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第2章

第31話 詩

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 マリアは自分のベットの上で頭を押さえ、悶えている。こんな自分、前もあったなぁと思いながら。

 仰向けになり、両手を広げ、天井を眺める。

 そっと、自分の唇に触れてみる。

 こんなもの、たいしたことないと思っていたのに。

 マリアは一度だけ、キスをされたことがある。

 15歳の頃、先輩としてマリアに良くしてくれた人から。

 顔を赤くし、目を潤ませ、こんなキスはただの遊びだから――だから大丈夫だと、彼女は言った。

 もう一度、口づけをしようとした彼女をマリアは止めた。

 遊びですることではないから。そう言ったとき、彼女は泣くように笑った。

 その人は、数日後に20歳となり、地方の教会に転勤した。それ以来、一度も会っていない。

 あの何とも言えない顔を、マリアはふと思い出し、あの時のキスを思い返す。

 何も感じなかった、あのキスを。

 だから、大したことないと思っていた。

 なのに、ソフィーとのキスは全然違った。

 ソフィーは食事を終えた後、何度もマリアにキスをねだった。だから、逃げるように今、この部屋にいる。

 ソフィーにとってキスは、あの先輩のように、ただの遊びなのかもしれない。

 もしそうなら、嫌だなぁと、マリアは思った。



 ***
 


 マリアとソフィーの攻防戦が始まり、一週間が経った。
 マリアは疲弊し、ソフィーは不満が溜まっていく。

 朝に起きた戦いから無事に帰還したマリアは、ヘロヘロになりながらも食堂で至福の時を過ごし、気力を回復させた。

 満ちた腹を擦りながら、廊下を歩いていると、メイド長が慌ただしく動いていたため、声をかけた。

「何かあったんです?」
「食材が足りないため、買いにいくところです」
「私、行きますよ?」
「しかし、昨日だって――」

 マリアはメイド長の手にある紙を軽く引っ張て、内容を確認する。
 たいした量はないため、持てなくなる心配もなさそうだ。

「私は今からしばらく暇ですから、行ってきますよ」
「すみません、助かります」

 メイド長はマリアに財布を渡す。

「あなたには、助けられてばかりですね」
「それは多分、気のせいです」

 マリアは軽く手を振って、繁華街の方へ向かった。



 買い物を済ませ、帰り道でクラーラの後ろ姿を見かけた。珍しく猫背気味だ。灰色のローブを着ているのも初めて見た。
 マリアが声をかけると、体を向け、見えた顔は何故か泣き顔。

「マリアちゃん」
 
 クラーラの涙腺が崩壊する。
 マリアは、ギョッとした。
 両手をマリア側に向け、ゾンビのようにヨタヨタとゆっくり近づいてくる。
 正直、怖い。マリアは引き気味でクラーラを待ち構える。
 鼻水が流れ、そのままマリアに抱きつこうとしたため、慌ててハンカチを取り出しクラーラの鼻に押し付ける。そのため、クラーラはマリアに抱きつくことが出来なかった。

「マリアちゃんまで、私を捨てるんだー」

 クラーラは目だけでなく、声でも泣き始める。

 小さな人だかりができ、遠目でマリアたちを眺める住人達。

 マリアは冷や汗が流れる。作り笑いを意識し、クラーラの方に手を置く。

「クラーラさん、ちょっと、向こうへ行きましょうか。ベンチに座って、ゆっくり話を聞きますから」

 クラーラは何度も頷く。

 少しだけ離れの、人通りの少ない場所にあるベンチまで移動し、座った。
 クラーラが落ち着くのを少し待ってから、マリアは声をかける。

「何があったんです?」

 クラーラはマリアから渡されたハンカチで盛大に鼻をかむ。
 
「……数日前の話なんだけどね、朝起きたら、イレーネさんの置手紙があって、1か月帰ってこれないって書いてあったの」

 マリアはずっこけそうになる。

「――それだけですか?」
「ひどいよマリアちゃん。イレーネさんと1か月も会えないなんて、そんなの、私に死ねっていうのと同義だよ」

 そ、そこまで言うのか。マリアは驚愕する。

「どこに行くって書いてあったんです?」
「書いてあったなら、すぐにでもそこに行ってるよ」
「そ、そうですよね、今まではこんなことはなかったんです?」
「たまにあるけど、1か月はさすがに長すぎるよ」

 ――そうか、1か月は長すぎるのか。その間隔は今1つ、マリアには良く分からない。何となく、アンナとエリーナを思い出す。

「大丈夫ですよ、時間なんて、何もしなくても過ぎていくんですから」
「分かってる。分かってるんだけど、もしも私以外の誰かと、イチャイチャしている姿を想像するだけで、私の中の獣が叫ぶの。奴を八つ裂きにしろと」

 怖い、怖いから。マリアは身震いする。

「その相手が私だったとしてもですか?」

 クラーラはゆっくりと、マリアの方に首を向ける。

「当り前だよ、それ、極刑だから」

 口元は動いても、目元が笑っていない。

「マリアさん?」

 声のする方へ顔を向ける。

 エリーナは一人でマリアの前に立っている。御付きの二人がいないのはかなり珍しいことだ。しかも、右手に大きなバックを持ち、シスター服でなく私服を着ている。真っ赤なドレスは情熱的なエリーナにぴったりだと、マリアは思った。

「こんなところで何をしているのかしら?」

 エリーナはマリアをジッと眺める。
 
「……しかも何ですの、その服は」

 マリアはベンチから腰を上げると、カーテンシーであいさつをする。首を少し傾けて。

「メイドでございますよ、お嬢様」

 エリーナは顔を片手で隠し、少し顔を背ける。
 
「いえ、それは、言われなくても分かりますけれど……」

 仕切り直しに一度、エリーナは咳払いする。

「えと、クラーラさんですわよね?」
「うん、そうだよ。エリーナさん、ご無沙汰しております」

 クラーラも立ち上がり、頭を下げる。

「たしか、イレーネの恋人なんですわよね?」

 呼び捨てにクラーラは引っ掛かるものを感じながらも、彼女は腕を組む。

「そうだよ、私がイレーネさんの恋人なんだから」
 
 エリーナは辺りを見回す。

「イレーネは、どちらに?」

 クラーラはエリーナに詰め寄る。

「エリーナさんはイレーネさんの何なのでしょうか」

 エリーナが若干怯えたため、マリアはクラーラを何とか落ち着けさせる。

「イレーネからは何も聞いていないのかしら?」
「何も聞いていないよ。イレーネさんは肝心なこと、私にはなにも話さないから」

 クラーラは少しむくれる。

「何も言わず、置手紙を残すだけなんだから」
「……もしかして、王都にはいないのですの?」
「分からないよ、だって、行き場所すら書いてないから」

 エリーナは少し考え込む。

「その手紙、持ってますの?」
「当然だよ。肌身離さず持ち歩いているから」

 そう言って、クラーラはポケットから手紙を取り出す。
 普通、持ち歩く物なのかと思ったが、マリアは口にしない。
 
「見せて貰っても構いませんわよね?」
「うん、大丈夫だよ」

 エリーナは手紙を受け取ると、すぐに中を確認した。

「最後に書いてある詩が、私には正直よくわからなかったんだけど」
「……これは、私の領地で使われる有名な詩ですわね」
「エリーナさんの?」

 エリーナは少し躊躇いつつも、言葉を吐いた。

「兵士が死地に赴くとき、家族や恋人のために残す詩ですわ」
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