭と違い、広場のようになった場所はなだらかな丘から、街並みが一望できる。遠くの水平線には大きな船が港に向かってやってくるのが見える。
その一角にガゼボがあり、そこに人影があるのが見えた。
「あちらです」
そこには女性が一人腰掛けていて、熱心に何かを編んでいた。
「ああして編み物をすることが多いのです」
「何を編んでいらっしゃるのですか?」
「色々です。一番多いのは、子供の靴下でしょうか」
その言葉に思わず彼を見る。黙ってユイナが考えているとおりだと頷いた。
「奥様の中にはこの五年間、ずっとアドルファス様がいらっしゃいます。時には話しかけ、時には歌を歌って…それはもう出産を心待ちにされています」
忘れてしまった我が子。でも心の底では忘れてなどいない。もうとっくに母親のお腹から巣立ち、立派に成長した我が子ではなく、まだ見ぬ我が子へ向ける愛情。
永遠に生まれてくることのない我が子を想い、彼女は靴下を編み続ける。
そこだけが永遠に刻が止まったような不思議な空間。
「後は宜しくお願いいたします」
頭を下げて退くトレヴァスをちらりと見てから、私は彼女へと近付いていった。
「あ、あなた、見て…あら」
人が近づいてくるのに気づき、夫のカーライルだと思って顔を上げると、知らない人物がいたので
、彼女は戸惑った。
「こ、こんにちは」
「こんにちは、お嬢さん。何かご用?」
ぎこちなく挨拶するユイナに、女性は柔らかい笑顔を向ける。少女のような純粋な笑顔。
笑うとアドルファスに似ている気がする。
彼が似ているのか。
白っぽい金髪に美しい琥珀色の瞳。あどけなさを漂わせる彼女はどこか浮世離れしている。
「あの、少しお話しても、いいですか?」
ゆっくりと近づき、彼女の側に行く。
「ええ、どうぞ」
そう言って彼女は編み物をしていた手を止めて、自分の前の椅子を進める。
ユイナがそこにちょこんと座ると、にっこりと彼女は微笑んだ。
「一人で来たの?」
その言い方は子供に話しかけるようだ。もしかしたらユイナをティーンエイジャーと思っているのかもしれない。
「いいえ」
何と言えばいいのだろう。恋人と来ましたと言うべきか。
あなたの息子と。と言えばいいか。
「それ、何を、編んでいらっしゃるのですか?」
唐突だが、彼女の編みかけのものに目を向けて尋ねた。
「これ? ふふ、もうすぐ生まれる赤ちゃんの涎掛け、可愛いでしょ?」
そう言って編み棒が付いた編みかけのものを広げてみせた。
その顔はお腹の赤児が愛しくて堪らないと言っている。
それを見て切なくなった。
「赤ちゃん、男の子かな」
「まだわからないわ。でも、男の子なら嬉しい。この家の後継ぎだもの」
ちっとも膨らんでいないお腹を撫でる。
「私、あまり体が丈夫ではなくて、お医者様にも妊娠出産は大変だって、言われているの。だから、そう何度も子供を産めないと思うの。だから本当は元気などちらでもいいけど、あの人のために、男の子だったらいいな」
「きっと、男の子ですよ」
「本当? そう思う」
「はい」
どうしてそう思うのかと問われれば、答えに詰まるが、彼女はそれ以上追求はしなかった。
「そう言えば、あなたお名前は? 私はナターシャよ」
「ユイナです」
「ユイナさん…変わったお名前ね。異国の方?」
「ええ、まあ…そんなところです。あの、素敵なお庭ですね」
結婚を考えている相手の母親と会うのは初めてで、男親とは違う緊張感がある。
それに相手はその肝心の結婚相手であるアドルファスのことを憶えていない。
心を病んだ人と接するのは難しい。
初対面だから尚更だし、息子の話題も振れない。
苦し紛れに当たり障りのない話題を振った。
「そうでしょ、天気のいい日は大抵ここにいるの。風が気持ちいいし、水面にホルンか煌めいて見えて、編み物に目が疲れると眺めて過ごすの」
「素敵ですね」
「でしょ? あ、私ったらお客様にお茶も出さずにごめんなさい」
「いえ、大丈夫です」
「だめよ、お客様ももてなせないのかとカーライルに怒られてしまうわ。一度中に戻りましょう」
彼女は慌てて編み物を片付ける。
「手伝います」
「あらありがとう。でもお客様にそんなこと…」
籠を彼女から受け取ろうとすると、彼女は遠慮した。
「大丈夫です」
「そう、ではお願いしますわ」
彼女と並んで歩いていると、ちょうどそこに夫が歩いてきた。
「あら、カーライル」
「やあ、ナターシャ、中に戻るのか?」
「ええ、私ったらお客様なのに、お茶もお出し出来ていないことが…あら」
ナターシャは夫の後ろに立つ人物に目を留めた。
仮面を外したアドルファスが、緊張した面持ちで立っていた。
広い庭は綺麗に整備されている。花壇のある庭と違い、広場のようになった場所はなだらかな丘から、街並みが一望できる。遠くの水平線には大きな船が港に向かってやってくるのが見える。
その一角にガゼボがあり、そこに人影があるのが見えた。
「あちらです」
そこには女性が一人腰掛けていて、熱心に何かを編んでいた。
「ああして編み物をすることが多いのです」
「何を編んでいらっしゃるのですか?」
「色々です。一番多いのは、子供の靴下でしょうか」
その言葉に思わず彼を見る。黙ってユイナが考えているとおりだと頷いた。
