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第五話『懐かしい打球音』
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放課後になり、俺は同じクラスである泉と一緒にソフトテニス部が使用している部室棟の中にある部室へと向かった。
ちなみに山吹は、俺と泉とは別のクラスであり、教室もかなり離れている。だから今日これから行く場所が同じでも一緒に行くということはなかった。
それにきっと、まだ知らないのだろう。俺と荒川さんが試合すること自体。
そう思いながら歩みを進め、校舎を抜け、やがて部室のある部室棟へと到着する。
「へえー、結構な数部屋があるのな」
「そうだね。私も来たのは初めてだけど、まさかこんなに部屋があるとは思わなかったよ」
俺たちの目の前に立ちはだかったのは、二階建てで白塗りの建物。二階に上がるには簡素な階段を登ってしか行けないが、それでも部室として使うのには中々立派なものだ。
「やっぱり私立高校なだけはあるんだな」
そう言いながら、俺は部室棟一階の並びにある【男子ソフトテニス部】と書かれた表札のある扉をノックした。
何故だか泉も【女子ソフトテニス部】と書かれた表札があるのにこっちに来たが、まあ別にいいだろう。試合をするのは俺だけだし。
『いいぞ、入ってくれ』
中から声が聞こえてきて、俺はそのまま扉を開ける。
そして扉を開けた瞬間、中にいた全員の視線が俺たちへと集まった。
「おー、やっぱりそうだったか。よく来たな、中村くん」
「どうも……」
驚きはなかった。けれど、もしかしたらいるかもしれないというそんな予感はあった。
俺に声をかけたのは男子ソフトテニス部の部長である荒川さんだが、それ以外にも他に4人部室の中にはいた。
軟式硬式それぞれの部長たちで計4人。それに加え、俺と泉のよく知る人物、山吹も部室の中にいる。つまり、事情は既に知っているということだろう。
早速、俺の後ろにいた泉が俺の横から部室の中へと入り、山吹の近くに寄っていった。何かを話しているようだが、それよりも先に俺は部長たちに言葉を投げかける。
「これは一体、どういうことでしょうか? 俺が試合をするのは、荒川さんだけってことでいいんですよね?」
話が違う、と言った訳ではなく、念のために訊ねた。
「ええ、私たちはそのつもりよ。もちろん、中村くんにはどうしても勝ってもらわないといけないけどね」
どうやら女子ソフトテニスの部長は俺の味方らしい。確かにそれはそうか。
けれど、今度は真逆の意見があがった。
「俺はまだ納得していないぞ。中村、俺とも勝負しろ。俺が勝ったら硬式テニス部として試合を――」
「すいませんできないです。硬式テニスは一度もやったことないので」
「なっ……」
断ったことに対し驚いた表情をされるが、そもそも断ること自体一度目ではないし、以前にも硬式テニスはできないと言ってある。
だが、それで諦めてくれるほど男子硬式テニス部の部長はあまくはなかった。
「ソフトテニスで全国に行ったお前なら、必ず硬式でも通用するはずだ!」
その理屈はわからないが、それを口にする前に別の人物が割って入って来てくれたので助かった。
「おいおい、白鳥よお。中村くんは硬式しないって言ってるだろ? だったらそろそろ勧誘を諦めてくれよ」
「ふん、お前らは十分部員がいるんだから問題無いだろうが。けど、こっちは今年の新入部員0だったんだぞ? 少しでもできる奴が入ってくれれば次に繋がると思うのは普通だと思うが? 脳筋野郎」
荒川さんが肩を組んだ時に硬式テニス部の部長が迷惑そうな顔をしたので、あまり仲が悪くは無いようにも思えたが、実際その通りのようだ。そしてその一言により、荒川さんの眉間に皺が寄る。
「あ? お前、今何つった? この俺が脳筋だと? ちゃんと考えてプレーしているだろうが!」
