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35 夜の貴婦人
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枝を広げ、その先にいくつもの白い花を付けた木が目の前に生えていた。
甘い香りはその木から漂ってくる。
「これは夜光香、別名『夜の貴婦人』と言われている木で、夜に花を開かせるんです」
あたり一面クチナシのような甘い香りがして、その白い花はソルの光を浴びて宝石のように輝いている。細い笹のような葉はもともと薄いのか、光を受けて透き通るようだ。
「朝になると花弁は閉じてしまうが、この香りは残るので、トーマスが昨日この花が咲いたようだから、今夜ここに来てみてはと教えてくれました」
さっきトーマスさんはこのことをアドルファスさんに伝えていたのだった。
「いいことを教えてもらいました。とても綺麗ですね」
夜光香を眺めうっとりとして呟く。
甘い香りに包まれ、噎せ返るようだ。
「ああ、ソルの光に照らされて、とても美しい」
でも、『頑張って』とか『百戦錬磨』とか言ってませんでしたか? アドルファスさんも『うまくいくか分からない』とか何とか花を見に来いと言われたにしては会話がおかしいことを言っていた。
「夜光香の花は滅多に咲かない。世話が難しい。だから貴婦人とも言われる。でも夜光香の開花を一緒に見ることが出来たら…」
そこで何故かアドルファスさんは話すのを止めた。
「出来たら?」
花から彼に視線を移して仰ぎ見ると、彼と目が合った。花を見ていると思ったのに、彼はこちらを見ている。いつからこっちを見ていたんだろう。
「夜光香の花を一緒に見た者は両思いの者なら末永く共に関係を続けることができる。片想いの者なら、恋が成就すると言われている」
「へ、こ、コイ!」
驚いて声が裏返った。
「大丈夫ですか?」
「ゴ…ゴホン…す、すいません…」
恥ずかしくて咳払いで誤魔化した。
「こ、こっちの世界でもそんなジンクスみたいなのあるんですね」
「あなたの世界でもあるんですか?」
「そうですね。恋愛成就の御守や触ると良縁に恵まれるという石なんかもあります。素敵な恋人を望む人はたくさんいます」
「世界は違っても人の求めるものは同じなんですね」
「アドルファスさんは、信じているんですか?」
彼の口から恋が成就するという言葉が出るとは思わなかった。
「どうでしょう。あなたはどうですか? 女性は好きなのでは?」
「そういう話を聞くのは楽しいですし、好きです。夢があっていいと思います。私が若かったらもっと喜んだかもしれません」
恋は素敵なものだが、誰かと付き合うということは綺麗事ばかりではない。期待しても相手から望む反応が返ってくるとは限らないし、人は心変わりする。
私の恋はいつもいい終わり方ではなかった。
「夢を見るのに年齢は関係ありません。美しいものを好きな人と眺めることが出来たら素敵ではないですか。もちろん、どんな場所だって好きな人と一緒なら楽しいでしょうが。時にはこういう演出も役に立ちます」
冬のイルミネーションや夏の花火。一面の花畑や赤や黄色に染まる木々。高い場所から見下ろす夜景など、雰囲気のいい場所は確かに恋人たちのデートスポットだった。
「アドルファスさんなら、そんな演出に頼らなくても成功しそうですけど」
「買い被りです。かつてはそうだったかも知れませんが、今の私には簡単なことではありません」
そう言って仮面に触れる。その下にある傷がどの程度のものかわからないが、それが今の彼の足枷になっている。
「ごめんなさい…そんなつもりは…」
「謝らないでください。あなたはこの仮面のことが気にならないのですか」
「目には写っていますから、もちろん気にはなります。でも、目の悪い人が眼鏡を掛けるのと変わらないと思えばそんなものかと…」
盲目でない限り彼と向き合えば嫌でも視界に入る。
彼にとっても辛い過去の出来事。それを彷彿とさせる傷を覆い隠す仮面。
私がここにいる間は彼と毎日顔を会わせることになる。
痣やホクロだって、そこにあればつい目が行ってしまう。眼鏡も変わったデザインだと気になるのだから、それが彼の顔の特徴だと思えばいいだけだ。
「なぜ仮面を被っているのかは話して下さいましたよね。あなたが頑張ったお陰で救われた命があるんです。それを隠さなければいけないのは残念ですけど、隠したいと思っているなら…それでアドルファスさんが世間から背を向けず顔を上げていられるんです。それをあなたが汚点のように言わないで…あ…すいません…」
説教みたいになってしまった。傷は彼自身の問題で、昨日出会ったばかりの私がそれについてとやかく言うことではないのに。
