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58.新たに菓子が並べられると
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新たに菓子が並べられると、一同は目を輝かせた。
「綺麗」
思わず蓮緋は感嘆の声を出し、蝶緋も頷く。
手を伸ばし口に放りこんだセスは、顔の筋肉を弛めた。
「蝶緋も食べなよ」
勧められて手を伸ばした蝶緋は、一口食べて頬に手を当てた。
「美味しい」
称賛の声が飛び交い、菓子は次々と消えていく。
十二分に作って来たつもりだったが、セスの食欲は、ハンスが王宮に居た頃以上に増しているようだ。少女たちも予想以上に食べる。
セスは満足する前に菓子が尽きると機嫌が悪くなるのだと、ハンスは知っている。
ハンスは菓子の減り方に、気が気では無かった。しかしシャルを残してこの場を立ち去るという選択ははばかれる。
どうしたものかと悩んでいれば、外から流れ込む風に乗せられた、彼の香りに気付いた。
シャルにこっそり耳打ちしたハンスは、部屋から出て厨房へと急ぐ。
「シャルも立ってないで食べたら?」
玉緋が誘ってくれたが、セスの視線を感じてシャルは遠慮した。
緋龍の姉妹たちは親しく接してくれるが、シャルは神官見習いの平民である。皇族や王族と同じ席に着くなど、本来は許されない身分だ。
玄関のほうから、足音が響いてくる。廊下を急ぎ足ながら、それでも騒がしく無い程度に近づいてきた。
部屋の扉が開くと、ゼノが現れた。
「兄上がお出でになっておられるとか」
入ってきたゼノはしかし、部屋に充満していた甘い香りに、口元を押さえて息を止める。
「お帰りゼノ。ゼノも一緒に食べる?」
「いえ、私は」
セスの勧めを遠慮すると、ゼノは密かに風の流れを作り、部屋の空気を外の空気と入れ換えた。
甘い香りが部屋から薄らぎ、ようやく呼吸を再開させると、ゼノはシャルを見る。
どこにも傷を負っていない事を確認してから、安堵で小さく笑んだ。
シャルもまた、甘い香りに動揺したゼノに小さく笑った。
「ゼノ、こっちに来て座りなよ」
「はい」
セスに誘われ返事はしたものの、ゼノの足は重い。
だいぶ減っているが、それでも机上の菓子はゼノにとって、目眩がしそうな量だ。
ふと視線を感じ顔を上げると、蓮緋がゼノを凝視している。彼女はゼノが気付いたと見て取ると、セスへと向き直る。
「セス王子」
名を呼ばれて、セスは菓子を頬張りながらも顔を上げた。
「この度の婚礼は誠にめでたく、蝶緋の気持ちを汲んでくださったセス王子の御心に、感謝しておりますわ」
「うん、それで?」
微笑みを貼り付けて、祝福と御礼の言葉を述べる蓮緋に対しても、セスは素っ気ない。
わずかに蓮緋の表情が強張ったが、笑みが崩れることはなかった。彼女はそのまま続ける。
「ですがゼノ王子には申し訳ない事をしてしまったと、緋龍の兄たちも心を痛めておりますの」
ゼノとシャルはもちろん、玉緋と蝶緋も、蓮緋の言わんとしている事に気付き、顔を上げた。
その顔は青ざめ、緊張を含んでいる。
「気にしなくて良いよ」
周囲の動揺など我関せず、セスは菓子を頬張り続ける。
リスのように愛らしい姿だが、話には乗ってもらえず、蓮緋の目に険がこもっていく。
「お詫びと申しては失礼かもしれませんが、ゼノ王子の妻に相応しい女性を」
「要らない」
