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ヒイヅル編

333.やはり、人形を

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「やはり、人形をムダイさんにプレゼントしたのが原因でしょうか?」

 ノムル人形に掛けられた盗聴まがいの魔法のせいで、雪乃の言動が筒抜けになっていたことを知った雪乃は、ノムル人形をムダイにプレゼントしておいたのだ。
 ノムルのストーカーに、ノムルからストーカーされるアイテムを渡すという、何かが間違っている行動に戸惑っていたムダイだが、結果として受け取った。
 マンドラゴラに拒絶されたムダイには、雪乃たちとの連絡手段がなかったので、調度良いだろうという考えもあった。

 そんなわけで現在のノムルは、雪乃から離れてしまうと彼女の状況がつかめないため、隠れて付いてきているのだと雪乃は判断したようだ。
 隠れきれていないが。

「害は無いのよね?」

 シナノの視線はカイに向かっている。

「雪乃に危害が加わりさえしなければ、問題ない。とはいっても」

 と、カイもスライムおじさんを横目に見る。

「湿度が増すが」

 今日もスライムおじさんの周りは、どんよりと曇っていた。

「大陸にはああいう種族もいるの?」
「あれってスライム?」
「いや、違うだろう」

 獣人たちはスライムおじさんに興味津々のようだ。正体は何かと、意見を飛ばす。そして正解は? と雪乃を見つめた。
 ついーっと、雪乃は幹を捻って黙秘する。
 獣人たちの視線は、カイへと移る。

「あー……」

 言い辛そうに、カイは表情を引きつらせていたのだが、一つ息を吐き出すと、

「人間だ」

 と、観念したように答えた。

「はっ?!」
「アレが?」
「ええーっ?!」

 獣人たちから驚愕の叫びがあふれ出た。

「人間って、エルフの耳を短くしたような姿なんじゃないのか?」
「獣人を見下して、横暴を働くって話だろう?」
「アレは違うだろう?」

 ざわざわと、混乱の波が広がっている。
 スライムおじさんを見たり、カイや雪乃を見たり、互いに顔をつき合わせて意見を交えたりと、獣人たちは忙しそうだ。

「本当に人間なの? あんなの見たことないわよ?」

 大陸に行き、多くの人間を見てきたシナノでさえ、疑わしげにカイとノムルを交互に見ている。
 その様子を見てやはり違うのだと、獣人たちは安堵に胸を撫で下ろしたり、残念そうに尻尾を垂れたりした。

「種族としては人間だ。ただ、あんな人間は、彼以外には存在しないと思う」

 困惑と疲労と疑問がない交ぜになった何とも言えない複雑な表情のカイを見て、獣人たちは、アレは人間は人間でも希少種なのだと理解した。
 むしろ人間が全てあんな生き物でなくて良かったと、ほっとしたのかもしれない。

 様々な感情が渦巻く中、雪乃は長椅子から飛び降りると、スライムおじさんに向かって歩きだす。
 小さな樹人に獣人たちは道を開け、何をするのかと注目する。
 ぽてぽてと近付く雪乃から逃げるように、スライムおじさんは後退していく。雪乃はふむうと幹を傾げながら、逃げるスライムおじさんを追いかけた。
 雪乃が追いかける。スライムおじさんは逃げる。雪乃が……二人の間は、一向に狭まらない。

「ノムルさん、どうしたんですか?」

 追いつけないと悟った雪乃は、根を止めて声を掛けた。
 スライムおじさんは上目遣いで雪乃を見ている。

「ヒミコさんのお話を気にしているのですか? でもノムルさんは、私を傷付けたりしないでしょう?」

 人間によって失われてしまった、樹人の御子。
 ヒミコや神職たちは、雪乃に人間であるノムルが近付くことを警戒していた。
 だがかつての御子が失われてしまったのは、人間たちが悪意を持って近付いたからだろうと、雪乃は考えている。
 他者に力を渡さないように刈り取られたか、それとも欲望を叶えるために服従させようとしたか、詳細は聞かずとも想像できる。
 しかしノムルはそのどちらも選択しないだろう。
 雪乃を犠牲にしなければ手に入らない力を、ノムルは望まない。雪乃が生きていることで人間以外の種族が力を手に入れるとしても、ノムルは気にしないだろう。

 じいっと、雪乃はスライムおじさんを見つめる。何だかんだ言いながら、雪乃はノムルを信頼しているのだ。
 スライムおじさんは徐々に盛り上がり、人の形へと戻っていく。

「本当に人間だったの? 人間がスライム? うん?」

 後ろのほうで、固唾を呑んで様子を窺っていた獣人たちから、戸惑う声が漏れ聞こえる。

「それでも、俺が傍にいることで、ユキノちゃんに危険が無いとは限らない。俺は、ユキノちゃんを失いたくない」

 ノムルは虚ろな瞳で雪乃を見下ろす。その視線を受けて、雪乃は「はふう」っと、盛大に息を吐いた。

「今更です。とっくに巻き込まれています」

 ぷくりと頬葉を膨らませて、口葉を尖らせる。

「ノムルさんが言ったんですよ? ノムルさんの子供は、ノムルさんの保護下にいないと世界中から狙われるって。私を見捨てる気ですか?」

 動く災厄ノムル・クラウの子となった時点で、雪乃は世界から狙われる運命となっているのだ。
 ノムルは雪乃を見つめる。苦悶に揺れる瞳が、求めるように雪乃を映し、そして落ちた瞼が開いて雪乃を真っ向から見据える。

「ずっと、傍にいてくれる? 俺を残して消えたりしない?」

 感情が昂るたびに、目の前の人間が消えていった。その度に、心が削られていった。
 雪乃と出会ったことで取り戻してしまった心は、喜びに満ちていた。けれど恐怖という刃も、研がれていった。

「とっくに約束したじゃないですか。私はノムルさんが望む限り、ずっと傍にいます。樹人は人間よりも生命力が強いんですよ? それに長命なはずです」

 さわりと風が吹いて、長い前髪の間から、柔らかく笑んだ茶色の瞳が現れる。五歩歩いて、樹人の子供を抱き上げた。

「うん」

 ノムルは雪乃と額を合わせる。

「絶対に守るから」
「はい。お願いします」

 ふっと、二人は微笑み交わした。
 二人を見ていたカイも、小さく笑みをこぼす。残りの獣人たちは、理解が追いつかずにぽかーんとしている。

「あれが人間? 確かに聞いてたとおりの姿だが」
「人間ってのは、姿を変えるんだな」

 新たに出てきた疑問に、獣人たちは首を捻った。
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