「奥様の中にはこの五年間、ずっとアドルファス様がいらっしゃいます。時には話しかけ、時には歌を歌って…それはもう出産を心待ちにされています」
忘れてしまった我が子。でも心の底では忘れてなどいない。もうとっくに母親のお腹から巣立ち、立派に成長した我が子ではなく、まだ見ぬ我が子へ向ける愛情。
永遠に生まれてくることのない我が子を想い、彼女は靴下を編み続ける。
そこだけが永遠に刻が止まったような不思議な空間。
「後は宜しくお願いいたします」
頭を下げて退くトレヴァスをちらりと見てから、私は彼女へと近付いていった。
「あ、あなた、見て…あら」
人が近づいてくるのに気づき、夫のカーライルだと思って顔を上げると、知らない人物がいたので
、彼女は戸惑った。
「こ、こんにちは」
「こんにちは、お嬢さん。何かご用?」
ぎこちなく挨拶するユイナに、女性は柔らかい笑顔を向ける。少女のような純粋な笑顔。
笑うとアドルファスに似ている気がする。
彼が似ているのか。
白っぽい金髪に美しい琥珀色の瞳。あどけなさを漂わせる彼女はどこか浮世離れしている。
「あの、少しお話しても、いいですか?」
ゆっくりと近づき、彼女の側に行く。
「ええ、どうぞ」
そう言って彼女は編み物をしていた手を止めて、自分の前の椅子を進める。
ユイナがそこにちょこんと座ると、にっこりと彼女は微笑んだ。
「一人で来たの?」
その言い方は子供に話しかけるようだ。もしかしたらユイナをティーンエイジャーと思っているのかもしれない。
「いいえ」
何と言えばいいのだろう。恋人と来ましたと言うべきか。
あなたの息子と。と言えばいいか。
「それ、何を、編んでいらっしゃるのですか?」
唐突だが、彼女の編みかけのものに目を向けて尋ねた。
「これ? ふふ、もうすぐ生まれる赤ちゃんの涎掛け、可愛いでしょ?」
そう言って編み棒が付いた編みかけのものを広げてみせた。
その顔はお腹の赤児が愛しくて堪らないと言っている。
それを見て切なくなった。
「赤ちゃん、男の子かな」
「まだわからないわ。でも、男の子なら嬉しい。この家の後継ぎだもの」
ちっとも膨らんでいないお腹を撫でる。
「私、あまり体が丈夫ではなくて、お医者様にも妊娠出産は大変だって、言われているの。だから、そう何度も子供を産めないと思うの。だから本当は元気などちらでもいいけど、あの人のために、男の子だったらいいな」
「きっと、男の子ですよ」
「本当? そう思う」
「はい」
どうしてそう思うのかと問われれば、答えに詰まるが、彼女はそれ以上追求はしなかった。
「そう言えば、あなたお名前は? 私はナターシャよ」
「ユイナです」
「ユイナさん…変わったお名前ね。異国の方?」
「ええ、まあ…そんなところです。あの、素敵なお庭ですね」
結婚を考えている相手の母親と会うのは初めてで、男親とは違う緊張感がある。
それに相手はその肝心の結婚相手であるアドルファスのことを憶えていない。
心を病んだ人と接するのは難しい。
初対面だから尚更だし、息子の話題も振れない。
苦し紛れに当たり障りのない話題を振った。
「そうでしょ、天気のいい日は大抵ここにいるの。風が気持ちいいし、水面にホルンか煌めいて見えて、編み物に目が疲れると眺めて過ごすの」
「素敵ですね」
「でしょ? あ、私ったらお客様にお茶も出さずにごめんなさい」
「いえ、大丈夫です」
「だめよ、お客様ももてなせないのかとカーライルに怒られてしまうわ。一度中に戻りましょう」
彼女は慌てて編み物を片付ける。
「手伝います」
「あらありがとう。でもお客様にそんなこと…」
籠を彼女から受け取ろうとすると、彼女は遠慮した。
「大丈夫です」
「そう、ではお願いしますわ」
彼女と並んで歩いていると、ちょうどそこに夫が歩いてきた。
「あら、カーライル」
「やあ、ナターシャ、中に戻るのか?」
「ええ、私ったらお客様なのに、お茶もお出し出来ていないことが…あら」
ナターシャは夫の後ろに立つ人物に目を留めた。
仮面を外したアドルファスが、緊張した面持ちで立っていた。
6
お気に入りに追加
954
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。
海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。
ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。
「案外、本当に君以外いないかも」
「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」
「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」
そのドクターの甘さは手加減を知らない。
【登場人物】
末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。
恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる?
