続・聖玉を継ぐ者

しろ卯

文字の大きさ
上 下
47 / 77

45.セントーンに着いた緋蝶は

しおりを挟む
 セントーンに着いた緋蝶は、歓迎を受けた。
 国に入ってしばらくは、敵視する視線を感じたが、それは先の皇帝がゼノの処刑を命じ、国境近くで争ったからだろう。
 中にはゼノの力により緋龍が敗退し、その償いに姫を差し出して来たのだと、蝶緋たちを見下している民もいた。

 しかし城下が近くなるにつれて、民の間には祝福の色が濃くなっていった。
 緋龍の現皇帝が、ゼノの従兄弟である事は、民の間にも知られている。大国である緋龍から姫をめとるという事実は、セントーンにも利が大きい。
 そして何より、ゼノの婚礼を喜ぶ心が強く現れていた。

 だが蝶緋の心は、王宮が近付くにつれて沈んでいった。
 共に嫁ぐはずだった玉緋は、アリスという娘のために緋龍に残り、ゼノに嫁ぐのは蝶緋一人になってしまった。
 玉緋がいれば、遠く離れたセントーンでも寂しくはないだろう、あの冷たい眼をした王子と顔を会わせることも、耐えられるだろうと考えていたのに、と、蝶緋はまぶたを落とした。

「御加減でも?」
「いいえ、平気よ」

 従者に気遣われ、蝶緋は慌てて笑顔を取り繕う。

「長旅でございましたから。もうしばらくの御辛抱です」

 蝶緋は頷いた。
 馬車に揺られる旅は、今までにも経験している。
 だが今回は、婚礼のための品々を運ぶために従者も多く、歩みは遅い。その上セントーンに入ってからは、民衆の注目も有り、外を歩いて体をほぐすことも出来なかった。

 城下の喧騒を抜け、ようやくセントーンの王宮に辿り着いても、休む暇もなく、セントーン国王とセス王子への挨拶に向かわなければならなかった。

「御父上様、御兄様、そして御母上様、蝶緋にございます」
「うむ」

 セントーン国王は、気難しい顔で頷くだけだった。労いの言葉一つ、掛けてはくれない。
 その態度で、蝶緋は自分が歓迎されていないのだと察した。

「なんだ、蝶緋だったの。てっきり玉緋が来るのかと思ってた」

 セスの言葉に、ずきりと蝶緋の胸が痛む。

「至らぬ点もあるとは存じますけれども、どうか御許しください。セントーン王家に相応しい妻となれますよう、精進致しますので。何卒、御指導の程、よろしく御願い致します」

 蝶緋は震えそうになる手を、衣の裾を強く握り締めて抑えた。

 挨拶を終えると、彼女は用意されていた部屋に戻される。そこで式まで過ごすのだ。
 部屋から勝手に出る事も、夫婦となるゼノに会う事も、式までは許されない。

 挨拶のために纏っていた正装を脱ぎ、平素の衣に着替え椅子に腰掛けると、急に疲れが襲って来た。目眩を感じた蝶緋は、背もたれに手を添えて支えた。
 侍女がお茶の入った茶器を差し出す。
 柔らかい芳香に、気持ちが幾ばくか落ち着いた気がする。口に含むとわずかな酸味が有り、疲れがほぐれていった。

「ありがとう」

 蝶緋の言葉に、侍女は驚き目を丸くした。
 セントーンの王族――少なくとも王宮に住まう三人が、使用人に礼を述べる事などない。貴族達ですら、茶を差し出した程度では、当然の事と気にもとめない。
 それなのに、セントーンよりも大きな国の姫が、礼を述べたのだ。
 侍女の驚嘆と感動は、大きかった。

「何か御入り用のものはございませんか? 疲れの取れそうな、菓子など用意させましょうか?」

 差し出がましいかと思ったが、目の前の姫は、余りに可憐で、弱っているようにさえ見えた。好ましい姫を慮り、侍女は思い切って尋ねた。

「ありがとう。そうね、少し頂こうかしら」

 微笑みを返した蝶緋に、侍女は思わず息を飲み、顔を赤らめる。
 絶世の美形と謳われるセスに仕え、美貌には慣れたつもりだったが、蝶緋にはセスとは違う、儚い美しさがあった。