「お前が考えたプレーを? ははっ、そんな訳ないだろうが。なあ、桂木」
桂木と呼ばれて反応したのは、朝練の時にも荒川さんと一緒にコートの外へ出てきた人だった。そしてその人が泉との面識があることは朝の段階でわかっていたので、恐らくは彼女が女子ソフトテニス部の部長なのだろう。
その桂木さんは一瞬ピクッと反応してから、目をスーッと横に逸らして応える。
「……いや、そ、そんなことも無いと思うけど……まあ、かなり力任せで、考えたプレーをしたところはあまり、見たことないかもだけど…………」
既にそれ、答えが出ているのでは? と俺が思ったように、恐らく泉も山吹も同じように思ったことだろう。
今は知らなくとも、かつて中学3年生だった時の荒川さんは、確かに力任せで打つプレーが多かったように思える。……言い方からして、今も変わっていないのだろう。きっと。
「くそっ、こうなったら仕方ない。中村くん、早速試合するぞ」
血走った眼を向けてくる荒川さん。
「まあ、いいですけど……俺は一体、誰にラケットを借りればいいんです?」
「あーそう言えばそれ、決めてなかったな」
荒川さんもそれを考えていなかったらしく、そもそも試合を申し込んだのだから考えてほしいと思うが、その瞬間「はい」と声を上げて、1人の人物がピンと手を挙げていた。
「あの、中村くん。よかったら私のラケット、使わない?」
そんな提案を少し遠慮気味にしてきたのは、泉とコソコソ何やら話していた山吹だった。
俺としてはもちろん、ありがたい申し出だが、けれど問題は別のところにある。
「お前って、他人にラケットを貸すこと自体あまりよく思わないんじゃなかったか? 親父さんにもそう言われてたしな」
「それは、そうなんだけど……」
他所ではラケットの貸し借りをする風習がそれなりにあるらしいのだが、山吹の親父さんにジュニアの時に言われて以来、俺たちは2人ともあまり他人のラケットを使うということがそもそも無かった。
だから自分からラケットを貸す提案をしてくれたことに驚きこそしたが、隣で笑いを堪えている泉を見たら、それで納得できる部分もあった。
また、こいつの仕業だったか……と。
「泉に何を言われたかは知らないが、別に無理して貸してくれなくてもいいぞ? 何なら自分の家まで取りに帰れば1時間後には試合できるだろうし」
「いや、中村くん。それは無理だぞ?」
俺と山吹が話してから無言だった荒川さんが、ここで口を挟んできたので視線を山吹から荒川さんへと移し、訊ねる。
「どうしてですか 一面しか使わないんですよね?」
「ああ、そうだ。一面しか使わない」
「?」
何処か誇らしげに答えてくるが、その意味がわからず首を傾げていると、呆れたような表情をする桂木さんがそれに答えてくれた。
「これからすぐ面白い試合があるからって、この馬鹿が沢山の生徒に声をかけちゃってね。だから今、恐らく、既に沢山の生徒がコートに集まっていると思うわ。だから、私たちとしてもすぐに試合を初めてもらって、既に集まっているのであろう野次馬を散らせてほしいのよ」
よく見ると、それを言った女子ソフトテニス部部長の桂木さんだけでなく、硬式テニス部の部長2人も同じように呆れた表情となり、ため息を吐いていた。
そして俺もそれは、呆れるという意味では同じだった。今の俺にはガッカリさせるだけのプレーしか恐らくできない。それでも荒川さんに負けるつもりはないが。
「はあ……まあ、そういう事情ならわかりました」
ため息を吐いて了承してすぐ、山吹を見た。
「すまないが、ラケット借りるぞ?」
「う、うん!」
山吹は大事に持っていたラケットを手離し、そのまま俺に渡してくれる。
ラケットを握ったのは去年以来。ラケットの二つに分かれているシャフトの部分を見た瞬間、俺は目を見開かずにはいられなかった。
「っ、これって……」
「ふふっ、見覚えのあるラケットでしょ? 少なくとも、紘無にとっては」
