続・聖玉を継ぐ者

しろ卯

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56.セスと蝶緋の婚礼は

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 セスと蝶緋の婚礼は、盛大に行われた。
 王宮では連日晩餐会が催され、多くの国の王族や貴族が順に訪れた。
 七日に渡って執り行われた婚姻の披露も終え、王宮に詰めていたゼノも、ようやく将軍寮に戻ってきた。

「疲れたでしょう? 兄さんが疲れの取れる料理を作ってくれるって」

 気遣うシャルに、ゼノは体を寄せる。

「そなたに触れていると癒される」

 シャルは黙ってゼノを抱き締め、優しく撫でた。

「シャル」

 ゼノもシャルの細い体に腕を回し、顔を埋める。
 そのうちゼノの体が重くなり、シャルはゼノが眠りに落ちた事に気付いたが、そのまま優しく抱き締め続けた。
 桃の花弁が、はらりと舞っていた。

「おや、殿下はお休みですか?」

 軽食を持ってやって来たハンスは、ゼノと反対側の、シャルの隣に腰を下ろす。

「小鳥ちゃんの傍で、気が緩んだんですね」

 シャルは微笑む。

「ねえ、兄さん」
「はい」
「兄さんは、傍にいてあげてね」

 私がいなくなっても。
 声に出さなかったその言葉を、ハンスはすぐに読み取った。
 シャルの頭に右手を回すと、胸元に引き寄せる。

「大丈夫だ。お前を先には逝かせない」

 ハンスの胸の中で、シャルは首を振る。

「分かるの。もう限界だって。ごめんなさい。兄さんを巻き込んでおいて、勝手な事を言って」

 ハンスの手が小さく震えた。瞳が揺れ、いつもの彼とは違う厳しい眼差しとなる。それでいて、優しく愛しげに、シャルを映す。

「シャル、いいんだ。兄さんも、お前とずっと一緒にいたかったから。守りきれなくて、俺のほうこそ、すまない」
「兄さんはいつも私を守ってくれたわ。ありがとう」

 ハンスはシャルを抱き締めた。
 何度も頭を撫でて、撫でるたびに、愛しさが溢れた。
 しばらくしてハンスはシャルから手を離し、いつものように微笑む。

「殿下、そろそろ起きてください」

 ハンスに声を掛けられ、ゼノはシャルに預けていた体を起き上がらせた。

「緋嶄殿たちはどうしている?」

 声を掛けられるまで眠っていて、何も見ていないと示すように、話題を振った。

「城下の宿で、緋凰殿と連絡を」
「そうか」

 差し出された軽食に手を伸ばし口に入れる。

「酸いな」
「疲れているときは、酸味のある果物が良いのですよ」
「そうか」

 言われれば、素直に頬張る。
 温かい汁物を出され、ゆっくりと飲んだ。

「腹に沁みるようだ」

 しみじみと呟くゼノに、シャルがくすりと笑みをこぼした。ゼノもまた、相好を崩す。

「王宮では、脂の乗った濃いものばかりでな。味は悪くないのだが、少しもたれ気味だったのだ」

 少しおどけるように、シャルに愚痴った。

「では今夜は、麦の雑炊にしましょうか?」
「頼めるか?」
「ええ」

 ハンスは頷く。
 菓子だけでなく、料理全般に精通するハンスは、いつの間にか将軍寮の料理長の座に就いていた。



「セス殿下と蝶緋様の評判は、凄まじい様子ですね」

 セントーンに訪れた国内外の王族や貴族達は、誰もが二人の並ぶ姿に目を奪われ、言葉を失ったと言う。
 招待客だけではない。王宮に勤める使用人達も、二人に視線を注がないようにするのに、大変苦労したとか。
 それほどにセスと蝶緋の美貌は浮世離れしており、二人が微笑みを浮かべる度に、会場は感嘆の息に包まれた。

