46 / 63
第二章 回想編
第四十三話 あんたにだけは言われたくない
しおりを挟む
ビーチの喧騒から少し離れた岩場、そこには夏の太陽がまぶしく照りつける中、どこか張り詰めた空気が漂っていた。茉凜と明のスイカ割り対決が、静かに幕を開けようとしていた。
周囲の静寂が、逆に私の心のざわめきを増幅させる。波の音が、遠くから規則正しく響き、この場面の静かな緊張感を一層強調していた。日差しが肌を焼くように感じる中、私たち四人――茉凜、明、その執事である新庄、そして私――が集まった。
その中で特に私の心は複雑だった。なぜなら、今回の対決で賭けられているのは、何と「一日弓鶴権」だったのだ。
――つまり、勝者が一日私を自由に振り回す権利、ということ。
これを知った瞬間、どうしようもない不安が胸に渦巻いた。単なるスイカ割りの遊びが、突然私にとって重大な意味を帯びたものになってしまったのだから。
明るく笑う茉凜も、真剣な表情の明も、二人ともこの状況を楽しんでいるように見える。しかし、私にとってはまったく笑えない。
反論したい気持ちは山々だったが、明の冷ややかな一言が私の口を閉ざしてしまった。「賞品が文句を言うなんて、ありえないでしょ?」――その言葉に、私は何も言い返せなかった。視線を下げ、息を呑むしかなかった。
太陽の光が海面に反射し、キラキラと輝いていた。まるでこの瞬間が、避けられない運命であるかのように、その輝きが私の不安をさらに募らせた。誰も止めることはできない――もう、引き返せないのだ。
茉凜は、相変わらず太陽のように明るい笑顔を浮かべ、周囲の空気を軽やかにしていた。その笑顔が、私の胸に深い不安を押し込めるような感覚を与えた。彼女がこのスイカ割りのゲームにどれほど真剣に取り組んでいるのか、その真意が私には全く掴めなかった。
茉凜の楽しそうな表情が、私の心の中の複雑な感情を一層深める。彼女がこの遊びに挑む理由を理解しようとするたびに、その背後に隠された何かが、私の心に影を落としていた。
トップクラスの深淵の術者であり、武の面でも卓越している明との対決は、一見してどこか奇妙に感じられる。ただ、茉凜が持つ正体不明の危機回避能力があれば、明の攻撃が当たる可能性は限りなく低く、お互いに決め手を欠くことは明らかだった。
そこで、茉凜が提案したスイカという気配の感じられないターゲットと目隠しという条件が登場する。攻撃対象が感知できない状況を作り出し、対等な条件で勝負をするというアイディアは、確かに一理ある。
だとしても、私には不安しかなかった。
昨夜、私たちはスイカ割りの必勝法をネットで調べてみたが、どれも今ひとつで、結局は指示役の指示にどれだけ忠実に動けるかが勝負になることがわかった。そのため、スイカ割りにおいて最も重要なのは、ペア間の密接なコミュニケーションと、スイカ割り担当が指示に従ってどれだけ正確に身体を動かせるかがカギとなる。身体操作と肌感覚が、勝敗を決する要素だと理解した。
その点で考えると、死に物狂いの修練を潜り抜け、正確無比な武を習得している明が、圧倒的に優位に立っていることは明らかだった。さらに、付き添う執事の指示が的確であれば、勝利は揺るがないだろうと感じた。
一方で、私の心は不安でどうしようもなかった。私と茉凜は信頼で結ばれているとはいえ、本当の意味では心を完全には開いていない部分があり、それが自信の無さに繋がっていた。私たちはまだ不完全であり、このスイカ割りというゲームの中で、その不完全さが露呈することを恐れていた。彼女の笑顔が私に与える安心感とは裏腹に、内心ではその絆の強さに対する疑念が湧き上がっていた。
勝負が始まった。じゃんけんで先行は明に決まり、彼女は目隠しをして持参した木刀を構えた。その姿は静かで整っており、まるで時間が止まったかのような、積み重ねた修練の重みが感じられた。
