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第一章

第十三話 茉凜の消失

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 ヴィルとの手合わせが終わった後、私は胸の奥にじわりと込み上げる安堵感を抱きつつ、小声で剣の中の茉凜に話しかけた。

「茉凜、ありがとう。あなたのおかげよ」

 いつもならすぐに返事をくれるのに、茉凜からは何の反応もなかった。私は「うん?」と首を傾げた。急に心の中に小さな不安が首をもたげた。

「茉凜、聞こえてる?」

 呼びかけても何も返ってこない。一体何があったのだろう。私は剣を握りしめ、もう一度呼びかけてみた。

「ねえ、茉凜、返事をして。どうして黙ってるの? お願いだから答えてよ?」

 やっぱり何も返ってこない。焦りと不安が私を包み込む。いつも安心をもたらしてくれる彼女の存在が、今は何故か空虚に感じられ、心が揺さぶられた。

 ヴィルが私の不安な様子に気づき、心配そうに尋ねてきた。

「どうしたんだ? 何かあったのか?」

 私ははっとして彼を見た。どう答えていいか戸惑ったけど、できるだけ平静を保とうと努めた。

「な、なんでもない。さすがにちょっと疲れちゃったみたい……。宿に戻って休むわ」

「そうか、無理はするな。ちゃんと休むんだぞ」

「うん……。それじゃ、ヴィル、また明日ね」

 ヴィルは心配そうに私を見つめていたけれど、やがて小さくうなずいた。

「ああ、また明日」

 私は軽く手を振り、マウザーグレイルをぎゅっと抱きしめたまま、急いでその場を離れた。

 昼のエレダンの街の人通りはとても賑やかで、すれ違う人々の話し声や、商店の客引きの声が飛び交っていた。

 でも、今の私の耳にはまるで入らない。心が落ち着かないまま、私は宿へと急いだ。早足だった歩みは、やがて駆け足へとかわっていた。

 宿に戻ると、私はすぐにドアを閉め、深いため息をつきながらベッドに腰掛けた。マウザーグレイルを膝の上に置き、再び茉凜に静かに呼びかけた。

「茉凜、聞こえてる? お願い、答えて……」

 しかし、返事は依然としてなかった。心の中に広がる不安が、涙を滲ませ、瞼が重くなっていく。茉凜がいないと、まるで自分が真っ暗な闇の中に取り残されたような気持ちになってしまう。

「どうして……どうして返事してくれないの? 茉凜……」

 心の中でつぶやきながら、茉凜が私をからかっているのだと考えようとした。でも、そんなの明らかにらしくない。彼女の真摯さを知っているからこそ、こんなことが起こるはずがないと理解していた。

「ひょっとして、さっきの立合いで何かあったのかな……?」

 茉凜の身に何が起きたのか。私の心は焦りでいっぱいになって、どうしようもない不安が襲ってきた。

「どうしたの茉凜? いったいあなたに何があったの? 答えて……」

 その時、急に全身に疲労が押し寄せてきた。ベッドに倒れ込むと重い眠気が私を襲う。今はそれどころじゃないというのに、私は抗うことができず、心の中で茉凜の無事を祈りながら、私は涙を浮かべたまま眠りに落ちてしまった。

 日が暮れる頃、茉凜の囁く声が耳に届いた。



 その声を聞いた瞬間、私は飛び起きて半狂乱になって問い詰めた。

「茉凜! いったいどうしたの? どうして何も答えてくれなかったの!?」



「眠っていた? どうして?」



「入り込む? それってどういうこと? あなたいったい何をしたの? 私、本当に心配したんだよ!?」

 語気を強める私の問い掛けに、茉凜は少し考え込むように間をとってから答えた。



 私は信じられなかった。でも、思い出してみれば、確かに不思議なほど、認識と私の反射と実際の動きの間に、あまりラグを感じなかった。願うままに黒鶴の能力と身体の動きが連動していたのだ。



