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1巻

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   プロローグ


「――何を引き連れてきているんですかっ⁉ ふみゃあっ⁉」

 雪乃ゆきのは視界に映った光景を見て、思わず頓狂とんきょうな声を上げた。
 ここ、草木がうっそうと茂る湿原は、彼女の知る植物とは全く異なる生態を持つ、不気味な植物たちが徘徊はいかいしている。へびのように木の幹や枝をつる。綺麗だと思って見惚みとれていると、ぱっくりと口を開いて動物を食べる肉食の植物。
 そんな奇怪な湿原で彼女に迫りくる植物は、たとえるならば草丈二メートルほどの立派な向日葵ひまわりだろうか。肉厚な花弁は目が痛くなるほど黄色く、種が実る中央部分には大きな口があるが。
 ぷっくりとしたタラコ唇。さめのように凶悪な歯。口の中に入り切らないと思われる長く厚みのある舌からは、よだれに見える酸性の粘液がしたたり落ちている。

「わー」

 走る向日葵ひまわりもどきのあしもとからは、声変わり前の少年に似た声が聞こえる。しかしそこに少年の姿はない。声を上げているのは、てのひらほどの大きさの植物だ。
 かぶのように丸みをびた体は、黄葉途中の銀杏いちょうみたいに緑と黄茶色が混じっている。頭にはホテイアオイに似た丸い葉っぱを乗せて、雪乃に向かってすいすいと泳いでくる。

「ユキノちゃんといると退屈しないよね」

 古びた草色のローブを着て、頭に山の高いつば広帽子をかぶった魔法使いは、その様子を見て腹を抱えて爆笑する。後ろで一つにまとめた茶色い髪はぼさぼさで、あごには不精髭ぶしょうひげ。とても強そうには見えない。

「笑っている場合ですか? 来ますよ? ふみゃああーっ!」

 背を向けて逃げ出した雪乃だが、彼女が走る速度は大人が歩くよりも遅い。なにせ彼女には足がないのだから。ぽてぽてぽてぽてと一生懸命に動いているのは、どう見ても木の根だ。
 様々な葉っぱが生えたマリモのように丸い頭。樹高一メートルほどとまだ未熟な幹は細く、簡単に折れそうだ。腕代わりに伸びる左右の枝の先は、五つに枝分かれしている。
 雪乃は動く木――種族『じゅじん』の子供だった。



   1


 専用のゴーグルを装着するだけで、プログラムされた世界が実際に存在しているかのように体験できる、VRバーチャルリアリティゲーム。
 その中でも『本物の異世界』をテーマに、リアリティを追求して作られたという『無題むだい』は、映像の美しさや基本プレイ無料などという理由で一世を風靡ふうびした。公開から半年ほどは。
 公開から二年以上が経過した現在でも、登録人数は相変わらず他のオンラインゲームを圧倒している。だが現役プレイヤーはほとんどいない、忘れられた存在だ。
 そんな過疎化したゲームに新規登録する人間など、滅多にいない。

「――えーっと、種族は」

 滅多にいないのだが、たまに迷い込む人間がいたりする。

「いっぱいありますねえ。人間、猫獣人、驢馬ろば獣人、ねずみ獣人……、獣人はもういいです。スクロールして。え? 蟻人ありじん? えーっと、スライム、ゴブリン、樹人……樹人? 木ですか?」

 空中に浮かぶ画面に映し出された、種族一覧を確認していた雪乃の目が、一点で止まった。
 アバターとして、人間以外の種族を選べるゲームは珍しくない。しかし『無題むだい』はその選択肢がとにかく多かった。よくある人間、獣人、エルフなどは、当然のように網羅もうらしている。その上でさらに、魔物として討伐対象になる種族まで選択肢に加わっていた。
 それだけ多いというのに、一度選択したら種族の変更は不可。一時の好奇心で選べば後悔することは目に見えている。
 けれど雪乃は、迷わず選択した。

