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一章
エピローグ
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戦車の防盾に弾痕が一つ付いている。
地下施設を出たときに強欲ネットの大口径機関砲搭載型装輪装甲車に撃たれてできたものだ。
砲塔のほかの部分や車体は装甲シートに覆われているので弾痕が残ることはないが、防盾の弾痕は防盾を交換しない限り残ってしまう。大型部品の供給のほぼすべてをエルダーの差し入れに頼っているこの世界で同じ型の新品をうまく手に入れるのは新品の戦車を見付ける以上に難しいだろう。
評価損はどれくらいになるだろうか。
地下施設の通路のそばで作戦後の整備を終えた戦車の防盾を前にして、足場に乗った飛雄馬は精一杯眉間にしわを寄せて弾痕をにらんだ。
(最高速度で走り回ったことを走行試験、戦車砲や同軸機銃、迎撃用メーザーの射撃を射撃試験とするみたいに、防盾の弾痕を耐弾試験と主張するのはさすがに無理っすよね)
まともな売り主なら売り物に傷が残るような試験を行うはずがなかったし、そもそもエルダーの差し入れに品質確認は不要だった。
どう考えても戦車の売却額は元の評価額を下回るだろう。もしかしたらジュラ商会からシーダーへの支払いの減額を求められてしまうかもしれない。
飛雄馬は評価損をなんとか減らせないかと考えたが、不意に戦車の上にいた師匠にヘルメットの上から頭を軽く叩かれた。
「どうしたんすか?」
「さっきから呼びかけても反応がないくらい集中してたから叩いたんだよ。
リーダーが呼んでる」
顔を上げた飛雄馬に師匠が腕を曲げて左を見るように指し示す。
飛雄馬が顔を向けると、床に直に座ったリーダーと踏み台に乗った親方がそれぞれ手招きをしていた。
「オレっすか?」
「真剣に考えているところを悪いが、ちょっとこっちに来てくれるか?」
リーダーと親方は、ばあや、整備工場の番頭と点検の終わったシーダーの通信・電子戦型装輪装甲車のそばで何か話し合っているところだったようだ。互いに顔を合わせやすいように座ったり、脚立を使ったりしていて、四人の大きさの違いが一目で分かった。
シーダーと整備工場の中枢を担う四人に見詰められて飛雄馬は嫌な予感がしたものの、断ることはできなさそうだった。
「分かったっす。今そっちに行くっす」
「ヘルメットを預かるよ」
「ありがとうっす」
飛雄馬はヘルメットを渡した師匠に見送られて四人のところへ向かった。
周囲を見回すと、戦車の隣には、作戦で損傷し、町までなんとか帰れるように必要な修理と整備を行ったヘルキャットと傭兵たちの装甲車、襲撃で受けた被害に対する賠償として強欲ネットから手に入れた大口径機関砲搭載型装輪装甲車一両と対戦車型装輪装甲車一両、八輪装甲車一両がそれぞれ町まで移動するための最低限の修理と整備を受けて並んでいる。
通路を挟んだ反対側の簡易陣地があった側にはシーダーの通信・電子戦型装甲車と町に持ち帰るエルダーの差し入れを満載した大型トラック数両が横一列に並んでいて、静かに出発を待っている。
静かなのは臨時パーティーのメンバーの大半が地下施設の外にいるためで、メンバーたちは大破した傭兵たちの大口径機関砲搭載型装輪装甲車を戦車回収車につないで町まで牽引できるように準備したり、撤退しないで投降し、襲撃した罪を認めた元強欲ネットの容疑者たちに使える部品や資材を回収させたりといった作業を行っていた。
通路からときどき外の掛け声や戦車回収車の動作音が聞こえて、飛雄馬は外の作業に参加しなかったことを後悔したが、そのまま四人に迎えられた。
「今回のMVP様のご登場だ」
「そういうのはもういいっすから。
それより、何かご用っすか?」
「でも、飛雄馬さんの作戦での活躍はすばらしいものでした。飛雄馬さんの援護がなければ傭兵たちの代表も無事ではすまなかったでしょう。