「問題は明後日だ。国民へ披露せねばならぬからな。王族への不満を持つ者達が、妙な動きをせねば良いのだが」

 国民の王族への憧れは強い。だが同時に王族への不満も多い。
 特に現王妃は金遣いが荒く、国王の政も妃を娶ってから、怠惰な面が増えた。それ以前は、才覚と優しさに溢れた賢王との評判だったにも関わらず。
 国民の間には、前王妃であるゼノの母親と共に、本物の国王は弑され、現在の国王はギリカが送り込んだ偽者だ、などという噂までささやかれている。

 ゼノへの冷遇と彼の活躍、そしてセスの蛮行の噂も相まって、国民の中には次期王にゼノを望む声が強い。
 本来ゼノの妻となるはずの蝶緋が、セスの妃に急に変更された事も、あらぬ憶測を呼んでいた。
 蝶緋の件に関してはゼノも心を痛めており、警備は万全を期した。

 王宮の庭の一部が開放され、国中から訪れた国民達が雪崩れ込む。
 敵意を持つ者は素早く選別し、軍人達に取り押さえられた。
 しかし多くの国民は、絶世の美貌と歌われるセス王子を一目見んと、期待に胸を膨らませているだけの、害意の無い者たちだ。

 刻限になり、セスと蝶緋が姿を現すと、喧騒に包まれていた広場は静寂に包まれた。
 天使のような微笑みを浮かべるセスと、女神のように透き通る美しさを持つ蝶緋に、誰もが見とれ、言葉を失う。
 静まり返った民衆に向かい、セスは軽く手を振り、蝶緋は片膝を軽く折って礼をする。

 二人が幕の中に戻ると、どっと広場に音が溢れた。
 反意を抱いていた者たちもあまりの美しさに目を奪われ、城門を潜り出る頃には、すっかりセスと蝶緋の虜になっていた。


「あれほど美しく穢れの無い笑顔の王子に、残虐な行為ができるはずがない。過去の噂は捏造だったのだ。なんて、町では噂されているわよ」

 城下の宿から将軍寮に、シャルを訪ねてやって来た玉緋は、町で耳にした話を打ち明けた。

「酷いのになると、過去の噂を流していたのはゼノだ、なんて言い出す奴まで出て来てる」

 面白く無さそうに、嶄緋も続く。

「まあ民の噂なんて適当ですから」

 不機嫌な玉緋と嶄緋を宥めながら、ハンスは茶を注ぐ。

「けれど本当に美しかったわ、蝶緋」

 蓮緋は一人、悩ましげに息を吐く。

「私も愛する殿方と、早く結ばれたい」
「蓮緋様は、好きな方が居られるのですか?」

 尋ねたシャルに、蓮緋はふふっと笑う。

「ええ、とても素敵な方よ。でも私より先に、シャルさんね」
「あ、いえ、あの」

 藪蛇にシャルは顔を赤く染める。

「そうね、蝶緋の婚礼は済んだし、次はシャルね」

 玉緋も蓮緋に同意する。
 けれど当人であるシャルの表情は浮かない。

「何か問題があるの? 身分の事なら、緋凰兄様に任せておけば大丈夫よ」

 蓮緋は慰めるが、シャルは曖昧に微笑むだけだ。

「やっぱりセスの事?」

 玉緋に指摘されて、シャルはうつむく。
 かつてシャルは、セスに手足を切り落とされる重傷を負っている。ただゼノと親しくしていたというだけの理由で。
 その傷がシャルの体に与えた負担は大きく、シャルは長い間、樹木の姿のままで一人、森の奥で眠っていた。
 神官長となったシドの力添えで動けるようになったものの、体は未だ不完全で、生命の危機は脱しきれていない。

「きっと殿下が良いようにしてくださいますよ」

 ハンスは微笑みかけたが、シャルはこれにも曖昧に微笑みを返した。
 自分の我儘を叶えるために、ゼノに大きな負担をかける事が辛かった。
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