指示役の新庄が的確に情報を伝え、つま先の向く角度や動く距離などをこと細かく指示する。明はその指示通りに正確に脚を滑らせ、足裏全体が砂浜にしっかりと接したまま、足を上げるときも足の裏全体を一緒に上げていた。彼女の動きには一切のゆらぎもなく、重心がしっかりとしているのがわかった。普通の人間なら、砂に足を取られてふらついてしまうはずだ。
明は二回目の試技で見事に成功させた。迷いなく振り下ろされた木刀がスイカを真っ二つにするその姿に、私はただ感嘆の声を上げるしかなかった。彼女の技は洗練されており、圧倒的な精度を持っていた。しかし、その直後に襲い掛かってきたのは、言いようのないプレッシャーだった。このままでは絶対に勝てない――その思いが私を襲った。
予想通り、結果は惨敗だった。茉凜はスタート時の回転後にふらつくことはなかったものの、足元がおぼつかず、私が指示しても「え? どっち? どのくらい?」と困惑するばかりだった。私の声は必死でありながらも、茉凜とのコミュニケーションとチームワークは最悪で、結局十回の試技でもスイカにかすりもしなかった。
茉凜の試技の最中、あわてふためく彼女の姿に、私は一瞬冷たい視線を感じて明の方を見た。彼女は苦虫を噛み潰したような顔で、茉凜を睨んでいた。勝利は確定しているというのに、その表情がどうしても理解できなかった。
勝負が終わり、私はがっくりと項垂れた。これで一日、私は明の言いなりになる運命が決まってしまった。心の中で悔しさと不安が渦巻きながら、ただ呆然とその場に立ち尽くすしかなかった。
◇ ◇
言い過ぎかもしれないが、ほとんど言葉を交わしたことがない私が、果たして弓鶴の代わりを務められるものだろうか。心の中で冷たい不安が渦巻いていた。その不安は次第に恐怖へと変わり、私の胸をぎゅっと締め付けていた。
茉凜は目隠しを外し、私に振り返って舌を出しながら照れ笑いを浮かべた。その笑顔が私の心の影をさらに際立たせた。
「あはは、負けちゃった。勝負はアキラちゃんの勝ちだね」
その言葉を聞いた瞬間、私は怒る気力も、言葉を返す力も失っていた。立ち尽くす私の目の前には、茉凜の表情がまるで他人事のように感じられ、空虚感が心を埋め尽くしていった。
彼女がこの状況を招いた張本人であることは明らかだったが、私の心情など知る由もない。悪気がないことはわかっているだけに、その無関心さが私の苛立ちを倍増させていた。
その瞬間、激しい怒りの嵐が明の声となって吹き荒れた。
「あんた、あたしを馬鹿にしてるの?」
驚きのあまり、私は明の方を見つめた。彼女の肩が激しく震え、顔には深い闇の奥底から湧き上がってきたような鋭い感情が滲み出ていた。
茉凜はその言葉に対して、困惑の色を浮かべたまま無表情で応じた。
「どうしたの、アキラちゃん?」
彼女のその無頓着な反応が、さらに火に油を注いだ。明は茉凜に詰め寄り、その声は怒りと混乱に満ちていた。
「最初から勝負する気なんてなかったでしょ? 昨日、自分から真剣勝負しようとか言ったくせに。いったいどういうつもりなの?」
茉凜はその言葉を受け、急に冷たい表情に変わった。その瞳は普段の彼女とはまるで違い、何か隠された深い感情を露わにしていた。彼女の無感情な眼差しに、私の心もまた引き込まれていった。
「わたしはちゃんとやったつもり。でも、全然敵わなかった。やっぱりアキラちゃんはすごいよ」
明はその返答に、苛立ちをますます募らせた。
「へらへらしやがって。あんた、それであたしに同情してるつもりなの? ふざけないでよ」
明の言葉には、彼女の内なる深い憎しみと怒りが込められていた。
それを受けて、茉凜は一瞬黙り込み、私はただその場の圧倒的な空気に圧倒されるしかなかった。
茉凜は少し息をついて答えた。
「同情か……。違うんだけどな。わたしはあなたにも弓鶴くんにも、仲直りしてもらいたいって思ったの。昔のことはわたしは知らないけれど、せっかく久しぶりに会えたんだから、ちゃんと向き合って話をしてもらいたいって───」
