上 下
41 / 115
第2章

イレーネ①

しおりを挟む
 これは、夢なのだろう。
 
 そう、これは夢だ。
 
 昔の、私の記憶。
 
 そう、私が人として生きた証。

 他人から見た私の記憶は、きっと醜いだろう。

 私自身、そう思うのだから。


 ◇ ◇ ◇


 私に名前などなかった。命令され、奴隷として生きてきた。
 どうにか耐えられたのは、私より小さく、弱い子たちが私の手を必死に掴んでいたからだ。
 微かに残る親の記憶。なのに、その顔も、声も、名前も思い出せない。自分の名前すら。
 大量の薬を飲まされて以来、昔の記憶がぼんやりとしている。
 微かに残るあの笑顔を思い出すたび、涙が流れる。その理由が、私には分からない。
 
 私はただ、愛もなく、命令されるまま、生きるだけ。

 人の物を盗み、私はその代価として、ほんの少しの食事を与えられる。
 
 そのために罪を犯す私は、いつか罰が与えられるだろう。

 高そうな服を着た少女がいた。私よりほんの少しだけ、背が高い女の子。すごく、幸せそうな笑顔。簡単だと思った。
 しかし、彼女には護衛がいた。そんなことすら気付かないぐらい、私の視野は狭くなっていた。
 だから、ほんの少しの嫉妬心に駆られた私の末路など、悲惨なものになるはずだった。

 護衛の大きな大人二人に取り押さえられ、私はすぐに抵抗を諦めた。

 でも、思い出すのは、自分よりも小さな子供たち。彼らにまともなスリなどできるはずがない。だから、私は彼らの分まで働かないといけない。
 私の仕事がうまくいかなければ、彼らは見せしめのように痛めつけられる。私は怖かった。彼らのために、私が代わりに痛みを負う覚悟もなく、彼らの悲鳴を聞きながら、ただ震えるだけ。

 あぁ、私がここで死ねば、彼らが生きていけるとはとても思えない。私は自分の愚かさを知った。

 ――昔の記憶が、微かに蘇る。

「貴方は、今日からお姉ちゃんになるのよ」

 ――そして、掴んだ小さな手。

 思い出せない。それ以上、何も思い出せないのに、涙があふれる。

 私はみじめにも頭を地面に叩き付け、ただ許しを乞うた。私はどうなってもいいから、お金を恵んでくれと、彼らを助けてくれと、泣き喚いた。

 自分がどうなっていもいいと思えるぐらいの覚悟を、今更持ったところで、何の意味があるのだろうか。
 もっと早く、この勇気があれば、私は彼らを救えたかもしれないのに。

 頭を押さえつけられ、それでも私はただ助けを求めた。それが、どれだけ無駄なことか、私は痛いぐらい知っていたはずなのに。

 何度叫んだんだって、誰も立ち止まってくれない。誰も、振り返らない。泣き叫んで助けを求める私を見る目は、いつだって暗い。暗い目だ。

 でも、女の子は私に大丈夫だと言った。

 私はあなたを助けたいと、彼女は言った。

 私は力が抜けた。

 護衛二人は私を離し、代わりに女の子は私の体を抱きしめた。

 風呂にも入らず、泥だらけの私、無様に頭から血を流す私を、服が汚れることも気にせず、彼女は私を抱きしめた。

 その温かさを、私はきっといつまでも忘れない。記憶がなくなっても、この心が、この体が覚えている。

「あなた、名前は?」
「……知らない」

 彼女は驚いた顔をする。

「もしかして、年齢も?」
 
 私は首を縦に振る。

「そう、私の名前はアローラ。そして、あなたの名前は、イレーネよ」
「イレーネ?」
「そう、あなたは、イレーネよ。この名前は、私にとって、特別な名前」
「……とくべつ」
「そう、特別な名前。そして、あなたは今日、誕生日を迎える。イレーネ、あなたは今日、12歳になったのよ」

 この時の私は、あまり意味がよく分からず、少し呆けていた。
 
「さぁ、イレーネ、話を聞かせて頂戴。あなたを、私は救いたいから」
 

 
 その日のうちに、私たちは彼女に救われた。
 彼女は強かった。
 今まで私たちを苦しめた人間たちが、昨日までの私たちのように膝をつき、額を床にこすりつけ、助けを乞うた。

 何なんだ? 私は理解が出来なかった。私たちがあれだけ泣き叫び、許しを求めても、笑って殴り続けたあんたらが、同じことをしている。それで、許されるわけがない。
 でも、彼女はそれ以上を行うことなく、男たちを衛兵に渡した。

