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第一章 巡礼の街
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「おかえり」
「………!」
家に戻ったアルブを、イルジャがそう言って出迎えた。
右足裏は怪我をしているので、左に重心を傾けて立っている。
「どうした、何かあったのか?」
そんなアルブの戸惑いに、イルジャが首を傾げる。
「いえ、その…『おかえり』って言われるのが、初めてで…」
街で何度か耳にしたことはある言葉だが、師匠が生きていた頃は、一緒に出かけることが多かったので、そう言われたことはなかった。
亡くなる少し前は病気で殆ど寝ていたので、アルブが帰宅しても、声をかけてくれたことはなかった。
「そうか。じゃあ、これはアルブにとって初めてなんだな」
ニコリと笑って、腰を曲げてアルブの方へ顔を突きだす。
「『おかえり』と言われたら、『ただいま』と言うんだぞ」
そしてはらりと外套を払い除けて、アルブに真っ直ぐ目を向けてくる。
「!! な、何を…」
「『ただいま』は?」
外套を被り直そうとしたが、その手を掴まれる。
「た、ただ…いま」
仕方なく、アルブは呟いた。
「アルブ、どうしたその顔…」
しかし、イルジャはアルブの顔を見て、何か異変に気付いたらしく、眉を潜めた。
「か、顔…?」
言われて、さっき外へ出た時に太陽の光を浴びたことを思い出した。
「あ、さっき太陽の光に当たったから」
「そんなふうになるのか」
「こ、これくらいなら、薬を塗れば明日には収まるよ」
これくらいの痛みなら大したことはないと、アルブは笑ってみせた。
「なら、早く塗ったほうがいい」
「う、うん…でも、あ、あの、これ、見つけたんだ。イルジャのものかも知れない」
アルブは持って帰ってきた剣をイルジャに渡す。そしてその場所がどんなだったかも説明した。
「その場にこれが? それが俺のだと?」
「多分…見覚えがあるから」
イルジャとの僅かな邂逅は、どんな些細なこともアルブに取っては大事な記憶だった。
しかし、視界の隅にちらりと目にしたたけなので、はっきりとは断定できない。
アルブは両手でやっと持てる重さのものを、イルジャは片手で軽々と持ち上げている。
鞘を掴んで横向きにすると、それをまじまじと眺める。
柄を掴んでイルジャは少し鞘から引き抜く。
刀身がキラリと輝く。
「何か思い出した?」
「いや。でも、不思議と手に馴染む。それより」
カチャンと剣を鞘に戻すと、イルジャはアルブの手を掴んだ。
「アルブの顔に薬を塗るのが先だ」
「えっ」
「早く塗ろう。せっかくの美人が台無しだ」
「べ、別に僕の顔なんて…」
「せっかく綺麗な顔をしているのに、もったいない。俺はアルブの顔が好きだぞ」
「好き」という言葉にアルブの心臓がどくんと鳴った。
体もかっと体温が高くなる。
「アルブ、ほら薬はどこだ?」
「う、うん…そ、そこの棚の一番下に…」
アルブが指差すと、怪我をした足を庇いながら、そこへ歩いていく。
「これか?」
「うん、そう、ありがとう」
取り出した瓶を受け取ろうとアルブは手を伸ばす。しかしイルジャはさっと上に上げてアルブの手から遠ざけた。
「イルジャ?」
「俺が塗る」
「へ?」
「これくらいさせてほしい。世話になりっぱなしだからな。ほら、そこに座って」
そして強引にアルブの手を引っ張って、昨日と同じ椅子に座らせる。
「あの、イルジャ、僕、自分で…」
瓶を取り上げようとした手を、イルジャが払い除ける。
「駄目だ。俺のものを探しに行って、そんなになったのだから、俺が塗るのが当然だ」
「こ、これは僕の不注意で…」
「そうだとしても、自分の顔には塗りにくいだろう、ほら」
瓶の蓋を開けてたっぷり指で掬うと、ペタリと頬に塗りつけた。
「ひゃっ」
冷たさに肩を竦め、悲鳴を上げる。
「申し訳ない」
「あの、自分でやりますか…」
「いや、これは俺がやりたいんだ」
まだ抵抗しようとするアルブから一瞬手を引っ込めて、薬を掌で温めてから再びアルブの顔に手を伸ばした。
さっきと違い、人肌で温められた薬はアルブをほっとさせた。
「痛むのか?」
「最初だけ…でも、もう慣れたから」
「そうか。大変だな」
薬を塗りながら、イルジャは同情の目をアルブに向ける。
「太陽の光さえ避ければ、なんてことはありません」
アルブにとっては当たり前の生活だ。この体質を変えられない限り、死ぬまでこんなふうに生きていくしかない。
「健気だな。自分の境遇を腐ったり、誰かを恨んだり、責めたりしないんだな」
「誰を…何を恨むっていうの?」
アルブを捨てた親? それともこんなふうにアルブを作った神? アルブは不思議そうにイルジャを見る。
「誰かを恨んで責めて、この体質が変わるなら、いくらでも責めるけど、そんなことをしても変わらないんだから、そう思うだけ無駄だよ」
この体質を面倒に思い、思う存分太陽の光を浴びてみたいと思ったことはある。