「それが余計だって言ってるのよ。あんたにあたしの何がわかるっていうの? あんたなんか、ここで殺してやりたいくらい大嫌いなんだ。でも、弓鶴くんがいるから、あんたがいないと死んじゃうから、仕方ないから……。そんなあんたにだけは、絶対に言われたくない。なんでこんなやつが弓鶴くんの隣にいるのか、本当に腹が立つ!」
明の言葉が茉凜を遮り、私の心に鋭く突き刺さった。
その痛みはまるで体内の深い闇が引きずり出されるようで、私自身の感情をも圧倒し、引き裂くかのように感じられた。
「ごめんなさい……。そんなつもりじゃなかったの……」
茉凜は俯いて呟いた。彼女の肩がわずかに震え、その姿は痛々しく感じられた。
明は一息つくと、私をじっと見据えた。
「弓鶴くん、こいつは事の重大さを何も理解してないんじゃないの? じゃなかったら、こんなに呑気な顔してられないよ。あなたに対する責任がどれだけ重いか、ちゃんと知るべきだわ」
その言葉に、冷や汗が背中を流れた。明が何を言おうとしているのか、その意図はすぐに分かった。
「やめろ、明。茉凜は知る必要などない」
明は私の声を無視し、拳を強く握りしめて、必死に声を絞り出した。
「彼は命を捨てる覚悟で、私たち深淵の血族にかけられた呪いを解こうとしている。あの黒鶴の力を使って、精霊子を受け止める器を死の淵のぎりぎりまで拡大させようとしてるんだ。それがどれだけ危険なことか……。今はあんたという安全装置のおかげでなんとかなってるかもしれないけど、いつ死んだっておかしくないんだ!」
場の空気が一瞬で凍りついた。明の声はまるで冷たい刃のように、私たち全員を一瞬で凍りつかせ、圧倒的な恐怖をもたらした。
茉凜の肩がわずかに震え、その目が遠くを見つめるように虚ろになっていった。彼女の普段の明るさとは打って変わり、心の奥底で冷たく硬く凍りついているかのようだった。
「彼がどんなに苦しんでるか、どんな気持ちでいるか、あんたはちゃんと理解してるの? そんな平和そうな顔してられるのが、あたしには信じられない」
明の目が鋭く茉凜を見つめ、場の空気はさらに重く、冷酷に沈んでいく。その圧倒的な緊張感に、私の心も押し潰されそうだった。
茉凜は私の前でただ震え、言葉を失っていた。その瞳に浮かぶ影は、私がもたらした残酷な現実に押し潰されそうな彼女の心情を映し出していた。
明の顔にはわずかな後悔と戸惑いが滲んでいたが、それでも彼女は感情を抑え込み、冷静な声で言った。
「言いたいことは言ったから、あたしは帰る。じゃあね……」
その一言が、私たちの間に重く響き渡った。明と新庄が静かに去っていく背中を見送る中、私の心には深い虚無感と重い罪悪感が広がっていった。
広がる不気味な静寂の中で、私はただ立ち尽くしていた。茉凜の心にどれだけ深い傷を与えてしまったのかを考えると、胸が締め付けられるように痛んだ。
すべては私が招いたことで、すべて私が悪い。茉凜も明も、そしてこの弓鶴も、私が不幸にしてしまったのだ。この感情の波が、私を押しつぶしていくようだった。
周囲の静寂が、逆に私の心のざわめきを増幅させる。波の音が、遠くから規則正しく響き、この場面の静かな緊張感を一層強調していた。日差しが肌を焼くように感じる中、私たち四人――茉凜、明、その執事である新庄、そして私――が集まった。
その中で特に私の心は複雑だった。なぜなら、今回の対決で賭けられているのは、何と「一日弓鶴権」だったのだ。
――つまり、勝者が一日私を自由に振り回す権利、ということ。
これを知った瞬間、どうしようもない不安が胸に渦巻いた。単なるスイカ割りの遊びが、突然私にとって重大な意味を帯びたものになってしまったのだから。
明るく笑う茉凜も、真剣な表情の明も、二人ともこの状況を楽しんでいるように見える。しかし、私にとってはまったく笑えない。
