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第一章 巡礼の街
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その夜は、干し肉と茹でた芋、固い黒パンとチーズだけの夕食だった。
二人分の食事としては心許ないから、今から買い物に行くというアルブを、帰る頃には暗くなるだろうからと、イルジャが引き止めたからだ。
「慣れた道だから、大丈夫なのに」
「それでも心配だ。暗い道で何があるかわからない」
アルブが平気だと言っても、イルジャは譲らなかった。
「わかった。でも、明日は必ず行くからね」
今日は彼の言うことを聞いて、街へ行くのは諦めた。
「我儘を言ってすまない。でも、アルブのことが心配なんだ」
「心配…」
「そうだ。余計なお世話かも知れないが」
心配という言葉に、アルブは不思議そうに小首を傾げた。
師匠の死後は一人で暮らして、自分のことは自分の責任で生きてきた。
もし事故や病気で死ぬことはあっても、誰にも気にかけて貰えず、そのまま土に還るだけだと己の運命を受け入れている。
師匠が死ぬ前、一人になるのが怖くて泣いていると、この世に生を受けた限り、貴賤の区別なく等しく必ず死は訪れるのだから、悲しむ必要はない。
お前に取っては生きにくい世界でも、必ず生まれてきて良かったと思える時もある。だから真っ直ぐに生きなさい。師匠はそう言った。
言葉少ない師匠が、最後の瞬間は饒舌だった。
「心配してくれてありがとう」
イルジャに出逢えたことが、まさにアルブに取っては生きてきて良かったと思える出来事のひとつだ。
「こんなことくらいでお礼を言うなんて、アルブは律儀だな。それもアルブの良いところのひとつなんだろうけど」
またもやアルブを褒められ、それがくすぐったい。
いつまでもイルジャと一緒にいたいと思ってしまう。
それが無理なことはわかっている。
「それから神殿にも行ってみる。イルジャのことを知っている人がいるかも」
本当は、先に行くべきだったかも知れない。
イルジャがアルブを心配してくれたように、彼のことを心配して、探している人たちがきっといる。
彼らも森の中の粗末な小屋にイルジャがいるとは、思っていないのだろう。
けれど、彼がなぜ襲われたのか、薬を飲まされたのか、まだわかっていない。
ここは先に様子を見てくるほうがいい。
「ありがとう。でも俺としてはもう少しアルブと一緒にいたい」
「えっ」
意外な言葉に驚いた。
アルブが辛うじて彼の名前などを知っていたが、記憶がないなら、自分のことを知っている人に、早く逢いたいはずだ。
「アルブには迷惑なことで、不謹慎だろうけど、こうして二人でいるのも悪くない。いずれ俺を探して誰かが来るまで、ここにいては駄目か?」
そう言って懇願するイルジャは、アルブよりずっと体が大きいくせに、なぜか可愛いと思ってしまう。
「め、迷惑なんて…」
「それに、アルブに受けた恩を、ちゃんと返さないと。本当にあんなことでいいのか?」
「やっぱり、駄目?」
「いや、俺は別に…でも…」
「嫌なら…」
「嫌じゃない。でも、お礼が添い寝なんて、お礼にならない」
イルジャが何か礼がしたいと言い張ったが、アルブは礼がほしくてやったのではないからと、最初は断った。
しかし、あまりに何かないかと聞いてくるので、一緒に寝てほしいと言ったのだった。
「ね、ねねね、寝る? えっと、それはつまり」
なぜかイルジャは動揺している。
「昨夜、誰かと一緒に寝たのは初めてだけど、あったかくて気持ち良かったんだ。今夜も一緒に寝たらだめかな?」
「あ、そ、そうだね。一緒に…眠るってことか」
「誰かと一緒だと眠れない?」
「い、いや、そんなことは…ない…と、思う。でも、昨夜は、俺も熱があって、アルブと一緒に寝た自覚がなかったけど…こ、今夜は…」
ゴニョゴニョとイルジャは歯切れ悪く話す。
何でもと言われたが、厚かましかったかとアルブは諦めることにした。
「無理ならイルジャが寝台で寝て。僕は床に」
「それは駄目だ! アルブが床に寝るなら俺が寝る」
「だ、駄目だよ。イルジャは怪我人なんだから」
「だが、この家の主はアルブだ。それなら一緒でいい」
渋々イルジャは頷いた。
「ありがとう」
アルブは嬉しさに微笑んだ。
「だけど、俺も健全な男だから、怪我をしていたって、そこは保証できないぞ。ああいうのは、自然現象だ。美人と一緒に寝て、何もないわけじゃないからな」
「………?? えっと…それは?」
アルブの頭に一瞬、昨夜イルジャに首を締められた光景が浮かんだ。
あれは薬と熱のせいだと思ったが、もしかしたら、イルジャは寝ぼけてそういうことをするのかも知れない。
師匠が亡くなって暫く寂しくて、寝ているうちにフラフラと起き上がって師匠を探し回っていた自分のことを思い出す。
気がつくと、師匠の墓の前で丸まって寝ていたのだった。
日が過ぎるうちに、そういうことは無くなった。もしかしたら、イルジャもそれと同じだったのかも。
「もしそうなったら、僕が何とかするよ」
力ではイルジャに敵わないだろうが、叩くなりして起こせば止まるはずだ。
「な、なんとかって、どうするんだ?」