ライトグリーンを基調とした色合いには馴染みがない。それでもこのラケットには確かに俺自身、覚えがあった。
一度ラケットから視線を外すと、荒川さんに視線を向ける。
「すいません、先に行っててもらってもいいですか? すぐに行きますので」
部長たちは顔を見合わせると何も言わず、部室を去って行ってくれた。
部室の壁側に鍵をかけて行ったので、鍵はかけてこいということなのだろう。
部長たちが去ってすぐ、再び山吹を見る。
「これは、お前のラケット……ってことでいいんだよな?」
「そうだよ。春に買ったばかりのれんれんの新しいラケット。まあ、買いに行く時は私も一緒について行ったんだけどね」
どうして泉が答えたのかは知らないが、隣で山吹も首を縦に振り頷いていた。
もう一度ラケットを見る。色合いは見たことない。けれど間違いなくこの型は、俺が県選抜の時にシングルスで使用していた、シングルス専用のラケットと同じモデルのラケットだ。
実際に使っていたのとは違い、ラケット全体につや消しが施されているが、手に持つ感じはかなりしっくりとくる。これは、そう、とても懐かしい感じ。
「駄目……かな?」
「いや、駄目じゃない。ありがたく使わせてもらう」
「うん。頑張って」
エールをもらい、それから俺たちはコートへと向かった。もちろんホームルームが終わって直行したので制服姿のままだったが。
「これは流石に、呆れるよな……」
コートのフェスを囲むように群がっている生徒を見て、思わず俺はそんな言葉を口にしていた。
たかだかソフトテニスの1試合。それも8ヶ月のブランクのあるやつとの試合。
面白い結果が恐らく予想されないであろう試合に、どうすればここまで人を呼べるのか、それを俺が知りたくなってしまうぐらいの人の数だった。
「うはあー、これは凄いね。流石にここまで観客がいる試合は、私やったことないかもしれない」
れんれんはどう? と後ろで泉が山吹に訊ねているのが聞こえ、それに山吹は「私もない」と答えるのが俺の耳に届いた。
だが2人とも外から今あるこの光景を見たことが無いというだけで、これだけ人に注目された中での試合経験は、俺の知る限りでも確かにある。
「言っとくが、お前たちが去年の夏にやった個人戦県大会の決勝もこれぐらい人がいたぞ」
同じ会場、同じ時間に県大会の決勝をしていたが、その時俺は早く試合が終わり、山吹・森沢ペアーの試合を観客席から見ていた。なので、経験はあるが、恐らくその時の彼女たちにはそれが目に入らないほど集中していたということなのだろう。
「おっ、来たな」
歩みを再開させ3人でコートの中に入る。早速コートで練習をしていた荒川さんが俺たちの元にやって来た。
俺の身なりを上から下まで確認すると、少しだけ眉を顰める。
「その格好で試合をするのか……?」
「そのつもりですけど、駄目ですか 今日は体育がなかったので体操服も持っていないですし」
俺としては別に多少の運動制限をされるとは言え、制服で試合をすること自体問題無いつもりだが、それなら仕方ないと思っている。無理ならこのまま帰るしか。
けれど、その選択だけはどうしても駄目なようで、
「い、いや、別に中村くんがそれでいいというのなら、構わないぞ」
どうやら荒川さんは、試合をすることを優先するらしい。
○○○
入り口から一番近くのコートでは、今現在紘無と荒川の2人によって試合前の乱打が繰り広げられていた。
コートの後ろ側一部には、フェンスに貼り付けられるようにテントが張られており、その中に泉を含む数人の女子ソフトテニス部員が、コートで打ち合う2人に視線を送っている。
フェンスの周りは生徒たちで溢れ返り、ガヤガヤと試合が始まるのを今か今かと待ち受ける者たち。
それに一切気にした様子もなく、泉は紘無がまたラケットを握りコートに立っているという事実に感銘を受けていた。それは隣に立つ木蓮も同じなのだろう。
