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第一章

第三話 流浪の剣士 その名はヴィル

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 私はふわふわとした気分で、酒器を手にしながら、目の前のぶどう酒の淡い紫色を眺めていた。まるでその色に溶け込むように、心もまた柔らかく、ぼんやりとした世界に浸っていた。

 そのとき、扉が重々しく開く音が響き、視線を向けると、一人の男がふらりと入ってきた。

 その姿はまるで長い旅路の果てに現れた幽霊のようで、ほこりまみれの厚い外套をまとい、金色の髪は乱れ、無精髭がその疲れ切った顔に陰を落としていた。酒場の灯りが彼の表情に陰影を添え、ますます彼の疲労を際立たせていた。それでも、彼の目だけは鋭く、深い闇を宿していた。

「見慣れない顔ね……」

 私はつぶやきながら、酒器に目を落としつつ、横目で男を観察し続けた。

 彼の存在が、ここでの何気ない日常に一筋の波紋を投げかけているように感じられた。静かな酒場の空気が、彼の登場でわずかに変わり始めたような気がする。

 男は重い足取りでカウンターへ向かい、無言で腰を下ろした。その姿は、どこか終わりなき旅の果てに辿り着いた者のように見えた。周囲の客たちはちらちらと男を見やり、その視線はまるで彼の背後に潜む物語を知りたがっているかのようだった。

 男はその視線に気づかないふりをして、店主に手を上げて酒を注文した。店主が酒器を渡すと、男は無造作に受け取り、表面に指先を軽く滑らせた。その手には、無数の傷が刻まれており、彼の過去の激しい戦いを物語っているようだった。

 男は酒を一口含むと、酒場全体を鋭い視線で見渡した。その目線は、まるで何かを探しているかのように、細心の注意を払って動き続けた。静かな動きの中に、ただ者ではない雰囲気が漂っていた。その視線は、まるで周囲の人々が持つ一瞬の動きや感情までも読み取っているかのように、鋭さを増していた。

 そして突然、男の視線が私の方に向けられた。

 鋭い眼差しが私を捉えた瞬間、心臓が一瞬凍りついたような気がした。その視線には、私の存在が何か特別な意味を持つような印象があった。男が微かに笑みを浮かべたとき、まるで私の反応を試されているかのような、微妙な緊張感が広がった。

 その後、男は再び店主との会話に戻り、周囲の客たちもまたざわめき始めた。けれど、私の心にはまだ男の鋭い視線が残り、何かが起こりそうな予感がしていた。

 しばらくして、男はゆっくりと立ち上がり、重い足音を響かせながら私のテーブルに近づいてきた。客たちの視線も男に注がれ、一瞬、酒場全体が静まり返った。

 私は危険なサインを感じ取った。



 茉凜の不安げな声が心の中で響く。私は小声で応じた。

「うん……。ちょっと様子を見るから、しばらく黙っていて……」



 男が私のテーブルに近づいてくると、鋭い眼差しが私を貫通するように感じられた。彼の目は、まるで私の内面に隠された秘密を探ろうとするかのように深く、冷たい。

「お前はここで何をしている?」

 その低くて冷ややかな声に、私は酒器に視線を落としながら冷静に答えた。

「何って? 見ての通りよ」

 私の答えに対して、男は一瞬沈黙し、何か考え込むような表情を浮かべた。続けて、彼は再び口を開いた。

「子供がこんな時間に、それも一人で酒場にいるなんて、感心しないな」

 その言葉には、どこか私を侮るような響きがあった。私は少しむかっ腹が立ち、冷たく返す。

「馬鹿にしないでくれる? 私はこうしてお酒が飲める歳なんだけど?」

 私は不機嫌に返答する。確かに外見上はまだ子供かもしれない。けれど、中身の私はしっかりした二十一歳なのだ。この世界の成人年齢など知らないが、誰が何と言おうと私は立派な大人だ、と思いたい。

 男の眉がわずかに動き、その微細な変化に私の心には小さな苛立ちが広がった。

「酒だ? お前、どう見たって十二か十三ぐらいのガキだろ?」

 私は少しむかっ腹が立つ。冷ややかな笑みを浮かべた男の表情が、まるで私を嘲笑うかのようで、内心の怒りがじわりとこみ上げてくる。しかし、表面上は冷静を装う。

「見た目だけで判断してもらっては困るんだけど。私はこれでも二十一よ」

 私の答えが終わると、男は短く「へえ……」とつぶやいた。

 彼の視線が私をじっと見つめる。その目には、私の反応を確かめようとするような冷たい光が宿っている。静かな酒場の空気が、彼の存在によってさらに重く感じられる。

 男の視線がじっと私を品定めするように動くたびに、心の奥底で不快感がじわじわと広がっていく。彼の視線が私の外見を評価しようとしているのが感じられ、どうせ、私の未発達な身体を嫌らしく貶めるつもりだろうと、察していた。そんな下品な挑発には乗るつもりはないし、自分を守るために冷静さを保たなければならない。