「では、種族はこれでお願いします」
『決定後、変更はできません。よろしいですか?』

 確認するつやのある男の声に、「はい」と、はっきりと答える。
 次の瞬間、立ちくらみのような症状に襲われて、転んだ気がした。
 痛みはないものの、少し驚く。何が起こったのかと雪乃は視線を動かすが、何も見えない。ゲームでよく見かけるファンタジー世界の町並みも、最初に魔物と戦う草原や荒野も、そこにはなかった。
 ただひたすらに、真っ暗だ。
 動こうとすれば硬いからじょうのものにはばまれ、手を伸ばすこともできない。雪乃は胎児のように体を丸めたまま、ふむうっとうなる。

「これは、どういう状況なのでしょう?」

 柔らかな毛に包まれているので、居心地は悪くない。だが頭の中は困惑で埋めつくされていた。
 とりあえず、メニュー画面を開いて現在地を確認してみる。

『【現在地】土の中』

 文字列の意味を脳が理解するなり、笑いが込み上げてきた。

「つまり私は、種ということでしょうか? いつ発芽するのでしょう?」

 雪乃が選んだ種族は、『樹人』。その文字が示す通り、樹木の姿をした魔物である。
 種族を選択する際に見た説明によると、外見は木そのもの。動くことも可能だが、動きを止めて木になりきれば、人間が木と見分けることは難しいという。
 しかしまさか、種からスタートさせられるとは思わなかった。なにせここは、VRの世界である。自らが種となり、土の中に埋まっていなければならないのだから。

「ありえません。うわさ以上の珍ゲームでした」

 なんとか笑いを収めたが、笑い疲れて呆然としながらつぶやいてしまう。
 ゲームにそれほど興味のなかった雪乃だが、それでもこの『無題むだい』のうわさは小耳に挟んでいた。
 いわく、「リアリティを追求するにも限度がある、製作者自己満足の謎ゲー」と。
 それが『無題むだい』を体験したプレイヤーたちの、ほぼ共通の認識だという。普通ならば、もう少し違う意見も出るだろう。けれど『無題むだい』に関しては、その限りではなかった。
 インターネット上の掲示板を覗くと、「敵だと思って倒した魔物のプレイヤー率が高すぎる。これ区別する方法あるの? ペナルティが地味に痛い。心も痛い」、「スライムを選択したんだけど、毎回ログインと同時に瞬殺される(涙)誰か助けて!」、「冒険者ギルドの試験に落ち続けてるんだが。貴族と会食する時の作法とか知らないし」などという、「どんなゲームなんだ?」とツッコミ要素満載の内容が、出てくる出てくる。
 雪乃は下調べを入念にして、満を持して登録に至ったつもりだったのだが、「予想を斜め上に裏切られました」と、もう笑うしかない状況におちいっていた。

「ここから、どう進めればいいのでしょうか?」

 ゲーム初心者である彼女では、まったく手も足も出ない。比喩ひゆだけでなく、物理的にも。
 けれどこのままじっとしていても始まらない。ステータス画面を開いて、自分の情報を確認してみる。

『【種族】樹人 【レベル】1 【現在地】土の中』

 以上である。
 さらに何かヒントはないかと、メニュー画面の隅々まで目を通してみたものの、チュートリアルどころかヘルプも見当たらない。視界に時計を表示させてみると、すでに開始してから一時間以上が経過していた。だが体にも景色にも、一片たりとて変化を感じる部分はない。
 さすがにこのままでは精神に影響が出そうだ。一旦ログアウトしたほうがいいだろうと考え、メニュー画面を開いてログアウトを指示する。

『発芽するまでログアウトできません』
「嘘でしょう?」

 事前説明もなく一定時間の拘束をするなど、人によっては死活問題だ。そんな懸念を読み取ったのか、再びメッセージが現れる。

『発芽促進剤を購入しますか?』

 そのメッセージの下には、緑色の小瓶と価格が表示されていた。どうやら有料アイテムを購入すれば、脱出できるようだ。

「基本は無料でも、課金をしないと進めないタイプのゲームというわけですか」

 時間に余裕のある人でなければ、購入の一択しかないだろう。
 あきれてうつろな目となった雪乃だが、頭を振って意識を戻す。すぐに現実に戻らなければならない用事はない。せっかくなので、のんびりと土の中を楽しもうと決め、メッセージを閉じた。
 けれど動けない、見えない、聞こえないという状況に変わりはない。光も音も遮断した狭い空間に一人でいると、短時間で精神に異常をきたすという実験が脳裏をよぎる。
 まあ、今はまだその兆候は現れていないので、深刻に考えなくてもいいだろう。
 それにしても、樹人を選択した他の人たちは無事だったのだろうかと、疑問が浮かぶ。