スウィートスポットに当たり、コート中に響き渡る懐かしい打球音は、周りの喧騒にすら勝る大きさを誇っている。
そしてコートの中にいる誰もが、流れるような美しいフォームから打ち出される球に魅了されていた。
――やっぱり、変わらないんだね……。
心中で吐露しながら涙ぐむ木蓮とは違い、泉のほうは、子供のような無邪気な笑顔で目を輝かせていた。それに、乱打が開始されてからここまで一度も目を離すどころか声すら上げていない。
それを邪魔したら悪いと思ったのか、女子ソフトテニス部部長である桂木は、木蓮の隣に立つとコートに視線を向けながら訊ねた。
「彼が全国区だっていうのは知ってたけど、昔からあんなに上手かったの?」
「……いえ、確かに最初から運動神経は抜群でしたけど、それでも中学に上がるまでは一度も、全国の舞台に立ったことはありませんでした」
とにかく紘無は、ソフトテニスに関してのこだわりが凄かった。こだわりを持たず毎日同じように練習をただひたすらこなすだけなら、小学校の時にも優勝は無理でも全国へは行けていたのかもしれない。けれど紘無は、その選択を捨てた。それでは上に行けないのだと、何よりも自分でわかっていたから。
そして近場よりもより遠くにあるゴールを選んだ結果が、最終的に結果を残すうえで大事なことなのだと、結果を残すことで木蓮に伝えたのだ。
「てっきり、小学校の時から既に全国区だと思ってたわ。フォームもすごく綺麗だし」
その言葉を聞いて、木蓮は思わず苦笑を漏らしてしまう。
「はい。彼はとにかく、フォームへのこだわりが一番強かったんです」
小学生の時、家に遊びに行くたびに駐車場の中で鏡越しに素振りをしていた紘無の姿が、とても昔のことに思えて懐かしい。中学に入ってからも続けていたのかは知らないけど。
「……」
「な、なんですか⁉」
桂木が無言で微笑ましそうに自分を見ていたのに気づき、木蓮は少し動揺するような声を上げた。
ふっ、と笑みを浮かべた桂木の視線は、再び乱打をしているコートに戻され、
「うんうん、何でもない」
それ以上木蓮に話しかけることなく試合が始まるまでの間、無言で2人を注視し続けた。
ちなみに山吹は、俺と泉とは別のクラスであり、教室もかなり離れている。だから今日これから行く場所が同じでも一緒に行くということはなかった。
それにきっと、まだ知らないのだろう。俺と荒川さんが試合すること自体。
そう思いながら歩みを進め、校舎を抜け、やがて部室のある部室棟へと到着する。
「へえー、結構な数部屋があるのな」
「そうだね。私も来たのは初めてだけど、まさかこんなに部屋があるとは思わなかったよ」
俺たちの目の前に立ちはだかったのは、二階建てで白塗りの建物。二階に上がるには簡素な階段を登ってしか行けないが、それでも部室として使うのには中々立派なものだ。
「やっぱり私立高校なだけはあるんだな」
そう言いながら、俺は部室棟一階の並びにある【男子ソフトテニス部】と書かれた表札のある扉をノックした。
何故だか泉も【女子ソフトテニス部】と書かれた表札があるのにこっちに来たが、まあ別にいいだろう。試合をするのは俺だけだし。
『いいぞ、入ってくれ』
中から声が聞こえてきて、俺はそのまま扉を開ける。
そして扉を開けた瞬間、中にいた全員の視線が俺たちへと集まった。
「おー、やっぱりそうだったか。よく来たな、中村くん」
「どうも……」
驚きはなかった。けれど、もしかしたらいるかもしれないというそんな予感はあった。
俺に声をかけたのは男子ソフトテニス部の部長である荒川さんだが、それ以外にも他に4人部室の中にはいた。
軟式硬式それぞれの部長たちで計4人。それに加え、俺と泉のよく知る人物、山吹も部室の中にいる。つまり、事情は既に知っているということだろう。
早速、俺の後ろにいた泉が俺の横から部室の中へと入り、山吹の近くに寄っていった。何かを話しているようだが、それよりも先に俺は部長たちに言葉を投げかける。
