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魔王復活編

346.腐ったナナバが今にも

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「じゃあ、切るね」

 杖でドリアーヌに触れれば、六等分されると同時に、凄まじい臭気が漂った。腐ったナナバが今にも爆発しそうな臭いが、森中に広まっていく。
 鳥たちが一斉に木から落ち、獣たちが逃げ出した。ノムル自身も、涙目になってえづいた。

「す、凄い……。これは、なんて言うか、本当に食べられるのか?」

 ドリアーヌを凝視する目は、恐怖に慄いている。顔色は青を突き抜けて土気色だ。
 それでも愛する娘の気を引くため、おとーさんは果敢に挑む。

「じ、じゃあ、食べるよー? ほらほら、白くてぷりんっとしてて……ごふごほ」

 雪乃に見せようと果肉を持ち上げたノムルは、むせた。顔は涙や鼻水でぐしょぐしょだ。
 肩で大きく息をして何とか呼吸を調えると、白くてぷりんっとした果肉を口に押し込む。

「うぷっ」

 口も鼻も目も、体に侵入しようとしてくる強烈な臭いを排出しようと、必死に抵抗を試みる。それらを理性で無理矢理に従わせ、ドリアーヌの果肉を咀嚼する。
 もっしゃもっしゃと動かすあごは、休もうと隙を窺っているようだが、容赦はしない。ごくりと飲み込むと、臭気が胃から鼻へと反撃に打って出た。

「こふうっ!」

 ぴくぴくと、ノムルの体が痙攣している。うっかり魔力を途切れさせて、落ちかけた。
 空気を吸い込めば、ドリアーヌの臭気が体内を侵食するように広がっていく。息を吐き出せば、肺から鼻へと臭気が巻き上がってくる。
 息を吐くことも吸うこともできない。しかし人間である以上、呼吸をしなければ命脈を保てない。
 ノムルは細くゆっくりと、何とか生命維持活動を継続した。
 一時間ほどすると、呼吸はなんとか通常通りに戻った。臭いが霧散して薄れたのか、ただ慣れただけなのか分からないが。

「えっと、あー、臭いが凄かったよ。味は……味は……」

 臭いが凄すぎて、分からなかったようだ。

「くっ! 食レポができないなんて、これじゃあユキノちゃんは」

 ちらりと、大樹となった雪乃を見る。無言のまま、葉を揺らすこともない。
 まぶたを伏せたノムルは、意を決する。ドリアーヌをもう一欠片、口に放り込んだ。

「くふっ!」

 吐き出しそうになるが、この一時間で慣れたのか、最初ほどの拒絶反応はなかった。
 ノムルはドリアーヌを必死に味わう。
 雪乃の意識を取り戻すことに、この食レポがどんな意味を持つのか。ツッコミを入れてくれる人間は、残念ながらここにはいなかった。

 二切れ目を食べ終えたノムルは、肩を揺らして大きく息をしながら、ドリアーヌの味を伝えるため口を開いた。

「の、濃厚だったよ。臭いは凄まじいけど、味は甘くてクリーミー。カスタードのようだ。……うぷっ。口に入れたときはクラーケンのような食感なのに、噛むととろりと広がって、滑らかだったよ」

 言葉を詰まらせながら、懸命に言葉を紡ぐ。まるで死を目前にした男が、愛する女性に最期の愛を囁こうとしているかのように。紡がれている内容は、果物の感想なのだが。
 それでも、雪乃は応えない。
 絶望を振り払うように、ノムルは雪乃だったはずの大樹を見つめ、手を伸ばした。そうっと優しく葉を撫でる。

「どうして? 俺はこんな結末を迎えるために、一緒に旅をしてきたわけじゃない。こうなると知っていたら、集めきる前に薬草を滅ぼしておいたのに」

 地面に下りたノムルの口から、涙と共に想いがこぼれ落ちる。
 言うまでもないが、薬草を必要としているのは雪乃だけではない。傍迷惑な出来事が起こりかけていたようだ。

「どうしたら、元に戻ってくれる? どうすれば……」

 嗚咽するノムルは、ふと思い出す。
 大樹へと姿を変えた雪乃の根元に、残っていたカードを。

「いつもなら消えているのに、なんで残ってたんだ? あの魔物文字は、ユキノちゃんの機嫌が悪くなるカードに書かれていた文字と同じだった」

 『魔王』という二文字。

「あの文字の意味が分かれば、ユキノちゃんを取り戻せるかもしれない」

 雪乃はその文字の意味も、読み方さえも、決して教えてはくれなかった。だがノムルは知っている。この世界にはもう一人、魔物文字を解読できる存在がいることを。

 ノムルは目を閉じ思考する。
 ムダイの下へ行くこと自体は問題ない。幸か不幸か、彼の居場所は雪乃がノムル人形を渡したことで、常に把握できる状態になっている。
 けれどその間、雪乃を一人にしてしまう。
 近くにいる見知った相手といえば、カイがいる。しかしノムルはカイを快く思ってはいない。嫉妬の意味で。

「くそっ! ピースケを置いてくるんじゃなかった」

 苛立ち爪を噛む。
 だがちらりと雪乃を見上げたノムルは決断する。

「すぐに戻ってくるから、待っていてね」

 優しく幹を撫でると、杖を地面に立てた。雪乃を守る障壁に、更なる魔力がこもり強化される。
 杖を持たぬノムルの体が、ゆっくりと風を集めて空へと浮かび上がる。雪乃を傷付けることのないように距離を取ると、一気に加速した。
 まず目指すはルグ国、火竜のハヤトが住む火山のある島だ。

 一時間足らずで辿り着いたノムルは、そのまま火山に突っ込む。流星のような勢いに、火山のマグマがマグマ柱を上げて跳ねた。一部は火口から飛び出してしまったようだ。
 最強の種族と言われる火竜のハヤトも、さすがに驚きに目を丸くし、顎をぽかーんっと落としている。
 島にいた竜人や獣人たちは、慌てて避難する。

「おいこら、ピースケ!」
「ぴー」

 火口から出てきたノムルに呼びつけられ、ぴー助も困惑気味かと思いきや、目を輝かせていた。
 まだ幼いぴー助には、常識という観念が固定されていない。素直にノムルの人間離れした行動に興奮していた。
 年齢は関係なく、生まれたときから一緒にいたノムルの奇行に、慣れてしまっているだけかもしれないが。

「緊急事態だ。遊んでないで来い!」
「ぴー?」

 小首を傾げるぴー助にも、混乱しながらも止めようとしたハヤトにも気を止めることなく、ノムルはぴー助の首根っこを掴むなり、魔力を込めて飛んでいった。
 暴風を受けて、巨体のハヤトが転がる。

「ぴーっ!」

 ありえない速度で飛ばされているにもかかわらず、ぴー助は平気そうだ。むしろ楽しそうにさえ見える。
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