「えっと、それはその時になってみないと…」
言ってみたものの、どうするのがいいのかアルブには検討もつかなかった。
二人分の食事としては心許ないから、今から買い物に行くというアルブを、帰る頃には暗くなるだろうからと、イルジャが引き止めたからだ。
「慣れた道だから、大丈夫なのに」
「それでも心配だ。暗い道で何があるかわからない」
アルブが平気だと言っても、イルジャは譲らなかった。
「わかった。でも、明日は必ず行くからね」
今日は彼の言うことを聞いて、街へ行くのは諦めた。
「我儘を言ってすまない。でも、アルブのことが心配なんだ」
「心配…」
「そうだ。余計なお世話かも知れないが」
心配という言葉に、アルブは不思議そうに小首を傾げた。
師匠の死後は一人で暮らして、自分のことは自分の責任で生きてきた。
もし事故や病気で死ぬことはあっても、誰にも気にかけて貰えず、そのまま土に還るだけだと己の運命を受け入れている。
師匠が死ぬ前、一人になるのが怖くて泣いていると、この世に生を受けた限り、貴賤の区別なく等しく必ず死は訪れるのだから、悲しむ必要はない。
お前に取っては生きにくい世界でも、必ず生まれてきて良かったと思える時もある。だから真っ直ぐに生きなさい。師匠はそう言った。
言葉少ない師匠が、最後の瞬間は饒舌だった。
「心配してくれてありがとう」
イルジャに出逢えたことが、まさにアルブに取っては生きてきて良かったと思える出来事のひとつだ。
「こんなことくらいでお礼を言うなんて、アルブは律儀だな。それもアルブの良いところのひとつなんだろうけど」
またもやアルブを褒められ、それがくすぐったい。
いつまでもイルジャと一緒にいたいと思ってしまう。
それが無理なことはわかっている。
「それから神殿にも行ってみる。イルジャのことを知っている人がいるかも」
本当は、先に行くべきだったかも知れない。
イルジャがアルブを心配してくれたように、彼のことを心配して、探している人たちがきっといる。
彼らも森の中の粗末な小屋にイルジャがいるとは、思っていないのだろう。
けれど、彼がなぜ襲われたのか、薬を飲まされたのか、まだわかっていない。
ここは先に様子を見てくるほうがいい。
「ありがとう。でも俺としてはもう少しアルブと一緒にいたい」
「えっ」
意外な言葉に驚いた。
アルブが辛うじて彼の名前などを知っていたが、記憶がないなら、自分のことを知っている人に、早く逢いたいはずだ。
「アルブには迷惑なことで、不謹慎だろうけど、こうして二人でいるのも悪くない。いずれ俺を探して誰かが来るまで、ここにいては駄目か?」
そう言って懇願するイルジャは、アルブよりずっと体が大きいくせに、なぜか可愛いと思ってしまう。
「め、迷惑なんて…」
「それに、アルブに受けた恩を、ちゃんと返さないと。本当にあんなことでいいのか?」
「やっぱり、駄目?」
「いや、俺は別に…でも…」
「嫌なら…」
「嫌じゃない。でも、お礼が添い寝なんて、お礼にならない」
イルジャが何か礼がしたいと言い張ったが、アルブは礼がほしくてやったのではないからと、最初は断った。
しかし、あまりに何かないかと聞いてくるので、一緒に寝てほしいと言ったのだった。
「ね、ねねね、寝る? えっと、それはつまり」
なぜかイルジャは動揺している。
「昨夜、誰かと一緒に寝たのは初めてだけど、あったかくて気持ち良かったんだ。今夜も一緒に寝たらだめかな?」
「あ、そ、そうだね。一緒に…眠るってことか」
「誰かと一緒だと眠れない?」
「い、いや、そんなことは…ない…と、思う。でも、昨夜は、俺も熱があって、アルブと一緒に寝た自覚がなかったけど…こ、今夜は…」
ゴニョゴニョとイルジャは歯切れ悪く話す。
何でもと言われたが、厚かましかったかとアルブは諦めることにした。
「無理ならイルジャが寝台で寝て。僕は床に」
「それは駄目だ! アルブが床に寝るなら俺が寝る」
「だ、駄目だよ。イルジャは怪我人なんだから」
「だが、この家の主はアルブだ。それなら一緒でいい」
渋々イルジャは頷いた。
「ありがとう」
アルブは嬉しさに微笑んだ。
「だけど、俺も健全な男だから、怪我をしていたって、そこは保証できないぞ。ああいうのは、自然現象だ。美人と一緒に寝て、何もないわけじゃないからな」
「………?? えっと…それは?」
アルブの頭に一瞬、昨夜イルジャに首を締められた光景が浮かんだ。
あれは薬と熱のせいだと思ったが、もしかしたら、イルジャは寝ぼけてそういうことをするのかも知れない。
師匠が亡くなって暫く寂しくて、寝ているうちにフラフラと起き上がって師匠を探し回っていた自分のことを思い出す。
気がつくと、師匠の墓の前で丸まって寝ていたのだった。
日が過ぎるうちに、そういうことは無くなった。もしかしたら、イルジャもそれと同じだったのかも。
「もしそうなったら、僕が何とかするよ」
力ではイルジャに敵わないだろうが、叩くなりして起こせば止まるはずだ。
「な、なんとかって、どうするんだ?」
「えっと、それはその時になってみないと…」
言ってみたものの、どうするのがいいのかアルブには検討もつかなかった。
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