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ヒイヅル編

319.おとなしくしていれば良いだけ

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「分かりました。ですが騒ぎを起こしたら、別の部屋に移りますから」

 渋々了承しながらも、きっちりと条件を付けた。これでノムルが暴走する危険度も下がるだろう。
 カイもほっと安堵の表情を浮かべる。

「酷いよ、ユキノちゃん」
「酷くありません。騒ぎを起こさず、おとなしくしていれば良いだけです」
「ええー?」

 文句を言っているが、雪乃はこれ以上の譲歩をする気は無い。船が破壊されれば、物的被害だけでなく命に関わる。
 陸上の建物の破壊も命に関わるのだが。

 意気消沈しながらも雪乃を離そうとしないノムルは放っておいて、乗り組んできた乗客たちに、雪乃は謝罪を続けた。

「本当にご迷惑をおかけしました」

 謝る小さな子供に、からくも笑みを浮かべながら、

「気にしなくていいよ」
「服も荷物も無事だからね」

 と声を掛けてくれる乗客たちだが、騒動の原因でありながら謝りもしないノムルには、冷たい眼差しを向けていた。

 騒ぎも収束すると、雪乃たちも客室に向かった。
 椅子も何も無い大部屋が一番安いのだが、雪乃たちはもちろんと言うべきか、一室しかない二人部屋の個室を利用する。
 最も良い部屋だと案内された客室は、畳のようなものが敷かれた六畳間だった。隅には布団が二組と、座布団が置かれていた。他には何も無い。
 揺れて怪我の原因になることを危惧してなのか、机もない。

「寝台が無い。クッションはぺったんこ。しかもなぜか靴を脱がせられた。これが最上級の部屋?」

 四角い座布団を手にとってしげしげと調べながら、ノムルは不満そうな声を漏らしている。
 一方の雪乃は葉をきらめかせた。

「おお! まさか畳があるとは!」

 懐かしい感触を、小枝でさすって堪能する。すでに枯れ草色になりイグサの香りもしないが、それでも懐かしさが込み上げてくる。

「タタミ? ユキノちゃん、知ってるの?」

 ノムルからの指摘に、雪乃はぴたりと止まる。浮かれていた気持ちが一気に萎み、葉裏がじとりと湿りを帯びる。

「植物ですから」
「なるほどねえ」

 巧く誤魔化せたようだと、雪乃はほっと胸を撫で下ろした。
 ちなみにカイは、隣に付属している従者用の部屋に押し込められている。雪乃が白い目でノムルを見ていたが、親ばか魔法使いは当然とばかりに割り振った。
 大部屋での雑魚寝に比べれば楽だと、文句の一つも言わずに受け入れたカイだが、雪乃をノムルと二人きりにすることは危惧していた。

「何かあったら、すぐにマンドラゴラたちに助けを求めるんだぞ」
「おいこら! 何かって何だ?! ユキノちゃんはおとーさんが守るから問題ない! マンドラゴラたちなんかの出番は無い!」

 別れる前に膝を折って雪乃に言い聞かせるカイに対し、ノムルは憤怒の表情を浮かべていた。
 そんな頼れるマンドラゴラたちは、雪乃が助けを求めるより先に、すでに畳でくつろいでいた。

「わー」
「わー」
「わー」

 二股の根を投げ出して座るマンドラゴラもいれば、畳の上をごろごろと転がっていくマンドラゴラもいる。
 人間用の大きな座布団に、ちょこんと正座しているマンドラゴラもいた。

「ずいぶんと落ち着いたマンドラゴラですね」
「わー」

 そんな平穏な時間は、出航すると共に消え去った。

「ふみゃああーっ?!」
「わー」
「わー!」
「わー!」

 船室に雪乃の悲鳴と、マンドラゴラたちの楽しそうな歓声が響く。
 ルグ国を出航した帆船は、揺れに揺れた。軽い雪乃は座り続けることができず、ぽてりとこけては起き上がり、再びぺしゃりと転んでいた。
 マンドラゴラたちのほうは、畳の上をころころころりんと、あっちへこっちへ転がっている。

「ユキノちゃん、おとーさんのお膝の上においでー。安全だよー?」

 期待を込めた笑顔で両手を広げて待ち構える、親ばか魔法使い。

「くっ。だ、大丈夫で、うみゃああっ!」

 断った端から、こてりと仰向けに倒れた。

「ほらほら、ユキノちゃん。遠慮しないのー」

 親ばか魔法使いの笑みが、どんどん深まっていく。 

「あ、悪魔の誘惑には負けません。ふみゃあっ!」

 必死に抵抗していた雪乃だが、一時間もするとノムルの膝の上に収まっていた。

「ふぬぬぬぬーっ! 荒波と戦うか、お髭と戦うか。平穏長閑な船旅はできないのでしょうか? ぐぬぬぬぬーっ!」

 海が夕日に染まり出すころには、雪乃は疲れ果ててぐったりしていた。夕食を食べに、ノムルは雪乃を連れて部屋を出る。
 ノムルの魔法によって従者部屋に閉じ込められていたカイは、雪乃を見て不安が的中したとばかりに、顔をゆがめた。

「雪乃、大丈夫か?」
「だ、だいじょぶデス」

 フードの下を覗き込んでみると、葉が元気をなくして萎れている。
 翻って元凶であるノムルは、つやつやと血色の良い顔をしていた。

「明日は甲板に出て、海でも眺めていような」
「さんせー……です」

 力なく言った雪乃は、ノムルに抱きかかえられたまま食堂に行き、二人が食事をする隣でぼうっと座って焦点の合わない視界でその壁を眺める。

 食事はセルフサービスとなっている。夕食はコンメの他におかずが三品ほどだ。食料が貴重な船旅ゆえに、残飯を出すことがないよう食べる量だけを自分で取る。
 まずは個室の客が入り、食事をする。彼らの食事が終わると、大部屋の客が食堂に入ることを許される。
 個室の客は充分な量を食べることができるが、大部屋の客はコンメは三つまで、おかずは一品だけ選ぶ。

「客が多いときは、最後のほうはコンメしかもらえない。旅慣れている者は早めに列に並ぶか、食料を持ち込んでいる」

 少し回復して食堂の様子を見物し始めた雪乃に、カイが説明をしてくれた。
 カイは焼き魚と肉じゃがのようなものを食べていた。一方ノムルの前には、肉じゃがと海草サラダが山盛りになっている。それぞれコンメを四つずつとっていた。

 そして雪乃の前には、焼き魚が置かれていた。
 もちろん、樹人の雪乃が魚を食べることはできない。いつの間にか置かれていた魚をじいっと見つめていた雪乃だが、箸を取ると綺麗に骨を取り除き、ノムルの前に戻す。

「ふふん。羨ましいか? 狼。ユキノちゃんの手が加わった愛娘料理だぞ」

 鼻息荒く胸をそらしている親ばか魔法使いがいるが、雪乃もカイも、知らん振りだ。
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