蓮緋の口上も終らぬ内に、セスは断った。
「セス王子?」
言葉を被せられた蓮緋は微かに眉をひそめるが、彼女とセスを除く一同は、内心で安堵した。
あれ以上、蓮緋が言葉を続けていれば、最悪の事態を招きかねなかっただろう。
「ゼノは妻を持つ気は無いって言ってる。もし妻を取るとしても、緋龍からは貰わないよ」
さらりと言ってのけるセスを、蓮緋は唖然として見つめる。
軽く頭を振って気合いを入れ直すと、蓮緋は再び口を開いた。
机の下で玉緋がやめるようにと足を踏むが、小さく睨み返しただけで、話をやめる気はないようだ。
緊張に空気が張り詰める中、蓮緋は声を上げた。
「では、ゼノ王子に好きな女性がおられたら?」
蓮緋の問い掛けに、セスの動きが止まる。ハンスの菓子がこの部屋に運ばれてから初めて、彼の手から菓子が離れた。
おもむろに、視線を皿の上から蓮緋に移す。その眼の光りに、蓮緋は息を飲む。合ってしまった目を逸らすこともできず、体が震える。
先ほどまでの、邪気の無い子供のような瞳ではない。暗く陰鬱な、まるで処刑人か死神のような、冷たく虚ろな目だった。
「何が言いたいの?」
地獄の底から這い出てきたような、低く暗い声。
「あ、いえ、私は」
かちかちと歯を鳴らしながら、蓮緋は言い繕うとするが、言葉にはならない。咽を掴まれ、口と鼻をふさがれているように、息を吸うことさえままならなかった。
「兄上」
「殿下」
すぐにゼノと蝶緋がセスを宥めに入る。玉緋は蓮緋の腕を抱きかかえるように握り、彼女を支えた。
「お前がゼノの好きな女だとでも?」
「ち、違います。私では」
暗い瞳に問いかけられ、蓮緋は必死に否定する。
まるで死神の鎌の刃先が、目前に突きつけられているかのようだ。
「兄上、落ち着いてください」
ゼノは必死にセスを鎮めようと声を掛けるが、セスには届かない。
「じゃあ、ゼノは誰を好きだって言うの?」
「そ、それは」
完全にセスに呑まれてしまっている蓮緋は、視線をシャルに向けた。
セスの視線も、蓮緋からシャルへと移る。
すぐにゼノはシャルとセスの間に入り、セスの視界からシャルを隠した。
けれどセスの気を逸らす事が出来たのは、一瞬だけだった。
空気がひりりと痛む。
ゼノの全身を、恐怖が襲った。冷たく真っ白になった世界から、甲高い悲鳴が脳を震わせた。
「ゼノ?」
意識が戻った時、ゼノの目に映ったのは、赤く染まったセスだった。
「兄上?」
ゼノは茫然と立ち竦む。
力が暴走してしまったのだ。セスが全身を風の刃に切り刻まれていた。
「大丈夫」
シャルの声に、ゼノは正気を取り戻す。細い指が、ゼノの腕と手を、優しく撫でていた。
「すぐに治すから」
シャルはゼノから離れると、セスの元へと進みでる。セスの手に優しく触れ、目を閉じた。
「凄い」
緋龍の姉妹から、感嘆の声が漏れる。
全身を切り刻まれていたはずのセスの傷は、一瞬にして消えていた。
まぶたを上げたシャルは微笑むが、そのまま崩れ倒れた。
「シャル」
ゼノはシャルを抱き抱える。
「大丈夫」
シャルは微かに笑みを浮かべて、ゼノを見つめる。意識はあるようだが、顔色が悪く呼吸も浅い。
「殿下、寝室に。玉緋様」
いつの間にか部屋に駆けつけていたハンスが、ゼノと玉緋にそっと指示を出した。
玉緋は頷き、すぐに部屋を駆け出る。
「ゼノ?」
シャルを抱き上げたゼノにセスが声を掛けるが、ゼノは振り向かなかった。
「殿下を別室に案内し、湯と着替えを御持ちせよ」