「すぐに御用意します」
「ありがとう」

 侍女は頭を垂れ礼を取ると、部屋を出た。

 蝶緋は一人、取り残された。
 緋龍から連れてきた従者達は、別の部屋を宛がわれている。これから蝶緋の世話は全て、セントーン側が行う。
 大きく息を吐き出すと、背もたれに体を預け、まぶたを落とした。
 よほど疲れていたらしい。すぐに意識が混濁していった。

 どのくらい目を閉じていたのか、部屋の外から聞こえてくる声に、蝶緋は目を開ける。

「失礼致します」
「どうぞ」

 扉が開き、先程の侍女が、茶や菓子の乗った台車を押して現れた。
 続いて現れた人影に、蝶緋は一気に目が覚めた。慌てて姿勢を正し、壁に掛けられていた鑑に自分の姿を探す。
 髪や化粧に、目立つ不備はないと見て、すぐに視線を戻す。

「僕も一緒して良いよね? 蝶緋」

 問われて蝶緋は、耳まで紅くしてうつむいた。

「も、もちろんです。セス王子」

 花嫁の部屋に、男性が入ることは禁じられている。それはセスも蝶緋も知っているはずだが、どちらも拒否しなかった。
 せめて二人切りにはしないようにと、侍女は自分に言い聞かせる。

「良い匂いがしたからさ。蝶緋の御茶菓子だって聞いて、付いて来たんだけど、僕も食べても良いよね」
「もちろんです。どうぞ御取りください」
「ありがとう、蝶緋」

 子供のように笑顔を振り撒くセスに、蝶緋は頬を赤く染めたままだった。

「あれ? いつもより甘いや」

 焼き菓子を口にしたセスは、首を傾げる。

「そうなのですか?」
「うん、蝶緋も食べなよ」
「はい、頂きます」

 言って蝶緋は菓子に手を伸ばし、一口食べた。
 長旅と緊張で疲れていた体と心に、染み込むようだ。しかしその味に、蝶緋は違和感を覚えた。

「どうしたの?」

 表情の変化をセスに気付かれて、蝶緋は言葉を探す。
 セントーンから緋龍に来た菓子職人は、将軍寮に仕えていると聞いた。ならばセントーンの王宮の菓子は、どれ程の味だろうかと、姉妹たちと囁き合っていたのだ。
 しかし今しがた口にした菓子の味は、それに劣っているように感じた。

 答えない蝶緋に、セスの顔から笑顔が消えていく。
 彼の心境を鋭く察した蝶緋は、早く答えなければと、口を開いた。

「いえ、長旅のせいか、少し味覚がおかしくなっているようです」
「そう? 美味しくない?」
「いえ、そんな事は」

 慌てて言い募る蝶緋に、セスは顔を曇らせながら、食べ掛けの菓子を口に放り込んだ。
 沈黙が走り、蝶緋は居たたまれない気持ちになる。

「ゼノのね」

 セスの口からその名が出て、蝶緋は小さく震えた。

「住んでる寮の菓子は、美味しかったんだ。ゼノが留守にしてから、食べれなくなっちゃったけど」

 蝶緋は自分の味覚は誤ってはいなかったのだと知ると同時に、違和感を覚える。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

悪役令嬢は反省しない!

束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢リディス・アマリア・フォンテーヌは18歳の時に婚約者である王太子に婚約破棄を告げられる。その後馬車が事故に遭い、気づいたら神様を名乗る少年に16歳まで時を戻されていた。 性格を変えてまで王太子に気に入られようとは思わない。同じことを繰り返すのも馬鹿らしい。それならいっそ魔界で頂点に君臨し全ての国を支配下に置くというのが、良いかもしれない。リディスは決意する。魔界の皇子を私の美貌で虜にしてやろうと。