「これは一体、どういうことでしょうか? 俺が試合をするのは、荒川さんだけってことでいいんですよね?」
話が違う、と言った訳ではなく、念のために訊ねた。
「ええ、私たちはそのつもりよ。もちろん、中村くんにはどうしても勝ってもらわないといけないけどね」
どうやら女子ソフトテニスの部長は俺の味方らしい。確かにそれはそうか。
けれど、今度は真逆の意見があがった。
「俺はまだ納得していないぞ。中村、俺とも勝負しろ。俺が勝ったら硬式テニス部として試合を――」
「すいませんできないです。硬式テニスは一度もやったことないので」
「なっ……」
断ったことに対し驚いた表情をされるが、そもそも断ること自体一度目ではないし、以前にも硬式テニスはできないと言ってある。
だが、それで諦めてくれるほど男子硬式テニス部の部長はあまくはなかった。
「ソフトテニスで全国に行ったお前なら、必ず硬式でも通用するはずだ!」
その理屈はわからないが、それを口にする前に別の人物が割って入って来てくれたので助かった。
「おいおい、白鳥よお。中村くんは硬式しないって言ってるだろ? だったらそろそろ勧誘を諦めてくれよ」
「ふん、お前らは十分部員がいるんだから問題無いだろうが。けど、こっちは今年の新入部員0だったんだぞ? 少しでもできる奴が入ってくれれば次に繋がると思うのは普通だと思うが? 脳筋野郎」
荒川さんが肩を組んだ時に硬式テニス部の部長が迷惑そうな顔をしたので、あまり仲が悪くは無いようにも思えたが、実際その通りのようだ。そしてその一言により、荒川さんの眉間に皺が寄る。
「あ? お前、今何つった? この俺が脳筋だと? ちゃんと考えてプレーしているだろうが!」
「お前が考えたプレーを? ははっ、そんな訳ないだろうが。なあ、桂木」
桂木と呼ばれて反応したのは、朝練の時にも荒川さんと一緒にコートの外へ出てきた人だった。そしてその人が泉との面識があることは朝の段階でわかっていたので、恐らくは彼女が女子ソフトテニス部の部長なのだろう。
その桂木さんは一瞬ピクッと反応してから、目をスーッと横に逸らして応える。
「……いや、そ、そんなことも無いと思うけど……まあ、かなり力任せで、考えたプレーをしたところはあまり、見たことないかもだけど…………」
既にそれ、答えが出ているのでは? と俺が思ったように、恐らく泉も山吹も同じように思ったことだろう。
今は知らなくとも、かつて中学3年生だった時の荒川さんは、確かに力任せで打つプレーが多かったように思える。……言い方からして、今も変わっていないのだろう。きっと。
「くそっ、こうなったら仕方ない。中村くん、早速試合するぞ」
血走った眼を向けてくる荒川さん。
「まあ、いいですけど……俺は一体、誰にラケットを借りればいいんです?」
「あーそう言えばそれ、決めてなかったな」
荒川さんもそれを考えていなかったらしく、そもそも試合を申し込んだのだから考えてほしいと思うが、その瞬間「はい」と声を上げて、1人の人物がピンと手を挙げていた。
「あの、中村くん。よかったら私のラケット、使わない?」
そんな提案を少し遠慮気味にしてきたのは、泉とコソコソ何やら話していた山吹だった。
俺としてはもちろん、ありがたい申し出だが、けれど問題は別のところにある。
「お前って、他人にラケットを貸すこと自体あまりよく思わないんじゃなかったか? 親父さんにもそう言われてたしな」
「それは、そうなんだけど……」
他所ではラケットの貸し借りをする風習がそれなりにあるらしいのだが、山吹の親父さんにジュニアの時に言われて以来、俺たちは2人ともあまり他人のラケットを使うということがそもそも無かった。
だから自分からラケットを貸す提案をしてくれたことに驚きこそしたが、隣で笑いを堪えている泉を見たら、それで納得できる部分もあった。
また、こいつの仕業だったか……と。