あなたには関係ないとか、あなたに何がわかると逆ギレされたらと気づいた。
甘い香りはその木から漂ってくる。
「これは夜光香、別名『夜の貴婦人』と言われている木で、夜に花を開かせるんです」
あたり一面クチナシのような甘い香りがして、その白い花はソルの光を浴びて宝石のように輝いている。細い笹のような葉はもともと薄いのか、光を受けて透き通るようだ。
「朝になると花弁は閉じてしまうが、この香りは残るので、トーマスが昨日この花が咲いたようだから、今夜ここに来てみてはと教えてくれました」
さっきトーマスさんはこのことをアドルファスさんに伝えていたのだった。
「いいことを教えてもらいました。とても綺麗ですね」
夜光香を眺めうっとりとして呟く。
甘い香りに包まれ、噎せ返るようだ。
「ああ、ソルの光に照らされて、とても美しい」
でも、『頑張って』とか『百戦錬磨』とか言ってませんでしたか? アドルファスさんも『うまくいくか分からない』とか何とか花を見に来いと言われたにしては会話がおかしいことを言っていた。
「夜光香の花は滅多に咲かない。世話が難しい。だから貴婦人とも言われる。でも夜光香の開花を一緒に見ることが出来たら…」
そこで何故かアドルファスさんは話すのを止めた。
「出来たら?」
花から彼に視線を移して仰ぎ見ると、彼と目が合った。花を見ていると思ったのに、彼はこちらを見ている。いつからこっちを見ていたんだろう。
「夜光香の花を一緒に見た者は両思いの者なら末永く共に関係を続けることができる。片想いの者なら、恋が成就すると言われている」
「へ、こ、コイ!」
驚いて声が裏返った。
「大丈夫ですか?」
「ゴ…ゴホン…す、すいません…」
恥ずかしくて咳払いで誤魔化した。
「こ、こっちの世界でもそんなジンクスみたいなのあるんですね」
「あなたの世界でもあるんですか?」
「そうですね。恋愛成就の御守や触ると良縁に恵まれるという石なんかもあります。素敵な恋人を望む人はたくさんいます」
「世界は違っても人の求めるものは同じなんですね」
「アドルファスさんは、信じているんですか?」
彼の口から恋が成就するという言葉が出るとは思わなかった。
「どうでしょう。あなたはどうですか? 女性は好きなのでは?」
「そういう話を聞くのは楽しいですし、好きです。夢があっていいと思います。私が若かったらもっと喜んだかもしれません」
恋は素敵なものだが、誰かと付き合うということは綺麗事ばかりではない。期待しても相手から望む反応が返ってくるとは限らないし、人は心変わりする。
私の恋はいつもいい終わり方ではなかった。
「夢を見るのに年齢は関係ありません。美しいものを好きな人と眺めることが出来たら素敵ではないですか。もちろん、どんな場所だって好きな人と一緒なら楽しいでしょうが。時にはこういう演出も役に立ちます」
冬のイルミネーションや夏の花火。一面の花畑や赤や黄色に染まる木々。高い場所から見下ろす夜景など、雰囲気のいい場所は確かに恋人たちのデートスポットだった。
「アドルファスさんなら、そんな演出に頼らなくても成功しそうですけど」
「買い被りです。かつてはそうだったかも知れませんが、今の私には簡単なことではありません」
そう言って仮面に触れる。その下にある傷がどの程度のものかわからないが、それが今の彼の足枷になっている。
「ごめんなさい…そんなつもりは…」
「謝らないでください。あなたはこの仮面のことが気にならないのですか」
「目には写っていますから、もちろん気にはなります。でも、目の悪い人が眼鏡を掛けるのと変わらないと思えばそんなものかと…」
盲目でない限り彼と向き合えば嫌でも視界に入る。
彼にとっても辛い過去の出来事。それを彷彿とさせる傷を覆い隠す仮面。
私がここにいる間は彼と毎日顔を会わせることになる。
痣やホクロだって、そこにあればつい目が行ってしまう。眼鏡も変わったデザインだと気になるのだから、それが彼の顔の特徴だと思えばいいだけだ。
「なぜ仮面を被っているのかは話して下さいましたよね。あなたが頑張ったお陰で救われた命があるんです。それを隠さなければいけないのは残念ですけど、隠したいと思っているなら…それでアドルファスさんが世間から背を向けず顔を上げていられるんです。それをあなたが汚点のように言わないで…あ…すいません…」
説教みたいになってしまった。傷は彼自身の問題で、昨日出会ったばかりの私がそれについてとやかく言うことではないのに。
あなたには関係ないとか、あなたに何がわかると逆ギレされたらと気づいた。
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