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第一章
第十八話 母さまの消失と私がすべきこと
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しばらくの沈黙が流れた後、ヴィルの声が静かに空気を裂いた。その視線は、私の手に握られているマウザーグレイルにじっと注がれていた。
「その剣だが、素性が謎だな。お前もよく知らないと言っていたが」
「うん……」
私は視線を落とし、心の中でかすかな記憶の断片を必死に掘り起こそうとした。
マウザーグレイルが私に何をもたらしたのか、どんな意味が込められているのかを思い出そうとするのだが、まるで霧に包まれた過去に手を伸ばしているようで、心は昔の情景に締めつけられるような痛みを感じた。その一つ一つが心の奥で小さな鋭い刺のように引っかかってくる。
「この剣は家の壁の高いところにずっと掛けられていたの。物心つくころにはもうそこにあったから、いつからあるのか、どうしてそこにあるのか、何の意味があるのか、いつも不思議に思ってた」
私は言葉を選びながら、記憶の奥底に潜り込んでいった。
「一度だけ、好奇心からその剣に触れようとしたことがあったの。でも、その時は父さまにひどく叱られて、それからは絶対に触らないようにしていたわ」
「そういえば、あいつはお前が剣に触れることを許さなかったんだったな?」
ヴィルの言葉には、深い理解と共感が込められているように感じられた。しかし、その問いかけは私の心にさらなる波紋を広げた。
「それとは別の話よ」
私は当時感じた恐怖を思い出しながら、心の中で揺れる感情を抑えようとした。
「どういうことだ?」
ヴィルは剣に視線を落とし、眉間に深いしわを寄せていた。
「言ったでしょ? わからないことだらけだって。これは、私たち家族にとって、あまりにも危険なものだったってことよ」
ヴィルはその言葉を黙って受け止め、ゆっくりと頷いた。
「ある時、母さまが剣を抱きしめて、すごく真剣な顔で話しかけてるのを見たことがあったの」
私はその光景を思い出しながら手で空中をなぞるように振る。母さまの表情と、剣に向かうその優しい仕草が鮮明に浮かぶ。そこには明らかな親愛の情が感じられた。
「気になって尋ねてみたら、『ミツル、この剣には心があるのよ。まだあなたには早いけれど、大きくなったら、きっとわかるようになるわ』って言っていた。時々、そうやって剣と話をするんだって」
「心が? 剣に?」
「うん、母さまは本当にその心と会話をしているようだった。私には意味がよくわからなかったけれど、すごく神秘的で、何だかとても重要なことのように感じた」
私はその時の感覚を再現しようとして、胸のあたりに手を置く。
「でも、三年前、大変なことが起きたの。急に家が激しく揺れ始めて、驚いて母さまを呼びに行ったら、部屋からまぶしい光が漏れていて、母さまがその中に立っていた」
ヴィルの表情が固まる。私の言葉に耳を傾けながら、彼の眉がさらに深く寄せられた。
「何があったんだ? まさかその剣が原因か?」
「ええ、そう……」
私は手を強く握りしめ、当時の感情を思い出そうとする。心臓が再び鼓動を速め、手のひらに汗が滲む。
「剣が急に光り輝いて、部屋が真っ白になって、私にはどうしていいかわからなくなった。母さまが『まだ早すぎる』って言ってて、それと『まだ力を解き放ってはだめ』と言ってたと思う。すごく焦っているのが私にもわかった」
「力? その剣に秘められた力なのか?」
「うん。たぶんね……」
当時の恐怖が再び表れる。心の奥に潜む不安が、私の声に乗り移ってくる。ヴィルの目が鋭くなり、その表情に影が差す。
「母さまが光の中に向かって、剣に手を伸ばそうとするのを見たとき、私は怖くて、『やめて』って叫んだけど、母さまには全然届いていなかった。手が剣に届いた瞬間、目の前が真っ白になって、何も見えなくなった……。目を開けたときには光は消えていて、剣が床に転がっているだけで……母さまの姿はもうどこにもなかった」