「許せませんか?」

 彼女の言葉に、私は何も返せなかった。そんな私を、彼女は抱きしめる。

「私はあなたの苦しみを分かってあげられない。だから、簡単にあいつらを許せとは言えない。でも、あなたがいつか全てを許せるようになるまで、私はあなたの傍にいたいと思います」
 
 分からない。彼女が何を言っているのか、私には分からない。それでも、心が少しだけ、楽になった気がした。

 
 私たちは全員、彼女の家が出資している孤児院に預けられた。
 彼女はほとんど毎日のように顔を出してくれた。そして、私たちの家族を探させていると言った。それについて、特に期待はしていなかった。だって、彼らはお酒に酔っ払うと、良く笑って話していた。私達の親が如何に惨たらしく殺されたかを。

 
 あれだけ暗かったちび達も、半年も経てば元気になり、笑顔で外を駆け回るようになった。
 私はちび達の面倒を見ながらも、必死に勉強した。ほとんど眠らなかったときは、院長さんに怒られたため、なるべく睡眠はとるようにした。
 私は、ちび達のために生きると決めていたけど、それでも、私は彼女のために生きたかった。それをちび達に伝えると、彼らは私の幸せを願ってくれた。私のしたいようにしていいんだと、彼らは言った。不覚にも泣いてしまった私を彼らは笑った。そして、一緒に泣いてくれた。

 私は勇気を出して、彼女に言った。あんたのために生きたいと。あんたの役に立ちたい。そのためにはどうしたらいいのか、私は彼女に聞いた。

「イレーネ、あなたが私より生きて、あなたが私より幸せになることが、私のためになるのよ」

 そんな、訳の分からないことを彼女は言った。


 
 それから1か月以上、私は彼女のために働きたいと言い続けた。すると根負けしたのか、私は彼女のメイドとして働くことになった。
 仕事の合間に勉強と、彼女を守れるように、彼女の護衛の人に稽古をつけて貰った。習ったのは弓と短剣。私にはそこそこ才能があったのか、誉められ、いい気になった。

 幸せだった。本当に幸せだった。彼女がいるこの世界は。
 いつまでも、この夢が続けばいい。いつまでも――。

 私は、彼女のためだけに生きると誓った。
 だけど、それは――いつしか、違う願いに変わっていた。違う誰かが、いつの間にか、私の心の中に入り込んできた。それは、その名前は――。

 声がする。

 これは、誰の声だったか。

 ――私は、少しずつ、夢から覚めていく。

「イレーネさん!」

 そこには、もう二度と会うつもりのなかった、クラーラがいる。

 私の頭はどこかぼんやりとしている。どうやら、まだ夢の中にいるようだ。

 だって、クラーラがここにいる訳がないのだから。

 昨日、一睡もしていないくらいで、私はもう、幻覚を見るようになってしまったようだ。

 幻は相変わらず、私の名前を呼び続け、私の体を抱きしめる。

 本当は会いたかった、すごく会いたかった。

 頬が濡れる。

 クラーラは私に口づけをする。

 分かっている。

 本当はとっくに分かっている。

 信じられないけど、これが現実だということを。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

【完結】【R18百合】会社のゆるふわ後輩女子に抱かれました

千鶴田ルト
恋愛
本編完結済み。細々と特別編を書いていくかもしれません。 レズビアンの月岡美波が起きると、会社の後輩女子の桜庭ハルナと共にベッドで寝ていた。 一体何があったのか? 桜庭ハルナはどういうつもりなのか? 月岡美波はどんな選択をするのか? おすすめシチュエーション ・後輩に振り回される先輩 ・先輩が大好きな後輩 続きは「会社のシゴデキ先輩女子と付き合っています」にて掲載しています。 だいぶ毛色が変わるのでシーズン2として別作品で登録することにしました。 読んでやってくれると幸いです。 「会社のシゴデキ先輩女子と付き合っています」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/759377035/615873195 ※タイトル画像はAI生成です