「泉に何を言われたかは知らないが、別に無理して貸してくれなくてもいいぞ? 何なら自分の家まで取りに帰れば1時間後には試合できるだろうし」
「いや、中村くん。それは無理だぞ?」
俺と山吹が話してから無言だった荒川さんが、ここで口を挟んできたので視線を山吹から荒川さんへと移し、訊ねる。
「どうしてですか 一面しか使わないんですよね?」
「ああ、そうだ。一面しか使わない」
「?」
何処か誇らしげに答えてくるが、その意味がわからず首を傾げていると、呆れたような表情をする桂木さんがそれに答えてくれた。
「これからすぐ面白い試合があるからって、この馬鹿が沢山の生徒に声をかけちゃってね。だから今、恐らく、既に沢山の生徒がコートに集まっていると思うわ。だから、私たちとしてもすぐに試合を初めてもらって、既に集まっているのであろう野次馬を散らせてほしいのよ」
よく見ると、それを言った女子ソフトテニス部部長の桂木さんだけでなく、硬式テニス部の部長2人も同じように呆れた表情となり、ため息を吐いていた。
そして俺もそれは、呆れるという意味では同じだった。今の俺にはガッカリさせるだけのプレーしか恐らくできない。それでも荒川さんに負けるつもりはないが。
「はあ……まあ、そういう事情ならわかりました」
ため息を吐いて了承してすぐ、山吹を見た。
「すまないが、ラケット借りるぞ?」
「う、うん!」
山吹は大事に持っていたラケットを手離し、そのまま俺に渡してくれる。
ラケットを握ったのは去年以来。ラケットの二つに分かれているシャフトの部分を見た瞬間、俺は目を見開かずにはいられなかった。
「っ、これって……」
「ふふっ、見覚えのあるラケットでしょ? 少なくとも、紘無にとっては」
ライトグリーンを基調とした色合いには馴染みがない。それでもこのラケットには確かに俺自身、覚えがあった。
一度ラケットから視線を外すと、荒川さんに視線を向ける。
「すいません、先に行っててもらってもいいですか? すぐに行きますので」
部長たちは顔を見合わせると何も言わず、部室を去って行ってくれた。
部室の壁側に鍵をかけて行ったので、鍵はかけてこいということなのだろう。
部長たちが去ってすぐ、再び山吹を見る。
「これは、お前のラケット……ってことでいいんだよな?」
「そうだよ。春に買ったばかりのれんれんの新しいラケット。まあ、買いに行く時は私も一緒について行ったんだけどね」
どうして泉が答えたのかは知らないが、隣で山吹も首を縦に振り頷いていた。
もう一度ラケットを見る。色合いは見たことない。けれど間違いなくこの型は、俺が県選抜の時にシングルスで使用していた、シングルス専用のラケットと同じモデルのラケットだ。
実際に使っていたのとは違い、ラケット全体につや消しが施されているが、手に持つ感じはかなりしっくりとくる。これは、そう、とても懐かしい感じ。
「駄目……かな?」
「いや、駄目じゃない。ありがたく使わせてもらう」
「うん。頑張って」
エールをもらい、それから俺たちはコートへと向かった。もちろんホームルームが終わって直行したので制服姿のままだったが。
「これは流石に、呆れるよな……」
コートのフェスを囲むように群がっている生徒を見て、思わず俺はそんな言葉を口にしていた。
たかだかソフトテニスの1試合。それも8ヶ月のブランクのあるやつとの試合。
面白い結果が恐らく予想されないであろう試合に、どうすればここまで人を呼べるのか、それを俺が知りたくなってしまうぐらいの人の数だった。
「うはあー、これは凄いね。流石にここまで観客がいる試合は、私やったことないかもしれない」
れんれんはどう? と後ろで泉が山吹に訊ねているのが聞こえ、それに山吹は「私もない」と答えるのが俺の耳に届いた。
だが2人とも外から今あるこの光景を見たことが無いというだけで、これだけ人に注目された中での試合経験は、俺の知る限りでも確かにある。
「言っとくが、お前たちが去年の夏にやった個人戦県大会の決勝もこれぐらい人がいたぞ」