ヴィルが身体を乗り出し、顔を近づけて尋ねた。
「消えた? まさか死んだってことか?」
「そんなことあるわけないでしょ!!」
瞬間的に怒りがこみ上げ、私は思わず叫び声を上げた。
ヴィルの目が驚きと共に広がり、口を少し開けて固まった。
その反応を見た私の心は、もやもやとした感情でいっぱいになり、冷たい空気が流れるような気がした。
「ああ、すまない……」
ヴィルが申し訳なさそうに呟きながら、沈黙に包まれた。肩が落ち、視線は床に向けられた。私にはその静寂が重苦しく、胸に圧し掛かるように感じられ、息が詰まりそうだった。
「……ごめんなさい。冷静になれそうもない」
ヴィルは目を伏せたまま、深いため息をついた。彼の肩がわずかに落ち、静かな困惑が漂っていた。
「わかっている。言いたくなければもういい。無理をする必要はない」
彼の言葉は不器用ながらも、私を気遣う真摯なものだった。それが胸に響き、私は深呼吸をしながら心を落ち着けようとした。
彼の優しさに感謝しながらも、私は勇気を振り絞って続けることに決めた。
「いいのよ……。ここから先は私の推測だけど、母さまはこの剣の力に巻き込まれて、どこかへ飛ばされたんじゃないかって思ってる」
私の言葉を受けて、ヴィルの目が驚きに見開かれた。
「飛ばされた!? 転移の魔術なんて伝説上でしか聞いたことがないぞ」
「だから危険なのよ、これは……。いつからこの世界に存在していて、中に何が仕込まれているかなんて、全然わからないんだから」
「そうか……」
ヴィルは深いため息をつき、その言葉が私の心に重くのしかかった。
過去の傷をえぐり出し、さらに深い闇が広がるのを感じながら、私は言葉を続けた。
「それから、どうなったかって話よね……?」
「ああ……」
ヴィルの声はわずかに掠れていた。
「父さまはこう言ったわ。『お母さんは必ずどこかで生きている』って。そして、父さまは私を知り合いに預けて、母さまを探しに行こうとした。でも、私は嫌だった。母さまがいなくなって、父さままで私を置いてどこかへ行ってしまう。私は一人ぼっちになってしまう。そんなの堪えられるわけがない。だから、父さまに縋りついて何度もお願いした……。そうしたら、父さまは『しょうがないな』って困った顔をして、笑ってくれた。私が旅に同行することを許してくれた。そして、私たちは旅に出た。この剣を携えてね」
ヴィルは頷いてから、少し感慨深げに言った。
「あいつは結構寂しがり屋だったからな。きっと本音ではそうしたかったんだろう」
その言葉に、私は悲しげに微笑みながらも心の奥で溢れる感情を抑えた。彼の理解が少しだけ救いになるように感じたが、それでも心の中に残るのは、あの選択が本当に正しかったのかという疑念だった。
「そうかもね……」
私の声には、どうしようもない虚しさが滲んでいた。
ヴィルの言葉が私の心に触れる一方で、その選択が私たちにどんな影響を及ぼしたのか、私自身にはまだ分からないままだった。
「でも、その時私が素直に言うことをきいていれば、旅についていかなければ、父さまは死ななくて済んだのかも……」
私の胸は今にも張り裂けそうだった。過去の苦しみが、再び胸に重くのしかかってきた。
「私みたいな何もできない足手まといがいたせいで、父さまは命を落としたのかもって、ずっと思ってた……」
その言葉が私の心から溢れ出し、息が詰まるほどの痛みを伴った。
「私がいたせいで、父さまは死んでしまったんだ。一人だったら、その場から逃げることだってできたはず……」
私の声が震え、涙がこぼれそうになったとき、ヴィルが低い声で制止した。
「やめろ……」
その声にはわずかな震えが混じり、彼もまた私と同じように心の奥で痛みを感じていることが伝わってきた。
ヴィルの手が私に伸び、触れようとするも、ためらいがちに止まった。その様子から、彼の中にも深い葛藤があることが伺えた。
「お前のせいなんかじゃない」
ヴィルの目が私を真っ直ぐに見つめていた。