「退屈ですね」

 てしてしとからを蹴ってみるが、びくともしない。
 時折りからを蹴ったり押したりしながら、暗闇の中で過ごすことさらに二時間。
「ていっ」と伸ばした右足が、からを突き抜けた。

「あ」

 右足だけが突き出てしまい、なんだか気まずい。
 とはいえ壊せるようになったのだ。雪乃は蹴ったりたたいたりして、からを壊していく。右足に続いて左足が突き出る。

「ふんっにゅーっ」

 両手を思いっきり伸ばすと、すぽんっと音がして種から顔が出た。

「あ、明るくなりました」

 どうやら発芽したらしい。辺りをうかがうと、どちらを向いても青々とした草が茂っていた。
 イネ科の植物に似た、平たく真っ直ぐな草が多く目に付くが、ぎざぎざ葉っぱの草や、花の咲いた草もある。
 どれも鉄塔のように高く、まるで小人にでもなった気分だ。
 さらに視線を上げると、巨大な木々が天に伸び、枝葉の隙間から青く澄んだ空と太陽が覗く。風が吹くたびに木漏こもれ日が揺れ、雪乃を歓迎するように踊る。
 左側には、若草色の丸い葉っぱが一枚、雪乃の茎から広がっていた。右には、団栗どんぐりが付いたままの、やっぱり若草色の丸い葉っぱ。
 発芽した雪乃の姿は、可愛い双葉といった感じみたいだ。樹人は、団栗どんぐりから生まれるらしい。
 右手を動かすように上下に振ってみると、右の若葉が上下に動き、葉先に引っかかっていた団栗どんぐりが飛んでいった。
 けれど足となるはずの根は大地にしっかりと埋まっていて、動かすことができない。

「これは何日続けたら移動できるのでしょうか?」

 土から出て視界が開けたのは嬉しいが、素朴な疑問が口を突く。
 メニューを確認すると、発芽したのでログアウトが可能になっていた。雪乃は一旦、ゲーム世界から現実世界に戻る。

「もう無理です」

 ゴーグルを外して人間の姿に戻った雪乃は、お腹を押さえてうずくまり、声を殺して笑う。笑い続けたせいで目尻に涙が浮かび、息も苦しくなってきた。
 なんとか呼吸を整えて、横になっていた布団の上から起き上がる。
 ゴーグルをかぶってVR世界に入っている間、体は眠っているような状態になるため、布団に横たわるなど、安全な体勢で使用することが推奨されていた。
 あまり根をめて体を壊してしまっては、楽しみが楽しみでなくなってしまう。初日はそこでゲームを終わりにした。
 翌日も、帰宅した雪乃は手早く夕食や入浴を済ませると『無題むだい』の世界に突入する。
 アバターの姿は、可愛らしい双葉のままだ。
 森の中を歩き回るなどはできないが、『無題むだい』の世界では五感も疑似体験できる。土や草の匂いを吸い込み、風に揺られていると、心が洗われていった。

「こういう生活もいいですね」

 日の光をかして宝石みたいにきらめく木の葉。なんだか嬉しくなって、雪乃はさわりと揺れる。
 現実世界では空を見上げても、必ずどこかに人工物が映る。豊かな緑に囲まれて、どこまでも続く青い空を見るなんて、とても贅沢ぜいたくな時間に思えた。その空自体が、人工物ではあるが。
 そして三日目になると、本葉が伸びて目線が高くなる。
 ゆっくりと育っていく樹人の苗。
 雪乃は本当に植物になったような気がして、ふふっと笑う。
 そんなふうにのんびりと日向ひなたぼっこを満喫まんきつしていた雪乃の上に、突如とつじょ黒い影が差した。視線を動かすと、白くてふわふわな胸毛が頭上をおおっていく。鹿しかに似たけものが来たようだ。
 あの白い毛に包まれてみたい――
 そんな願いが通じたのか、黒くつややかな鼻先が、雪乃に近付いてきた。