さくらと遥香

youmery
恋愛
国民的な人気を誇る女性アイドルグループの4期生として活動する、さくらと遥香(=かっきー)。 さくら視点で描かれる、かっきーとの百合恋愛ストーリーです。 ◆あらすじ さくらと遥香は、同じアイドルグループで活動する同期の2人。 さくらは"さくちゃん"、 遥香は名字にちなんで"かっきー"の愛称でメンバーやファンから愛されている。 同期の中で、加入当時から選抜メンバーに選ばれ続けているのはさくらと遥香だけ。 ときに"4期生のダブルエース"とも呼ばれる2人は、お互いに支え合いながら数々の試練を乗り越えてきた。 同期、仲間、戦友、コンビ。 2人の関係を表すにはどんな言葉がふさわしいか。それは2人にしか分からない。 そんな2人の関係に大きな変化が訪れたのは2022年2月、46時間の生配信番組の最中。 イラストを描くのが得意な遥香は、生配信中にメンバー全員の似顔絵を描き上げる企画に挑戦していた。 配信スタジオの一角を使って、休む間も惜しんで似顔絵を描き続ける遥香。 さくらは、眠そうな顔で頑張る遥香の姿を心配そうに見つめていた。 2日目の配信が終わった夜、さくらが遥香の様子を見に行くと誰もいないスタジオで2人きりに。 遥香の力になりたいさくらは、 「私に出来ることがあればなんでも言ってほしい」 と申し出る。 そこで、遥香から目をつむるように言われて待っていると、さくらは唇に柔らかい感触を感じて… ◆章構成と主な展開 ・46時間TV編[完結] (初キス、告白、両想い) ・付き合い始めた2人編[完結] (交際スタート、グループ内での距離感の変化) ・かっきー1st写真集編[完結] (少し大人なキス、肌と肌の触れ合い) ・お泊まり温泉旅行編[完結] (お風呂、もう少し大人な関係へ) ・かっきー2回目のセンター編[完結] (かっきーの誕生日お祝い) ・飛鳥さん卒コン編[完結] (大好きな先輩に2人の関係を伝える) ・さくら1st写真集編[完結] (お風呂で♡♡) ・Wセンター編[不定期更新中] ※女の子同士のキスやハグといった百合要素があります。抵抗のない方だけお楽しみください。

ゲーミング自殺、16連射アルマゲドン

LW
ファンタジー
ゲーム感覚で世界を滅ぼして回ろう! 最強ゲーマー女子高生による終末系百合ライトノベル。 「今すぐ自殺しなければ! 何でも構わない。今ここで私が最速で死ぬ方法はどれだ?」 自殺癖持ちのプロゲーマー、空水彼方には信条がある。 それは決着したゲームを最速で完全に清算すること。クリアした世界を即滅ぼして即絶命する。 しかも現実とゲームの区別が付いてない戦闘民族系ゲーマーだ。私より強いやつに会いに行く、誰でも殺す、どこでも滅ぼす、いつでも死ぬ。 最強ゲーマー少女という災厄が異世界を巡る旅が始まる。 表紙イラスト:えすけー様(@sk_kun) 表紙ロゴ:コタツラボ様(@musical_0327) #ゲーマゲ

勝負に勝ったので委員長におっぱいを見せてもらった

矢木羽研
青春
優等生の委員長と「勝ったほうが言うことを聞く」という賭けをしたので、「おっぱい見せて」と頼んでみたら……青春寸止めストーリー。

なりゆきで、君の体を調教中

星野しずく
恋愛
教師を目指す真が、ひょんなことからメイド喫茶で働く現役女子高生の優菜の特異体質を治す羽目に。毎夜行われるマッサージに悶える優菜と、自分の理性と戦う真面目な真の葛藤の日々が続く。やがて二人の心境には、徐々に変化が訪れ…。

暴走幼女藍沙ちゃん

ねがぽじ
恋愛
ある九歳の女の子の子供が憧れの高校生の女性を追いかけて高校に入学する話です 幼女がかなり変態です。 注意してください。

NTRエロゲの世界に転移した俺、ヒロインの好感度は限界突破。レベルアップ出来ない俺はスキルを取得して無双する。~お前らNTRを狙いすぎだろ~

ぐうのすけ
ファンタジー
高校生で18才の【黒野 速人】はクラス転移で異世界に召喚される。 城に召喚され、ステータス確認で他の者はレア固有スキルを持つ中、速人の固有スキルは呪い扱いされ城を追い出された。 速人は気づく。 この世界、俺がやっていたエロゲ、プリンセストラップダンジョン学園・NTRと同じ世界だ! この世界の攻略法を俺は知っている! そして自分のステータスを見て気づく。 そうか、俺の固有スキルは大器晩成型の強スキルだ! こうして速人は徐々に頭角を現し、ハーレムと大きな地位を築いていく。 一方速人を追放したクラスメートの勇者源氏朝陽はゲームの仕様を知らず、徐々に成長が止まり、落ちぶれていく。 そしてクラス1の美人【姫野 姫】にも逃げられ更に追い込まれる。 順調に強くなっていく中速人は気づく。 俺達が転移した事でゲームの歴史が変わっていく。 更にゲームオーバーを回避するためにヒロインを助けた事でヒロインの好感度が限界突破していく。 強くなり、ヒロインを救いつつ成り上がっていくお話。 『この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません』 カクヨムとアルファポリス同時掲載。

処理中です...