反論したい気持ちは山々だったが、明の冷ややかな一言が私の口を閉ざしてしまった。「賞品が文句を言うなんて、ありえないでしょ?」――その言葉に、私は何も言い返せなかった。視線を下げ、息を呑むしかなかった。
太陽の光が海面に反射し、キラキラと輝いていた。まるでこの瞬間が、避けられない運命であるかのように、その輝きが私の不安をさらに募らせた。誰も止めることはできない――もう、引き返せないのだ。
茉凜は、相変わらず太陽のように明るい笑顔を浮かべ、周囲の空気を軽やかにしていた。その笑顔が、私の胸に深い不安を押し込めるような感覚を与えた。彼女がこのスイカ割りのゲームにどれほど真剣に取り組んでいるのか、その真意が私には全く掴めなかった。
茉凜の楽しそうな表情が、私の心の中の複雑な感情を一層深める。彼女がこの遊びに挑む理由を理解しようとするたびに、その背後に隠された何かが、私の心に影を落としていた。
トップクラスの深淵の術者であり、武の面でも卓越している明との対決は、一見してどこか奇妙に感じられる。ただ、茉凜が持つ正体不明の危機回避能力があれば、明の攻撃が当たる可能性は限りなく低く、お互いに決め手を欠くことは明らかだった。
そこで、茉凜が提案したスイカという気配の感じられないターゲットと目隠しという条件が登場する。攻撃対象が感知できない状況を作り出し、対等な条件で勝負をするというアイディアは、確かに一理ある。
だとしても、私には不安しかなかった。
昨夜、私たちはスイカ割りの必勝法をネットで調べてみたが、どれも今ひとつで、結局は指示役の指示にどれだけ忠実に動けるかが勝負になることがわかった。そのため、スイカ割りにおいて最も重要なのは、ペア間の密接なコミュニケーションと、スイカ割り担当が指示に従ってどれだけ正確に身体を動かせるかがカギとなる。身体操作と肌感覚が、勝敗を決する要素だと理解した。
その点で考えると、死に物狂いの修練を潜り抜け、正確無比な武を習得している明が、圧倒的に優位に立っていることは明らかだった。さらに、付き添う執事の指示が的確であれば、勝利は揺るがないだろうと感じた。
一方で、私の心は不安でどうしようもなかった。私と茉凜は信頼で結ばれているとはいえ、本当の意味では心を完全には開いていない部分があり、それが自信の無さに繋がっていた。私たちはまだ不完全であり、このスイカ割りというゲームの中で、その不完全さが露呈することを恐れていた。彼女の笑顔が私に与える安心感とは裏腹に、内心ではその絆の強さに対する疑念が湧き上がっていた。
勝負が始まった。じゃんけんで先行は明に決まり、彼女は目隠しをして持参した木刀を構えた。その姿は静かで整っており、まるで時間が止まったかのような、積み重ねた修練の重みが感じられた。
指示役の新庄が的確に情報を伝え、つま先の向く角度や動く距離などをこと細かく指示する。明はその指示通りに正確に脚を滑らせ、足裏全体が砂浜にしっかりと接したまま、足を上げるときも足の裏全体を一緒に上げていた。彼女の動きには一切のゆらぎもなく、重心がしっかりとしているのがわかった。普通の人間なら、砂に足を取られてふらついてしまうはずだ。
明は二回目の試技で見事に成功させた。迷いなく振り下ろされた木刀がスイカを真っ二つにするその姿に、私はただ感嘆の声を上げるしかなかった。彼女の技は洗練されており、圧倒的な精度を持っていた。しかし、その直後に襲い掛かってきたのは、言いようのないプレッシャーだった。このままでは絶対に勝てない――その思いが私を襲った。
予想通り、結果は惨敗だった。茉凜はスタート時の回転後にふらつくことはなかったものの、足元がおぼつかず、私が指示しても「え? どっち? どのくらい?」と困惑するばかりだった。私の声は必死でありながらも、茉凜とのコミュニケーションとチームワークは最悪で、結局十回の試技でもスイカにかすりもしなかった。
