上 下
373 / 402
魔王復活編

408.答えてください

しおりを挟む
「雪乃? 大丈夫か?」

 言い知れぬ不安がカイの胸中を襲い、雪乃を撫でようと手を伸ばす。けれど雪乃はその手を枝で払うとカイの腕から飛び降り、歩きだした。
 フードを取り、魔王ノムルに向かって一歩、また一歩と、ゆっくりと進んでいく。彼女がまとう空気の異様さに、男たちは息を飲んで雪乃を見守る。

「ノムルさん、答えてください」

 真っ直ぐに、雪乃はノムルを見据える。
 捕まえた樹人の苗を抱きしめて頬擦りしていた魔王ノムルが、ゆっくりと振り返る。

「新しい苗か?」

 抱き上げていた樹人の苗を下ろして立ち上がった魔王ノムルは、雪乃へと近付いてくる。
 ナルツたちが間に入ろうとしたが、カイがそれを制した。戸惑うナルツたちだが真剣な表情で雪乃を見つめているカイに、いつでも攻撃できる態勢を維持しながら待機する。
 雪乃はノムルから視線を逸らすと、樹人の苗たちを見る。

「その子たちは、ノムルさんの子供ですか?」
「ああ、そうだ。俺の可愛い娘たちだ」

 耳鳴りが、雪乃を襲う。

『私の家族に近付かないで!』

 かつて生まれたばかりの弟に触れようとしたときに、母から放たれた言葉。それ以来、雪乃は家族と同じ空間に入ることを許されず、食事さえ忘れられる日が増えていった。
 頭の中に響く声に、全身が震え視界が歪むのを、雪乃は葉を食いしばって押さえつける。
 逃げ出したくなる心を奮い立たせて、雪乃は問う。

「私はもう、必要ないのですか? おとーさんの娘じゃなくなったのですか?」

 振り絞って出した声は、震えていた。言い終わるとすぐに視界は暗く閉じ、ノムルの姿を隠した。
 魔王ノムルは動きを止めると、光を失った瞳に雪乃の姿を映し続ける。瞳孔が縮小と拡大を繰り返し、唇が開いては閉じる。

「ユキ、ノ……?」

 魔王の手が、雪乃へと伸びた。だがその直後、

「うあぁぁーーっ?!」

 悲鳴を上げながら頭を抱えて仰け反ると、膝から崩れ落ちた。

「う、ぐぁっ?! ああ、ああぁ――!」
「ノムルさん?!」

 苦しみ出した魔王ノムルの姿に、考えるより前に根が動き出す。

「来るなっ!」

 切り付けるように叫んだノムルの声を聞き、カイが雪乃を抱き上げて距離を取った。

「ノムルさん、大丈夫ですか? カイさん離してください。ノムルさんがっ!」
「落ち着くんだ、雪乃!」

 暴れて腕から逃れようとする雪乃を、カイは必死に抱きしめる。

「マグレーン!」
「分かってるっ! マーちゃんっ!」
「わー!」

 カイが雪乃を回収して戻るなり、マーちゃんの援護を受けたマグレーンが、水の障壁を作り出した。
 水の壁の向こうでは魔王ノムルの魔力が暴走し、雷やら突風やら発火現象やらが起こり、集められた樹木がなぎ倒され、燃えていく。
 ムダイとナルツによって回収されていた樹人の苗たちは、身を寄せ合って震えていた。

「ノムルさん、落ち着いてください! おとーさんっ!」

 雪乃は力の限り叫ぶ。
 枝を突っ張って腕から逃げようとする雪乃の小枝が、カイの腕や顔に引っかき傷を作るが、カイは決して離そうとはしない。
 外に出れば、雪乃まで巻き込まれてしまうことは目に見えていた。

「落ち着くんだ、雪乃」
「でも、だって、ノムルさんが」

 パニックを起こしている雪乃を、カイはぎゅっと抱きしめる。

「雪乃、よく聞くんだ。ノムル殿を抑えられるのは、お前しかいない。だが今のお前では無理だ。冷静になれ」
「――っ!」

 葉を食いしばり、小枝を握り締め、雪乃は視界を閉じる。カイは包み込むように雪乃を抱きしめて、彼女が落ち着くのを待った。
 待っていたのだが、耳に届いた場違いな声に、思わず体から力が抜けた。腕の中にいる樹人の子供からもまた、力が抜けていく。
 くつくつと、それはもう、嬉しくて仕方がないのを必死に我慢しているような、笑い声が聞こえてくる。
 顔を上げた二人の視線の先に映るのは、赤い男。ナルツも眉をひそめ、マグレーンも障壁に魔力を注ぎながら片方の口の端を引きつらせて俯いた。

「マグレーン君、僕を出してください。この暴虐な嵐! 嗚呼、なんと素晴らしい」

 勇者たち一行は事前に打ち合わせていたかのように、揃って肩を落とした。

「ムダイさん、落ち着いてください! あなたまで加わったらって、マーちゃああーん!」
「わーっ!」

 制止する言葉など足止めにもならず、ムダイは障壁を抜け嵐の中へと飛び出していった。
 マーちゃんとマグレーンは必死に障壁を強化し、残り三人は呆然として靡く赤い髪を見送った。

「え、えっと、頭は冷え切りました。ご迷惑をおかけしました」
「気にするな」

 冷えすぎた雪乃の言葉を聞いても、カイに安堵する余裕は残っていなかった。
 水の壁の向こうでは、赤い戦闘狂が魔王に一方的な攻撃を続けている。とはいえ、決して蹂躙しているわけではない。
 頭を抱えて悲鳴を上げ続けるノムルは、反撃どころかムダイを一瞥することさえなかった。
 そのためムダイが一方的に攻撃を仕掛ける状況になっているのだが、ノムルに傷一つ負わせることができずにいる。それどころか荒れ狂う風や水の刃で、体中に浅い傷を負っていた。