執事に命じ部屋を出ていくゼノを、セスは茫然と見送くることしかできない。
「綺麗」
思わず蓮緋は感嘆の声を出し、蝶緋も頷く。
手を伸ばし口に放りこんだセスは、顔の筋肉を弛めた。
「蝶緋も食べなよ」
勧められて手を伸ばした蝶緋は、一口食べて頬に手を当てた。
「美味しい」
称賛の声が飛び交い、菓子は次々と消えていく。
十二分に作って来たつもりだったが、セスの食欲は、ハンスが王宮に居た頃以上に増しているようだ。少女たちも予想以上に食べる。
セスは満足する前に菓子が尽きると機嫌が悪くなるのだと、ハンスは知っている。
ハンスは菓子の減り方に、気が気では無かった。しかしシャルを残してこの場を立ち去るという選択ははばかれる。
どうしたものかと悩んでいれば、外から流れ込む風に乗せられた、彼の香りに気付いた。
シャルにこっそり耳打ちしたハンスは、部屋から出て厨房へと急ぐ。
「シャルも立ってないで食べたら?」
玉緋が誘ってくれたが、セスの視線を感じてシャルは遠慮した。
緋龍の姉妹たちは親しく接してくれるが、シャルは神官見習いの平民である。皇族や王族と同じ席に着くなど、本来は許されない身分だ。
玄関のほうから、足音が響いてくる。廊下を急ぎ足ながら、それでも騒がしく無い程度に近づいてきた。
部屋の扉が開くと、ゼノが現れた。
「兄上がお出でになっておられるとか」
入ってきたゼノはしかし、部屋に充満していた甘い香りに、口元を押さえて息を止める。
「お帰りゼノ。ゼノも一緒に食べる?」
「いえ、私は」
セスの勧めを遠慮すると、ゼノは密かに風の流れを作り、部屋の空気を外の空気と入れ換えた。
甘い香りが部屋から薄らぎ、ようやく呼吸を再開させると、ゼノはシャルを見る。
どこにも傷を負っていない事を確認してから、安堵で小さく笑んだ。
シャルもまた、甘い香りに動揺したゼノに小さく笑った。
「ゼノ、こっちに来て座りなよ」
「はい」
セスに誘われ返事はしたものの、ゼノの足は重い。
だいぶ減っているが、それでも机上の菓子はゼノにとって、目眩がしそうな量だ。
ふと視線を感じ顔を上げると、蓮緋がゼノを凝視している。彼女はゼノが気付いたと見て取ると、セスへと向き直る。
「セス王子」
名を呼ばれて、セスは菓子を頬張りながらも顔を上げた。
「この度の婚礼は誠にめでたく、蝶緋の気持ちを汲んでくださったセス王子の御心に、感謝しておりますわ」
「うん、それで?」
微笑みを貼り付けて、祝福と御礼の言葉を述べる蓮緋に対しても、セスは素っ気ない。
わずかに蓮緋の表情が強張ったが、笑みが崩れることはなかった。彼女はそのまま続ける。
「ですがゼノ王子には申し訳ない事をしてしまったと、緋龍の兄たちも心を痛めておりますの」
ゼノとシャルはもちろん、玉緋と蝶緋も、蓮緋の言わんとしている事に気付き、顔を上げた。
その顔は青ざめ、緊張を含んでいる。
「気にしなくて良いよ」
周囲の動揺など我関せず、セスは菓子を頬張り続ける。
リスのように愛らしい姿だが、話には乗ってもらえず、蓮緋の目に険がこもっていく。
「お詫びと申しては失礼かもしれませんが、ゼノ王子の妻に相応しい女性を」
「要らない」
蓮緋の口上も終らぬ内に、セスは断った。
「セス王子?」
言葉を被せられた蓮緋は微かに眉をひそめるが、彼女とセスを除く一同は、内心で安堵した。
あれ以上、蓮緋が言葉を続けていれば、最悪の事態を招きかねなかっただろう。