茉凜の試技の最中、あわてふためく彼女の姿に、私は一瞬冷たい視線を感じて明の方を見た。彼女は苦虫を噛み潰したような顔で、茉凜を睨んでいた。勝利は確定しているというのに、その表情がどうしても理解できなかった。
勝負が終わり、私はがっくりと項垂れた。これで一日、私は明の言いなりになる運命が決まってしまった。心の中で悔しさと不安が渦巻きながら、ただ呆然とその場に立ち尽くすしかなかった。
◇ ◇
言い過ぎかもしれないが、ほとんど言葉を交わしたことがない私が、果たして弓鶴の代わりを務められるものだろうか。心の中で冷たい不安が渦巻いていた。その不安は次第に恐怖へと変わり、私の胸をぎゅっと締め付けていた。
茉凜は目隠しを外し、私に振り返って舌を出しながら照れ笑いを浮かべた。その笑顔が私の心の影をさらに際立たせた。
「あはは、負けちゃった。勝負はアキラちゃんの勝ちだね」
その言葉を聞いた瞬間、私は怒る気力も、言葉を返す力も失っていた。立ち尽くす私の目の前には、茉凜の表情がまるで他人事のように感じられ、空虚感が心を埋め尽くしていった。
彼女がこの状況を招いた張本人であることは明らかだったが、私の心情など知る由もない。悪気がないことはわかっているだけに、その無関心さが私の苛立ちを倍増させていた。
その瞬間、激しい怒りの嵐が明の声となって吹き荒れた。
「あんた、あたしを馬鹿にしてるの?」
驚きのあまり、私は明の方を見つめた。彼女の肩が激しく震え、顔には深い闇の奥底から湧き上がってきたような鋭い感情が滲み出ていた。
茉凜はその言葉に対して、困惑の色を浮かべたまま無表情で応じた。
「どうしたの、アキラちゃん?」
彼女のその無頓着な反応が、さらに火に油を注いだ。明は茉凜に詰め寄り、その声は怒りと混乱に満ちていた。
「最初から勝負する気なんてなかったでしょ? 昨日、自分から真剣勝負しようとか言ったくせに。いったいどういうつもりなの?」
茉凜はその言葉を受け、急に冷たい表情に変わった。その瞳は普段の彼女とはまるで違い、何か隠された深い感情を露わにしていた。彼女の無感情な眼差しに、私の心もまた引き込まれていった。
「わたしはちゃんとやったつもり。でも、全然敵わなかった。やっぱりアキラちゃんはすごいよ」
明はその返答に、苛立ちをますます募らせた。
「へらへらしやがって。あんた、それであたしに同情してるつもりなの? ふざけないでよ」
明の言葉には、彼女の内なる深い憎しみと怒りが込められていた。
それを受けて、茉凜は一瞬黙り込み、私はただその場の圧倒的な空気に圧倒されるしかなかった。
茉凜は少し息をついて答えた。
「同情か……。違うんだけどな。わたしはあなたにも弓鶴くんにも、仲直りしてもらいたいって思ったの。昔のことはわたしは知らないけれど、せっかく久しぶりに会えたんだから、ちゃんと向き合って話をしてもらいたいって───」
「それが余計だって言ってるのよ。あんたにあたしの何がわかるっていうの? あんたなんか、ここで殺してやりたいくらい大嫌いなんだ。でも、弓鶴くんがいるから、あんたがいないと死んじゃうから、仕方ないから……。そんなあんたにだけは、絶対に言われたくない。なんでこんなやつが弓鶴くんの隣にいるのか、本当に腹が立つ!」
明の言葉が茉凜を遮り、私の心に鋭く突き刺さった。
その痛みはまるで体内の深い闇が引きずり出されるようで、私自身の感情をも圧倒し、引き裂くかのように感じられた。
「ごめんなさい……。そんなつもりじゃなかったの……」
茉凜は俯いて呟いた。彼女の肩がわずかに震え、その姿は痛々しく感じられた。
明は一息つくと、私をじっと見据えた。
「弓鶴くん、こいつは事の重大さを何も理解してないんじゃないの? じゃなかったら、こんなに呑気な顔してられないよ。あなたに対する責任がどれだけ重いか、ちゃんと知るべきだわ」
その言葉に、冷や汗が背中を流れた。明が何を言おうとしているのか、その意図はすぐに分かった。
「やめろ、明。茉凜は知る必要などない」