「これだけの魔力暴走の中にあって軽い切り傷だけとは。さすがと言うべきなのか?」
「レベルの違いをまざまざと見せ付けられるね。俺たち、必要あったのかな?」
「言わないで。帰りたくなるから」

 呆れながらも状況を見つめるカイの言葉に、ナルツは困ったように頬を掻き、マグレーンはげんなりと項垂れている。雪乃も呆れつつも、ノムルへと視線を向ける。

 悲鳴を上げて苦しむ姿に、罪悪感が雪乃の胸を焦がす。
 本来ならば、ノムルが魔王になる必要はなかったのだ。雪乃と共にいたために、勘違いとはいえノムルは魔王を引き受けてしまった。
 大量の悪意を流し込まれ、心を引き裂かれているのだろう。それなのに……と、雪乃の胸がつきりと痛む。

 苦しんでいるノムルに、雪乃は何と言ったか?
 彼の心に寄り添うのではなく、自分の傷を刃に変えてノムルへと突きつけてしまった。ノムルと『あの人』は違うのに――。

 きゅっと視界を閉じた雪乃は、静かに呼吸を調える。そして再び視界を開いた時、雪乃の心は決まっていた。
 雪乃はカイに床に下ろしてもらうと、一歩、前に進む。

「雪乃?」

 怪訝なカイの声に、ナルツも雪乃へと視線を落とす。

「マグレーンさん、私も出してください」

 三人の男は、ぎょっと目を瞠って雪乃を凝視した。

「カイさんの仰ったとおりです。きっと私しか、ノムルさんを止めることはできません」

 悪意の塊と戦おうとしているノムル。彼が戦う理由は、決まっている。
しおりを挟む
感想 933

あなたにおすすめの小説

【7話完結】婚約破棄?妹の方が優秀?あぁそうですか・・・。じゃあ、もう教えなくていいですよね?

西東友一
恋愛
昔、昔。氷河期の頃、人々が魔法を使えた時のお話。魔法教師をしていた私はファンゼル王子と婚約していたのだけれど、妹の方が優秀だからそちらと結婚したいということ。妹もそう思っているみたいだし、もう教えなくてもいいよね? 7話完結のショートストーリー。 1日1話。1週間で完結する予定です。

【完結】悪役令嬢は3歳?〜断罪されていたのは、幼女でした〜

白崎りか
恋愛
魔法学園の卒業式に招かれた保護者達は、突然、王太子の始めた蛮行に驚愕した。 舞台上で、大柄な男子生徒が幼い子供を押さえつけているのだ。 王太子は、それを見下ろし、子供に向って婚約破棄を告げた。 「ヒナコのノートを汚したな!」 「ちがうもん。ミア、お絵かきしてただけだもん!」 小説家になろう様でも投稿しています。

私が死んで満足ですか?

マチバリ
恋愛
王太子に婚約破棄を告げられた伯爵令嬢ロロナが死んだ。 ある者は面倒な婚約破棄の手続きをせずに済んだと安堵し、ある者はずっと欲しかった物が手に入ると喜んだ。 全てが上手くおさまると思っていた彼らだったが、ロロナの死が与えた影響はあまりに大きかった。 書籍化にともない本編を引き下げいたしました

【一話完結】断罪が予定されている卒業パーティーに欠席したら、みんな死んでしまいました

ツカノ
ファンタジー
とある国の王太子が、卒業パーティーの日に最愛のスワロー・アーチェリー男爵令嬢を虐げた婚約者のロビン・クック公爵令嬢を断罪し婚約破棄をしようとしたが、何故か公爵令嬢は現れない。これでは断罪どころか婚約破棄ができないと王太子が焦り始めた時、招かれざる客が現れる。そして、招かれざる客の登場により、彼らの運命は転がる石のように急転直下し、恐怖が始まったのだった。さて彼らの運命は、如何。

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

断腸の思いで王家に差し出した孫娘が婚約破棄されて帰ってきた

兎屋亀吉
恋愛
ある日王家主催のパーティに行くといって出かけた孫娘のエリカが泣きながら帰ってきた。買ったばかりのドレスは真っ赤なワインで汚され、左頬は腫れていた。話を聞くと王子に婚約を破棄され、取り巻きたちに酷いことをされたという。許せん。戦じゃ。この命燃え尽きようとも、必ずや王家を滅ぼしてみせようぞ。

異世界に落ちたら若返りました。

アマネ
ファンタジー
榊原 チヨ、87歳。 夫との2人暮らし。 何の変化もないけど、ゆっくりとした心安らぐ時間。 そんな普通の幸せが側にあるような生活を送ってきたのにーーー 気がついたら知らない場所!? しかもなんかやたらと若返ってない!? なんで!? そんなおばあちゃんのお話です。 更新は出来れば毎日したいのですが、物語の時間は割とゆっくり進むかもしれません。

卒業パーティーで魅了されている連中がいたから、助けてやった。えっ、どうやって?帝国真拳奥義を使ってな

しげむろ ゆうき
恋愛
 卒業パーティーに呼ばれた俺はピンク頭に魅了された連中に気づく  しかも、魅了された連中は令嬢に向かって婚約破棄をするだの色々と暴言を吐いたのだ  おそらく本意ではないのだろうと思った俺はそいつらを助けることにしたのだ

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。