続・聖玉を継ぐ者

しろ卯

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70.その十日後

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 その十日後、王宮から使者が訪れ、婚礼の正式な日取りを伝えた。
 まだ目覚めていないシャルに代わり、使者の対応は玉緋が行った。
 花嫁は式が終わるまでは侍女以外の者に顔を見せてはならない仕来たりであるため、薄い布ごしに対応する。体型が似通ってさえいれば、入れ替わっている事が露見する可能性は極めて低い。
 それでも念のためにと、玉緋がシャルに見えるよう、蓮緋が術式を施した。

「いよいよね」

 玉緋はあたかも自分の事のように意気込んだ。

 将軍寮の準備は、着々と進んで行く。
 急な婚礼、その上に本来は王族の儀式等は無縁な軍部であるから、何かしら不備が生じると思われていたが、ハンスと蓮緋の指揮の元、装飾品や衣装が揃えられた。
 将軍の権威では入手出来ない物も、緋龍や小白から届けられた。

 初めはしかめっ面をしていた使用人たちも、祭りのような騒ぎに意気揚々と加わり、盛り上げて行く。
 王宮のように、上流貴族の子息が勤めている館ではない。
 堅苦しい儀式は嫌うが、賑やかな祭りは我先にと加わりたがった。その結果、王宮とは異なる、華やかな様式が整っていった。

 しかし隣国や国内から祝福に訪れた者達が城下に集い始めても、シャルはまだ眠りから覚めなかった。

「予想より長いですね」

 日が昇るより早く柘榴の前に来ていたゼノに、ハンスがこぼした。

「それだけ良くなれば良いのだが」

 ゼノは優しく柘榴を撫でる。その心に迷いがある事を、ハンスは見逃さなかった。

「覚悟は決めたのでは?」
「無論だ。だが今後、こうして長い時を眠る事は難しくなるだろう」
「そうですね」

 王位継承権を放棄していても、ゼノは一国の王子であり、その妻となれば催しへの参加も必要になるだろう。
 治療を優先する事は難しい。

「式が終わり落ち着き次第、聖玉の復元とシャルの延命を行います」
「頼む」

 軍の仕事に行く間際まで柘榴の傍らで過ごすと、ゼノは柘榴を軽く撫でてから鍛練場へと向かった。
 婚儀を目前にしても将軍の仕事を休む事のないゼノに、ライとクラムは呆れていた。

「そんなに俺達は信用無いですか?」

 はっきりと口にするライをクラムは諌めたが、ゼノは苦笑した。

「お前達の事は信頼している。婚儀の前日から半月程は、任せる事になるだろう。その前に、私がすべき事は終えておかねばな」
「半月ですか? 婚儀は三日、後日の挨拶を含めても十日は掛からないと認識していますが」

 クラムは首を傾げた。

「その通りだが、婚儀の後にせねばならぬ事があってな。私用で職務に穴を空け、お前達に迷惑を掛ける事は心苦しいが、許してほしい」

 ライはわずかに視線を逸らした。
 どんな結果が訪れるかは、神官長でさえ完全には予測出来ていない。誰かが欠けるか、最悪の場合は三人揃って失ってしまう可能性さえ否定はできないのだ。

「お待ちしています」

 ライは彼には珍しく、最敬礼をしてみせた。
 しばらくライを見つめていたゼノは、力強く頷く。

「うむ。留守の間、頼む」
「はい」

 二人の間に流れる空気を読み取ったクラムも、事情は解らないながらもゼノの身を案じる。ライに倣って最敬礼を取ると、主の無事を祈った。



 将軍寮は華やかに着飾られ、城下は祝いの喧騒に包まれていく。けれど柘榴の木は少女の姿に戻らない。
 ようやくシャルが目を覚ましたのは、式の二日前だった。
 その報せを聞き、最も取り乱したのは玉緋だった。目覚めたばかりで虚ろなシャルに抱きつくなり、大粒の涙を溢す。

「ごめんなさい。私の制御不足で、大切な日に間に合わなかったら、私、二度とシャルに顔を合わせられなかったわ」
「玉緋様には感謝こそすれ、心を痛められる必要はありません」

 シャルは慰めたが、玉緋はシャルから離れようとはしない。

「そんなにくっ付いていたら邪魔よ? 時間はないんだから」

 涙を滲ませる玉緋を、有無を言わさずシャルから引き離したのは、蓮緋だった。

「後で蝶緋も来ます。時間はありません。最後の通し稽古といきましょう? 大丈夫。打ち合わせにないことは起こらないし、ゼノ様にお任せして、貴方は悠然としていなさい」

 にこりと笑う蓮緋の目にも、薄っすらと涙が滲んでいた。

「ありがとうございます。蓮緋様、玉緋様」

 涙ぐむシャルを、蓮緋は優しく抱きしめる。

「お礼なんて必要ないのよ? 感謝をしているのは私のほう。だって……」

 と、蓮緋はシャルから体を離すと、シャルの頬を優しく撫でた。細められた緋色の瞳に睫が掛かり、漆黒へと色が変わる。
 驚いたシャルだが、瞬いて再び目に映したときには、微笑みを浮かべる蓮緋の瞳は元の緋色に戻っていた。
 気のせいだろうと、シャルは頬笑み返した。