「ゼノは妻を持つ気は無いって言ってる。もし妻を取るとしても、緋龍からは貰わないよ」
さらりと言ってのけるセスを、蓮緋は唖然として見つめる。
軽く頭を振って気合いを入れ直すと、蓮緋は再び口を開いた。
机の下で玉緋がやめるようにと足を踏むが、小さく睨み返しただけで、話をやめる気はないようだ。
緊張に空気が張り詰める中、蓮緋は声を上げた。
「では、ゼノ王子に好きな女性がおられたら?」
蓮緋の問い掛けに、セスの動きが止まる。ハンスの菓子がこの部屋に運ばれてから初めて、彼の手から菓子が離れた。
おもむろに、視線を皿の上から蓮緋に移す。その眼の光りに、蓮緋は息を飲む。合ってしまった目を逸らすこともできず、体が震える。
先ほどまでの、邪気の無い子供のような瞳ではない。暗く陰鬱な、まるで処刑人か死神のような、冷たく虚ろな目だった。
「何が言いたいの?」
地獄の底から這い出てきたような、低く暗い声。
「あ、いえ、私は」
かちかちと歯を鳴らしながら、蓮緋は言い繕うとするが、言葉にはならない。咽を掴まれ、口と鼻をふさがれているように、息を吸うことさえままならなかった。
「兄上」
「殿下」
すぐにゼノと蝶緋がセスを宥めに入る。玉緋は蓮緋の腕を抱きかかえるように握り、彼女を支えた。
「お前がゼノの好きな女だとでも?」
「ち、違います。私では」
暗い瞳に問いかけられ、蓮緋は必死に否定する。
まるで死神の鎌の刃先が、目前に突きつけられているかのようだ。
「兄上、落ち着いてください」
ゼノは必死にセスを鎮めようと声を掛けるが、セスには届かない。
「じゃあ、ゼノは誰を好きだって言うの?」
「そ、それは」
完全にセスに呑まれてしまっている蓮緋は、視線をシャルに向けた。
セスの視線も、蓮緋からシャルへと移る。
すぐにゼノはシャルとセスの間に入り、セスの視界からシャルを隠した。
けれどセスの気を逸らす事が出来たのは、一瞬だけだった。
空気がひりりと痛む。
ゼノの全身を、恐怖が襲った。冷たく真っ白になった世界から、甲高い悲鳴が脳を震わせた。
「ゼノ?」
意識が戻った時、ゼノの目に映ったのは、赤く染まったセスだった。
「兄上?」
ゼノは茫然と立ち竦む。
力が暴走してしまったのだ。セスが全身を風の刃に切り刻まれていた。
「大丈夫」
シャルの声に、ゼノは正気を取り戻す。細い指が、ゼノの腕と手を、優しく撫でていた。
「すぐに治すから」
シャルはゼノから離れると、セスの元へと進みでる。セスの手に優しく触れ、目を閉じた。
「凄い」
緋龍の姉妹から、感嘆の声が漏れる。
全身を切り刻まれていたはずのセスの傷は、一瞬にして消えていた。
まぶたを上げたシャルは微笑むが、そのまま崩れ倒れた。
「シャル」
ゼノはシャルを抱き抱える。
「大丈夫」
シャルは微かに笑みを浮かべて、ゼノを見つめる。意識はあるようだが、顔色が悪く呼吸も浅い。
「殿下、寝室に。玉緋様」
いつの間にか部屋に駆けつけていたハンスが、ゼノと玉緋にそっと指示を出した。
玉緋は頷き、すぐに部屋を駆け出る。
「ゼノ?」
シャルを抱き上げたゼノにセスが声を掛けるが、ゼノは振り向かなかった。
「殿下を別室に案内し、湯と着替えを御持ちせよ」
執事に命じ部屋を出ていくゼノを、セスは茫然と見送くることしかできない。
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