私はまだお祝いの言葉を伝えられてませんでしたから、今言いますね。MVPおめでとうございます」
「ありがとうございます。
用事は終わりっすか?」
「いや、もちろん違う。
親方たちと今後について話してたんだが、飛雄馬には戦車と一緒に整備工場に出向してもらいたくて、意思の確認のために来てもらった」
「今何て言ったっすか?」
「飛雄馬には戦車と一緒に整備工場に出向してもらいたい」
目の前にいるリーダーの言葉を飛雄馬は理解できなかった。共通通訳機が突然故障したのではなく、耳と心が拒否している感じで、飛雄馬はリーダーを見上げたまま表情が抜け落ちた。自動車整備工場で働いていたときの「出向」は販売会社など上位の取引先からの左遷や追い出しで押しつけられた人員への対応で神経をすり減らすことだったから、シーダーから追い出されて整備工場のやっかい者として扱われるとしか思い浮かばなかった。
「……オレ、何かやらかしたっすか?」
「何か誤解があるようだが、飛雄馬には何も問題はない」
「でも、今『戦車と一緒に出向』って」
「悪い意味で言ったのではない。襲撃があって撃退したことなどをジュラ商会に伝えたところ、ジュラ商会を始めとするほかの商会も考えを改めて、整備工場の責任で戦車を運用することにしたから、飛雄馬には整備工場の指示で戦車に乗ってもらいたいのだ」
「戦車は売るんじゃなかったんすか?」
「その活躍を見て、有用性と敵対する勢力の手に渡った場合の危険性を重視するようになったということだ」
「要するに、金はかかっても全体的に見れば被害を減らせて安く上げられるし、敵に使われたときの被害を考えたら自分たちで使おうってことだな」
親方が割って入ってリーダーの説明を補足する。
理解が追いつかないが、悪い話ではなさそうだった。
「……でも、オレはリーダーたちと一緒にいたいっす。まだリーダーたちから学びたいっす」
「ありがとう。飛雄馬にそう思ってもらえて俺たちもうれしい。俺たちも飛雄馬を手放すつもりはない。
だからこそ出向なんだ。飛雄馬はシーダーを辞める必要はないし、宿舎を移す必要もない。シーダーで飛雄馬が必要なときは戦車やヘルキャットで参加してもらう。ただ、それ以外のときは整備工場の指示で働いてほしい」
「町に人間族の戦車に乗って戦える奴はいないし、何より飛雄馬は今回のMVPだからな。安心して任せられる」
親方が長い触手を伸ばして飛雄馬の背中を叩いた。激励のつもりだと分かっていても、親方の触手は良くしなるむちのようで親方が思っている以上に痛かった。
「……そういうことなら引き受けるっす」
「ありがとう」
「それだけじゃないぞ。『戦車と一緒に』の意味に気付いたか?」
「意味っすか?」
飛雄馬は考えようとするが、最初に出向と言われたときの衝撃が大きすぎて考えがまとまらない。
「戦車と一緒に」ということは戦車も出向するということで、戦車が整備工場やジュラ商会など町の商会の所有ではないということになる。町の商会が所有者でなければ戦車の持ち主は誰なのだろう。
「……まさか。本当っすか?」
「喜んでくれたみたいだな。そのことについても少し話したいんだが良いか?」
「もちろんっす」
「一応、断ってくれても良いからな。喜んでくれるだろうとは思ってたが、飛雄馬の金の使い道を勝手に決めてしまったわけだからな」
「断ったりなんてしないっす!」
飛雄馬は親方の触手を両手でつかんで正面から見詰めた。
一人で戦車を持つのはまだ早くても、信頼できる人々に見守られ、力を借りながら戦車を持てるのであれば機会を見逃す理由がなかった。
勢いに押された親方がつかまれた触手に軽く力を入れて引っ込めようとしても飛雄馬は動かないし放さない。
笑いを我慢しきれなくなって吹き出す声が聞こえて、飛雄馬はようやく我に返った。脚立の上にいるばあやと立っている番頭が笑っていて、飛雄馬は慌てて親方の触手を放した。
「す、すみません」
「いや、情熱的で良かったぞ」
「忘れてほしいっす」
「無理だな。今から一緒に働くのが楽しみだ」