拝啓、大切なあなたへ

茂栖 もす
恋愛
それはある日のこと、絶望の底にいたトゥラウム宛てに一通の手紙が届いた。 差出人はエリア。突然、別れを告げた恋人だった。 そこには、衝撃的な事実が書かれていて─── 手紙を受け取った瞬間から、トゥラウムとエリアの終わってしまったはずの恋が再び動き始めた。 これは、一通の手紙から始まる物語。【再会】をテーマにした短編で、5話で完結です。 ※以前、別PNで、小説家になろう様に投稿したものですが、今回、アルファポリス様用に加筆修正して投稿しています。

【完結】巻き戻りを望みましたが、それでもあなたは遠い人

白雨 音
恋愛
14歳のリリアーヌは、淡い恋をしていた。相手は家同士付き合いのある、幼馴染みのレーニエ。 だが、その年、彼はリリアーヌを庇い酷い傷を負ってしまった。その所為で、二人の運命は狂い始める。 罪悪感に苛まれるリリアーヌは、時が戻れば良いと切に願うのだった。 そして、それは現実になったのだが…短編、全6話。 切ないですが、最後はハッピーエンドです☆《完結しました》

思い出しちゃダメ!? 溺愛してくる俺様王の事がどうしても思い出せません

紅花うさぎ
恋愛
「俺がお前を妻にすると決めたんだ。お前は大人しく俺のものになればいい」  ある事情から元王女という身分を隠し、貧しいメイド暮らしをしていたレイナは、ある日突然フレイムジールの若き王エイデンの元に連れてこられてしまう。  都合がいいから自分と結婚すると言うエイデンをひどい男だと思いながらも、何故かトキメキを感じてしまうレイナ。  一方エイデンはレイナを愛しているのに、攫ってきた本当の理由が言えないようで……  厄介な事情を抱えた二人の波瀾万丈の恋物語です。 ☆ 「小説家になろう」にも投稿しています。

踏み台令嬢はへこたれない

三屋城衣智子
恋愛
「婚約破棄してくれ!」  公爵令嬢のメルティアーラは婚約者からの何度目かの申し出を受けていたーー。  春、学院に入学しいつしかついたあだ名は踏み台令嬢。……幸せを運んでいますのに、その名付けはあんまりでは……。  そう思いつつも学院生活を満喫していたら、噂を聞きつけた第三王子がチラチラこっちを見ている。しかもうっかり婚約者になってしまったわ……?!?  これは無自覚に他人の踏み台になって引っ張り上げる主人公が、たまにしょげては踏ん張りながらやっぱり周りを幸せにしたりやっと自分も幸せになったりするかもしれない物語。 「わたくし、甘い砂を吐くのには慣れておりますの」  ーー踏み台令嬢は今日も誰かを幸せにする。  なろうでも投稿しています。

宮廷外交官の天才令嬢、王子に愛想をつかれて婚約破棄されたあげく、実家まで追放されてケダモノ男爵に読み書きを教えることになりました

悠木真帆
恋愛
子爵令嬢のシャルティナ・ルーリックは宮廷外交官として日々忙しくはたらく毎日。 クールな見た目と頭の回転の速さからついたあだ名は氷の令嬢。 婚約者である王子カイル・ドルトラードを長らくほったらかしてしまうほど仕事に没頭していた。 そんなある日の夜会でシャルティナは王子から婚約破棄を宣言されてしまう。 そしてそのとなりには見知らぬ令嬢が⋯⋯ 王子の婚約者ではなくなった途端、シャルティナは宮廷外交官の立場まで失い、見かねた父の強引な勧めで冒険者あがりの男爵のところへ行くことになる。 シャルティナは宮廷外交官の実績を活かして辣腕を振るおうと張り切るが、男爵から命じられた任務は男爵に文字の読み書きを教えることだった⋯⋯

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

あなたのおかげで吹っ切れました〜私のお金目当てならお望み通りに。ただし利子付きです

じじ
恋愛
「あんな女、金だけのためさ」 アリアナ=ゾーイはその日、初めて婚約者のハンゼ公爵の本音を知った。 金銭だけが目的の結婚。それを知った私が泣いて暮らすとでも?おあいにくさま。あなたに恋した少女は、あなたの本音を聞いた瞬間消え去ったわ。 私が金づるにしか見えないのなら、お望み通りあなたのためにお金を用意しますわ…ただし、利子付きで。

処理中です...