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ルモン大帝国編

63.舌が痺れてあごが震えた

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「人工呼吸は余裕があればで構いません。心臓マッサージを停止する時間は、十秒以内を目安にお願いします」
「分かった」

 力強く頷いたナルツの口に、雪乃は特性アエロ草を突っ込む。
 飛竜との戦いで、彼も傷付いている。さらに心臓マッサージは、体力を伴う。
 突然口に侵入してきた物体にナルツは驚いたが、雪乃の医学知識を信頼していたため、迷わず噛み砕く。そして、眉間に皺を寄せて顔をゆがめると共に、口から呻き声がこぼれた。
 良薬口に苦しと言われるし、不味い薬は何度も経験している。しかし、舌が痺れてあごが震えた。

「マグレーンさんもどうぞ。体力回復効果があります」
「あ、ありがとう」

 受け取ったマグレーンはナルツを不安げに一瞥してから、特性アエロ草を口に含む。顔が渋く歪み、ぶるりと震えたが、頑張って咀嚼した。
 その間に、雪乃は薬草の説明をしておく。

「怪我をしている方には、こっちの薬草を火で炙るか揉んでから傷口へ貼ってください。今食べている薬草は、意識があれば食べさせてあげてください。皮をむけば苦味は無く、とろみが強いので、衰弱している人でも飲み込みやすいはずです」
「「……」」

 ナルツとマグレーンが、石化した。それでも心臓マッサージを続けているのは、友情の熱さゆえか。

「凄い。騎士団の薬より、断然効く」
「確かに、魔法使いギルドで購入する回復薬よりも、数段上だ」

 何とか飲み込んだナルツとマグレーンは、感嘆の声を上げた。

「手分けをしましょう。まずは重症の方を優先に。私は黒髪の方の手当てをしますから、茶髪の方をお願いします」

 ナルツに特性アエロ草を残し、マグレーンは雪乃から渡された特性ツワキフの葉と特性アエロ草を抱えて、仲間のところへ走り出す。
 特性アエロ草に関しては、意識が朦朧としている場合は無理に食べさせないよう、伝えておいた。
 無理に食べさせて気管を封じてしまえば、命に関わる。
 黒髪の槍使いの脇に座った雪乃は、ノムルに貰っていた魔法石を取り出す。これは特殊な宝石に、ノムルの火属性の魔力が込められていて、魔力を加えると温かくなるという優れものだ。
 地面に置いて魔力を込めると、特性ツワキフの葉を乗せて温める。

「もう少し我慢してください」

 返事は無い。
 先ほど話したのが、彼の精一杯だったのだろう。薄く開いた瞼の下には、白い眼球しか見えなかった。
 後頭部から血が流れていたので、まずはそこに魔力を注ぎ込む。幸い、脳への大きな損傷は無かった。
 残りの傷口には、次々と特性ツワキフの葉を貼っていく。大きな傷に貼りおえると、魔力を込めて、内部の傷も確認した。
 予想通り、骨が何本か折れていて、臓器を傷つけている部分もあった。内部の傷は、治癒魔法で治す。
 目眩がして、先ほどよりも酷い胸焼けが起こるが、雪乃はぐっと耐えた。

「ありがとうな」

 頭上に降ってきた声に顔を上げると、目を開けた槍使いが、わずかに笑みを浮かべていた。意識が戻ったようだ。
 二十代半ばに見える彼は、骨格が太い上に、短いあごひげの生えた強面だが、親しみやすそうな表情だった。

「食べる力はありますか?」

 予想していなかっただろ質問に、槍使いは目を丸くして瞬くと、困ったように笑う。

「肉は無理そうだなあ。粥くらいならいけそうだが」
「じゃあ、これは大丈夫ですね」

 特性アエロ草の外皮を剥いた葉肉を、雪乃は槍使いの口に突っ込んだ。

「私は他の方の様子を見てきますので、それを食べておいてください」
「お、おう」

 槍使いは戸惑いながら、口に突っ込まれた冷たくて柔らかい物を租借しながら、駆けていく子供を見送る。
 槍使いは、体の痛みを感じないのは戦いで高揚しているからだろう。精神状態が落ち着いたら、これはのた打ち回ることになりそうだな、と頭の隅で考えながら、口の中の物を咽の奥へと落とす。
 ふうっと息を吐き出し、後方の岩に体重を預けて空を見上げた。