「それより、なんでオレに戦車を売ってくれるんすか? 町の商会の共有にした方が良くないっすか?」
顔を真っ赤にした飛雄馬が話題を変えると、今度は親方の胴の上側の縁に並ぶ短い触手がしおれるように垂れ下がった。
「共有にするのは面倒ごとが多いんだ。ほかの商会の奴らにねちねち言われながら責任を持つことを思ったらできるだけやりたくない。
それに、ほとんどの場合、運転手の所有にした方が運転手もやる気が出るし、無茶な使い方も変な遠慮もしないからな。その分費用も節約できるから、俺たちにとっても都合が良いんだ。
戦車は整備ずみ中古品の美品という評価で飛雄馬が購入し、それを俺たち整備工場が飛雄馬ごと借り上げる。修理費用を含めた費用は原則としてすべて整備工場の負担で、ほかの商会が保証する。ただ、飛雄馬がシーダーの仕事をしてかかった費用や俺たちにわざと被害を与えようとしたなどの理由でやったことによる費用は例外だし、ほかの商会の保証についても町の防衛義務とか条件が付くけどな」
「詳しくはあとで文書で説明しますので、ここではそういう風に話が進んでいると思っていてください」
「飛雄馬さんの金銭的負担についても文書で詳しくお知らせしますが、負担が大きすぎるという場合はうちとジュラ商会の保証で分割支払いや借り入れも可能ですから安心してください」
ばあやと番頭が共通通訳機を通して口々に親方の説明を補足する。
「番頭」は飛雄馬が付けたあだ名だった。飛雄馬とほぼ同じ背丈で人間の頭や顔に相当する部分が胴体の上下にあって、胴体の下側に逆関節の二本の足と胴体の上側に二本の器用で長い腕を持っている。服を着て帽子に相当する飾りを着けることもあるので遠くからだと人間と見間違えそうになるが、主な頭や顔は胴体の下にある方なので慣れないうちは食事などの際に驚くことがある。
飛雄馬はあまり話したことがなかったものの、整備工場の一切の事務を担当していて、臨時パーティーでも車両の査定や飛雄馬の支払いの検討などをしてくれているらしい。
「説明ありがとうっす。そういうことなら安心して戦車を買えるっす」
「決意を聞かせてもらったばかりなのに、強制的に買わせてしまってすまない。親方にも説明したのだが、良い代案を提案できなくて説得できなかった」
「気にしないでほしいっす。俺はリーダーたちと一緒にいられる上に戦車も持てて最高にうれしいっす。リーダーたちからこれからも学べるなら、戦車を持ってもなんとかやっていけると思うっす」
「ありがとう。先生たちにも伝えておこう」
飛雄馬に頭を下げていたリーダーが頭を上げるのとほぼ同時に親方がリーダーの上の肩を叩いた。
「だから大丈夫だと言っただろう。俺たちがちゃんと支えてやれば良い戦車乗りになるさ」
「よろしく頼む」
「飛雄馬も町に帰ったら忙しくなるぞ。車両の修理が山ほど来るからな」
「了解っす」
「待て。飛雄馬にはヘルキャットの修理を担当してもらう予定だ。正式に契約を交わしてないのに勝手に飛雄馬を整備工場で働かせようとするな。第一、飛雄馬は整備工場に整備士として出向させるわけではない。
飛雄馬も簡単に引き受けるな」
リーダーが歯を見せながら親方を見下ろして、飛雄馬にも注意した。親方は舌打ちのように胴体で軽く床を叩いて飛雄馬の半歩分くらいリーダーから離れた。
飛雄馬はまったく気付いていなかったが、親方に無契約で働かされるところだったようだ。思い出してみると、自動車整備工場で働き始めたときも気持ちが先走って雇用条件を確認しなかったために失敗していた気がした。
「すいませんっす」
「この世界では互いに文化も社会習慣も違っているのが当たり前なんだから、誰かと何かをするときは契約の有無と内容を必ず確認しろ。話が通じるから自分と同じように考えているはずと思っていると簡単に大失敗するぞ」
「そうですよ。親方も親分肌は良いですけど、おおざっぱすぎます。細かいことと軽視しないでもう少し考えて行動してくださいといつも言ってますよね?
