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86 暗い闇の中
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どこまでも深い谷底へ落下してく。
毛穴という毛穴を鋭い針で突かれるような痛みを伴い、黒い靄が体に侵食していく。
『痛い、痛い痛い…』
叫ぼうと口を開けば口からも靄が入り込んできて、喉に拳を突っ込まれたような衝撃に吐きそうになり、蒸せる。
『いやだ、助けて…誰か』
手足を拘束する縄をどうにかしようと、必死で手足を擦り動かす。硬く荒い縄のせいで手足の皮膚らズル剥けて血が滲んできて、それがまた痛みを増大させる。
叫んでも声は周りの靄に防音壁のように吸収され、自分の耳にさえ響かない。
痛みに気が遠くなりかけては、痛みでまた覚醒する。無限に続くとも思える繰り返しの中、何かの音を拾った。
最初は聴覚検査の時に聞こえてくる耳鳴りのようなものだった。
しかし、それが徐々にボリュームを上げ、はっきりと聞こえてくる。
「唯奈が行方不明ってどういうことですか!」
聞き覚えのある声は、母のものだった。
「まあ、お母様、落ち着いてください」
見知らぬ男性がそれを宥めている。
「落ち着けですって! あなたお子さんがいらっしゃらないの!? 突然警察から電話が来て娘が生徒さんと二人職場からいなくなったと聞かされて、これが落ち着いていられるというんですか!」
「妻の言うとおりだ、その一緒にいなくなった生徒さんは大企業のお偉方の娘さんだと言うじゃないか、まさか誘拐とかではないのか?」
あの声はお父さん?
相変わらず痛みは続いていたが、いつの間にか落下は止まり、今はフワフワと水中のクラゲのように漂っている。
「それはまだ何とも…何しろ身代金の要求がどこにもないんですから」
「刑事さん、じゃあ、どこかの過激派組織とか、その生徒さんの親が勤めている会社に対する嫌がらせとかではないんですか」
そう言って男性に詰め寄るのはお兄ちゃん。
パチリと目を開けると、目の前にモニターに映し出された映像のように、彼らの姿が浮かび上がった。
「それもまだはっきりとは…我々はお嬢さんが手引きしたのではと…」
「はあ! 唯奈がそんなことするわけないでしょ。今の仕事を失う危険を侵してまで、そんな馬鹿なこと、するわけないじゃない! 警察はいったい何を調べてるのよ」
そう怒鳴るのはお姉ちゃん。
私の家族四人が固まって、無精髭の男性二人に抗議している。
「そうだ! うちの唯奈は責任感があって、今の仕事に誇りを持っている。第一、他所様に迷惑をかけるようなことをする子じゃない」
「そうです、家族の中で一番優しい子なんです」
これはどういった状況だろう。
ー突然職場から生徒と一緒に消えた。
保健室で寝ていた財前さんと共に異世界へ召喚された時のことを言っているんだろうか。
もしや私と財前さんが急にいなくなったことで、家族が呼び出されたんだろうか。
お父さん…いつも髪を後ろに撫で付け、びっしりしているのに、今は前髪が簾のようになっている。
お母さん…休みの日も完璧なお化粧を崩したことがないのに、今は化粧すらしていない。
お兄ちゃん…横の髪の寝癖がすごい。
お姉ちゃん…お洒落さんなのに、部屋着みたいなラフな格好をしている。
四人とも、いつもとは全然違う。
何日も寝ていないのか、クマも酷い。
まさか、皆、私を心配してくれているの?
「ここが唯奈の部屋」
「そうだよ、お母さん」
「初めて…来たな」
次に四人は私が借りている部屋にいた。
お兄ちゃんがベランダに面した窓を開けて空気を入れ替える。
案の定、ベランダのコンテナガーデンの野菜は枯れてしまっている。
「お前たちは時々来てたんだろ?」
「たまにね。お父さんたちも無理矢理にでも来れば良かったのに。意地張っちゃって、ほんと、そっくりなんだから、お父さんたちも唯奈も」
「綺麗にしているのね。あなたたちは自分の部屋ですら掃除しないのに」
「しようと思う前に母さんが片付けるから」
「ほんと、唯奈を見習うべきね」
「これからは…ちゃんとするわ」
じわりとお姉ちゃんが涙ぐむ。
「唯奈…どうしちゃったのかな…まさか、もう殺されてどこかの山中に…」
「ばか!縁起でもないこと言うな」
お兄ちゃんが不吉なことを考えて呟いたお姉ちゃんに怒鳴った。
「だって、2週間よ、何の手がかりも無くって、どこからも身代金の要求もなくて…」
「一緒にいなくなった財前という子の家にも、何の連絡もないそうだ」
「このまま、もうあの子に会えないのかしら…」
お母さんが机の上に飾られた写真立てに向かって呟く。
「これ、あの子が幼稚園の時に皆で遊園地に行った時の写真…」
「あの子、そんなの飾ってたの」
全員がお母さんが手に持った写真に見入る。
「私達…あの子に厳しくし過ぎたかしら。あなたたち二人と同じように育てたつもりだけど」
「そうだな。私達が選んだ学校に通い、私達と同じような職に就けば安定した将来が送れると思ったから、色々あの子に足らないと思うことを教えてやろうとしたんだが」
「何もかも、思う通りにいかなかったわね」
「お父さんたちが心配しているから帰って来たらって、何度も行ったんだけど」
「うざがられたかな」
写真立てを元の場所に置いて、お母さんはもう一度主のいない部屋を見渡した。
「唯奈…どこにいるの?」
もう何度も泣いたのだろう。腫れきった目がこちらを見つめていた。
毛穴という毛穴を鋭い針で突かれるような痛みを伴い、黒い靄が体に侵食していく。
『痛い、痛い痛い…』
叫ぼうと口を開けば口からも靄が入り込んできて、喉に拳を突っ込まれたような衝撃に吐きそうになり、蒸せる。
『いやだ、助けて…誰か』
手足を拘束する縄をどうにかしようと、必死で手足を擦り動かす。硬く荒い縄のせいで手足の皮膚らズル剥けて血が滲んできて、それがまた痛みを増大させる。
叫んでも声は周りの靄に防音壁のように吸収され、自分の耳にさえ響かない。
痛みに気が遠くなりかけては、痛みでまた覚醒する。無限に続くとも思える繰り返しの中、何かの音を拾った。
最初は聴覚検査の時に聞こえてくる耳鳴りのようなものだった。
しかし、それが徐々にボリュームを上げ、はっきりと聞こえてくる。
「唯奈が行方不明ってどういうことですか!」
聞き覚えのある声は、母のものだった。
「まあ、お母様、落ち着いてください」
見知らぬ男性がそれを宥めている。
「落ち着けですって! あなたお子さんがいらっしゃらないの!? 突然警察から電話が来て娘が生徒さんと二人職場からいなくなったと聞かされて、これが落ち着いていられるというんですか!」
「妻の言うとおりだ、その一緒にいなくなった生徒さんは大企業のお偉方の娘さんだと言うじゃないか、まさか誘拐とかではないのか?」
あの声はお父さん?
相変わらず痛みは続いていたが、いつの間にか落下は止まり、今はフワフワと水中のクラゲのように漂っている。
「それはまだ何とも…何しろ身代金の要求がどこにもないんですから」
「刑事さん、じゃあ、どこかの過激派組織とか、その生徒さんの親が勤めている会社に対する嫌がらせとかではないんですか」
そう言って男性に詰め寄るのはお兄ちゃん。
パチリと目を開けると、目の前にモニターに映し出された映像のように、彼らの姿が浮かび上がった。
「それもまだはっきりとは…我々はお嬢さんが手引きしたのではと…」
「はあ! 唯奈がそんなことするわけないでしょ。今の仕事を失う危険を侵してまで、そんな馬鹿なこと、するわけないじゃない! 警察はいったい何を調べてるのよ」
そう怒鳴るのはお姉ちゃん。
私の家族四人が固まって、無精髭の男性二人に抗議している。
「そうだ! うちの唯奈は責任感があって、今の仕事に誇りを持っている。第一、他所様に迷惑をかけるようなことをする子じゃない」
「そうです、家族の中で一番優しい子なんです」
これはどういった状況だろう。
ー突然職場から生徒と一緒に消えた。
保健室で寝ていた財前さんと共に異世界へ召喚された時のことを言っているんだろうか。
もしや私と財前さんが急にいなくなったことで、家族が呼び出されたんだろうか。
お父さん…いつも髪を後ろに撫で付け、びっしりしているのに、今は前髪が簾のようになっている。
お母さん…休みの日も完璧なお化粧を崩したことがないのに、今は化粧すらしていない。
お兄ちゃん…横の髪の寝癖がすごい。
お姉ちゃん…お洒落さんなのに、部屋着みたいなラフな格好をしている。
四人とも、いつもとは全然違う。
何日も寝ていないのか、クマも酷い。
まさか、皆、私を心配してくれているの?
「ここが唯奈の部屋」
「そうだよ、お母さん」
「初めて…来たな」
次に四人は私が借りている部屋にいた。
お兄ちゃんがベランダに面した窓を開けて空気を入れ替える。
案の定、ベランダのコンテナガーデンの野菜は枯れてしまっている。
「お前たちは時々来てたんだろ?」
「たまにね。お父さんたちも無理矢理にでも来れば良かったのに。意地張っちゃって、ほんと、そっくりなんだから、お父さんたちも唯奈も」
「綺麗にしているのね。あなたたちは自分の部屋ですら掃除しないのに」
「しようと思う前に母さんが片付けるから」
「ほんと、唯奈を見習うべきね」
「これからは…ちゃんとするわ」
じわりとお姉ちゃんが涙ぐむ。
「唯奈…どうしちゃったのかな…まさか、もう殺されてどこかの山中に…」
「ばか!縁起でもないこと言うな」
お兄ちゃんが不吉なことを考えて呟いたお姉ちゃんに怒鳴った。
「だって、2週間よ、何の手がかりも無くって、どこからも身代金の要求もなくて…」
「一緒にいなくなった財前という子の家にも、何の連絡もないそうだ」
「このまま、もうあの子に会えないのかしら…」
お母さんが机の上に飾られた写真立てに向かって呟く。
「これ、あの子が幼稚園の時に皆で遊園地に行った時の写真…」
「あの子、そんなの飾ってたの」
全員がお母さんが手に持った写真に見入る。
「私達…あの子に厳しくし過ぎたかしら。あなたたち二人と同じように育てたつもりだけど」
「そうだな。私達が選んだ学校に通い、私達と同じような職に就けば安定した将来が送れると思ったから、色々あの子に足らないと思うことを教えてやろうとしたんだが」
「何もかも、思う通りにいかなかったわね」
「お父さんたちが心配しているから帰って来たらって、何度も行ったんだけど」
「うざがられたかな」
写真立てを元の場所に置いて、お母さんはもう一度主のいない部屋を見渡した。
「唯奈…どこにいるの?」
もう何度も泣いたのだろう。腫れきった目がこちらを見つめていた。
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