彼の言葉が心に響いても、それでも私の中に残る痛みを完全に癒すことはできないように感じられた。
「お前が責任を背負う必要はない。あいつならそう言うはずだ」
ヴィルの言葉は温かさを伴っていたが、それだけでは私の痛みを完全に和らげることはできなかった。
「でも、もうどうしたって父さまは帰ってこない……」
私の言葉は途切れ、涙がこぼれ落ちる。こぼれた涙が頬を伝い、無力感と悲しみが一層深く心に染み込んでいく。
ヴィルは私の涙を見つめながら、静かに口を開いた。
「いい加減、過去に囚われるのはやめろ。自分を責めたい気持ちはよくわかる。だが、そんなことよりも大事なのは、お前がこれからどうしていくかだ。俺があいつだったなら、こう言うだろう──」
彼の声には確固たる決意があり、その眼差しはまっすぐに私を見つめていた。
「──『どんなに絶望の淵に追い込まれようとも、顔を上げろ、立ち上がれ、前に進め』とな」
その言葉が、まるで父さまの声が耳元で囁かれているかのように私の心に響いた。
ヴィルの声が私の身体を跳ねさせ、その瞬間、心の奥で固まっていた何かが解けるのを感じた。涙が止まり、私の胸に少しずつ希望の光が差し込んでくるのを感じた。
「……私にそんなことができるのかな……」
私の声は不安に満ちていて、ヴィルはそれを諭すように続けた。
「いいか? 過去に自分を縛り続けていては、いつまでも前には進めない。悲しみも苦しみも乗り越えて、その先の未来を切り開くんだ。お前が自分を許して前に進むことで、あいつの名誉も守られるんだ」
ヴィルの言葉は、厳しさの中に深い優しさと励ましが込められていた。
「そうすることで、お前自身が生きている事の意味も意義も証明することができる。お前が自分を信じることで、未来に向かうことができるんだ」
ヴィルの言葉が心に染み渡るにつれて、私の心の奥底で固まっていたものが少しずつ解けていくのを感じた。
彼の言葉には、私を支え、前に進む勇気を与えてくれる力があった。そうだ、こんな私の姿を見たら、きっと父さまは私を叱るだろう。その期待を裏切らないためにも、私は自分を信じて前に進まなければならない。
「それに、あいつの願いは俺の願いでもある」
ヴィルの言葉に、私は一瞬驚きの表情を浮かべた。
「えっ?」
その瞳には優しさと決意が宿り、彼の口元には温かい微笑みが浮かんでいた。
「前へ進む強さを証明しろ。俺はお前を全力で支えるつもりだ。ユベルの代わりとはいわんが、それくらいはさせてくれ」
彼の言葉は、まるで深い海の底から引き上げられるような、希望の光が差し込む感覚をもたらしてくれた。彼の励ましと支えが、私を停滞の闇から引き出してくれるように感じた。
そして、ヴィルは新たな問いを投げかけた。
「お前はこれから何がしたい? 何を望む?」
その問いに対する答えは、心の奥底でしっかりと決まっていた。
「私は母さまを探し出したい。きっと、きっとどこかで生きていて、私のことを待っているはずだから」
私の声には揺るぎない決意が込められていた。
ヴィルはその答えに満足そうに頷き、立ち上がりながら私に手を差し出した。その手には彼の全力の意思が込められていることがわかった。
「なら、決まりだな」
私はその手をしっかりと受け取ることに決めた。ヴィルの手の強い意味を理解し、躊躇せずにその手を取った。
「うん……。私、やれるだけのことはやってみる。どんなに時間がかかっても、絶対に諦めない」
私の言葉が力強く響き渡ると、ヴィルは私の小さな手をしっかりと握り返してくれた。その温かさが、私の全身に広がっていくのを感じ、心の中で力がみなぎってくるのを感じた。
「よし、それでいい」
ヴィルの言葉に、私は心の中で小さな決意を固めた。
父さまも、母さまも、そして私自身も、まだ終わっていない物語の中にいる。これからの道は険しいかもしれないけれど、私は立ち止まらずに進むことを決めた。
しかし、隠された真実はもっと残酷だ。
それだけはヴィルにも言えなかった。彼にマウザーグレイルの名を明かさないのもその一つ。だとしても、私は父さまの遺志を継いで、母さまを探さなければならない。下を向いてばかりではいけない。
一年前、この世界で生きてきた私の中で目覚めた前世の私。この世界に転生した理由と、それがもたらした悲劇の落とし前は、必ずつけなければならない。
それが私と茉凜がすべきこと……。
「その剣だが、素性が謎だな。お前もよく知らないと言っていたが」
「うん……」
私は視線を落とし、心の中でかすかな記憶の断片を必死に掘り起こそうとした。
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「この剣は家の壁の高いところにずっと掛けられていたの。物心つくころにはもうそこにあったから、いつからあるのか、どうしてそこにあるのか、何の意味があるのか、いつも不思議に思ってた」
私は言葉を選びながら、記憶の奥底に潜り込んでいった。
「一度だけ、好奇心からその剣に触れようとしたことがあったの。でも、その時は父さまにひどく叱られて、それからは絶対に触らないようにしていたわ」
「そういえば、あいつはお前が剣に触れることを許さなかったんだったな?」
ヴィルの言葉には、深い理解と共感が込められているように感じられた。しかし、その問いかけは私の心にさらなる波紋を広げた。
「それとは別の話よ」
私は当時感じた恐怖を思い出しながら、心の中で揺れる感情を抑えようとした。
「どういうことだ?」
ヴィルは剣に視線を落とし、眉間に深いしわを寄せていた。
「言ったでしょ? わからないことだらけだって。これは、私たち家族にとって、あまりにも危険なものだったってことよ」
ヴィルはその言葉を黙って受け止め、ゆっくりと頷いた。
「ある時、母さまが剣を抱きしめて、すごく真剣な顔で話しかけてるのを見たことがあったの」
私はその光景を思い出しながら手で空中をなぞるように振る。母さまの表情と、剣に向かうその優しい仕草が鮮明に浮かぶ。そこには明らかな親愛の情が感じられた。
「気になって尋ねてみたら、『ミツル、この剣には心があるのよ。まだあなたには早いけれど、大きくなったら、きっとわかるようになるわ』って言っていた。時々、そうやって剣と話をするんだって」
「心が? 剣に?」
「うん、母さまは本当にその心と会話をしているようだった。私には意味がよくわからなかったけれど、すごく神秘的で、何だかとても重要なことのように感じた」
私はその時の感覚を再現しようとして、胸のあたりに手を置く。
「でも、三年前、大変なことが起きたの。急に家が激しく揺れ始めて、驚いて母さまを呼びに行ったら、部屋からまぶしい光が漏れていて、母さまがその中に立っていた」
ヴィルの表情が固まる。私の言葉に耳を傾けながら、彼の眉がさらに深く寄せられた。
「何があったんだ? まさかその剣が原因か?」
「ええ、そう……」
私は手を強く握りしめ、当時の感情を思い出そうとする。心臓が再び鼓動を速め、手のひらに汗が滲む。
「剣が急に光り輝いて、部屋が真っ白になって、私にはどうしていいかわからなくなった。母さまが『まだ早すぎる』って言ってて、それと『まだ力を解き放ってはだめ』と言ってたと思う。すごく焦っているのが私にもわかった」
「力? その剣に秘められた力なのか?」
「うん。たぶんね……」
当時の恐怖が再び表れる。心の奥に潜む不安が、私の声に乗り移ってくる。ヴィルの目が鋭くなり、その表情に影が差す。
「母さまが光の中に向かって、剣に手を伸ばそうとするのを見たとき、私は怖くて、『やめて』って叫んだけど、母さまには全然届いていなかった。手が剣に届いた瞬間、目の前が真っ白になって、何も見えなくなった……。目を開けたときには光は消えていて、剣が床に転がっているだけで……母さまの姿はもうどこにもなかった」
ヴィルが身体を乗り出し、顔を近づけて尋ねた。
「消えた? まさか死んだってことか?」
「そんなことあるわけないでしょ!!」
瞬間的に怒りがこみ上げ、私は思わず叫び声を上げた。
ヴィルの目が驚きと共に広がり、口を少し開けて固まった。
その反応を見た私の心は、もやもやとした感情でいっぱいになり、冷たい空気が流れるような気がした。
「ああ、すまない……」
ヴィルが申し訳なさそうに呟きながら、沈黙に包まれた。肩が落ち、視線は床に向けられた。私にはその静寂が重苦しく、胸に圧し掛かるように感じられ、息が詰まりそうだった。
「……ごめんなさい。冷静になれそうもない」
ヴィルは目を伏せたまま、深いため息をついた。彼の肩がわずかに落ち、静かな困惑が漂っていた。
「わかっている。言いたくなければもういい。無理をする必要はない」
彼の言葉は不器用ながらも、私を気遣う真摯なものだった。それが胸に響き、私は深呼吸をしながら心を落ち着けようとした。
彼の優しさに感謝しながらも、私は勇気を振り絞って続けることに決めた。
「いいのよ……。ここから先は私の推測だけど、母さまはこの剣の力に巻き込まれて、どこかへ飛ばされたんじゃないかって思ってる」
私の言葉を受けて、ヴィルの目が驚きに見開かれた。
「飛ばされた!? 転移の魔術なんて伝説上でしか聞いたことがないぞ」
「だから危険なのよ、これは……。いつからこの世界に存在していて、中に何が仕込まれているかなんて、全然わからないんだから」
「そうか……」
ヴィルは深いため息をつき、その言葉が私の心に重くのしかかった。
過去の傷をえぐり出し、さらに深い闇が広がるのを感じながら、私は言葉を続けた。
「それから、どうなったかって話よね……?」
「ああ……」
ヴィルの声はわずかに掠れていた。
「父さまはこう言ったわ。『お母さんは必ずどこかで生きている』って。そして、父さまは私を知り合いに預けて、母さまを探しに行こうとした。でも、私は嫌だった。母さまがいなくなって、父さままで私を置いてどこかへ行ってしまう。私は一人ぼっちになってしまう。そんなの堪えられるわけがない。だから、父さまに縋りついて何度もお願いした……。そうしたら、父さまは『しょうがないな』って困った顔をして、笑ってくれた。私が旅に同行することを許してくれた。そして、私たちは旅に出た。この剣を携えてね」
ヴィルは頷いてから、少し感慨深げに言った。
「あいつは結構寂しがり屋だったからな。きっと本音ではそうしたかったんだろう」
その言葉に、私は悲しげに微笑みながらも心の奥で溢れる感情を抑えた。彼の理解が少しだけ救いになるように感じたが、それでも心の中に残るのは、あの選択が本当に正しかったのかという疑念だった。
「そうかもね……」
私の声には、どうしようもない虚しさが滲んでいた。
ヴィルの言葉が私の心に触れる一方で、その選択が私たちにどんな影響を及ぼしたのか、私自身にはまだ分からないままだった。
「でも、その時私が素直に言うことをきいていれば、旅についていかなければ、父さまは死ななくて済んだのかも……」
私の胸は今にも張り裂けそうだった。過去の苦しみが、再び胸に重くのしかかってきた。
「私みたいな何もできない足手まといがいたせいで、父さまは命を落としたのかもって、ずっと思ってた……」
その言葉が私の心から溢れ出し、息が詰まるほどの痛みを伴った。
「私がいたせいで、父さまは死んでしまったんだ。一人だったら、その場から逃げることだってできたはず……」
私の声が震え、涙がこぼれそうになったとき、ヴィルが低い声で制止した。
「やめろ……」
その声にはわずかな震えが混じり、彼もまた私と同じように心の奥で痛みを感じていることが伝わってきた。
ヴィルの手が私に伸び、触れようとするも、ためらいがちに止まった。その様子から、彼の中にも深い葛藤があることが伺えた。
「お前のせいなんかじゃない」
ヴィルの目が私を真っ直ぐに見つめていた。
彼の言葉が心に響いても、それでも私の中に残る痛みを完全に癒すことはできないように感じられた。
「お前が責任を背負う必要はない。あいつならそう言うはずだ」
ヴィルの言葉は温かさを伴っていたが、それだけでは私の痛みを完全に和らげることはできなかった。
「でも、もうどうしたって父さまは帰ってこない……」
私の言葉は途切れ、涙がこぼれ落ちる。こぼれた涙が頬を伝い、無力感と悲しみが一層深く心に染み込んでいく。