……蹴りますよ?」
「分かったから素振りは止めろ。おまえに蹴られたらしゃれにならん」
親方も焦った様子で胴体の上側の短い触手を立てて左右に振り、長い触手を上方に精一杯伸ばして弁解した。
強欲ネットに襲われたときはあんなに頼もしかった親方が完全に言い負かされている。
その落差がおかしくて飛雄馬は声を上げて笑った。
リーダーとばあやも声を上げて笑う。
まだ対等にはなれていなかったが、飛雄馬はリーダーや親方たちとの会話を楽しいと思った。
地下施設を出たときに強欲ネットの大口径機関砲搭載型装輪装甲車に撃たれてできたものだ。
砲塔のほかの部分や車体は装甲シートに覆われているので弾痕が残ることはないが、防盾の弾痕は防盾を交換しない限り残ってしまう。大型部品の供給のほぼすべてをエルダーの差し入れに頼っているこの世界で同じ型の新品をうまく手に入れるのは新品の戦車を見付ける以上に難しいだろう。
評価損はどれくらいになるだろうか。
地下施設の通路のそばで作戦後の整備を終えた戦車の防盾を前にして、足場に乗った飛雄馬は精一杯眉間にしわを寄せて弾痕をにらんだ。
(最高速度で走り回ったことを走行試験、戦車砲や同軸機銃、迎撃用メーザーの射撃を射撃試験とするみたいに、防盾の弾痕を耐弾試験と主張するのはさすがに無理っすよね)
まともな売り主なら売り物に傷が残るような試験を行うはずがなかったし、そもそもエルダーの差し入れに品質確認は不要だった。
どう考えても戦車の売却額は元の評価額を下回るだろう。もしかしたらジュラ商会からシーダーへの支払いの減額を求められてしまうかもしれない。
飛雄馬は評価損をなんとか減らせないかと考えたが、不意に戦車の上にいた師匠にヘルメットの上から頭を軽く叩かれた。
「どうしたんすか?」
「さっきから呼びかけても反応がないくらい集中してたから叩いたんだよ。
リーダーが呼んでる」
顔を上げた飛雄馬に師匠が腕を曲げて左を見るように指し示す。
飛雄馬が顔を向けると、床に直に座ったリーダーと踏み台に乗った親方がそれぞれ手招きをしていた。
「オレっすか?」
「真剣に考えているところを悪いが、ちょっとこっちに来てくれるか?」
リーダーと親方は、ばあや、整備工場の番頭と点検の終わったシーダーの通信・電子戦型装輪装甲車のそばで何か話し合っているところだったようだ。互いに顔を合わせやすいように座ったり、脚立を使ったりしていて、四人の大きさの違いが一目で分かった。
シーダーと整備工場の中枢を担う四人に見詰められて飛雄馬は嫌な予感がしたものの、断ることはできなさそうだった。
「分かったっす。今そっちに行くっす」
「ヘルメットを預かるよ」
「ありがとうっす」
飛雄馬はヘルメットを渡した師匠に見送られて四人のところへ向かった。
周囲を見回すと、戦車の隣には、作戦で損傷し、町までなんとか帰れるように必要な修理と整備を行ったヘルキャットと傭兵たちの装甲車、襲撃で受けた被害に対する賠償として強欲ネットから手に入れた大口径機関砲搭載型装輪装甲車一両と対戦車型装輪装甲車一両、八輪装甲車一両がそれぞれ町まで移動するための最低限の修理と整備を受けて並んでいる。
通路を挟んだ反対側の簡易陣地があった側にはシーダーの通信・電子戦型装甲車と町に持ち帰るエルダーの差し入れを満載した大型トラック数両が横一列に並んでいて、静かに出発を待っている。
静かなのは臨時パーティーのメンバーの大半が地下施設の外にいるためで、メンバーたちは大破した傭兵たちの大口径機関砲搭載型装輪装甲車を戦車回収車につないで町まで牽引できるように準備したり、撤退しないで投降し、襲撃した罪を認めた元強欲ネットの容疑者たちに使える部品や資材を回収させたりといった作業を行っていた。
通路からときどき外の掛け声や戦車回収車の動作音が聞こえて、飛雄馬は外の作業に参加しなかったことを後悔したが、そのまま四人に迎えられた。
「今回のMVP様のご登場だ」
「そういうのはもういいっすから。
それより、何かご用っすか?」
「でも、飛雄馬さんの作戦での活躍はすばらしいものでした。飛雄馬さんの援護がなければ傭兵たちの代表も無事ではすまなかったでしょう。
私はまだお祝いの言葉を伝えられてませんでしたから、今言いますね。MVPおめでとうございます」
