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第一章 巡礼の街

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「ちょっと、アルブ」

 店を出たところで控え目に名を呼ばれて、アルブはそちらを見た。

「ロキサさん」

 それは店主の母親ロキサだった。
 
「これ、持ってお行き」

 少し背の曲がった彼女は、持っていた包をアルブの空になった籠に押し込んだ。
 
「え」
「昨日焼いたミートパイだよ。お食べ」

 彼女はそれが何なのかアルブに説明する。

「あ、ありがとう」

 アルブは笑ったが、外套に隠れてそれは彼女には見えなかった。
 しかし彼女は理解しているのか、軽く頷く。

「あんたの師匠には世話になったからね。家の息子のこと、許しておくれね。根は悪い子ではないんだけど、うちも色々大変なんだ」
「ううん、大丈夫。バルサックさんには、いつもお世話になっているから」

 アルブは軽く首を振った。

「そう、いい子だね。ありがとう」

 既に皺のある顔で彼女が笑うと、更に皺が深くなる。
 死んだ彼の師匠は彼女より年上だった。亡くなって五年ほどになるが、死んだ師匠を彼は思い出し懐かしくなった。
 バルサックはつっけんどんだが、それでもこのギネシュでは、アルブとまともに会話してくれる数少ない人間だ。
 他の人達は彼を奇異な目で見るか、悪い時には石を投げたり、罵声を上げて追い払おうとしたりする。
 そして、ロキサのように親切にしてくれる人はさらに稀だ。

「さあ、雨が降り出す前にお帰り」
「あ、ありがとう」

 路地裏から空を見上げれば、どんよりとした雲が空を覆っている。
 作物の生育や生きていくためには雨は必要だ。
 だが、同時に雲は太陽を覆い隠す存在でもある。
 太陽神ラーシルを象徴する太陽を隠す雲。
 曇りや雨の日は、ラーシルの休息日。人々は無事に再び太陽が見られますようにと祈を捧げる。
 しかし、それはアルブにはこの重苦しい外套から解放される時でもあった。
 ロキサに別れを告げて、アルブは帰路についた。
 いくら太陽が隠れて過ごしやすくなるとは言え、雨で濡れそぼるのはアルブも避けたいところだ。
 少し足早に通りを進んでいく。
 
(今日はいい日だ)

 バルサックには買い叩かれたが、ミートパイをもらえた。
 師匠が亡くなって森の奥でひっそりと暮らすアルブにとって、街へ来るのはいつも勇気がいる。
 怖いが育てた薬草を売らなければ収入が得られない。
 お金が無ければパンも買えない。
 野菜などは自給自足で賄っているが、パンや肉などは買わないと食べられない。

「雨が降る前に買い物をして帰れるかな」

 今にも泣き出しそうな空模様を見上げ、アルブは独り言を呟いた。
 一人暮らしが長く続くと、どうしても独り言が多くなる。
 もらった銀貨でパンと干し肉を買い、アルブはギネシュの通用門を潜り街の外へ出た。
 夕方になると街と麓を結ぶ街道には、これから街へ入ろうと下から登ってくる人と、巡礼を終えて麓に向かう人たちでごった返す。
 特に今日は雨が今にも降りそうなため、人々の足も自然と速くなっている。
 その間を器用に避けて、アルブは緩やかな坂道を降って行った。
 山の入口にも関所があり、今からだとギネシュに入るための通用門が閉まるまでには間に合わないと、関所番に止められている者が何人かいた。
 それを横目に見て、アルブは山の裏手の森へと細い脇道を抜ける。
 森の中は大きな木がたくさんあり、少々の雨なら生い繁った葉が雨よけになってくれる。
 
「なんとか間に合いそう」

 森の中に足を踏み入れる前に空を見上げ、雲行きを見ると、黒く重苦しい雲が西の空からこちらに流れてくるのが見えた。
 アルブは少し足速に森へと入っていき、森の奥の住処へとむかった。
 しかし、雨が頭上の葉に当たる音が聞こえて来た時、アルブは雨音とは違う音を聞いて、立ち止まった。
 
 パラパラと雨が木の葉に落ちるいつもの聞き慣れた音ではない何かが聞こえ、アルブの体に緊張が走る。
 人か獣か。獣でもウサギなどならいいが、狼や熊のような肉食系だと対処できる自信がない。

 それでも獣なら、こちらが威嚇すれば逃げるかもと、淡い期待を胸に耳を澄ませた。

 しかしそれが人ともなれば、また厄介だ。

「う…」

 うめき声のような声が聞こえる。

(え、人?)

 一瞬だったのではっきりわからない。

「う、ううう」

 耳を澄ませていると、またもや声が聞こえた。

 腰に手を伸ばし、護身用の短剣の所在を確かめる。  
 もし襲われたらと、ずっと持ち歩いているものだ。
 しかしいつまで経っても何も向かってこない。
 獣なら襲おうと身構えているのかもしれない。人ならば、どういった状況なのか。
 恐る恐る声がした繁みの方角に向かって歩いて行った。

「え……」 

 繁みを掻き分けた先には、人が倒れていた。
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