ヴィルは私の涙を見つめながら、静かに口を開いた。
「いい加減、過去に囚われるのはやめろ。自分を責めたい気持ちはよくわかる。だが、そんなことよりも大事なのは、お前がこれからどうしていくかだ。俺があいつだったなら、こう言うだろう──」
彼の声には確固たる決意があり、その眼差しはまっすぐに私を見つめていた。
「──『どんなに絶望の淵に追い込まれようとも、顔を上げろ、立ち上がれ、前に進め』とな」
その言葉が、まるで父さまの声が耳元で囁かれているかのように私の心に響いた。
ヴィルの声が私の身体を跳ねさせ、その瞬間、心の奥で固まっていた何かが解けるのを感じた。涙が止まり、私の胸に少しずつ希望の光が差し込んでくるのを感じた。
「……私にそんなことができるのかな……」
私の声は不安に満ちていて、ヴィルはそれを諭すように続けた。
「いいか? 過去に自分を縛り続けていては、いつまでも前には進めない。悲しみも苦しみも乗り越えて、その先の未来を切り開くんだ。お前が自分を許して前に進むことで、あいつの名誉も守られるんだ」
ヴィルの言葉は、厳しさの中に深い優しさと励ましが込められていた。
「そうすることで、お前自身が生きている事の意味も意義も証明することができる。お前が自分を信じることで、未来に向かうことができるんだ」
ヴィルの言葉が心に染み渡るにつれて、私の心の奥底で固まっていたものが少しずつ解けていくのを感じた。
彼の言葉には、私を支え、前に進む勇気を与えてくれる力があった。そうだ、こんな私の姿を見たら、きっと父さまは私を叱るだろう。その期待を裏切らないためにも、私は自分を信じて前に進まなければならない。
「それに、あいつの願いは俺の願いでもある」
ヴィルの言葉に、私は一瞬驚きの表情を浮かべた。
「えっ?」
その瞳には優しさと決意が宿り、彼の口元には温かい微笑みが浮かんでいた。
「前へ進む強さを証明しろ。俺はお前を全力で支えるつもりだ。ユベルの代わりとはいわんが、それくらいはさせてくれ」
彼の言葉は、まるで深い海の底から引き上げられるような、希望の光が差し込む感覚をもたらしてくれた。彼の励ましと支えが、私を停滞の闇から引き出してくれるように感じた。
そして、ヴィルは新たな問いを投げかけた。
「お前はこれから何がしたい? 何を望む?」
その問いに対する答えは、心の奥底でしっかりと決まっていた。
「私は母さまを探し出したい。きっと、きっとどこかで生きていて、私のことを待っているはずだから」
私の声には揺るぎない決意が込められていた。
ヴィルはその答えに満足そうに頷き、立ち上がりながら私に手を差し出した。その手には彼の全力の意思が込められていることがわかった。
「なら、決まりだな」
私はその手をしっかりと受け取ることに決めた。ヴィルの手の強い意味を理解し、躊躇せずにその手を取った。
「うん……。私、やれるだけのことはやってみる。どんなに時間がかかっても、絶対に諦めない」
私の言葉が力強く響き渡ると、ヴィルは私の小さな手をしっかりと握り返してくれた。その温かさが、私の全身に広がっていくのを感じ、心の中で力がみなぎってくるのを感じた。
「よし、それでいい」
ヴィルの言葉に、私は心の中で小さな決意を固めた。
父さまも、母さまも、そして私自身も、まだ終わっていない物語の中にいる。これからの道は険しいかもしれないけれど、私は立ち止まらずに進むことを決めた。
しかし、隠された真実はもっと残酷だ。
それだけはヴィルにも言えなかった。彼にマウザーグレイルの名を明かさないのもその一つ。だとしても、私は父さまの遺志を継いで、母さまを探さなければならない。下を向いてばかりではいけない。
一年前、この世界で生きてきた私の中で目覚めた前世の私。この世界に転生した理由と、それがもたらした悲劇の落とし前は、必ずつけなければならない。
それが私と茉凜がすべきこと……。
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