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ドューワ国編

106.今にも突進しようと

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 木々の間を抜けて、声が発せられた場所に辿り着いた雪乃たちの視界の先では、大きな猪のような姿をした魔物と、少女三人が向き合っていた。
 猪の口には大きくするどい牙が、左右二本ずつ生えている。興奮して前足で土を掻き、今にも突進しようとしていた。
 それに対して、二人の少女は逃げることなく、立ちふさがるように立っている。彼女たちの後ろには、赤髪の少女が動けずにいた。どうやら怪我をしているようだ。

「二人とも、早く逃げなさい!」

 剣を支えに立ち上がろうとしているが、痛めた足が言うことを聞かないのだろう。よろめいて膝を付く。
 それでも何とか仲間を逃がそうと、大きな声で叫んだ。

「私が囮になるから、あんた達は生きて帰るの!」
「ふざけるな! 仲間を見捨てて逃げれるものか!」
「そうです。一緒に帰りましょう」

 互いを思い遣る少女たちに、無常にも猪の魔物が突進を始める。

「駄目よ、逃げて!」

 赤髪の少女が悲鳴のような声を振り絞った、その直後、

「「「え?」」」

 彼女たちは呆然として、情けない声を発した。
 なぜか猪の魔物が、一目散に森の奥へと逃げ去っていったのだ。

「え? 何が起こったの?」
「分からない」
「でも、助かったのね」

 目の前で起こった光景に理解が及ばず、困惑を顔に浮かべた少女達。しかし次第に緊張が緩み、その場にへたり込んでしまった。

「は、はは」

 三人の少女の口から、乾いた笑い声がもれ出す。けれどすぐに、笑い声は咳へと変わった。

「なんか、鼻と目が痛いんだけど?」
「口に何かが、ギャー!」
「き、傷が、痛いー!」

 慌てて赤毛の少女に肩を貸し、少女達はその場から逃げ出す。
 その様子を茂みの陰から見ていた雪乃は、ぽつりと呟いた。

「あ。ちょっと失敗したようです」
「わー?」

 猪に似た魔物が逃げたカラクリは、雪乃が調合した薬草の効果だった。
 ニクニクの根、カラカラの実、ビーサの根など、臭いと刺激の強い成分が含まれる薬草を、フワンポという小さな綿毛がふわふわと飛ぶ、まあタンポポの綿毛みたいな植物に組み込んだのだ。
 それをマンドラゴラに融合させ、蕪に似た葉の変わりに生やす。
 マンドラゴラは草むらの中を魔物の風上に移動してから、風に乗せて放出した。
 猪は嗅覚が優れているため、呼気と共に入ってきた臭いと刺激にやられて逃げていったのだが、助けようとした少女達にも被害が出てしまったようだ。

「これは、謝りに行かないと」

 雪乃はぽてぽてと、少女達を追いかける。シスター・ユキノは、いつものローブ姿に戻っていた。
 少女達には、すぐに追いついた。
 一人は自力で歩けないほどの怪我を負い、残る二人も雪乃の劇薬でダメージを負っていたため、魔物から充分に離れた場所で休んでいる。

「あのう」

 木陰から、雪乃はそっと声をかけた。
 すぐに身構えた少女達は、雪乃の隠れる木陰を注意深く睨む。

「すみません、勝手なことをして。とりあえず、これを使ってください」

 しっかりとフードを深く被った雪乃は、木陰から出ると緩和用に調合した葉っぱを差し出す。
 作った薬草は実在する薬草とは少し形を変え、ついでに元となる葉も、この辺りには自生していない植物を選んでおいた。これで樹人薬草の秘密は守られるだろう。
 深緑色の長い袖で器用に握られた、見慣れぬ薬草らしき葉っぱに、少女達は顔を見合わせる。

「えっと、噛んだら辛み成分を緩和できます。目や傷口は、揉み潰してから広げて乗せておけば、和らぎますので」

 少女たちは警戒を緩めると同時に、驚愕の表情を浮かべた。

「君があの森猪を退けてくれたのかい?」
「すみません。余計なことかとも思ったのですけど」

 怪我人がいて追い詰められていたとはいえ、彼女たちの目的があの猪に似た魔物を捕獲することだったなら、雪乃は横槍を入れてしまったことになる。
 そう思って謝罪の言葉を口にしたのだが、少女達は笑みを浮かべて首を振った。

「いいや、助かったよ。これ、貰うね」
「どうぞ」

 背の高い少女が歩いてきて、雪乃の手から薬草を受け取る。
 瑠璃色の髪を後ろで一つに括った彼女は、中性的な整った顔立ちをしていた。男性よりも、同姓である女性から人気を得そうな剣士だ。
 膝を突いて目線を下げた少女は、さり気無く子供の顔を伺い見ようと試みる。しかしその気配を察したのか、子供はすっと俯いてしまい、顔を見ることはできなかった。
 仲間の下に戻った少女は、それぞれに薬草を渡し、一枚を口に含み、揉み潰した葉はそれぞれ目や傷口にあてた。

「あ、本当だ。辛いのが無くなったよ」
「これなら目を開けられそうね」
「あ、傷の痛みが少しましになった。痛いけど」
「「「おー」」」

 揃って感嘆の声を上げる。

「いやあ、楽になったよ。森猪を追い払ったことといい、小さいのに凄いね」

 目から薬草を外した背の高い少女が、礼を言いながら雪乃に笑いかける。
 雪乃は考えるように首を捻った。
 怪我を治してあげたいが、特性ツワキフを使うにはリスクが伴う。そしてそのリスクを冒さなければならないほど、怪我はひどくない。
 回復に時間は掛かるだろうが、一般的な手当てで治るだろう。そう見当を付けてから、視線を移す。
 背の高い少女と怪我をしている少女は、剣士のようだ。残るもう一人、亜麻色のツインテールを揺らす少女は、魔法少女だった。
 うん、魔法少女だった。
 フリルだらけの桃色のコスチュームという、アニメや漫画に出てくる、ロリロリの魔法少女だ。
 そんな格好で森に入ったら、虫に刺されますよ! 枝に引っかかって危ないですよ! と注意せずにはいられないような、ロリータ系ドレスである。
 ノムルが用意していた衣装に含まれていなかったことを、雪乃は心から感謝した。ちなみに昨日はメイドだった。
 それはさておき、雪乃は少女達に視線を戻す。
 長身の少女が赤髪の少女の脇に膝を突き、荷袋から取り出した包帯を、怪我をした足にきつく巻いていく。その様子を、魔法少女は心配そうに見つめていた。

「あのう、魔法で治さないのですか?」

 余計なこととは思いつつも、気になってしまったので聞いてみる。
 途端に空気が凍りついた。魔法少女はそうっと視線をそらせた。

「あー、ミレイは火属性を中心とした、攻撃魔法の使い手なんだ」

 長身の少女は、困ったように微笑む。
 魔法少女の名前は、ミレイというらしい。
 そういえば、使う魔法には合う合わないがあったなと、雪乃は思い出す。治癒魔法以外は使うことがなく、興味もなかったので、すっかり忘れていた。

「えっと、すみません」

 ぺこりと、幹を折って謝罪する。

「気にしてないわ」

 ミレイはふわりと笑い、人差し指を顎の辺りに当てて小首を傾げた。

「あなたも魔法使いなのかしら?」

 問われて雪乃は考える。
 薬師を自称していたが、ノムルに教えてもらって魔法も使えるようになっている。とはいえ、使える魔法は治癒に特化したものばかりなのだが。
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