明は私の声を無視し、拳を強く握りしめて、必死に声を絞り出した。
「彼は命を捨てる覚悟で、私たち深淵の血族にかけられた呪いを解こうとしている。あの黒鶴の力を使って、精霊子を受け止める器を死の淵のぎりぎりまで拡大させようとしてるんだ。それがどれだけ危険なことか……。今はあんたという安全装置のおかげでなんとかなってるかもしれないけど、いつ死んだっておかしくないんだ!」
場の空気が一瞬で凍りついた。明の声はまるで冷たい刃のように、私たち全員を一瞬で凍りつかせ、圧倒的な恐怖をもたらした。
茉凜の肩がわずかに震え、その目が遠くを見つめるように虚ろになっていった。彼女の普段の明るさとは打って変わり、心の奥底で冷たく硬く凍りついているかのようだった。
「彼がどんなに苦しんでるか、どんな気持ちでいるか、あんたはちゃんと理解してるの? そんな平和そうな顔してられるのが、あたしには信じられない」
明の目が鋭く茉凜を見つめ、場の空気はさらに重く、冷酷に沈んでいく。その圧倒的な緊張感に、私の心も押し潰されそうだった。
茉凜は私の前でただ震え、言葉を失っていた。その瞳に浮かぶ影は、私がもたらした残酷な現実に押し潰されそうな彼女の心情を映し出していた。
明の顔にはわずかな後悔と戸惑いが滲んでいたが、それでも彼女は感情を抑え込み、冷静な声で言った。
「言いたいことは言ったから、あたしは帰る。じゃあね……」
その一言が、私たちの間に重く響き渡った。明と新庄が静かに去っていく背中を見送る中、私の心には深い虚無感と重い罪悪感が広がっていった。
広がる不気味な静寂の中で、私はただ立ち尽くしていた。茉凜の心にどれだけ深い傷を与えてしまったのかを考えると、胸が締め付けられるように痛んだ。
すべては私が招いたことで、すべて私が悪い。茉凜も明も、そしてこの弓鶴も、私が不幸にしてしまったのだ。この感情の波が、私を押しつぶしていくようだった。
85
お気に入りに追加
54
あなたにおすすめの小説
それでも私たちは繰り返す
悠生ゆう
恋愛
創作百合。
大学の図書館で司書として働く美也にはふたつの秘密があった。
ひとつは『都』という名前で生きた前世の記憶があること。
もうひとつはレズビアン風俗のデリヘル嬢として働いていること。
ある日、学生の菜穂美に風俗で働いていることを知られてしまった。
前世と現世が交錯していく。
さくらと遥香
youmery
恋愛
国民的な人気を誇る女性アイドルグループの4期生として活動する、さくらと遥香(=かっきー)。
さくら視点で描かれる、かっきーとの百合恋愛ストーリーです。
◆あらすじ
さくらと遥香は、同じアイドルグループで活動する同期の2人。
さくらは"さくちゃん"、
遥香は名字にちなんで"かっきー"の愛称でメンバーやファンから愛されている。
同期の中で、加入当時から選抜メンバーに選ばれ続けているのはさくらと遥香だけ。
ときに"4期生のダブルエース"とも呼ばれる2人は、お互いに支え合いながら数々の試練を乗り越えてきた。
同期、仲間、戦友、コンビ。
2人の関係を表すにはどんな言葉がふさわしいか。それは2人にしか分からない。
そんな2人の関係に大きな変化が訪れたのは2022年2月、46時間の生配信番組の最中。
イラストを描くのが得意な遥香は、生配信中にメンバー全員の似顔絵を描き上げる企画に挑戦していた。
配信スタジオの一角を使って、休む間も惜しんで似顔絵を描き続ける遥香。
さくらは、眠そうな顔で頑張る遥香の姿を心配そうに見つめていた。
2日目の配信が終わった夜、さくらが遥香の様子を見に行くと誰もいないスタジオで2人きりに。
遥香の力になりたいさくらは、
「私に出来ることがあればなんでも言ってほしい」
と申し出る。
そこで、遥香から目をつむるように言われて待っていると、さくらは唇に柔らかい感触を感じて…
◆章構成と主な展開
・46時間TV編[完結]
(初キス、告白、両想い)