「ありがとうございます。
用事は終わりっすか?」
「いや、もちろん違う。
親方たちと今後について話してたんだが、飛雄馬には戦車と一緒に整備工場に出向してもらいたくて、意思の確認のために来てもらった」
「今何て言ったっすか?」
「飛雄馬には戦車と一緒に整備工場に出向してもらいたい」
目の前にいるリーダーの言葉を飛雄馬は理解できなかった。共通通訳機が突然故障したのではなく、耳と心が拒否している感じで、飛雄馬はリーダーを見上げたまま表情が抜け落ちた。自動車整備工場で働いていたときの「出向」は販売会社など上位の取引先からの左遷や追い出しで押しつけられた人員への対応で神経をすり減らすことだったから、シーダーから追い出されて整備工場のやっかい者として扱われるとしか思い浮かばなかった。
「……オレ、何かやらかしたっすか?」
「何か誤解があるようだが、飛雄馬には何も問題はない」
「でも、今『戦車と一緒に出向』って」
「悪い意味で言ったのではない。襲撃があって撃退したことなどをジュラ商会に伝えたところ、ジュラ商会を始めとするほかの商会も考えを改めて、整備工場の責任で戦車を運用することにしたから、飛雄馬には整備工場の指示で戦車に乗ってもらいたいのだ」
「戦車は売るんじゃなかったんすか?」
「その活躍を見て、有用性と敵対する勢力の手に渡った場合の危険性を重視するようになったということだ」
「要するに、金はかかっても全体的に見れば被害を減らせて安く上げられるし、敵に使われたときの被害を考えたら自分たちで使おうってことだな」
親方が割って入ってリーダーの説明を補足する。
理解が追いつかないが、悪い話ではなさそうだった。
「……でも、オレはリーダーたちと一緒にいたいっす。まだリーダーたちから学びたいっす」
「ありがとう。飛雄馬にそう思ってもらえて俺たちもうれしい。俺たちも飛雄馬を手放すつもりはない。
だからこそ出向なんだ。飛雄馬はシーダーを辞める必要はないし、宿舎を移す必要もない。シーダーで飛雄馬が必要なときは戦車やヘルキャットで参加してもらう。ただ、それ以外のときは整備工場の指示で働いてほしい」
「町に人間族の戦車に乗って戦える奴はいないし、何より飛雄馬は今回のMVPだからな。安心して任せられる」
親方が長い触手を伸ばして飛雄馬の背中を叩いた。激励のつもりだと分かっていても、親方の触手は良くしなるむちのようで親方が思っている以上に痛かった。
「……そういうことなら引き受けるっす」
「ありがとう」
「それだけじゃないぞ。『戦車と一緒に』の意味に気付いたか?」
「意味っすか?」
飛雄馬は考えようとするが、最初に出向と言われたときの衝撃が大きすぎて考えがまとまらない。
「戦車と一緒に」ということは戦車も出向するということで、戦車が整備工場やジュラ商会など町の商会の所有ではないということになる。町の商会が所有者でなければ戦車の持ち主は誰なのだろう。
「……まさか。本当っすか?」
「喜んでくれたみたいだな。そのことについても少し話したいんだが良いか?」
「もちろんっす」
「一応、断ってくれても良いからな。喜んでくれるだろうとは思ってたが、飛雄馬の金の使い道を勝手に決めてしまったわけだからな」
「断ったりなんてしないっす!」
飛雄馬は親方の触手を両手でつかんで正面から見詰めた。
一人で戦車を持つのはまだ早くても、信頼できる人々に見守られ、力を借りながら戦車を持てるのであれば機会を見逃す理由がなかった。
勢いに押された親方がつかまれた触手に軽く力を入れて引っ込めようとしても飛雄馬は動かないし放さない。
笑いを我慢しきれなくなって吹き出す声が聞こえて、飛雄馬はようやく我に返った。脚立の上にいるばあやと立っている番頭が笑っていて、飛雄馬は慌てて親方の触手を放した。
「す、すみません」
「いや、情熱的で良かったぞ」
「忘れてほしいっす」
「無理だな。今から一緒に働くのが楽しみだ」
「それより、なんでオレに戦車を売ってくれるんすか? 町の商会の共有にした方が良くないっすか?」
顔を真っ赤にした飛雄馬が話題を変えると、今度は親方の胴の上側の縁に並ぶ短い触手がしおれるように垂れ下がった。
「共有にするのは面倒ごとが多いんだ。ほかの商会の奴らにねちねち言われながら責任を持つことを思ったらできるだけやりたくない。