同じ会場、同じ時間に県大会の決勝をしていたが、その時俺は早く試合が終わり、山吹・森沢ペアーの試合を観客席から見ていた。なので、経験はあるが、恐らくその時の彼女たちにはそれが目に入らないほど集中していたということなのだろう。
「おっ、来たな」
歩みを再開させ3人でコートの中に入る。早速コートで練習をしていた荒川さんが俺たちの元にやって来た。
俺の身なりを上から下まで確認すると、少しだけ眉を顰める。
「その格好で試合をするのか……?」
「そのつもりですけど、駄目ですか 今日は体育がなかったので体操服も持っていないですし」
俺としては別に多少の運動制限をされるとは言え、制服で試合をすること自体問題無いつもりだが、それなら仕方ないと思っている。無理ならこのまま帰るしか。
けれど、その選択だけはどうしても駄目なようで、
「い、いや、別に中村くんがそれでいいというのなら、構わないぞ」
どうやら荒川さんは、試合をすることを優先するらしい。
○○○
入り口から一番近くのコートでは、今現在紘無と荒川の2人によって試合前の乱打が繰り広げられていた。
コートの後ろ側一部には、フェンスに貼り付けられるようにテントが張られており、その中に泉を含む数人の女子ソフトテニス部員が、コートで打ち合う2人に視線を送っている。
フェンスの周りは生徒たちで溢れ返り、ガヤガヤと試合が始まるのを今か今かと待ち受ける者たち。
それに一切気にした様子もなく、泉は紘無がまたラケットを握りコートに立っているという事実に感銘を受けていた。それは隣に立つ木蓮も同じなのだろう。
スウィートスポットに当たり、コート中に響き渡る懐かしい打球音は、周りの喧騒にすら勝る大きさを誇っている。
そしてコートの中にいる誰もが、流れるような美しいフォームから打ち出される球に魅了されていた。
――やっぱり、変わらないんだね……。
心中で吐露しながら涙ぐむ木蓮とは違い、泉のほうは、子供のような無邪気な笑顔で目を輝かせていた。それに、乱打が開始されてからここまで一度も目を離すどころか声すら上げていない。
それを邪魔したら悪いと思ったのか、女子ソフトテニス部部長である桂木は、木蓮の隣に立つとコートに視線を向けながら訊ねた。
「彼が全国区だっていうのは知ってたけど、昔からあんなに上手かったの?」
「……いえ、確かに最初から運動神経は抜群でしたけど、それでも中学に上がるまでは一度も、全国の舞台に立ったことはありませんでした」
とにかく紘無は、ソフトテニスに関してのこだわりが凄かった。こだわりを持たず毎日同じように練習をただひたすらこなすだけなら、小学校の時にも優勝は無理でも全国へは行けていたのかもしれない。けれど紘無は、その選択を捨てた。それでは上に行けないのだと、何よりも自分でわかっていたから。
そして近場よりもより遠くにあるゴールを選んだ結果が、最終的に結果を残すうえで大事なことなのだと、結果を残すことで木蓮に伝えたのだ。
「てっきり、小学校の時から既に全国区だと思ってたわ。フォームもすごく綺麗だし」
その言葉を聞いて、木蓮は思わず苦笑を漏らしてしまう。
「はい。彼はとにかく、フォームへのこだわりが一番強かったんです」
小学生の時、家に遊びに行くたびに駐車場の中で鏡越しに素振りをしていた紘無の姿が、とても昔のことに思えて懐かしい。中学に入ってからも続けていたのかは知らないけど。
「……」
「な、なんですか⁉」
桂木が無言で微笑ましそうに自分を見ていたのに気づき、木蓮は少し動揺するような声を上げた。
ふっ、と笑みを浮かべた桂木の視線は、再び乱打をしているコートに戻され、
「うんうん、何でもない」
それ以上木蓮に話しかけることなく試合が始まるまでの間、無言で2人を注視し続けた。
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