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「下心って…」
「振られたばっかりの弱みにつけこんで、体の関係に持ち込もうとする、男の下心だよ」

 反対側の手が伸びてきて、私の首筋から襟元に沿って指を添わせる。微かに肌に指が触れて、どきりとする。

「……わ、私なんて…色気もないし…」

 払い除ければいいのに、なぜかそれが出来ない。彼の視線が私の奥の何かを揺さぶる。

「それは君を振った馬鹿な男が言ってたの?」
「……そ、それは…」
「それとも、お母さんのせい? お父さんが母親みたいになるなって、言ったから?」

 尚弥とのことだけでなく、母親のことも父親のことも色々と喋ったらしい。

「まあ、下心っていうのは、動機のひとつで…」

 戸惑う私を見て、彼は別の言い方をした。
 下心は残っているんだ。

「お通夜の時、律儀に追いかけてきてくれたでしょ? 親切な子だなと思ったけど、女性が俺に近づく時って、相手もそれなりに魂胆があることが多いんだ」
「それは…」

 こんなマンションに住んでいるのだから、きっとお金もあるんだろう。そうでなくても彼ならちょっと親切にすれば…たとえ冷たくあしらったとしても、お近づきになりたいと思う女性は多いだろう。

「だから危機察知能力…とでもいうのかな。相手が割り切った関係でいいと思っているか、本気か、何とも思っていないかとか、何となく察するようになって、それに合わせて俺も態度を決めていたんだけど…」
 
 彼の顔が近づいてきて、息が肌にかかった。ぞわりと肌が泡立ち、背筋をぞくぞくとした何かが走った。
 このままここにいては危ない。あるかわからない危機察知能力が、私の脳に警鐘を鳴らす。
 このひとは危険だ。
 彼が私の手首を掴む。
 掴んだまま、彼の親指が手の甲を撫でる。そこからまたもやゾクゾクとした痺れが広がる。きゅっと心臓が締めつけられ、息が苦しくなる。

「君はどっちかと言えば『何とも思っていない』って感じたけど、下心のない親切心みたいなのを感じたんだ」
「私は別に…ただ、実のお父さんとの最後のお別れに来たのに、あんな風に追い帰されるのは、何だか違うと思ったから…」
「だね、まあ、だからって、どうにかしようとか思わなかったし、年の差も感じたし…でも、この前カフェで出会った君は、とても悲しそうで…気になったんだ」
「あの時は…その、尚弥、付き合っていたと思っていた相手にメールで別れようって言われたところで…」
「そうだね。そう言ってた。それで昨日のこと…それからお母さんのことも聞いたよ。母親に捨てられたのは、俺も同じだから」

 話しながら、彼は私の手を撫で続ける。その手触りが心地良くて、話に集中できない。
 
「俺は男だから、母親のことを言われても、特に比べられたりしなかったけど、それでも血は争えないとか、色々と言われた。こんな容姿だから、女性が放っておかなかったし、中学生の頃は教師からも言い寄られていた」
「そ、それは…私はそんなこと全然…」

 非モテなので、そこは共感できない。

「旭ちゃんさ」

 手元から視線を上げて、彼は今度は頬に手を添えてきた。

「せっかく可愛いのに、自分で自分を女性としてだめとか、着飾るのは悪いことだって呪いをかけてたら、もったいないよ」
「か、そんなこと、言われたこと…ないです。国見さんの目、おかしいんじゃ」

 お父さんにも小さい頃から言われたことがない。お母さんは…そう言えばお母さんだけだった。私を「かわいい」と言ってくれたのは。 

「は、離して…」

 声が震える。腕を掴んだまま私を見上げる彼の目が、愉快そうに細められる。

「本当に嫌なら、振りほどけば良い」

 振りほどけないほど、彼は強く掴んではいない。私が手を引けば、簡単に解けてしまう。
 なのに、私はその手を振りほどけなかった。

「……私を…からかって面白いですか? そう言えば、女性が皆喜ぶとでも?」

 尚弥とのやり取りで、すっかり女としてどころか、人間としての自信まで失くした私は、八つ当たりとわかっていても、目の前の国見さんに、ついきつく当たった。

「あなたみたいな人は、簡単にどんな女性も手に入るんでしょうね」

 お酒に酔って、彼にそんなことを言った気がする。

「美人でスタイルのいい女性が選り取り見取りなのに、なんで私なんかに構うんですか。親戚だから?」

 どうして私じゃだめなの。どうして私が辞めろって言われるの。どうして…お母さんは私を置いていったの。お父さんのことが嫌いになったとしても、母親って、子供が一番じゃないの。
 殆ど他人の目の前の男性に、私は不満を思い切りぶつけた。

 カフェでの女性に対する態度から、彼は冷たい時はどこまでも冷たい態度を取れる人だとわかる。
 なのに、なぜか彼は私を切り捨てない。そんな確信があったのか。それとも、ここで拗れても、二度と会うことがない人だとわかっていたからなのか。
 鬱屈した思いを、彼に思い切りぶつけた。

「旭ちゃん」

 そんな私を、ただ彼は黙ってふわりと抱きしめた。

「はな…」

 背中を優しく撫でられる。人肌が心地良かった。
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