田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い?
【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】
若奥様は緑の手 ~ お世話した花壇が聖域化してました。嫁入り先でめいっぱい役立てます!
古森真朝
恋愛
意地悪な遠縁のおばの邸で暮らすユーフェミアは、ある日いきなり『明後日に輿入れが決まったから荷物をまとめろ』と言い渡される。いろいろ思うところはありつつ、これは邸から出て自立するチャンス!と大急ぎで支度して出立することに。嫁入り道具兼手土産として、唯一の財産でもある裏庭の花壇(四畳サイズ)を『持参』したのだが――実はこのプチ庭園、長年手塩にかけた彼女の魔力によって、神域霊域レベルのレア植物生息地となっていた。
そうとは知らないまま、輿入れ初日にボロボロになって帰ってきた結婚相手・クライヴを救ったのを皮切りに、彼の実家エヴァンス邸、勤め先である王城、さらにお世話になっている賢者様が司る大神殿と、次々に起こる事件を『あ、それならありますよ!』とプチ庭園でしれっと解決していくユーフェミア。果たして嫁ぎ先で平穏を手に入れられるのか。そして根っから世話好きで、何くれとなく構ってくれるクライヴVS自立したい甘えベタの若奥様の勝負の行方は?
*カクヨム様で先行掲載しております
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
老女召喚〜聖女はまさかの80歳?!〜城を追い出されちゃったけど、何か若返ってるし、元気に異世界で生き抜きます!〜
二階堂吉乃
ファンタジー
瘴気に脅かされる王国があった。それを祓うことが出来るのは異世界人の乙女だけ。王国の幹部は伝説の『聖女召喚』の儀を行う。だが現れたのは1人の老婆だった。「召喚は失敗だ!」聖女を娶るつもりだった王子は激怒した。そこら辺の平民だと思われた老女は金貨1枚を与えられると、城から追い出されてしまう。実はこの老婆こそが召喚された女性だった。
白石きよ子・80歳。寝ていた布団の中から異世界に連れてこられてしまった。始めは「ドッキリじゃないかしら」と疑っていた。頼れる知り合いも家族もいない。持病の関節痛と高血圧の薬もない。しかし生来の逞しさで異世界で生き抜いていく。
後日、召喚が成功していたと分かる。王や重臣たちは慌てて老女の行方を探し始めるが、一向に見つからない。それもそのはず、きよ子はどんどん若返っていた。行方不明の老聖女を探す副団長は、黒髪黒目の不思議な美女と出会うが…。
人の名前が何故か映画スターの名になっちゃう天然系若返り聖女の冒険。全14話+間話7話。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
キャベツとよんでも
さかな〜。
恋愛
由緒だけはある貧乏男爵令嬢ハイデマリーと、執事として雇われたのにいつの間にか職務が増えていた青年ギュンターの日常。
今日も部屋を調える――お嬢様の疲れが癒えるように、寛いでもらえる様に――
一見ゆったりとした緩い日常の話です。設定もユルいです。
転生したら死んだことにされました〜女神の使徒なんて聞いてないよ!〜
家具屋ふふみに
ファンタジー
大学生として普通の生活を送っていた望水 静香はある日、信号無視したトラックに轢かれてそうになっていた女性を助けたことで死んでしまった。が、なんか助けた人は神だったらしく、異世界転生することに。
そして、転生したら...「女には荷が重い」という父親の一言で死んだことにされました。なので、自由に生きさせてください...なのに職業が女神の使徒?!そんなの聞いてないよ?!
しっかりしているように見えてたまにミスをする女神から面倒なことを度々押し付けられ、それを与えられた力でなんとか解決していくけど、次から次に問題が起きたり、なにか不穏な動きがあったり...?
ローブ男たちの目的とは?そして、その黒幕とは一体...?
不定期なので、楽しみにお待ち頂ければ嬉しいです。
拙い文章なので、誤字脱字がありましたらすいません。報告して頂ければその都度訂正させていただきます。
小説家になろう様でも公開しております。
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。
子持ちの私は、夫に駆け落ちされました
月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる