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二章

77.炎上

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「えらい男前っすね」

 傷を悼むでも、境遇を憐れむでもないライの言葉に、ゼノは苦笑する。しかし次の言葉に、ゼノは硬直した。

「これなら俺が傷を作る必要はなかったですね」
「どういう意味だ?」

 問いの答えを得るより先に、ゼノの視線はライが手に持つ包みに引き寄せられる。小さな柘榴よりも、更に小さな包み。
 違うという思いとは裏腹に、冷たい汗がゼノの全身を凍らせた。
 ライは包みを開く。現れたのは、葉を全て落とした、枝だけの小さな柘榴。幹は水分を失いしわがれて、枯れているようだった。

「証拠を見せれば良いんですよね?」

 ライは口元に笑みを浮かべ、緋凰に言い放つ。
 ゼノの背筋に悪寒が走った。
 ここにシャルが現れただけでも、耐え難い恐怖だった。葉を落とし憔悴しきったシャルの姿は、更なる恐怖を与えた。
 柘榴を手に立ち上がるライから逃れようと、ゼノは後退るが、両腕を抱えられていてそれ以上は下がれなかった。
 風を起こし逃れようとするが、緋龍国で施された呪具により、そよ風を吹かすのがやっとだった。

「やめろ」

 ゼノは首を横に振り、拒絶する。
 枯れたその姿で力を使えば、シャルの命に関わり兼ねない。

「やめてくれ」

 懇願するが、ライはゼノに柘榴を差し出した。
 柘榴はゼノに枝を伸ばす。ゼノの傷は見る間に消えていく。引き換えに、柘榴の枝はより細くなり、干からびていった。
 緋龍の兄弟はもちろん、その場にいた者たちは一様に目を見張る。ゼノの動揺も腑に落ちないが、それ以上に柘榴の治癒力に驚愕した。
 皇族であり武人でもある彼等は、多くの治癒力を持つ者を見ている。だがこれ程早く傷を癒す者は、早々いない。

「なるほど、『聖なる樹』も大言ではなかったか」

 気付けばライの首に付けた傷も消えていた。

「良かろう。その柘榴と引き換えに、ゼノを返そう」

 緋凰の下した決断に、ゼノは叫ぶ。

「お待ちください。私の首は差し上げます。ですから柘榴にこれ以上、力を使わせないでください」

 感情をあらわにするゼノに、緋凰は顔をしかめる。

「ゼノ、たかが柘榴一本に、ずいぶんな醜態だな」

 緋凰の眼に、殺意が芽生えた。

「シャル――っ」

 咄嗟に叫び駆け寄ろうとした体は、地に押さ付けられる。
 ゼノの瞳孔の中で、小さな柘榴は焔に包まれた。

「シャ、ル?」

 焔の中で、幼いシャルが笑っていた。「ゼノ、ゼノ」と何度も呼び掛けては、笑顔を見せる。

「嘘、だ」

 ゼノは何度も頭を振り、瞳孔に焼き付く光景を消し去ろうとした。
 愛していた。
 彼女さえ幸せなら、それだけで良かった。
 また会えた。
 例え人の姿でなくとも、愛しくて、幸せだった。
 それなのに、燃えている。
 彼女はもう、いない――

「まずい」

 ライは急ぎ閃光を上空に飛ばす。
 緋龍の陣に来る前に、クラムと打ち合わせておいた合図だ。上空に閃光を飛ばしたら、直ぐ様防御壁を展開し、兵を退却させるように。

「全員、逃げろ」

 叫ぶライに緋嶄が斬りかかったが、ライはこれに目もやらず、疾り去った。と同時に、爆風が緋龍軍を襲う。
 一瞬の出来事に、兵達は逃げる術さえ持たなかった。ある者は遠く吹き飛ばされ、ある者は砕かれた。
 生き残った者には、その身を切り刻む無数の風の刃が襲う。
 阿鼻叫喚の地獄の中から緋凰と緋嶄は逃げ延びたが、二人とも深手を負っていた。

「始まったか」

 荒野に座り酒を飲む異様な男に、兄弟は剣を向ける。薄汚れた布で全身を包み込み、顔もよく見えない。

「お止めなさい。俺を斬るより、お仲間を助けてあげたらどうです?」

 男は呑気に嵐を顎で指す。
 緋凰と緋嶄は顔を見合わすが、嵐の中に入って生きていられると過信できる程、拙い経験の持ち主ではなかった。
 嵐を睨む緋凰と、悔しさを大地にぶつける緋嶄の後ろから、セントーンの大将の声が現れた。

「来てたのか。その様子だと、やっぱ気付いてやがったな」

 苦々しく顔を顰めて、酒盛りをする男――ハンスを睨む。

「ばれてしまいましたか。ところで、ライ大将も如何です?」
「お前な、状況解ってるのか?」

 咎めはするが、ライは盃を受け取り酒を煽る。素面で対処するには、あまりに無惨。

「他の奴等はどうした?」

 囮を引き受けたハンスには、風の民が目を光らせていたはずだ。

「撒いたり、眠らせたり。残りはこの騒ぎでどこかに行ってしまいました」
「まさか」

 と、ライは嵐の中に目を凝らすが、ハンスはひらひらと手を振って否定する。

「それは彼等の役目じゃないでしょう? どのみち無理、ですし」
「酔ってるのか?」
「まさか。久し振りに動いたら、体中がきしんで」
「爺か。で、お前はどうするんだ?」
「待ちますよ。それよりライ大将こそ大丈夫ですか?」

 後方にいるセントーン国軍に視線だけ向けられて、ライは息を吐く。

「充分な距離は取らせたつもりだったんだがな。まあ、大した被害はないみたいだ」
「さすがはライ大将」
「良い加減にしろ」

 焦りも動揺も見せず、雑談のように会話する二人を、緋嶄は剣で薙いだ。ライは軽くかわし、ハンスも腰を折ってかわした。

「危ないですねえ」

 と言いつつも、ハンスは盃の酒を嘗めている。

「俺もたまにお前、斬りたくなるよ」
「冗談に聞こえませんよ?」
「本気だからな」

 なおも軽口を叩き合う二人に、緋嶄は二閃目を振り下ろそうとして緋凰に止められた。

「お前達、何を知っている?」

 問われた二人は顔を見合わせる。

「大したことじゃないですよ。ただ、ゼノ様がキレただけです」

 ライの答えにハンスも同意した。

「ゼノには石力を封じる呪具を施していた。石力は使えぬ」
「そんな物、あの人には通じませんよ」

 緋凰の言葉を、ハンスが笑い飛ばす。

「まあ、焦る気持ちは解りますがね。今は女神の順番なんで、俺達は待つだけですよ」
「女神?」
「そ、残念ながら、今回は男の形ですけどね」

 眉をしかめ顔を見合わす兄弟を横目に、ライは溜め息を吐いた。

「お前、本当に何者だよ?」
「おや? 御存知だと認識していましたが?」

 さも驚いたとばかりに眉を跳ねるハンスに、ライは頭を抱える。
 風は一向に衰える気配はなかった。
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