「そういえば、あなた見慣れない顔だけど、私に何か用?」

 私は心の奥で不安のもとが芽生えているのを感じつつ、冷たく問いかけた。

 男の目が私をじっと見つめるその瞬間、まるで私の隠れた部分を探り出そうとするかのような鋭さを感じた。

「店の主人に聞いたが、黒髪のグロンダイルっていうのはお前のことか?」

「ええ、そうだけど? それが何か?」

 男の目が一瞬、鋭く光る。その目つきはまるで獲物を狙う狩人のようで、私は無意識に息を呑んだ。

「ここらあたりではちょっとした有名人らしいな。とんでもない魔術を使うとか」

「そうなの? 意識したこともないわ」

 冷たく返答しながらも、内心では彼の試すような視線に緊張が走っていた。男の言葉にはただならぬものを感じ、私の心は次第に不安と疑念でいっぱいになっていった。

「なんでも、一晩かからずに森一つ分の魔獣を狩り尽くしたとか? 奴が通った後には消し炭すら残らないとか?」

 私はため息をついて答えた。

「まあ、たしかにそんなこともあったわね」

 男は驚いたような顔を一瞬見せたが、その後すぐに冷笑を浮かべた。その笑みには、私の誇りを嘲笑するような冷たさが込められていた。

「ふーん、どうやらその噂、眉唾ものだったらしい」

 その言葉に、プライドが深く傷つけられた気がして、心の奥底から沸き上がる怒りをどうにか押さえ込もうとした。

「大げさな作り話だったって事だ。お前みたいなちんちくりんの小娘に、そんな芸当できるわけがない」

 その言葉に激しい怒りが渦巻いた。私は口の端が微かに震えるのを感じながら、冷たい視線で男を見つめ返して答えた。

「あなた、私に喧嘩を売りにきたわけ?」

 男はゆっくりと肩をすくめ、軽く笑みを浮かべた。

「そういうつもりじゃない。俺はただ真実を知りたいだけさ。本当にお前が噂通りの実力を持っているというなら、それがどれほどのものか、是非この眼で確かめさせてもらいたいもんだな」

 男の言葉には露骨な挑発が込められていた。

 その挑発に乗るわけにはいかない。私は深呼吸をして、冷静さを取り戻しながら言葉を返す。

「それはあなたの自由よ。好きにすれば?」

 視線が火花を散らすように交錯し、周囲の客たちは一息もつかずに私たちのやり取りを見守っていた。酒場の喧騒が一瞬静まり返り、重い緊張感が広がっていた。その中で、私の心臓の鼓動は速くなり、その音が耳に届くほどだった。

 男の目には挑発的な光が宿り、私は冷静を装いながらも内心の怒りを必死に押し込めていた。

「ああ、機会があれば見せてもらうとしよう」

「いいわ、いつでもついて来なさい。ただし、邪魔だけはしないでよ?」

「もちろんだ」

 その瞬間、空気がピンと張り詰める。周囲の客たちは息を呑んで、私たちのやり取りを静かに見守っている。
 
 私は平静を装いながら、酒器を持ち上げて一口飲み干す。ヴィルの目がじっと私を見つめ、その視線には探るような冷たさが含まれている。

「ところで、あなたの名前は?」

「ヴィルだ」

「ヴィルね。覚えておくわ。私はミツル。ミツル・グロンダイルよ」

 ヴィルの目が私をまっすぐに射抜く。その鋭い視線に少しだけ身震いしながらも、私は冷静を保とうと努める。

「ミツルか。面白い名前だ。ところで、一つだけ聞かせてくれ。どうしてグロンダイルの名を使っている?」

 その問いに、瞬時に静寂が広がる。私は深く息を吸い込み、冷静な表情を崩さずに答える。心の奥では怒りがくすぶり、焦りも感じるが、外面では一切その感情を表に出さず、落ち着いた態度を貫く。

「騙っている、ね……。そんな風に見えるのかしら?」

 私の言葉は冷たく、ヴィルを鋭く睨みつけながら発せられる。心の中では怒りと焦りが激しく交錯しているが、表面上は動じないように努めた。
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