 クルール国第二王女シャルとセントーン国第二王子ゼノの婚礼は、滞りなく行われた。
 王族が挙げるには小さな教会で、国王も王妃も参列しないという、見る人によっては寂しく感じる挙式だったかもしれない。
 しかし心から祝福する者たちに見守られて愛を誓い合う二人は、心から幸せそうだった。

「死が二人を別つまで、シャルを妻とし愛し続けると誓いますか?」

 神官が、ゼノに問うた。
 柔らかくほほ笑みを浮かべ、ゼノは否と答える。わずかに会場がざわめいた。

「死が二人を別とうとし、肉体を失おうと、私はシャルと共にある。どのようなものにも別たれることなく、永久に愛すると誓いましょう」

 ふっと、誰かが笑った。
 戸惑いを浮かべていた神官も、苦く笑みをこぼす。
 政略結婚であるはずの王女と王子が見つめあう瞳には、互いを想う心がありありと見て取れた。

「では、シャル様。死が二人を別つまで、ゼノを夫とし、愛し続けると誓いますか?」

 にこりとほほ笑んだシャルもまた、否と返す。

「いいえ。死を超えて、私はゼノを愛し続けるでしょう。ゼノが私を必要としてくれる限り」

 新婚というのは甘いものだ。しかしそれは、自由恋愛を行う庶民に限った話である。
 下級貴族ならばまだしも、王族や上級貴族の婚姻は、国や家のために結ばれる政略結婚。愛が存在することなど滅多にない。
 しかもゼノは、婚姻を結ぶはずだった緋龍の姫君を兄王子に奪われたというのが、彼に近しくない高官や貴族たちの認識であった。

 その詫びのように急遽決まった婚姻は、国交もない遠国の姫君という。
 顔合わせさえ、婚礼の直前。そこに愛が芽生える時間も事象も存在しなかった。
 神官は面食らいながらも、首を左右に振って己の職務に思考を戻す。

「では聖石への誓いを持って、婚礼を結ぶこととする」

 祭壇へと運ばれたのは、二つの指輪。一つには翠の石が、今ひとつには濃い紫色の石が輝いていた。
 それは本来、送る者の聖石と同じ色の石を使う。
 しかし無色透明の聖石など、文献の中にも存在していない。その色を知られるだけで、シャルの希少性を周囲に知られてしまう。
 それゆえに、石の色はシャルの能力に相応しい、緑系を選んだ。

 ゼノはシャルの手を取り、薬指に紫色の石が付いた指輪を嵌めた。次いでシャルが、ゼノの指に翠の指輪を嵌める。
 互いの聖石を交換している二人には、指輪など形でしかない。そう分かっていても、互いに笑みがこぼれる。

「シャル、必ず守ると誓う。共に生きよう」
「はい」

 穏やかな笑み。その笑みを見るために、どれだけの歳月を要したことか。
 祝福の鐘が鳴り響き、喜びの拍手が教会からあふれ出た。

「蝶緋、目が腫れちゃうよ?」

 最前列の席では、涙に濡れた蝶緋の頬を、そっと拭うセスの姿があった。

「ありがとうございます、セス様。ゼノ様とシャル様が結ばれて、本当に……」

 と、声を嗚咽に埋めた蝶緋の肩を、セスは優しく抱き寄せる。
 通路を挟んだ最前列に座っていた緋凰は、その様子を怪訝な表情で見ていた。

「報告では聞いていたが、あのセスがこうも変わるとは。蝶緋はどんな手を使ったのだ?」
「真実の愛とは尊いものなのですわ。緋凰兄様も少しは蝶緋を見習っては如何?」

 蓮緋の言葉に、緋凰は苦虫を噛み潰したように顔を歪める。
 彼にとって妻という存在は、政略のための道具でしかない。妹達には自由恋愛を認めてはいるが、相手を提示しなければ彼女たちもまた、政略のための道具と化す。

「それにしても玉緋、祝いの席で泣くなんて」
「あんただって……何で泣いてないの?」

 言い返そうとした玉緋は、蓮緋の目元を見て顔をしかめた。彼女は涙をこぼすどころか、露を溜めることさえしていなかった。

「言ったでしょう? 喜びの席で泣く必要なんてないわ」
「あんた、そんなだから『氷の蓮』なんて呼ばれるのよ」
「あら? 『脳筋姫』よりは良いでしょう?」
「なんですって?」

 婚礼の席だろうと、隣り合えば喧嘩が始まる玉緋と蓮緋に、緋凰は溜め息を落とす。その隣では、シャルの姉となったクルールの王女が目を丸くしていた。
 主役のシャルはくすくすと微笑を漏らし、ゼノも困ったように笑みを浮かべる。
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