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ドューワ国編

114.とおっても良い笑顔だった

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 その二つ名に、マリーとラームは一気に血の気を失い、畏怖に目を見開いて固まった。
 一人小首を傾げた雪乃は、とつぜん隣から噴き出てきたどす黒い闇のオーラに、上向けた顔を引き攣らせる。
 闇の道化師ノムルは、とおっても良い笑顔だった。

「「「ひいいいいーーーっ!!」」」

 三人の少女は互いに抱きしめあい、腰を抜かして震えている。逃げることもできそうにない。
 いや、逃げようとしたところで、ノムルの魔法からは逃げられないのだろうが。

「えーっと、ノムルさんの二つ名って『闇の道化師』なんですか?」

 耳に届いた鈴のような声に、少女達は驚愕の目を向ける。
 この殺気混じりの憤怒に彩られた闇色のオーラの中で、普通に喋れる少女に感心すると同時に、その言葉を口にしないでほしいという強い祈りを込めて。

「ユキノちゃん? 聞いてなかったかな? 俺、その呼び方は嫌いだって言ったよね?」
「聞いてましたけど、どうしてそこまで嫌なんですか?」

 ぽてんと幹を傾げる。

「何でって、誰が聞いても良い呼び名じゃないでしょう? 馬鹿にしてるじゃない」
「え? 何でですか?」
「はあ?! そんなことも分かんないの? 残念だよ、失望したよ」

 ノムルは吐き捨てるように言葉を放った。
 雪乃は考える。
 先ほど耳にした、『黒バラのローレン様』とか、『金色の稲妻ジーク様』のほうが、ずっとイタイ気がする。しかし、『闇の道化師』だって、充分イタイだろう。

「闇の部分ですか? 確かに厨二臭がしますね」
「そこじゃないでしょう? いや、それもむずむずして嫌だけどさあ。って、ちゅーにしゅー?」

 怒りに包まれながらも、知識欲は忘れないようだ。

「違うのですか? ではまさか、道化師が気に入らないと仰るのですか?」
「ああ、そうさ。道化とか、馬鹿にしているじゃないか」

 困惑したような雪乃の声を、苛立たしくノムルは打ち払った。
 よろりと後退った雪乃は、定まらない視界に映るノムルに首を振る。それから一度だけ視界を閉じ、強く枝を握った。

「ノムルさんは、道化師を分かっていません!」
「え?」

 雪乃は左枝を腰に当て、右の枝先をノムルに向けて伸ばす。そして、

「道化師とは、最も優秀な人間が選ばれる、最難関の役目ですよ? 相手の機嫌を損なわず、それでいて皮一枚まで鋭く切り込むという、機知に富んだ人間だけに許される役割。膨大な知識と優れた洞察力、人並みはずれた機転、そして怯えを悟らせずに死地に乗り込める勇気。更には他者からなんと言われようとも揺らがぬ、己への信頼と自信。それらを兼ね備えた人だけが得られる称号、それが道化師です!」

 と、言い切った。
 ドヤ顔をしているが、ノムルも少女たちも、ぽかーんと目を向けている。

「え? そうなの?」

 怒りの炎を一瞬で鎮火されたノムルは、いつもと変わらぬ……いや、戸惑った声を発した。

「そうですよ! 道化師をあざ笑う人は、本物の道化師を見たことがないか、彼らの真実の姿を見極める目を持たぬ人です」

 きりっと断言するが、誰にもその想いは通じていないようだ。戸惑いを詰め込んだ表情で、視線をさ迷わせている。

「ていうか、どうしてそんなに道化師に詳しいの? というか、今日は随分と熱いね?」

 なんとか言葉を探し出したノムルは問いかける。
 途端に、フードからわずかに見えていた葉っぱが、紅葉した。もじもじと体を揺らし、言葉に詰まっている。
 ノムルはにっこりと、笑いかけた。
 雪乃は逃げられないと悟り、葉を萎らせて俯く。

「……道化師に憧れて、目指していた時期が有りまして……」
「どういうこと?! ユキノちゃんって本当に謎だよね? 知れば知るほど謎が増えるんだけど」

 予想の斜め上を行く回答に、流石のノムルも困惑を隠せない。問い詰められた雪乃は、どんどん真っ赤に紅葉していく。
 騒ぐ魔法使いから、先ほどまでの危険な気配は消滅していた。
 三人の少女たちは窮地を脱したようだと、ほっと胸をなで下ろし、そのままくったりと互いの肩に体を預けた。

「……あの伝説の魔法使いだったなんて。私、何て事を……」

 落ち着いてきたミレイだったが、それまでとは違う畏れに、かたかたと震えだす。

「私は魔法使いには詳しくないけど、その二つ名は知っているわ。決して怒らせてはいけない、要注意人物だって」
「ああ、人を虫けらのようにしか見ず、一度怒りを買えば死よりも恐ろしい術を……」

 マリーとラームも、噂に聞いていた『闇の道化師』に関する情報を喋った。口に出したことで、より一層の恐怖が襲ってくる。
 『闇の道化師』。その数々の逸話は、彼と関わったことのない町の冒険者たちにさえ届いていた。
 曰く、どんな魔物も彼に触れることさえできずに屠られる。
 曰く、彼が杖を一振りすれば、その地は形状を変え、全ての生き物が消え去る。
 曰く、機嫌を損ねれば容赦なく鉄槌を下し、人の命を奪うことさえ躊躇しない。
 その他にも、彼と絶対に関わりたくないと思わせる噂は、無数にあった。
 『最強にして最凶』『動く災厄』という呼び名までも冠されている程なのだ。
 その彼に対抗できる冒険者は、『竜殺し』の二つ名を持つ、ただ一人で竜種を倒すと噂の、最強の冒険者だけだろうとまで言われている。
 つまり、ノムル・クラウは竜種にも匹敵する存在とも言えよう。
 決して逆らってはいけない、世界最強の魔法使い。それが闇の道化師なのである。
 その容姿を知らなかったとはいえ、彼女たちはとんでもない相手に喧嘩を売ってしまったのだ。

「「「ひいいいいーーっ!!」」」

 ガクブルと震える少女たちの恐怖がどれ程のものだったかは、雪乃に頼まれてノムルが水と風を使った洗浄魔法を使ったと書けば、察していただけるだろうか。



「「「本当に申し訳ありませんでしたああっ!!」」」

 抱き合って座り込み、白目を向いていた少女たちは、意識を取り戻すなり土下座した。
 頭を地面に擦り付けて、懇願するように叫び続ける様子は、見ている雪乃のほうが申し訳なくなってくるほどだった。
 おろおろとする雪乃の一方で、ノムルは機関車で取寄せていた、ウィーローをかじっている。
 少女たちの心からの謝罪は、まったく耳にも目にも入っていないようだ。
 そんな少女たちを気の毒に思いながらも、プレーンの白と、お茶と思われる緑は良いとして、紫と青には何が入っているのだろうかと、雪乃は横目で見ずにはいられない。
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