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第二章 回想編

第四十二話 揺れる心、静かな勝負

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 茉凜がゆっくりと明に近づいていく様子を見守りながら、私の心はじわじわと、不安の影に覆われていくのを感じた。その一歩一歩に、私の胸は重く沈み、でも、それでも「やめて」とは言えなかった。

 彼女のまっすぐな気持ちを否定するような言葉を口にすることはできなかったし、何よりも、私自身が明と向き合う勇気を持てなかったからだ。あの距離感の中に踏み込む覚悟が、私にはなかった。

 正直なところ、茉凜が私に代わって何とかしてくれることを、どこか期待していたのかもしれない。臆病な自分を責めながらも、茉凜に頼る思いが心の片隅にあったことを、私は否定できなかった。

 彼女が明にどんな言葉をかけ、そして明がどんな反応を見せるのか、全く予測がつかない。そんな未知の出来事が、私の中でじわりじわりと心の平穏を蝕んでいく。まるで、胸の奥で小さな棘が引っかかっているかのような、ひどく居心地の悪い感覚だった。

 茉凜がとうとう明の隣に立った瞬間、私の胸はさらに重く沈み、息が詰まる思いだった。明が彼女を受け入れるだろうか、それとも拒絶するのか。その結果がどう転ぶかを想像するだけで、私の心は暗い淵に飲み込まれるような気持ちになる。明の冷たい視線が彼女に向けられ、そのまま何も変わらなかったら──そんな不安ばかりが頭をよぎっていた。

 予感は的中した。明は最初、茉凜を完全に無視した。視線すら合わせず、まるで彼女がそこに存在しないかのように振る舞った。茉凜が明に話しかけるたびに、明は肩をすくめ、まるで「どっか行け」とでも言いたげな、冷たく硬い表情を浮かべた。

 その瞬間、私は思わず目を逸らしたくなった。今、ここに立っていることがひどく苦しくて、この場を離れたくて仕方がなかった。どうせ何も変わらない、茉凜がどれだけ頑張っても、明はきっと心を開かない──そんな諦めの感情が、私の心に忍び寄っていた。

 けれど、そのときだった。茉凜の声に応えるように、明が突然顔を上げたのだ。その瞬間、私の中で何かが静かに揺れた。周りの音が一瞬止まり、二人だけの時間が流れ出したような感覚が私を包み込んだ。茉凜と明が向き合い、そしてお互いに座って話し始めている姿が、驚きと共に私の目に映った。

 「え?」という声が、思わず口から漏れそうになった。何が起こったのか理解できないまま、二人のやり取りに目を奪われていた。茉凜は何を言ったのだろう。明の何を動かしたのだろうか。心の中で複雑な感情が渦巻きながらも、私はその光景に引き込まれ、ついには目を離すことができなくなっていた。

 ほんの少し前まで、何も変わらないと諦めていたのに、今目の前で繰り広げられている二人の会話は、私に「もしかして」という希望の光を灯していた。

     ◇         ◇

 茉凜が戻ってくると、私は彼女に何かを尋ねたい気持ちが胸の奥でふつふつと湧き上がったが、その話題には触れずにいた。無言のまま、目だけで彼女を見つめる私を、茉凜はまるで見透かすように、いつもの軽やかな口調で言った。

「心配しないで、話っていっても大したことじゃないよ。お互いの好きなこととか、興味があることを話してただけ」

 その瞬間、胸の中に張り詰めていた緊張が一気に解け、ほっとした。思っていたより深刻な話にはならなかったのだと分かり、心の奥で安堵の息が漏れる。しかし、次の言葉が私の心を再び波立たせた。

「それから、弓鶴くんのことも少し訊かれたかな」

 一瞬、時間が止まったかのような感覚に襲われた。私が話題に上がっていた――その事実に驚きと、不安が混ざり合う。茉凜の目に映る私は、どんな風に見えていたのだろう。そして、昔の私を知る明が、それをどう受け止めたのだろうか。

「明ちゃん、少し笑ってたよ。『そんなに変わってないな』って言ってた」

 茉凜のその言葉は、私の心に深く響いた。明が笑った――それだけで、私の中に様々な感情が押し寄せてくる。懐かしさと共に、何かがこみ上げてきた。明は弓鶴に対してどんな思いを抱いているのか、その感情の深さを、私は茉凜の言葉を通して垣間見た。心の奥で、彼女が感じている思いの重さを痛感しながらも、同時にほっとする自分がいるのも事実だった。

 明が私の存在にまだ勘づいていないこと。それが、わずかながら安堵となって、心の中で静かに広がっていった。

 茉凜の次の言葉は、私を驚愕させた。

「アキラちゃん、明日もいるんだって。それでね、わたしと一勝負しようって話になったんだ」

「勝負だと!?」

 驚きのあまり、私は思わず声を上げてしまった。二人が言い争う姿が頭に浮かび、不安が胸に押し寄せてきた。こんな場所で彼女たちが対立するなんて、心の準備が全くできていない私はどうすればいいのか全然わからなかった。

 混乱した思考の中、焦燥感が胸を締めつける。一体、何の勝負をするというのだろうか。剣や格闘のような激しい戦いが繰り広げられるのではないか、そんな荒々しい光景が茉凜とアキラの間で繰り広げられるのは信じがたかったが、不安が心を占めていった。

 茉凜の穏やかな微笑みと、アキラの冷たい視線が頭の中で交錯する。まるで二人の間に見えない緊張の糸が張り詰めているかのような感覚が私を覆う。もし本当に二人が力を競い合うのなら──その考えが脳裏をよぎるたび、私はますます不安に飲み込まれていった。

 争いが起きたら、どうすればいいのだろうか。止めるべきなのか、それとも黙って見守るべきなのか――その二つの選択肢が頭を巡るたび、答えは見つからないまま、ただ焦燥が募っていく。「一体何を考えているんだ?」と問い詰めたい気持ちを必死に抑え、私は茉凜の言葉を待つしかなかった。

 青ざめた私の顔を見て、茉凜は小さくくすっと笑った。

「え? 勝負っていっても、『スイカ割り』だよ?」

 その言葉が耳に入った瞬間、私は張り詰めていた心が一気にほぐれていくのを感じた。なんてことだ、こんなに心配していた自分が馬鹿みたいだ。まさか、そんな平和な遊びだったなんて。

「そうか、スイカ割り……だったのか。なんだ、良かった……」

 ほっと胸を撫で下ろし、心の中で笑いがこぼれる。緊張が解け、気づけば茉凜を見つめ返していた。彼女のからかうような視線に、少し恥ずかしさを感じながらも、安堵した気持ちで茉凜の笑顔を受け入れた。
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