「……。あ?」

 全身の倦怠感が引いてくると同時に、思考も鮮明になってくる。クリアになった思考は、今現在、彼が置かれている状況を的確に認識させ、そして、混乱させた。

「ああ?!」

 なぜ、子供がいる? 自分は何をしていた? ここはどこだ?! そんな疑問が、彼の脳内を慌しく駆け回る。
 彼はひとしきり混乱したあと、冷静に状況を確認する。

 辺境の町で飛竜が巣を作り、物流が滞っている。それを解決するために、飛竜を討伐してほしいとの依頼が出ていると聞いて、帝都から仲間たちとやってきた。
 そうして飛竜と対峙したのだが、予想以上の大物で、苦戦を強いられる。しかも地元の冒険者達は、一度目の咆哮を飛竜が放とうとした途端、魔法道具を使用して逃げ出したのだ。

 タイミングは最悪だった。咆哮を防いだ後ならば、いや、もっと早くに逃げ出していれば、対応は取れたはずだ。
 防御結界を展開していた魔法使いたちが突然消えれば、飛竜の咆哮など防ぎようがない。
 とっさに判断したフレックが、無理な突撃をして威力を削いでくれたから、他のメンバーは何とか生き延びれた。だがそれでも、結果は散々だ。
 タッセが魔力を最大限引き出して防御結界を張ったが、たった一人で防げるものではない。タッセもまた、衝撃を受け止めきれずに吹き飛んだ。
 飛竜を追い詰めていたにもかかわらず、いや、追い詰めていたからこそ、飛竜の渾身の反撃を受けた。

 せめて逃げた冒険者たちを飛竜が追って町に向かわないよう、全滅を覚悟で戦うことを選んだ。
 槍を構え、痛む体に激を入れて飛竜に打ち込んだが、尾で払われて全身に衝撃を受ける。
 気付けば硬い背もたれに身を預けていた。
 フレックの呻き声が徐々に小さくなっていくが、手を伸ばすことさえできない。そしてもう一度、飛竜の咆哮が鼓膜を振るわせた。
 薄れていく意識の下で、誰かに何かを聞かれた気がする。
 憶えているのは、そこまでだった。
 そこから今の間に、何があったのか? どうして子供がいるのか? 子供がいるということは、すでに飛竜は……そう思って顔を上げた彼の目には、未だ暴れる飛竜が映る。

「……」

 視線を移せば、やっぱり小さな子供の後ろ姿が見える。
 こんな混沌とした戦場に、いて良い存在ではない。

「どういう状況だ?」

 思わず両手で頭を抱えた彼は、きっと悪くない。それでも状況を改善するために、折れた槍の柄を杖代わりに、立ち上がった。

「は?」

 けれど意気込みは、一瞬にして霧散する。思わず目元を左手で覆い、記憶を呼び戻す。
 たしか、左足は折れていたはずだ。目元を押さえているこの左腕も、えぐれて骨が見えている状態だった。肋骨も折れて、呼吸が上手くできなくなっていたはずだ。
 それなのに、彼には何の痛みも不具合も無い。健康そのものである。

「夢か? あれは夢だったのか?」

 思わず繰り返して呟くが、左手を下ろして周囲を見れば、血まみれで倒れているタッセとパトが映る。
 惨劇は、確かに展開されていたのだ。
 おかしな状況になっているのは、自分だけ。いいや、と、彼は廻らせていた視界の隅の光景を二度見する。
 首だけでなく、腰から回してその光景を目に映した。

(……。なんでナルツが、フレックに口付けしてるんだ?)

 口を開けて半目になった彼は、無理やり腰を戻し、正面へ向き直る。今のは幻覚だと自分に言い聞かせ、他の仲間たちに視線を移した。
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