 茉凜は何事もなかったように笑っていた。私はそれが腹立たしかった。

「何がうまくいったっていうの!? あなた、それがどれだけ危険なことかわかってるの!? いい? この剣のことなんて、まだなにもわかっていないんだよ? そんな無茶をしたら、二度と戻ってこれなくなるかもしれないんだよ? どうして私に何の相談もなしに勝手なことをしたの? 私、本当に怒ってるんだから!!」

 私は必死に大声でまくし立てていた。

 茉凜は少し驚いたように沈黙した後、優しく、そして力強く答えた。



「それは、そうだけど……でも……」

 あの状況でそんな提案をされても、私は絶対に許さなかっただろう。そして、茉凜の助けがなければ私は負けていた……。

 

「そんな……。あなたが無理することなんてない。あなたが傷つくことなんてない……」

 私の目には涙が溢れていた。心の中には複雑な感情が入り混じっていた。彼女の声が、私の内面に響き渡り、胸の奥深くで波紋を作り出していた。その波紋が私の心を包み込み、徐々に広がっていくのを感じた。

 茉凜は言葉を紡ぎ続けた。

 

 共に歩んできた前世の記憶が鮮明に蘇ってきた。

 突然の、でも必然の出会い。素直になれず冷酷に拒絶していた私。それでも私にお日様のような優しさを届けてくれた彼女。

 私はいつしか彼女に惹かれていた。でも、その時の私はいろいろなしがらみでがんじがらめで、彼女の想いに応えてあげられなかった。

 そんなある日、彼女が恥ずかしそうに差し出してくれた翼の形をしたキーホルダー。それは片翼を模したもので、二つを合わせることで一対の翼になるようになっていた。

 それは彼女が示してくれた絆と希望の象徴だった。そして、私たちの関係が単なる友達以上のものであるという深い意味が込められていることを理解した。

「それはよくわかってる。でも、私、あなたがいなくなってしまったら、どうすればいいか分からない。そんなの、絶対に嫌だ……」

 私の言葉には、心の底からの切実な思いがこもっていた。茉凜がいなくなると想像するだけで、胸が締めつけられるような痛みがする。彼女がいない未来なんてありえない。

 ガタガタと震える私に、茉凜はすこし呆れたように言った。

 

 茉凜の言葉は一見乱暴で、ふざけて聞こえる。でも私の心を支えるための優しさと励ましが込められているのはわかっていた。



 その言葉に、私は心の奥深くが、温かい感情でいっぱいになるのを感じた。

「うん。でも、もうあんな無茶はしないで、私を一人にしないで……」



「そうだね。そうしてもらえると嬉しい……」

 その時だった。気持ちが落ち着いたせいか、急にお腹が「ぐうーっ」と大きな音を立てた。私は音の大きさにびっくりして、顔が真っ赤になり、慌てて手でお腹を押さえた。恥ずかしさで心臓がドキドキして、どうしていいかわからず、小さく丸まってしまった。

 「う、うう……」と呟きながら、ベッドの上でうずくまっていた。茉凜が私の反応のすべてを知っていることはわかっているけれど、それでもこうして自分があまりにも子供っぽい反応をしてしまうと、恥ずかしくてどうにもならなかった。

 もちろん、茉凜には私のこの気持ちは伝わっていた。彼女は優しく、少しふざけた感じで笑いながら、心の中に響く声で呼びかけてきた。



「う、うるさい……!」

 私は顔を真っ赤にして反応した。茉凜の声には私の動揺や困惑が伝わっていて、彼女の笑い声がますます私の心をくすぐった。



「うん……。なんでもいいからお腹に入れたいな。それと、お酒もちょっと飲みたいかも……」

 

「だって、今日の勝利は茉凜のおかげだもんね。だから祝杯をあげましょう」

 

「こらっ、調子に乗るな。まったくもう、これだから呑んだくれは!」

 いつもの私たちのやりとりに戻った。茉凜の冗談に笑いながら、私は宿の外に出た。

 夜の街並みが静かに広がり、持続反応式の魔道街灯の柔らかな光が、私を優しく包み込んでいた。
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