・付き合い始めた2人編[完結]
(交際スタート、グループ内での距離感の変化)
・かっきー1st写真集編[完結]
(少し大人なキス、肌と肌の触れ合い)
・お泊まり温泉旅行編[完結]
(お風呂、もう少し大人な関係へ)
・かっきー2回目のセンター編[完結]
(かっきーの誕生日お祝い)
・飛鳥さん卒コン編[完結]
(大好きな先輩に2人の関係を伝える)
・さくら1st写真集編[完結]
(お風呂で♡♡)
・Wセンター編[不定期更新中]
※女の子同士のキスやハグといった百合要素があります。抵抗のない方だけお楽しみください。
神様のミスで女に転生したようです
結城はる
ファンタジー
34歳独身の秋本修弥はごく普通の中小企業に勤めるサラリーマンであった。
いつも通り起床し朝食を食べ、会社へ通勤中だったがマンションの上から人が落下してきて下敷きとなってしまった……。
目が覚めると、目の前には絶世の美女が立っていた。
美女の話を聞くと、どうやら目の前にいる美女は神様であり私は死んでしまったということらしい
死んだことにより私の魂は地球とは別の世界に迷い込んだみたいなので、こっちの世界に転生させてくれるそうだ。
気がついたら、洞窟の中にいて転生されたことを確認する。
ん……、なんか違和感がある。股を触ってみるとあるべきものがない。
え……。
神様、私女になってるんですけどーーーー!!!
小説家になろうでも掲載しています。
URLはこちら→「https://ncode.syosetu.com/n7001ht/」
(R18)ふたなりお嬢様の性活
HIIRAGI
恋愛
生まれつきふたなりの体で生活するお嬢様・白石結衣(しらいしゆい)はある日、買い物の帰り道で親に捨てられた松成汐里という少女を拾い自らの使用人として住み込みで雇い入れる。
順調に新たな生活が始まったように見えた2人だったが………。
分析スキルで美少女たちの恥ずかしい秘密が見えちゃう異世界生活
SenY
ファンタジー
"分析"スキルを持って異世界に転生した主人公は、相手の力量を正確に見極めて勝てる相手にだけ確実に勝つスタイルで短期間に一財を為すことに成功する。
クエスト報酬で豪邸を手に入れたはいいものの一人で暮らすには広すぎると悩んでいた主人公。そんな彼が友人の勧めで奴隷市場を訪れ、記憶喪失の美少女奴隷ルナを購入したことから、物語は動き始める。
これまで危ない敵から逃げたり弱そうな敵をボコるのにばかり"分析"を活用していた主人公が、そのスキルを美少女の恥ずかしい秘密を覗くことにも使い始めるちょっとエッチなハーレム系ラブコメ。
男女比:1:450のおかしな世界で陽キャになることを夢見る
卯ノ花
恋愛
妙なことから男女比がおかしな世界に転生した主人公が、元いた世界でやりたかったことをやるお話。
〔お知らせ〕
※この作品は、毎日更新です。
※1 〜 3話まで初回投稿。次回から7時10分から更新
※お気に入り登録してくれたら励みになりますのでよろしくお願いします。
ただいま作成中
男女比1:10000の貞操逆転世界に転生したんだが、俺だけ前の世界のインターネットにアクセスできるようなので美少女配信者グループを作る
電脳ピエロ
恋愛
男女比1:10000の世界で生きる主人公、新田 純。
女性に襲われる恐怖から引きこもっていた彼はあるとき思い出す。自分が転生者であり、ここが貞操の逆転した世界だということを。
「そうだ……俺は女神様からもらったチートで前にいた世界のネットにアクセスできるはず」
純は彼が元いた世界のインターネットにアクセスできる能力を授かったことを思い出す。そのとき純はあることを閃いた。
「もしも、この世界の美少女たちで配信者グループを作って、俺が元いた世界のネットで配信をしたら……」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる