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59 母の想い
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「アドルファスさんは…定期的にお母様に会いには?」
「いいえ。領地に行ってからは一度も…父から便りは来ますが、母の心は壊れたまま。母の記憶は妊娠前に戻り、私はまだ生まれていない。母の世界に私は存在していないんです」
「………」
何をどう言ったらいいかわからず、言葉が出なかった。
解離性健忘。
精神的にショックを受けるとそうなることがあることは知っている。
アドルファスさんのお母様は、息子の傷ついた姿を見ることが辛くて、息子が生まれたことも忘れ、辛い経験をなかったことにしようとしたのだ。
「私は…親不孝者です。心配ばかりする母親のことを面倒だと避け、煩わしくさえ思っていた自分に対する罰だと思っています」
「それは違います」
母に見限られた私と、母の記憶から消えたアドルファスさん。
この場合、どちらが不幸かわからないが、アドルファスさんが自分のことを親不孝だと言うのは違うと思った。
「その…本当の親不孝は子が親より先に死ぬことだと聞いたことがあります。アドルファスさんはちゃんと生きているではありませんか」
「ユイナさん」
「生きていれば、その内お母様も良くなるかもしれません。今からでも遅くありません。心配かけてごめんなさい。ありがとうって言えばいいんです」
母親と関係を断っている私がどの口で言うんだと、ツッコミを入れたくなる。
それでも自分を貶めるアドルファスさんを励ましたいと思った。
「ありがとう…か」
アドルファスさんは私の言葉を噛み締めて考え込む。
「私が口出すことではないかも知れませんが…」
ちょっと生意気なことを言ってしまったかと反省する。
「いえ…少し…気が楽になりました。問題は何も解決していませんが、ありがとうございます」
それからふっと顔を緩ませ微笑む。
「私に取ってはあなたが本当の聖女様です」
「え!」
「こんなに心が軽くなったのは怪我をして以来です」
「そ、それは良かった。でも聖女様は言い過ぎです」
助けになったのならいいけど、さすがに財前さんと同レベルは言い過ぎだ。
「他の人があなたを聖女様の召喚に巻き込まれただけの人だと思っても、私は、あなたがこの世界に来て、今私の目の前にいてくれることを神に感謝したい」
たまたま偶然居合わせただけ。
運が悪いと言ってしまえばそうなんだろう。
まったく異なる世界に連れてこられるという、ほんの数日前まで想像すらしていなかったことが自分の身に起こった。
でもアドルファスさんはそれを自分にとって幸運だったと言う。
「この世界の救いのため聖女は必要な存在です。ですが、過去の我々の先祖が犯した過ちで聖女召喚には疑念を抱いていました。でも、今回に限っては、聖女召喚が行われてよかった。あなたに出会えた」
「アドルファスさん…」
過去の聖女召喚によって起こった悲劇については聞いた。だからこそ、聖女が召喚された時には聖女の意志を第一にと、考えてくれている人達がいる。
アドルファスさんもその一人で、だからこそおまけでやってきた私にも親切にしてくれているんだと思っていた。
「聖女推進派…エルウィン王子辺りが聞いたら目くじらを立てるかも知れませんね。聖女よりあなたがいいなんて言ったら」
「聖女…財前さんよりも?」
「もちろん聖女は聖女で尊重しています。この世界を救ってくれる存在であり、あなたを先生と慕う可愛らしい方だと思います。でも側にいてくれるなら、彼女よりあなたがいい」
この世界で財前さんと私の立場は比較にもならないし、そもそも始めから張り合うつもりもない。
私には魔力も浄化の力もなく、アドルファスさんやレディ・シンクレアがいなかったら、路頭に迷うしかなかった。
そんな私をアドルファスさんはここまで大事に思ってくれている。
元の世界でもここまで言ってくれる人などいなかった。
「ご、ごめんなさい…そこまで想ってくれているとは思わなくて」
「負担に思わないでください。私の想いに同じように応えてほしいと言っているわけではありません」
「でも…」
「少し有頂天になって喋り過ぎたようです」
気にしないでと彼は言う。
彼に対する気持ちがまったくないわけではない。ただ、彼ほどの気持ちがあるかと問われたらわからない。
「もう寝ましょう。ユイナさんも今日は疲れたでしょう」
そう言って彼が手を空中で動かすと、周りの灯りが落ちて仄かな灯りだけが残った。
背中にアドルファスさんの気配を感じながら、薄暗がりの中で互いに息を潜める。
