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53 傷痕
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突然倒れたアドルファスさん。
執事のディーターさんは時折起こす発作だと言う。
「旦那様の怪我のことはお聞きになりましたか?」
「え、あの、魔巣窟での、はい」
「旦那様の体にはその時に入り込んだ魔素がまだ残っているのです」
「それもうかがいましたが…この状態はそれが原因なのですか?」
「さようでございます」
私は苦しむアドルファスさんを見下ろした。
あの靄のようなものが魔素なのだろうか。
「体力があるうちはそれも抑え込んでいらっしゃるのですが、時折お疲れになるとこのように」
マラリアに罹患したりすると発熱を繰り返すと聞いたことがある。それと同じなのだろうか。
「最近はどれくらいの疲労で発作が起こるのかわかってきて、うまく調整が出来ていらっしゃったのに、大きな魔法でも使われたのでしょうか」
「大きな魔法…」
「魔力を使い過ぎるとそれを補填するために体力も奪われます。旦那様は体力も魔力もそこそこお有りになるので、日常では滅多にこのようなことは…一番最近は模擬訓練で指導に熱が入って起こったと聞きますが…」
日常以外のことで、何かあったのだろうかとディーターさんは首を傾げる。
「魔法…あの、探索魔法って、魔力をたくさん使ったりとか…」
「探索魔法…ですか、範囲にもよります。広範囲にかけるならその分判別力が衰えるそうです。それから街中などで人が多いと、判別により集中が必要なため、神経も擦り減るそうです」
「まさか…」
私を探すために魔法を使ったと彼は言った。
今ディーターさんが言った条件は、まさしく今日の状況に酷似しているのでは?
街中で私を探すために魔力を使いすぎたのだとしたら、彼の今の状態は私のせいかも知れない。
「私…勝手に神殿を出て街に出たんです。それをアドルファスさんが魔法を使って探して…」
「ディー…タ…」
アドルファスさんが薄っすらと目を開けてこちらを見た。
「ディーター、余計なことを…言う…な」
「旦那様、今神官を呼びに行っております」
「アドルファスさん、ごめんなさい。私…」
苦しい息の下でディーターさんを窘め、それから私に手を伸ばす。
「気に…しないで…あなたは…悪く…ない…私が…勝手に…」
「でも」
伸ばした手を掴んで握りしめる。
「だい…じょ…ぶです…死ぬ…わけでは…」
苦しいはずなのに、ニコリと微笑んだ。私が気に病まないためだとわかる。
「治療法は…」
「神官による浄化しか…しかしそれも一時鎮静化させるだけで…聖女様の浄化の力があれば…」
「ディーター」
説明するディーターさんの言葉をアドルファスさんが止める。
「おしゃべりが…過ぎる」
「も、申し訳ございません」
「それから…レディ・シンクレア…呼び戻す…必要は…ない。すぐに…おさまる…グッ」
「旦那様!」
「アドルファスさん」
急に痛みが増したのか、胸の辺りを押さえて体を丸める。
「聖女…財前さんなら治せるんですか?」
私にできることは何もない。吹き出す汗を拭い、痛みに耐える彼の姿を眺めることしかできない。せめてこれを払えないかと靄を汗のように拭ってみた。
「だめ…だ。聖女は…潔斎の…儀式が…魔巣窟…優先…魔巣窟が…なくなれば…」
今一番苦しいのは自分のはずなのに、その苦しみを取り除いてくれる人がいるのに、それに頼らないで耐えている。
「グウ……」
「アドルファスさん!」
「旦那様!」
さらに顔を苦痛で歪めたかと思うと、彼はさっき食べたものを吐き出した。
「ユ、ユイナ様!」
彼が吐き出した胃の内容物を咄嗟に手で受け止めた。
つんとした胃液の匂いが鼻腔を直撃する。
生温かいまだ消化しきれていない食べ物と胃液が混ざったものは、食べた量も多かったのですべてを手で受け止めることはできず、床に溢れてシーツも汚してしまった。
「だ、誰か桶とお湯とタオルを!」
ディーターさんが慌てて指示を出す。
「ユ…ユイナ…」
弱々しい声でアドルファスさんが目を見開き、私の顔と自分が吐き出したものを交互に見る。
「そんなこと…」
「大丈夫、前にも生徒が吐いたのを面倒見たことがあります。あなたは気にしないで」
「しかし…」
「吐いて少しすっきりしましたか?」
「あ…ああ…」
嘘ではなさそうだ。顔に籠める力が少し緩んでいる。靄も少し薄まった気がする。
「ユイナ様、それをこちらへ、手を洗いましょう」
アドルファスさんが吐いたものを、持ってきた桶に放り込み、お湯を張った別の桶で軽く洗い流してから、浴室へ行って石鹸を使って洗った。
「シーツを取り替えます。暫くこちらへ。それからお召し替えもいたしましょう」
「頼む」
浴室から出ると、アドルファスさんが再び抱えられて長椅子へと移動するところだった。
まだ力が入らないのか着替えもディーターさんに任せる。
少し離れたところでそれをボーッとしていた私の方を二人が振り返った。
「見たいのなら…構わない…が、あまり気持ちのいいものでは…ない」
「僭越ながら私もそう思います」
長椅子の背もたれの影に隠れて全ては見えなかったものの、一瞬見えた彼の皮膚は焼け爛れたような痕が見えた。
執事のディーターさんは時折起こす発作だと言う。
「旦那様の怪我のことはお聞きになりましたか?」
「え、あの、魔巣窟での、はい」
「旦那様の体にはその時に入り込んだ魔素がまだ残っているのです」
「それもうかがいましたが…この状態はそれが原因なのですか?」
「さようでございます」
私は苦しむアドルファスさんを見下ろした。
あの靄のようなものが魔素なのだろうか。
「体力があるうちはそれも抑え込んでいらっしゃるのですが、時折お疲れになるとこのように」
マラリアに罹患したりすると発熱を繰り返すと聞いたことがある。それと同じなのだろうか。
「最近はどれくらいの疲労で発作が起こるのかわかってきて、うまく調整が出来ていらっしゃったのに、大きな魔法でも使われたのでしょうか」
「大きな魔法…」
「魔力を使い過ぎるとそれを補填するために体力も奪われます。旦那様は体力も魔力もそこそこお有りになるので、日常では滅多にこのようなことは…一番最近は模擬訓練で指導に熱が入って起こったと聞きますが…」
日常以外のことで、何かあったのだろうかとディーターさんは首を傾げる。
「魔法…あの、探索魔法って、魔力をたくさん使ったりとか…」
「探索魔法…ですか、範囲にもよります。広範囲にかけるならその分判別力が衰えるそうです。それから街中などで人が多いと、判別により集中が必要なため、神経も擦り減るそうです」
「まさか…」
私を探すために魔法を使ったと彼は言った。
今ディーターさんが言った条件は、まさしく今日の状況に酷似しているのでは?
街中で私を探すために魔力を使いすぎたのだとしたら、彼の今の状態は私のせいかも知れない。
「私…勝手に神殿を出て街に出たんです。それをアドルファスさんが魔法を使って探して…」
「ディー…タ…」
アドルファスさんが薄っすらと目を開けてこちらを見た。
「ディーター、余計なことを…言う…な」
「旦那様、今神官を呼びに行っております」
「アドルファスさん、ごめんなさい。私…」
苦しい息の下でディーターさんを窘め、それから私に手を伸ばす。
「気に…しないで…あなたは…悪く…ない…私が…勝手に…」
「でも」
伸ばした手を掴んで握りしめる。
「だい…じょ…ぶです…死ぬ…わけでは…」
苦しいはずなのに、ニコリと微笑んだ。私が気に病まないためだとわかる。
「治療法は…」
「神官による浄化しか…しかしそれも一時鎮静化させるだけで…聖女様の浄化の力があれば…」
「ディーター」
説明するディーターさんの言葉をアドルファスさんが止める。
「おしゃべりが…過ぎる」
「も、申し訳ございません」
「それから…レディ・シンクレア…呼び戻す…必要は…ない。すぐに…おさまる…グッ」
「旦那様!」
「アドルファスさん」
急に痛みが増したのか、胸の辺りを押さえて体を丸める。
「聖女…財前さんなら治せるんですか?」
私にできることは何もない。吹き出す汗を拭い、痛みに耐える彼の姿を眺めることしかできない。せめてこれを払えないかと靄を汗のように拭ってみた。
「だめ…だ。聖女は…潔斎の…儀式が…魔巣窟…優先…魔巣窟が…なくなれば…」
今一番苦しいのは自分のはずなのに、その苦しみを取り除いてくれる人がいるのに、それに頼らないで耐えている。
「グウ……」
「アドルファスさん!」
「旦那様!」
さらに顔を苦痛で歪めたかと思うと、彼はさっき食べたものを吐き出した。
「ユ、ユイナ様!」
彼が吐き出した胃の内容物を咄嗟に手で受け止めた。
つんとした胃液の匂いが鼻腔を直撃する。
生温かいまだ消化しきれていない食べ物と胃液が混ざったものは、食べた量も多かったのですべてを手で受け止めることはできず、床に溢れてシーツも汚してしまった。
「だ、誰か桶とお湯とタオルを!」
ディーターさんが慌てて指示を出す。
「ユ…ユイナ…」
弱々しい声でアドルファスさんが目を見開き、私の顔と自分が吐き出したものを交互に見る。
「そんなこと…」
「大丈夫、前にも生徒が吐いたのを面倒見たことがあります。あなたは気にしないで」
「しかし…」
「吐いて少しすっきりしましたか?」
「あ…ああ…」
嘘ではなさそうだ。顔に籠める力が少し緩んでいる。靄も少し薄まった気がする。
「ユイナ様、それをこちらへ、手を洗いましょう」
アドルファスさんが吐いたものを、持ってきた桶に放り込み、お湯を張った別の桶で軽く洗い流してから、浴室へ行って石鹸を使って洗った。
「シーツを取り替えます。暫くこちらへ。それからお召し替えもいたしましょう」
「頼む」
浴室から出ると、アドルファスさんが再び抱えられて長椅子へと移動するところだった。
まだ力が入らないのか着替えもディーターさんに任せる。
少し離れたところでそれをボーッとしていた私の方を二人が振り返った。
「見たいのなら…構わない…が、あまり気持ちのいいものでは…ない」
「僭越ながら私もそう思います」
長椅子の背もたれの影に隠れて全ては見えなかったものの、一瞬見えた彼の皮膚は焼け爛れたような痕が見えた。
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