それに、ほとんどの場合、運転手の所有にした方が運転手もやる気が出るし、無茶な使い方も変な遠慮もしないからな。その分費用も節約できるから、俺たちにとっても都合が良いんだ。
戦車は整備ずみ中古品の美品という評価で飛雄馬が購入し、それを俺たち整備工場が飛雄馬ごと借り上げる。修理費用を含めた費用は原則としてすべて整備工場の負担で、ほかの商会が保証する。ただ、飛雄馬がシーダーの仕事をしてかかった費用や俺たちにわざと被害を与えようとしたなどの理由でやったことによる費用は例外だし、ほかの商会の保証についても町の防衛義務とか条件が付くけどな」
「詳しくはあとで文書で説明しますので、ここではそういう風に話が進んでいると思っていてください」
「飛雄馬さんの金銭的負担についても文書で詳しくお知らせしますが、負担が大きすぎるという場合はうちとジュラ商会の保証で分割支払いや借り入れも可能ですから安心してください」
ばあやと番頭が共通通訳機を通して口々に親方の説明を補足する。
「番頭」は飛雄馬が付けたあだ名だった。飛雄馬とほぼ同じ背丈で人間の頭や顔に相当する部分が胴体の上下にあって、胴体の下側に逆関節の二本の足と胴体の上側に二本の器用で長い腕を持っている。服を着て帽子に相当する飾りを着けることもあるので遠くからだと人間と見間違えそうになるが、主な頭や顔は胴体の下にある方なので慣れないうちは食事などの際に驚くことがある。
飛雄馬はあまり話したことがなかったものの、整備工場の一切の事務を担当していて、臨時パーティーでも車両の査定や飛雄馬の支払いの検討などをしてくれているらしい。
「説明ありがとうっす。そういうことなら安心して戦車を買えるっす」
「決意を聞かせてもらったばかりなのに、強制的に買わせてしまってすまない。親方にも説明したのだが、良い代案を提案できなくて説得できなかった」
「気にしないでほしいっす。俺はリーダーたちと一緒にいられる上に戦車も持てて最高にうれしいっす。リーダーたちからこれからも学べるなら、戦車を持ってもなんとかやっていけると思うっす」
「ありがとう。先生たちにも伝えておこう」
飛雄馬に頭を下げていたリーダーが頭を上げるのとほぼ同時に親方がリーダーの上の肩を叩いた。
「だから大丈夫だと言っただろう。俺たちがちゃんと支えてやれば良い戦車乗りになるさ」
「よろしく頼む」
「飛雄馬も町に帰ったら忙しくなるぞ。車両の修理が山ほど来るからな」
「了解っす」
「待て。飛雄馬にはヘルキャットの修理を担当してもらう予定だ。正式に契約を交わしてないのに勝手に飛雄馬を整備工場で働かせようとするな。第一、飛雄馬は整備工場に整備士として出向させるわけではない。
飛雄馬も簡単に引き受けるな」
リーダーが歯を見せながら親方を見下ろして、飛雄馬にも注意した。親方は舌打ちのように胴体で軽く床を叩いて飛雄馬の半歩分くらいリーダーから離れた。
飛雄馬はまったく気付いていなかったが、親方に無契約で働かされるところだったようだ。思い出してみると、自動車整備工場で働き始めたときも気持ちが先走って雇用条件を確認しなかったために失敗していた気がした。
「すいませんっす」
「この世界では互いに文化も社会習慣も違っているのが当たり前なんだから、誰かと何かをするときは契約の有無と内容を必ず確認しろ。話が通じるから自分と同じように考えているはずと思っていると簡単に大失敗するぞ」
「そうですよ。親方も親分肌は良いですけど、おおざっぱすぎます。細かいことと軽視しないでもう少し考えて行動してくださいといつも言ってますよね?
……蹴りますよ?」
「分かったから素振りは止めろ。おまえに蹴られたらしゃれにならん」
親方も焦った様子で胴体の上側の短い触手を立てて左右に振り、長い触手を上方に精一杯伸ばして弁解した。
強欲ネットに襲われたときはあんなに頼もしかった親方が完全に言い負かされている。
その落差がおかしくて飛雄馬は声を上げて笑った。
リーダーとばあやも声を上げて笑う。
まだ対等にはなれていなかったが、飛雄馬はリーダーや親方たちとの会話を楽しいと思った。
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