「って、近いです。近すぎます。口を開けて何を……。あ」
「もっしゃもっしゃ」

 食べられた。
 雪乃の小さな芽はたった一口で、葉も茎も食べつくされてしまった。

「ええー?」

 情けない声を上げるが、どうしようもない。なんとか土の中から脱出できたと思ったのに、三日目にして、まさかの種から再スタートを切る。

「もしやこれは、樹人として育つこと自体が不可能なのではないでしょうか? それとも草食動物を避ける裏技でもあるのでしょうか?」

 ふうむとうなってみるが、答えは分からない。

「まあいいです。とりあえず今日は終わりにしましょう」

 VRゲームの世界から現実に戻ってきた雪乃は、ゴーグルを取る。


 そして翌日。いつものように家を出た雪乃は近くの神社に立ち寄った。朝早く家を出る雪乃は時間に余裕がある。だから雨さえ降っていなければ、ここの神様に朝の挨拶あいさつをするのが習慣になっていた。
 鳥居をくぐって石段を上り、やしろもうでる。裏手に回り御神木の大きなくぬぎを見上げた。

「私も、あなたのような立派な木になれたらよいのですが。秋になれば実を結んで、鳥や動物たちのご飯になって。落とした葉は大地を豊かにするのです。皆さんのお役に立てる、素敵な木に」

 そう言って寂しそうに笑った雪乃は、そろそろ行こうと足を動かす。その時、がさがさと茂みが動いた。

「ユキノちゃーんっ!」

 驚いた雪乃の肩がびくりと跳ねる。自分の名前を呼んでいるのに、知らない男の声だ。いったい誰だろうかと、警戒心が生まれる。

「出ておいでー。おとーさんだよー」

 雪乃の頭上に疑問符が浮かぶ。男は自分のことをお父さんと言うが、雪乃の父とは声も口調も違う。
 気付かれないように、そっと声のするほうを覗いてみた。
 全身をおおう草色のローブ。山の高いつば広帽から零れたちゃ色の髪は、無造作に束ねられている。手には所々にいろしま模様が見える黒いつえ。上部は太く、大きな緑色の石が埋め込まれていた。魔法使いのコスプレだろうか。

「ユキノちゃーん。そろそろ帰ろうよー?」

 男は茂みを必死にき分けては中を覗き込んでいる。どうやら彼が捜しているのは、雪乃と同じ名前の犬か猫のようだ。警戒が解けて、雪乃の口から息が零れ落ちる。そのわずかな音を拾ったのか、男が顔を上げた。

「誰かいるの?」

 茂みから出て、数歩ほどしか離れていない位置まで近付いてきた。

「ねえ、君。ユキノちゃんを見なかった? 猫の耳と尻尾しっぽが付いた、若緑色のローブを着ててね。このくらいの背なんだけど」

 と、手で一メートルほどの高さを示す。彼と同じような服ということは、おそらく人間なのだろう。だとすれば、彼の娘であっていたらしい。人間の子供を捜すのに、どうして茂みをき分けていたのか、疑問ではあるが。


 雪乃は首を左右に振って知らないと伝える。

「そう」

 残念そうにうなずいた男は、大袈裟おおげさに見えるほど肩を落とした。居心地の悪さを、雪乃は彼女の足下に転がっていた団栗どんぐりを見つめて紛らわせる。

「ねえ、君もユキノちゃんを捜してよ? 一人でこんな訳の分からない所に放り出されて、寂しがっていると思うんだよね。俺がいなくて泣いているかもよ? 『おとーさーん』って」

 子供が迷子になったという深刻な台詞せりふのはずなのに、なぜか彼の表情はでれでれと緩んでいた。

「もうねー、可愛いんだよー? いつもはしっかりした子なのに、突然甘えてきたりしてさー。俺、子供なんて鬱陶うっとうしいだけで、どこがいいのかさっぱり理解できなかったんだけど、ユキノちゃんは別だね。本当に可愛くてさー」

 惚気のろけが男の口から滝のように流れ落ちる。
 こんなに娘を大切に思う親が実在するのだと、雪乃は驚愕きょうがくした。彼女の父は仕事が忙しいのか、滅多に顔を合わせることはない。母も雪乃に関心を示さない。それが雪乃にとっての家族だ。
 こんな風に愛してくれるお父さんが欲しかったと、雪乃の胸はきゅっと縮こまる。

「なのに強がっちゃってさー。素直に甘えてくれればいいのに。そういうところもまた可愛いんだけどねー」

 男は雪乃の反応などお構いなしに、娘の愛らしさを語り続ける。

「頭もいいんだよー? 大人顔負けの博識でね。俺の自慢の娘なんだー」

 緩みすぎて崩壊しそうな顔を両手で支えながら、くねくねと体を動かした。
 雪乃は心の中で、前言を撤回する。
 この人が本当に父親だったら、ちょっと大変そうだ。思わずユキノちゃんに同情してしまう。

「おとーさんは、こんなにユキノちゃんが大好きで、一緒にいないと心配になっちゃうのに、どこに行っちゃったんだろう? ユキノちゃーん。おとーさんはここだよー。出ておいでー」
「交番に行ってみたらどうですか? ユキノちゃんが保護されているかもしれませんよ?」

 雪乃はおまわりさんに丸投げすることにした。こんな親ばかな男、手に負えそうにない。

「それでは私は急ぎますので」
「あ、ちょっと待ってよ!」

 そそくさと逃げる雪乃を、男は呼び止める。けれど男が伸ばした手は空を切ったようで、雪乃はそのまま石段を下りた。

「なんだったのでしょう?」

 鳥居をくぐったところで振り返ってみるが、木々にさえぎられて男の姿は見えない。ユキノちゃんのことは心配だが、雪乃がいても役に立てるとは思えない。

「日本のおまわりさんは優秀ですから、大丈夫でしょう」

 自分に言い聞かせるようにそうつぶやき、歩き出した。


     ♪ ♪ ♪


無題むだい』を始めてから十日目。雪乃はようやく歩けるようになった。
 樹高七十センチほどの幹からは、二本の枝が左右に伸び、腕みたいに動く。枝先は二つに分かれているものの、指のように複雑な動きはできない。試しに落ち葉を拾ってみるが、小枝の指では上手うまく挟めず、わずかに地面から浮いただけで落ちていった。漫画などで見かける、物がくっ付くなどといった補正はないようだ。

はしのほうが使いやすいです」

 雪乃は不揃ふぞろいな太さと長さをした枝先を、恨めしく見つめた。
 全体的な姿はどうだろうかと、スクリーンショットを起動して自分の姿を写してみる。すると、細い苗木のような画像が表示された。まだ葉も付いてなくて、顔らしき部分も見当たらない。
 それでも雪乃は、自分の分身体である樹人の成長を喜ぶ。すると、その成長を祝うかのように、ピコンッという電子音と共に、プレゼントボックスが出現する。
 地面に置かれたそれに触れると、箱は煙となって消え、代わりに一冊の本が現れた。薄い木の表紙が付いた、分厚い辞書のような本だ。

「ええっと、薬草図鑑ですか?」

 表紙をめくると、植物名と思われる単語の一覧が並ぶ。実在する植物に似ているが、どこかが間違っている、実際には存在しない植物だ。中には明らかにファンタジーな植物もあった。
 試しに一つを選ぶとページがめくれ、セピアカラーの立体映像と共に植物名、生息地などが表示された。

「せっかく動けるようになったのです。薬草を探しがてら、散歩でもしてみましょう」

 メニュー画面を操作して、薬草図鑑をアイテムボックスに収納すると、雪乃は根っこを足代わりに森の中を歩き始める。発芽した時には鉄塔のように高く見えた森の植物たちは、今では雪乃の胸ほどの高さになり、その草をき分けながら進んでいると、倒木が行く手をはばんだ。

「ふんにゅううーっ」

 倒木の上に掛けた小枝に力を込めて、幹を持ち上げる。なんとか倒木に幹の上半分を乗せ、反対側に下りようとした雪乃は、「ふみゃっ⁉」と、尻尾しっぽを触られた猫のような声を上げて、頭から落ちた。腐葉土ふようどまみれになってしまった幹をふるふると振って立ち上がり、再び歩き出す。
 水が流れる音に気付いて近付くと、きらきらと輝く澄んだ小川が現れた。
 綺麗な小川など、現実世界では滅多にお目にかかれない。そして現実世界ではないということは、飲んでも体を壊す心配はないだろう。
 さっそく雪乃は水をすくおうとする。だが小枝の手では、どんなに頑張ってもできなかった。
 この小枝が手として自然に使える日は来るのだろうかと、思わず自分の小枝を凝視してしまう。
 気持ちを切り替えて、口がある辺りを水面に付けてみた。やはりというべきか、残念ながら口の中やのどに、水が流れてくる感覚は訪れない。

「なるほど。樹人には口がないのですね。植物は根っこから水を吸収しますから、根をければよいのでしょうか?」

 試してみると、のどに冷たい水が流れ込む感覚が伝わってきた。

「おお。水を飲むことに成功したようです。しかし、なぜ根から吸収してのどへ?」

 理解に苦しむが目的は達成したので、再び慣れない根の足で、ぽてぽてと進んだ。
 そして草の隙間に見覚えのある植物を見つけた雪乃は、あしを止める。薬草図鑑に掲載されていた、深く切り込むぎざぎざ葉っぱが特徴の、モギという薬草だ。
 薬草を集めて、お金やアイテムに替えるゲームは多い。だから採取してアイテムボックスに収納しておけば、いつか役に立つかもしれない。
 そう考えた雪乃は、見つけたモギを引き抜く。するとモギは光の粒子となって、雪乃の幹に吸収されていった。

「おお?」

 思わず驚きの声が零れる。
 最後の光の粒子が幹の中へ消えると、ピコンッとメッセージが現れた。

『【モギ】レシピを取得するには、残り九株必要です』

 どうやら指定の数だけ薬草を集めれば、何かのレシピが手に入るようだ。雪乃は薬草集めに精を出すことにする。スタート地点に近い初心者用の森だからなのか、薬草は次々と見つかった。

「モギ十株、達成です!」

 これで薬のレシピを入手できるはずだと、雪乃はわくわくしながら変化を見守る。

『モギのレシピを取得しました』

 メッセージと共に、薬草図鑑が目の前に現れた。風が吹いたかのように、ぱらぱらとめくれていき、『モギ』が記されたページが開く。セピアカラーだったモギの立体映像がフルカラーに変わり、効能と薬のレシピが書き加えられていった。表示されたレシピは、腰痛との回復薬だ。

「なぜそんなにピンポイントなのでしょう?」

 普通のゲームで使われる薬は、HPヒットポイント回復薬など、もっと大雑把おおざっぱなものだ。

「ドラゴンに剣を振りかぶったら、ぎっくり腰になってしまったりするのでしょうか?」

 想像すると、なんとも滑稽こっけいである。ふふっと笑いが零れてしまう。

『布袋にめて風呂に入れ、薬湯を作って入浴しましょう』
「ゲーム、ですよね?」

 リアリティの追求は、薬草の使い方にまで及ぶようだ。
 変化が起きたのは薬草図鑑だけではなかった。枝だけだった雪乃の頭に、モギの葉が数枚生える。どうやら薬草を集めると、樹人の体も成長していくらしい。
 雪乃は森の中を歩き、薬草を次々と集めていく。
 そうして三ヶ月ほど経った頃には、雪乃は樹高一メートル近くまで育っていた。枝先は人間の指と同じく五本に枝分かれしている。
 頭の部分はこんもり丸く茂ったマリモ型になったが、生えている葉に統一性はなく、なんの木だか分からない。

「最後のリボンウリです。美肌薬のレシピですか? 役に立つ時が来るのでしょうか?」

 VRゲームの世界に肌荒れが存在するのかなど疑問は尽きないが、とりあえずレシピを入手したことを喜ぶ。否、微妙に自棄やけ気味だったかもしれない。
 いずれにせよこれで雪乃は、この辺りの森に生息している薬草を制覇した。


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