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第二章 回想編

第二十六話 冷酷王子と町娘の対決

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 明との一件以降、私たちは自然と名前で呼び合うようになっていた。

 真凜が「その方が気楽だから」と提案してきたとき、私はただ頷くしかなかったが、心の奥では彼女の無邪気な優しさに戸惑いを隠せず、どうしても冷淡な態度を崩せないままだった。彼女の笑顔が、私の心に深く刻まれる一方で、その温かさを受け入れることができなかった。

 四月、新しい学園生活が始まり、真凜と私は、虎洞寺氏が理事長を務める【翡創学園】の高等部に一年生として通うことになった。

 真凜は事故の影響で留年しており、私も出席日数が足りないという理由で同様だった。ただ、同じ学校で過ごすことには不安があった。幸い真凜とは別のクラスになると知って安堵していた。

 初登校の日の朝、私は真凜に「学校では俺に近づくな、話しかけるな」と忠告した。理由を言葉にできず、「面倒だからだ」とだけ伝えたが、真凜は「なんで?」と不思議そうに私を見つめるだけだった。

 彼女の視線に心が揺れたが、自分が築き上げた『氷の王子様』という仮面を守りたくて、どうしてもその仮面を崩せなかった。その仮面が、私の本当の気持ちを隠すための盾となっていたからだ。

 学校に到着すると、私は真凜を先に行かせようとしたが、彼女は私の手を右手で無理やり引いて一緒に歩き出した。驚きと困惑の中で抵抗しようとしたが、彼女の力は意外にも強く、無理やり校舎へと引きずられるように歩かされた。

 周囲の生徒たちの視線が私たちに注がれ、顔が熱くなるのを感じながら、内心で「どうしてこんなことになったのか」と悔やんでいた。
 弟の身体である私よりもずっと背が高い真凜は、ファッションモデルになれるほどのすらりとした美しい姿で、その彼女が背筋を伸ばし、堂々と私を引っ張って歩いている姿が周囲の視線を引き寄せるのは当然だった。

 彼女の自信に満ちた態度は、私にとっては眩しく、まるで太陽のように感じられた。彼女が周囲の視線など全く気にしていないかのように振る舞う姿に、私は新たな感情を芽生えさせていた。

 「だから面倒なことになると言ったんだ」と不機嫌そうに口にしても、彼女はただ「なあに、気にしない気にしない」と微笑んでいた。その笑顔が、不思議と私の心に温かい光を灯し、ますます彼女の存在が私の心に深く刻まれていくのを感じた。

 その後、真凜は休み時間になるたび私のクラスにやって来ていた。無視しようと心に決めたが、彼女の一途な行動に戸惑いが募るばかりだった。

 虎洞寺邸で一緒に住んでいるという事実もすぐに広まり、「それって同棲してるってこと?」などという変な誤解までされて、私は頭を抱えるしかなかった。

 彼女には危機感というものがないのだろうか。

 手を引かれて歩いたあの日の出来事も含め、私たちの関係が学園中で話題になるのは時間の問題だった。

 そんなある日の昼休み、真凜が手作りのお弁当を持って私の元にやって来た。彼女の笑顔が眩しくて、私は胸が苦しくなっていた。

 無視しようと決めていたが、彼女は食い下がるように私の机の上にそれを差し出してきた。その弁当箱の蓋が少し開いていて、中からいい匂いが漂っていた。

 周りの生徒たちが私たちを見守っているのが感じられ、私は急に息苦しさを覚えた。
 私は「やめろ」と声を低くして言ったが、彼女は微笑みを崩さず、さらにお弁当を押しつけるように手元へと寄せてきた。

 彼女の頑固さに苛立ちを感じ、私は思わずその手を払いのけた。その瞬間、弁当箱が彼女の手から滑り落ち、教室の床に音を立てて転がった。教室全体が一瞬にして静まり返り、全ての視線が私たちに集中していた。

 真凜は驚いたように私を見つめ、次に弁当箱を見下ろした。その目に、ほんの一瞬だけ、悲しみの色がよぎったのを私は見逃さなかった。

 その瞬間、私は自分がしたことの酷さに気づいた。

 胸の奥で何かが締めつけられるような痛みが広がり、居たたまれない気持ちに押しつぶされ、何も言えないまま教室を飛び出していた。廊下を駆け抜けながら、どうしてあんなことをしてしまったのかと自問自答し続けた。真凜はただ私に優しく接しようとしていただけだったのに。彼女の無邪気な笑顔を思い浮かべると、後悔と自責の念が一層強くなった。

 一人になりたくて、私は人が少ない場所を探し、学校の屋上へと向かうことにした。

 冷たい風が頬を撫で、心の中の混乱を少しだけ和らげてくれた。空を見上げ、深呼吸を繰り返す。だけど、真凜に対する申し訳なさは消えるどころか、ますます重くのしかかってきた。

 「私はなんてことを……」と小さく呟いた。その言葉が風に流され、どこかへ消えていくのを感じながら、自分の愚かさを噛み締めていた。

 如月灯子《きさらぎとうこ》が私の前に現れたとき、予期していた以上の驚きが走った。

 彼女は弓鶴の中等部時代からの友人だったが、復学後は自然に距離が開いてしまい、関わりがなくなっていた。留年によって彼女は二年生になり、私と再び交わるとは思いもよらなかった。

 灯子は私と真凜の噂を耳にし、教室を通り過ぎたときに先ほどの騒動を目撃していたようだった。私はその場から逃げるようにして去ってしまい、彼女の存在にも気づかなかった。その後、彼女は真凜に近づき、何とかフォローしたのだという。

 なのに、私は無関心に冷たく言い放ってしまった。

「だからどうしたというんだ。あんな人の気持ちもわからないおせっかいなど、迷惑なだけだ」

 それに対して灯子は呆れ加減で答えた。

「あなたって、本当に変わってしまったのね。昔はそんな人じゃなかった……。言っておくけど、人の気持ちがわからないのはあなたの方じゃないの? 理由はどうあれ、彼女にあやまりなさいよ」

 灯子の言葉は、私の心の奥深くに強く響いた。彼女が去った後、私はただ立ち尽くしていた。自分の冷たさがひどく悔やまれた。

 昼休みの終わり、廊下で真凜と偶然出会ったとき、私は目を合わせることもできず、ただ通り過ぎようとした。

 彼女は何も言わずに、ただ静かに立っていた。

 その姿に私は立ち止まり、心の奥底に隠れていた感情が一気に溢れ出すのを感じた。そして、彼女の横に立ち尽くしたまま、「すまなかった」とだけ呟いた。その一言が精一杯の謝罪だった。

 真凜は、その言葉に対して優しく微笑み、柔らかく答えた。

「ううん、あれはただの弾みみたいなものだから、全然気にしてないよ。でも、いつもお昼を食べてないみたいだから、身体のことが心配でね。少しでも食べてもらえたらと思ったんだ。だって、相棒の健康管理は大切だからねっ」

 彼女の言葉が、私の心にほんの少しの変化をもたらした。

 言葉にはできないような感謝の気持ちが込み上げてきて、その瞬間、心の中で何かがほんの少しだけ溶けていったように感じた。

「わかった。これからはちゃんと食べるようにする……」

 私の言葉に対して、真凜は嬉しそうに微笑んでいた。

 その笑顔を見ていると、心の中で少しずつ暖かさが広がっていくのを感じた。彼女の無邪気な優しさが、私の硬く閉ざされた心に小さな光を差し込んでくれるようだった。それはまるで冷えた体が徐々に温まっていくような、じんわりとした変化だった。
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