眠れないと思っていたけれど、規則正しい呼吸のリズムとじんわりと伝わる体温が心地良く、次第に瞼が重くなって、やがて私は眠りに落ちた。
「いいえ。領地に行ってからは一度も…父から便りは来ますが、母の心は壊れたまま。母の記憶は妊娠前に戻り、私はまだ生まれていない。母の世界に私は存在していないんです」
「………」
何をどう言ったらいいかわからず、言葉が出なかった。
解離性健忘。
精神的にショックを受けるとそうなることがあることは知っている。
アドルファスさんのお母様は、息子の傷ついた姿を見ることが辛くて、息子が生まれたことも忘れ、辛い経験をなかったことにしようとしたのだ。
「私は…親不孝者です。心配ばかりする母親のことを面倒だと避け、煩わしくさえ思っていた自分に対する罰だと思っています」
「それは違います」
母に見限られた私と、母の記憶から消えたアドルファスさん。
この場合、どちらが不幸かわからないが、アドルファスさんが自分のことを親不孝だと言うのは違うと思った。
「その…本当の親不孝は子が親より先に死ぬことだと聞いたことがあります。アドルファスさんはちゃんと生きているではありませんか」
「ユイナさん」
「生きていれば、その内お母様も良くなるかもしれません。今からでも遅くありません。心配かけてごめんなさい。ありがとうって言えばいいんです」
母親と関係を断っている私がどの口で言うんだと、ツッコミを入れたくなる。
それでも自分を貶めるアドルファスさんを励ましたいと思った。
「ありがとう…か」
アドルファスさんは私の言葉を噛み締めて考え込む。
「私が口出すことではないかも知れませんが…」
ちょっと生意気なことを言ってしまったかと反省する。
「いえ…少し…気が楽になりました。問題は何も解決していませんが、ありがとうございます」
それからふっと顔を緩ませ微笑む。
「私に取ってはあなたが本当の聖女様です」
「え!」
「こんなに心が軽くなったのは怪我をして以来です」
「そ、それは良かった。でも聖女様は言い過ぎです」
助けになったのならいいけど、さすがに財前さんと同レベルは言い過ぎだ。
「他の人があなたを聖女様の召喚に巻き込まれただけの人だと思っても、私は、あなたがこの世界に来て、今私の目の前にいてくれることを神に感謝したい」
たまたま偶然居合わせただけ。
運が悪いと言ってしまえばそうなんだろう。
まったく異なる世界に連れてこられるという、ほんの数日前まで想像すらしていなかったことが自分の身に起こった。
でもアドルファスさんはそれを自分にとって幸運だったと言う。
「この世界の救いのため聖女は必要な存在です。ですが、過去の我々の先祖が犯した過ちで聖女召喚には疑念を抱いていました。でも、今回に限っては、聖女召喚が行われてよかった。あなたに出会えた」
「アドルファスさん…」
過去の聖女召喚によって起こった悲劇については聞いた。だからこそ、聖女が召喚された時には聖女の意志を第一にと、考えてくれている人達がいる。
アドルファスさんもその一人で、だからこそおまけでやってきた私にも親切にしてくれているんだと思っていた。
「聖女推進派…エルウィン王子辺りが聞いたら目くじらを立てるかも知れませんね。聖女よりあなたがいいなんて言ったら」
「聖女…財前さんよりも?」
「もちろん聖女は聖女で尊重しています。この世界を救ってくれる存在であり、あなたを先生と慕う可愛らしい方だと思います。でも側にいてくれるなら、彼女よりあなたがいい」
この世界で財前さんと私の立場は比較にもならないし、そもそも始めから張り合うつもりもない。
私には魔力も浄化の力もなく、アドルファスさんやレディ・シンクレアがいなかったら、路頭に迷うしかなかった。
そんな私をアドルファスさんはここまで大事に思ってくれている。
元の世界でもここまで言ってくれる人などいなかった。
「ご、ごめんなさい…そこまで想ってくれているとは思わなくて」
「負担に思わないでください。私の想いに同じように応えてほしいと言っているわけではありません」
「でも…」
「少し有頂天になって喋り過ぎたようです」
気にしないでと彼は言う。
彼に対する気持ちがまったくないわけではない。ただ、彼ほどの気持ちがあるかと問われたらわからない。
「もう寝ましょう。ユイナさんも今日は疲れたでしょう」
そう言って彼が手を空中で動かすと、周りの灯りが落ちて仄かな灯りだけが残った。
背中にアドルファスさんの気配を感じながら、薄暗がりの中で互いに息を潜める。
眠れないと思っていたけれど、規則正しい呼吸のリズムとじんわりと伝わる体温が心地良く、次第に瞼が重くなって、やがて私は眠りに落ちた。
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