しかし、これが自分なのだからと、アルブは受け入れることで、己を受け入れてきたのだ。
「………!」
家に戻ったアルブを、イルジャがそう言って出迎えた。
右足裏は怪我をしているので、左に重心を傾けて立っている。
「どうした、何かあったのか?」
そんなアルブの戸惑いに、イルジャが首を傾げる。
「いえ、その…『おかえり』って言われるのが、初めてで…」
街で何度か耳にしたことはある言葉だが、師匠が生きていた頃は、一緒に出かけることが多かったので、そう言われたことはなかった。
亡くなる少し前は病気で殆ど寝ていたので、アルブが帰宅しても、声をかけてくれたことはなかった。
「そうか。じゃあ、これはアルブにとって初めてなんだな」
ニコリと笑って、腰を曲げてアルブの方へ顔を突きだす。
「『おかえり』と言われたら、『ただいま』と言うんだぞ」
そしてはらりと外套を払い除けて、アルブに真っ直ぐ目を向けてくる。
「!! な、何を…」
「『ただいま』は?」
外套を被り直そうとしたが、その手を掴まれる。
「た、ただ…いま」
仕方なく、アルブは呟いた。
「アルブ、どうしたその顔…」
しかし、イルジャはアルブの顔を見て、何か異変に気付いたらしく、眉を潜めた。
「か、顔…?」
言われて、さっき外へ出た時に太陽の光を浴びたことを思い出した。
「あ、さっき太陽の光に当たったから」
「そんなふうになるのか」
「こ、これくらいなら、薬を塗れば明日には収まるよ」
これくらいの痛みなら大したことはないと、アルブは笑ってみせた。
「なら、早く塗ったほうがいい」
「う、うん…でも、あ、あの、これ、見つけたんだ。イルジャのものかも知れない」
アルブは持って帰ってきた剣をイルジャに渡す。そしてその場所がどんなだったかも説明した。
「その場にこれが? それが俺のだと?」
「多分…見覚えがあるから」
イルジャとの僅かな邂逅は、どんな些細なこともアルブに取っては大事な記憶だった。
しかし、視界の隅にちらりと目にしたたけなので、はっきりとは断定できない。
アルブは両手でやっと持てる重さのものを、イルジャは片手で軽々と持ち上げている。
鞘を掴んで横向きにすると、それをまじまじと眺める。
柄を掴んでイルジャは少し鞘から引き抜く。
刀身がキラリと輝く。
「何か思い出した?」
「いや。でも、不思議と手に馴染む。それより」
カチャンと剣を鞘に戻すと、イルジャはアルブの手を掴んだ。
「アルブの顔に薬を塗るのが先だ」
「えっ」
「早く塗ろう。せっかくの美人が台無しだ」
「べ、別に僕の顔なんて…」
「せっかく綺麗な顔をしているのに、もったいない。俺はアルブの顔が好きだぞ」
「好き」という言葉にアルブの心臓がどくんと鳴った。
体もかっと体温が高くなる。
「アルブ、ほら薬はどこだ?」
「う、うん…そ、そこの棚の一番下に…」
アルブが指差すと、怪我をした足を庇いながら、そこへ歩いていく。
「これか?」
「うん、そう、ありがとう」
取り出した瓶を受け取ろうとアルブは手を伸ばす。しかしイルジャはさっと上に上げてアルブの手から遠ざけた。
「イルジャ?」
「俺が塗る」
「へ?」
「これくらいさせてほしい。世話になりっぱなしだからな。ほら、そこに座って」
そして強引にアルブの手を引っ張って、昨日と同じ椅子に座らせる。
「あの、イルジャ、僕、自分で…」
瓶を取り上げようとした手を、イルジャが払い除ける。
「駄目だ。俺のものを探しに行って、そんなになったのだから、俺が塗るのが当然だ」
「こ、これは僕の不注意で…」
「そうだとしても、自分の顔には塗りにくいだろう、ほら」
瓶の蓋を開けてたっぷり指で掬うと、ペタリと頬に塗りつけた。
「ひゃっ」
冷たさに肩を竦め、悲鳴を上げる。
「申し訳ない」
「あの、自分でやりますか…」
「いや、これは俺がやりたいんだ」
まだ抵抗しようとするアルブから一瞬手を引っ込めて、薬を掌で温めてから再びアルブの顔に手を伸ばした。
さっきと違い、人肌で温められた薬はアルブをほっとさせた。
「痛むのか?」
「最初だけ…でも、もう慣れたから」
「そうか。大変だな」
薬を塗りながら、イルジャは同情の目をアルブに向ける。
「太陽の光さえ避ければ、なんてことはありません」
アルブにとっては当たり前の生活だ。この体質を変えられない限り、死ぬまでこんなふうに生きていくしかない。
「健気だな。自分の境遇を腐ったり、誰かを恨んだり、責めたりしないんだな」
「誰を…何を恨むっていうの?」
アルブを捨てた親? それともこんなふうにアルブを作った神? アルブは不思議そうにイルジャを見る。
「誰かを恨んで責めて、この体質が変わるなら、いくらでも責めるけど、そんなことをしても変わらないんだから、そう思うだけ無駄だよ」
この体質を面倒に思い、思う存分太陽の光を浴びてみたいと思ったことはある。
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