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二章

66.返さなくて良い

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「もう、出てもよろしいですか?」

 声を掛けてから、ハンスは姿を現した。

「お前の仕業か?」
「まさか」

 ハンスは苦笑する。

「俺に呪具は作れませんよ」
「呪具? そうか、あいつが来たのか」

 誰が来たのか、ゼノにはすぐにわかった。
 長い間左遷されていたが、とうとう呼び戻されることに決まったと、噂で聞いた。
 神官としての知識も実力も、すでに実の父である神官長を超えている。今まで呼び戻されなかったのは、セス王子が反対していたからだ。
 だが流石に放ってはおけなくなったらしい。
 このまま冷遇を続ければ、他国がシドを欲して動き出しかねない。有史に名を残す神官にも劣らぬ優秀な神官を、みすみす手放すほど国王は愚王ではなかった。

「ずいぶんと無茶をされていたようですね」
「何のことだ?」

 ゼノの問いには答えず、ハンスはシャルの前に膝を折った。

「小鳥ちゃん、殿下に聖石を返さなくて良いですからね。返すとまた、どんな扱いをするか分からない。しっかり預かっておいてください」
「ああ、そんなことか」

 ハンスの台詞を聞き、ゼノも何のことか思い当たったようだ。

「そんなことって。死んでいたかもしれないんですよ?」

 平然と言ったゼノを、ハンスは睨む。

『わかりました。しっかり守ります』
「お願いしますね」
「別に守る必要はない。好きに使えば良い」

 呆れた顔で見上げるハンスの横で、柘榴は小さく揺れた。それを見てゼノは微笑むと、膝を付いてシャルの枝を手の平に乗せた。

「今度こそ、必ず守ると約束する。何があろうとも」
『私も。ずっとそばにいるって、約束するわ』

 柘榴は揺れた。
 ゼノとハンスには、シャルが笑っている姿が見えた。


     ※


 後ろ髪を引かれる思いでゼノが館へ戻った後、ハンスはシャルを連れて、ハンスの暮らす小屋に戻った。

「ちゃんと見るのは初めてか。汚ないが、許してくれよ」

 シャルがセントーンに来てから、毎日連れ帰っていた小屋だが、改めて断った。
 元は仮の物置小屋だった。ちゃんとした物置小屋は別にあったが、道具を運ぶ手間を惜しんだ使用人が誂えたものらしい。
 ハンス一人が暮らすには充分な広さだが、壁板は薄く、隙間も多い。夏になれば虫が入り、雨が降れば雨漏りした。 
 柘榴にシャルの意思が宿っていると理解していても、どうしても木という意識が抜けなかったから気にせず迎え入れていたが、彼女と意思の疎通ができるようになれば、話は別だ。

「ところで小鳥ちゃん、飯は食えるのかい?」
『少しなら食べれます。でも食べなくても大丈夫です』
「そりゃあ良かった」

 シャルを椅子に座らせると、ハンスは小屋の隅に置いてあった木箱を開けた。

「とりあえず、今日はこれで我慢してくれ」

 取り出した馬鈴薯を見せて、ハンスは笑う。

「ここに来てから、ほとんど作ってないからな。明日は何か買って来よう」
『気にしないでください』

 恐縮するシャルに、ハンスは頭を撫でるように樹頂を撫でて笑う。

「そうじゃない、俺が作りたいんだ。元は料理人だからな」

 国一の菓子職人になると意気込んでいた日々。手が届きかけたところで、指の自由を失った。
 後悔はなかった。夢も約束も、一応は果たしていたから。だが失った淋しさと虚しさは、ハンスの心に巣食った。
 再び自由を手に入れた十の指は、菓子を作りたいと渇望している。できることならば、今すぐ町に買い出しに行き、朝まで菓子を作っていたかった。

 皮ごと蒸かした馬鈴薯の皮を剥き、ゆっくりと熱をとる。冷めると潰し、しっかりと練った。
 指に伝わる感触、自由に形作れる悦び。料理することがもたらす幸福を、ハンスは噛み締めていた。

「さあ、どうぞ」
『うわあ』

 シャルは背を伸ばして、馬鈴薯だった物を見た。空の酒樽を逆さにした机に、皿が一つ。皿の上には白い小鳥が乗っている。

「さあ、食べてみてくれ」

 ハンスは勧めるが、シャルは手を出さない。

「心配しなくても、肉や魚は入ってないよ」

 重ねて勧めるが、やはりシャルは見ているだけだ。

『あの』
「うん?」
『とても可愛くて、食べれません』

 ハンスは目を見張り、それから盛大に笑った。

「気に入ってくれたのは嬉しいが、食べてこその料理だよ」

 言いはしたが、少しやり過ぎたと内心では思った。
 久し振りで嬉しくて、ついつい細工に力が入った。器の上にいる鳥はあまりに精巧で、少し離れて見れば、本物の鳥と見間違えるだろう。
 シャルの枝が、ゆっくりと一羽の小鳥を捕まえた。
 二つの枝に優しくとまらせると、色々な角度から眺めていた。しばらくして枝葉の中に、小鳥は身を隠す。

『美味しい。甘くてもちもちしていて。馬鈴薯だと思っていたけど、違ったのですね』

 興奮しているのか、文字の浮かんだ葉は昼間より大きかった。

「馬鈴薯だよ。普通の、ね」
『こんなに美味しい馬鈴薯、食べたことがないです』
「うん、ちょっとコツがあってね。俺も初めて食べた時は驚いた。絶対に別の材料を使ってるってね」

 ハンスは笑う。
 まだ銀狼として荒んだ生活を送っていた頃、ハンスに食事を与えてくれた料理人がいた。彼との出会いがなければ、ハンスは料理を創る悦びなど知ることはなく、今も裏の世界の住人だっただろう。
 噂では彼は今、王都から離れた村で小さな居酒屋を営んでいると聞いた。誰よりも料理を愛していた人で、ハンスの目標だった。

「そうだ。明日は殿下とライ大将も誘って、小鳥ちゃんの歓迎会を開こうか」
『ライ大将?』
「殿下と一緒に、小鳥ちゃんを連れ帰ってくれた方だよ。彼も小鳥ちゃんのことを知っているから、安心して良い」

 言いはしたが、王子と大将をここへ招く訳には行かず、さりとて四人で居るところを人に見られる訳にもいかない。
 殿下に抜け出すように促し、小白を貸し切ろうかと、ハンスは算段を付けていた。

 翌朝、シャルに会いに来たゼノに伝えると、職務が終えたらライに案内させようと快諾した。
 ハンスは昼前に、シャルを連れて小白へと向かった。彼がいなくなったところで、困る者はいない。果樹園の世話をする雑用係りのことなど誰も気にも止めないのだ。
 だからハンスが密かに将軍寮の敷地から姿を消しても、気付く者はいなかった。

「少し我慢しておくれよ」
『はい』

 しかし流石に柘榴の木を持って町を歩くことは目立つので、シャルには包みに隠れてもらうことにした。
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